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黒猫マウリツィオとママ

 家についた。


 マウリツィオも一緒に来ていた。


 この際、しばらく一緒にいた方が早く色々なことを学べるだろう。

 家に帰る途中では、大通りに出たところで歩道に三輪車に乗った幼児がいた。

 保護者が近くにおらず「レナータ様、あの幼子は罠です。何があっても見ぬ振りを」とマウリツィオが言ったが「そんなわけにいかないでしょう」とさっさと走り寄った。

 案の定、三輪車の幼児は歩道の切れ目で急に方向を変えて車道へ・・・出る直前に梨音が止めた。

 直後にダンプが通り過ぎて行った。

 どうやら死亡フラグはあっちこっちに立ちまくっているらしい。


「ママにお前を飼う許可を貰うからな。マウリツィオ、大人しくしているのだぞ」

 梨音は母国語でそういうと黒猫マウリツィオを門の脇に残して玄関から家に入った。


 一軒家。建売の住宅である。

 母親は家にいるはずだ。

 梨音は母親を「ママ」と呼んでいるらしい。

 幼児期からずっとそうだったので特に違和感はないらしいし、レナータ的にも日本語でのニュアンスがよくわからないので違和感はこれっぽっちもない。


「ママ、いる?」


 靴を脱いで家に上がる。

 梨音の習慣は意識せずとも出来てしまう。

 もちろんレナータには靴を脱ぐ習慣はない。

「梨音?帰ったの?」

 ママはキッチンから顔を出した。

「宿題は?ゲームの前にやりなさいよ」

「あ、うん。今日は宿題ないよ」

「無いわけないでしょう?中間テストの英語、赤点だったわよね?英会話CD買ってあげたでしょう?ちゃんと聞いてる?」

 英会話CDと言われて思い浮かぶのは教材の一つだ。


 ただ思い浮かぶのはパッケージであって中身ではないし、再生された音声でもなかった。

 つまり梨音は一度も聞いていない。

「じゃあ、今日はそれを使って勉強するね、ママ」

 ママは「え?」という顔で梨音を直視した。

「今、勉強するって言ったの?梨音?」

「言ったわ。学ぶのは楽しいわよ。知らないことを知るのは大切なことだわ」

 レナータは魔法の研究や国の歴史、貴族としてのマナー、剣の修練どれも手を抜くことは無かった。

 基本的にまじめな性格である。

 学校では午後の授業をさぼってしまったが、それは梨音としての習慣を行っただけのこと。

 勉強したくなかったわけではない。

 それに記憶を探ってみて思ったことだが、梨音はあまりに無知だった。

 学力もかなり低い。

「そ、それならいいんだけど・・・梨音、大丈夫?熱でもあるんじゃ・・・?」

 そっと梨音のおでこに触ろうとするママの手をそっと払いのけた。

「それより、ママ。猫を飼いたいんだけど」

「なんですって?」

「ちょっと生命にかかわる理由があるので猫を飼いたいのです」

「そういうことか」

 ママは納得したような顔で梨音を見下ろした。梨音の背は低いのだ。

「そういうことって?」

「猫を拾ってきたから、急に勉強するって言いだしたんでしょう?」

「え?違う・・・」

「ダメです。猫なんて。梨音に飼えるわけないでしょう?それに昼間はどうするの?ママだって家にいないし、だれが面倒を見るの?」

梨音はちらっと玄関の方を見る。

「いや、放っておけばいいんじゃないかな。たぶん昼間は私の学校の近くにいると思うし。家に上げる許可といくらかの食事を提供する許可だけ貰えればいい」

「放っておくって・・・そんなわけにいかないでしょう?近所の目もあるのよ?」

「大丈夫だって、頭のいい猫だから。近所にも目立たないようにしてるんじゃない?」

「そんなことあるわけが・・・」

 梨音は玄関に戻ると扉を開けた。

 扉の向こうにきちんとお座りした黒猫がまっすぐにママを見ていた。

「マウリツィオ、私のママよ。挨拶なさい」

 母国語で梨音が言うとマウリツィオは頭を下げて一言「ニャン」と言った。

 その後は微動だにしない。


 だがママは猫を見ていなかった。

「梨音、あなた、今、英語で猫に話しかけたわよね?」


 レナータの産まれた世界は、もちろん異世界である。

 ただ別の進化を辿った地球というようなもので、完全に何から何まで違うというわけではない。


 地理的に言えばスカファーティー領はイタリア半島にあり、そこの公用語は英語だった。

 現代のイタリアの公用語はもちろんイタリア語なのだが、レナータの世界においてはイタリア語は古語としてのみ使われている。

 ただレナータも過去の魔法書を読む関係上、イタリア語も読める。

 発音は得意ではないが会話も出来なくはない。

 魔法文明の発達により人の交流が多く、共通語の必要性が叫ばれて久しいレナータの世界においては全世界共通語として英語が用いられており、個々の国の言葉は古語、もしくは方言的な使われ方に留まっているのだった。

 レナータも日常的に英語を話していたわけだったが、梨音の英語力があまりにもお粗末過ぎて「それが同じものだとは思わなかった」のだ。


「あ、ママ。これはえっと・・・」

「いいわ、梨音。その猫を飼いなさい。なんだかわからないけど、その猫は英語で話しかけるということを聞くのね?それで梨音はいくつかの英単語を覚えたのね?」

「あ、えっと・・・(違うけど、ま、いっか)ありがとう」

「じゃあとりあえずミルクでもあげなさい。古い皿を出してあげるから。細かいことは後で相談しましょう」


 梨音の部屋。

 アニメのポスターが一枚、壁に貼ってある。

 異世界転生系のファンタジーだった。

 梨音はため息をつく。

「知識としては知っているけど、そんなに甘くはないと思うのよね。私だってかなり努力してきたんだし。それに、どう考えてもこっちの世界の方が生活は遥かに豊かだわ」

「それでも異世界へ旅立ちたいと思うのですよ、レナータ様」

「何故?」

「私にはこちらの世界で30歳まで生きた人物の記憶がございます。1975年に私は来ましたが、その後、日本という国は発展をしつつもいろいろと息苦しい社会になっていきました。最近では、酒を飲んで大声を出したり、ちょっと女性に声をかけたりすることさえ咎められると聞きます。誰もが不安なく生活出来ることを目指し過ぎて、誰もが自由に生きられぬ世界、それがこの日本という世界なのです」

「そんなものなの?梨音の知識には無いなあ」

「見ない振りをしているのですよ。それに、羽目を外して大騒ぎするような経験の無いものにとっては、その状況が不幸だとは感じないかもしれません。感動して大声を上げるなどという欲求も起きないかもしれません」

「いささか信じ難いけど」

 梨音は言葉を区切る。

「とにかく、まずは自分の命ね。マウリツィオ、あなたの知っていること、全部教えてもらうわよ」


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