カウント
リングが舞台。
佐藤さんには願ってもない事だろう。
リュミエールの策によって、一対一の勝負に持ち込まれた沖田と佐藤さん。
リュミエールは今の安土が気に入らないから、僕達に手を貸すと言っていたが、どうやら僕達だけに利を与えるつもりは無いみたいだ。
その証拠がリングだろう。
沖田に一対一という条件を与えた代わりに、リングという佐藤さんに得意な舞台を与えた。
リュミエールがいつムッちゃんからリングの話なんか聞いたか知らないが、彼女からしたらこれで五分の条件を与えたと考えているんじゃないか?
四方をロープで囲まれたキャンバスは、普通に考えると狭い。
しかしその空間の中だけで戦うというのは、沖田にも経験が無いはず。
狭い建物の中でなら、あるかもしれない。
それこそ池田屋みたいな所に、押し入るとかね。
建物の中の物を使って、剣戟を防いだりも出来たと思う。
しかしリングには、そんな物は無い。
ハッキリ言って、ここで戦うなら佐藤さんが有利だろう。
それに加えてもう一つ。
今回のリングは、通常の物よりも大きいという。
リングというのは、広いとアウトボクサーに有利だと聞いた。
それは佐藤さん本人から聞いたので、間違いない。
沖田も速い方だけど、リングの中でその速さが活かせるかは分からない。
今回の戦い、こうやって考えると実に巧妙に組まれていると思う。
沖田にも佐藤さんにも利のある条件。
これなら向こうも、自分達が一方的に不利だとは考えない。
リュミエールの奴、なかなかやるなぁ。
佐藤さんに言われて右目の瞼に軽く触れると、少し痛みが走った。
確かに腫れている。
上に持ち上げると、視界が開けたように見えた。
「その目じゃマトモに戦えないだろう?」
得意顔の佐藤さんだけど、僕は少し拍子抜けだ。
「何だ。この程度なら、こうして」
「何!?」
僕は人差し指の爪を伸ばすと、腫れた目の上を自ら切った。
その後、コバさんからもらった接着剤を使って広げると、視界は元通りに見えるようになった。
「お前、そんな技術何処で覚えた!?」
「はい?そんなの普段から戦っていれば、こんな事もありますよ」
壬生狼は戦いを生業としている。
他種族と戦う事も多々あるし、その中には無手が得意な連中も居た。
殴られたり蹴られたりすれば、このように腫れたりする事も日常茶飯事だ。
瞼が腫れて見えないからと敵が待ってくれるはずは無く、僕達はその場その場で応急処置するなんて、普通の事だった。
「もしかして、これが新しい技だったとか?」
「しかし、フリッカージャブが破られたわけじゃない!」
佐藤は再び左手を力を抜いて下すと、また同じようなパンチを繰り出した。
「一度見たんです。もう食らいませんよ!」
鞭のようにしなる腕だが、弱点もある。
それはこのパンチよりも、僕の攻撃の方が長いという点だ。
単純に考えて僕の剣と腕の長さは、佐藤さんの腕の長さを上回っている。
軌道が読みづらく避けづらいという利点はあるが、距離感さえ掴んでしまえば問題は無い。
半身に構えて急所は隠しているが、それは僕の剣を恐れているという事。
拳と違い剣で刺されれば、ダメージは大きいしね。
だから僕は、右足を後ろに引いて突きの構えを見せた。
すると彼は後ろへ飛んで距離を取った。
僕が何をしようとしているのか、読まれたらしい。
「攻撃してこないんですか?」
「あぁ。ちょっと分が悪いのでね」
佐藤さんは構えを元に戻した。
そしてベタ足に近かった体勢から、一定のリズムでステップを踏み始める。
静かだったリングに、佐藤さんのシューズからキュッ!キュッ!という音が鳴り始めた。
「来いよ」
なるほど。
今度は僕が誘われているわけか。
僕の突きを避けて、懐に飛び込もうと考えているようだ。
だけど佐藤さんは、かつて戦った時も完全には僕の突きを見切っていなかったはず。
しかし突きを誘ってくるという事は、僕の突きを恐れていない証拠だ。
これには少しだけ、気分が悪くなった。
「分かりましたよ。僕の突き、ちゃんと避けて下さいよ。じゃないと死にますからね」
佐藤さんはリングを、僕を中心にして回っている。
ずっと同じ方向なら簡単に当てられるが、そうではない。
だけど一定のリズムに変わりは無い。
重心の傾き具合を見れば、何処に行こうとしているのか分かる。
「フッ!」
僕の右手が佐藤さんの肩を捉えた。
この体勢なら、絶対に当たるはず。
しかし佐藤さんは、左手の手首を返して軽く外に叩くと、僕の剣を流した。
彼は剣をすり抜け、懐に飛び込んでくる。
だから僕は、それに合わせて前のめりに倒れ込んだ。
「うっ!」
佐藤さんが前に出るタイミングに合わせ、僕も足に力を入れて前に出た。
距離を潰された佐藤さんは驚いたのか、左手でパンチをしてくる。
それをわざと食らいながらすれ違いざまに、右の肘を顔面に叩き込んだ。
膝をついた佐藤さんだったが、僕もダメージがある。
ジャブと呼ばれるパンチなら、距離を詰めた事で威力も下がっただろうけど、横振りのパンチに切り替えていた。
僕の前進に合わせて入れてきた事で、逆にダメージが増したようにも感じる。
「はい、ダウーン!」
「え?」
突然リュミエール様の声が聞こえた。
ビクッとした僕だが、それは佐藤さんも同様だった。
突然始まるカウントダウン。
「はい、ワーン、ツー」
佐藤さんの顔に笑みが浮かんでいる。
このカウントに、何か意味はあるのだろうか?
「スリー!」
スリーと言った後、鐘のような音が鳴らされた。
そしてリュミエール様が、何かを言い始める。
「スリーカウントフォール勝ちー!」
「え?勝ち?誰が?」
リングの方に向かってくるリュミエール様に合わせて、周囲から歓声が湧く。
しかし僕も佐藤さんも、呆気に取られている。
佐藤さんは立ち上がり、リュミエール様に食ってかかった。
「アンタはバカか!そりゃ違うジャンルだ!」
「何が?アタシはタケシに教わった通りに、やったのだけど」
「アイツはプロレス!俺はボクシング!カウントダウンのルールが違う!」
佐藤さんの顔は真っ赤だ。
怒りで真っ赤というより、必死だからかもしれない。
「沖田、すまんが時間をくれ。このバ・・・女に説明をさせてほしい」
「良いですけど」
この人、バカ女って言いそうになったな。
そんな事言ったら、文字通り瞬殺されるというのに。
まあある意味、それくらい本気なんだろう。
「プロレスは両肩をマットに付けた状態で、スリーカウント経つとフォール勝ちになる。それに対してボクシングは、ファイティングポーズがテンカウント以内に取れないと、KOになるんだ」
「ファイティングポーズって何よ?」
「こう、構えるポーズだ」
「フーン」
この人、全く興味無いな。
とりあえず早くやれよって顔をしている。
「じゃあ次からテンカウントにするわ。今回は見逃してあげる」
「見逃すも何も、お前が勘違いしたんだろうが!」
「何よ。文句あるなら失格にするわよ」
「・・・さあ沖田!続きをやろうか」
このまま無かった事にするつもりらしい。
まあ何にせよ、僕は負けなければ良いだけの話だ。
「アタシが離れたら、またコレを鳴らすわ。そしたら続行よ」
「それよりもアンタ。何処でゴングなんか手に入れたんだ?」
「はい続行〜」
佐藤さんの質問には答える気が無いのか、歩きながら鐘の音を鳴らす。
「あの女〜!」
文句を言いながらも、既に僕へと注意は向いている。
不意打ちをされるかと警戒されていたようだが、なんだかんだで僕も、ダメージが抜けるまでのは時間は欲しかった。
しかしそれは、佐藤さんにも言える事。
向こうもダメージは残っていないみたいだ。
「今度はもっと速くします」
「お前の攻撃は、俺には通用しないよ」
「それは避けてから言って下さい」
僕は前のめりに倒れ込むと、右足に力を入れて一気に加速する。
佐藤さんは右のパンチで応戦してくるが、左ほど速くない。
それを掻い潜り剣を横に振ると、佐藤さんの右肩に直撃する。
が、何か硬い物に阻まれた。
僕は違和感を感じて、後ろへ下がる。
「・・・魔法ですか?」
「教えるはずが無いだろう」
上半身裸の佐藤さんに、防具は無い。
強いて言えば、身体に何かを塗っているくらいだ。
この塗っている何かが、僕の剣を弾いた?
いや、もしそうだったとしても、僕の刺突なら貫ける。
「奇跡は二度も続かない」
「俺もそう思うよ」
右足を引き、剣を地面と水平に構える。
一点を狙い、そこに全ての力を凝縮する。
それに対して佐藤さんは、僕を中心に回っている。
背後に回るとパンチを出してくるが、剣を逆手に持ち後ろへ突くとすぐに離れていく。
なるほど。
リングの中央に居ると、全方向から狙われる。
だったら僕が取るべき道は一つ。
自ら角の方へ行き、退路を断つ!
これで狙われるのは、前方だけになる。
佐藤さんの動きも、これで制限された。
「行きますよ!」
今度こそ力を溜めて、一気に爆発させる。
狙うは佐藤さんの生命線である左肩。
「せあっ!」
引いた右足の力を解放すると、身体ごとぶつかるように突進する。
もし佐藤さんがグローブで防ごうとしても、それごと貫く!
「甘いな」
佐藤さんの左肩に当たった。
しかし派手な金属音がすると、僕の剣が右へと弾かれる。
「なっ!?」
「終わりだ」
佐藤さんの両肩から、突然グローブが浮かび上がる。
無防備になった僕に対して、佐藤さんは一気に距離を詰めてきた。
佐藤さんによる左右の連打が、胸や腹に直撃する。
そして浮いているグローブが、僕の顔面を殴り続けた。
僕は剣を手放すと、右手の爪を伸ばし握るようにして佐藤さんに襲い掛かる。
彼の背中を切り裂く事に成功すると、彼はすぐに横に飛んで逃げていった。
時間にして数秒だが、僕は一気にダメージを負ってしまった。
「ハァハァ」
「イッテェ。そういえば爪が残っていたのを忘れていた」
背中から流血しているが、致命傷とは言えない。
それに対して僕は、かなりのダメージだ。
直接殴られた腹は当たりどころが悪かったのか、胃液が逆流したかのように酸っぱい物が口の中に溢れている。
それを吐き出すと、赤い物も混じっていた。
「い、今のは?」
「コレか?コレは俺専用のオリハルコン型グローブ、エル・フィニートだ。名前の由来は、俺が尊敬するチャンピオンから貰っている」
「お、オリハルコン・・・」
失念していた。
他の人達は分かるように手にしていたけど、この人は全く見せなかったから、持っていないものだとばかり考えていた。
しかし、普段から身に付けていたとは。
「オリハルコンの装備は絶大だ。装備で勝ったような気がしてしばらくは使わなかったが、やはりそうも言ってはいられなかった。お前は強い。だから俺は、何と言われようとも勝つ!」




