転生というか・・・
その魔術に名前はなかった。
術式、必要な材料、必要な舞台・・・そして魔術の効果についても説明は無かった。
だが、レナータは確かに目的を伝えたし、マウリツィオはチート知識を持っている。
だから効果については心配していなかった。
この世界においての魔法とは、現代的な見方で言えば「神との契約によって行使できるようになるエネルギー転移」といったようなものだ。
風魔法は魔力の範囲内の空気の流れを集めることにより起きる。
全くの無風状態などということはないので、いつでもある程度の魔法は発動できる。
火魔法、氷魔法は温度を集めるというイメージ。
雷撃系は、まあ、近くに雷雲があれば・・・。
だが一番重要な点は「契約」にあった。
もちろん魔法を使えるかどうかには素質もある。
だが素質だけでは魔法を使えるようにはならない。
各地に神との契約を行う神殿があり、そこでの儀式を経ないと使えない。
それは神と魂との契約であり、その一代に限り有効なものだ。
奴隷を除き、希望する者はすべて神殿での儀式を受けることが出来るのが建前である。
ほとんどの者の魔法は生活に使われる。
火起こしに始まり、部屋の暖房、冷房にも魔法は使われた。
冬には王都など一部都市では屋内を暖房するために、多くの者が魔法を行使する。
暖房魔法は、温度エネルギーの転移である。
そんな魔法を多くの住民が使えば、都市全体の気温は下がるという現象が起きることも珍しくない。
それは通常、上空の気温を奪って屋内に集めるのが一般的だ。
当たり前である。
水平方向の温度を奪ったらお隣さんとかの部屋が寒冷化してしまう。
しかしいくら上空の温度を転移しているとはいえ、空気というものは流れるものだし、現代の我々には常識だが、暖かい空気は上方へ、冷たい空気は下方へ流れるわけで・・・
それゆえ、都市部では魔法公害が深刻化していた。
魔法を組み合わせて、より高度の事象を起こすものを魔術と呼ぶ。
複数魔法の組み合わせ、一般魔法以外の事象を引き起こす高度の魔法術式、すなわち魔術、と呼ばれている。
魔法文明の広がりにおいて、生活魔法と高度の魔法を分けて言うための言い方に過ぎない。
だから攻撃魔法の名手であるレナータも、それが一般的な火魔法や風魔法である以上「魔法師」と呼ばれるけれど、一方で研究家として文献を読み漁り、同じ研究科同士で話をするときには「魔術師」の肩書でお互いを呼び合うこともあった。
ま、あれだ。マニアなのかオタクなのか、みたいなもので・・・この世界においては、あんまり厳密には定義されていないのだった。
そういうわけなので、魔法なのか魔術なのかに、あまり意味はない。
事象として見れば「魔法」で組み合わせの術式の観点から見たら「魔術」というのが、この世界の定義、曖昧だけど、あえて言えば・・・
レナータが手に入れたマウリツィオの魔法術式は奇妙であった。
手に入れたいものは有形の物ではないのだから物理現象としてのエネルギー転移は不要と思われたが、実際に用意すべきものはそうではなかった。
曰く、燃え盛る炎。
山火事レベルの熱が必要であった。
莫大なエネルギーが必要とされているのは間違いない。
ドラゴンの爪、などというものもあったが、それは先ほど倒したから手に入れられた。
複数の魔物の血も必要だった。
これは今後手に入れなくてはならない。
準備だけでも大仕事だった。
半年後・・・レナータはついに魔術の準備が整う。
場所は領内の海辺、周囲に人里のない広大な砂丘で行われた。
膨大な熱エネルギーを集めなくてはならないので延焼を恐れたためである。
そうして魔術は行使された・・・
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「ああ、そういうことですか」
梨音は保健室のベッドで天井を見つめながらため息をついた。
「たしかにチート知識は手に入れたましたわ」
魔術は効果を発揮した。
異世界の知識12年分、間違いなく手に入れた。
入れたのだが・・・
「ですが異世界に来てしまうっていうのは・・・意味なくない?」
でも、こっちの世界の梨音の意識が向こうでレナータとして目覚めたのなら、傍から見たら魔術は成功したように見えるか・・・
思い出してみればマウリツィオもある時を境に性格が変わったようになったと言ってなかったっけ。
それってつまり・・・
「そうなのか、そういうことなのですか」
頭を抱える梨音。
つまりこの魔術は異世界の知識が手に入るチートな禁忌魔法ではなくて!
異世界の誰かと意識が入れ替わるだけだったというわけだ。
そうだったとしても、確かに魔術が行使された後、行使者の知識と経験を持った異世界の人格が残るわけで・・・本人以外の周りの人間からすれば多少の性格の違いあっても異世界知識をもった前世を思い出したように見えるかもしれない。
それでも、と梨音は思った。
「いや、この梨音ちゃん、たいした知識無くない?」
12年分の経験と知識。たしかにレナータの記憶の範囲では見たことも聞いたこともない事柄だらけだ。
だがしかし。
テレビというものを知っているということと、それの理屈を知っているというのは全く違うことなのだ。
見たことがある、知っているというだけで何の役にも立たない・・・
梨音は理科嫌いで科学知識はほとんどなかった。
電池は知っていても構造や原理は全然覚えていない。
もちろん異世界において再現など出来るわけもないだろう。
・・・石鹸や化粧水なんかも同じこと。
使ったことがあるだけ。
作り方も成分もよくわからない。
この程度の知識で何が出来るというのか・・・
ここはなんとかして元に戻る方法をみつけないと、と強く思う梨音だった。
「まあ、それはそれとして」
梨音はベッドから降りた。柳先生は机で日誌を書いていた。
「良く寝たわね、倉本さん。もう大丈夫かしら?」
「はい、柳先生。もう大丈夫です」
「そう、気を付けて帰るのよ。最近、小学生に声掛け事件が起きてるらしいから」
「え?でも私、もう中学生だし」
「倉本さん、小さめだからね。とにかく気を付けて帰りなさい」
「はーい」
今日の授業は終わっていた。
校内は静かだった。
下駄箱で靴を履き替えグラウンドへ。
はっきりとレナータの意識を取り戻した梨音にとっては、知らないはずのことを全部どうしたらいいのか知っている、という不思議な感覚であった。
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校門を出たところに黒猫がいた。
どうやらこちらの世界では黒猫は不吉の予兆だとか。
じっとこちらを見つめる黒猫と目が合ってしまった。
梨音はそっと目をそらし家の方向に歩き出した。
記憶では、家までは徒歩20分くらい。大通りへ出てしばらく行く。梨音は学校の角を曲がった。
「行くな」
突然、呼びかけられて足を止めた。
何処から?
声の方向がわからなかった。
突然、頭の中で響いたような声だった。
辺りを見回す。
人の姿はない。気のせいだったか、と再び歩き出す。
「だから、待てって」
足を止め、再び見回す。
黒猫と目が合った。
「そう、俺だ。声をかけたのは」
そこで、梨音は違和感の根源に気が付いた。
その言葉は日本語ではなかった。
レナータが知っている、その言葉だったのだ。
「まさか、猫のお前が声をかけたのか?」
梨音もレナータの世界の言葉で返す。
「そうだ。この猫の姿は仮の物。大規模の魔法が行使されたのを感じたからやってきたのだ。そしてこの言葉に反応するということは、お前はエルトリア人か?」
警戒しながら黒猫を見つめた。
黒猫は中学の塀の上を歩きながら梨音の前までやってくるとしっかりと梨音の目を見た。
「相手に名を尋ねるのなら自分から名乗るべきでしょう。けれど、まあいいわ。我が名はレナータ・ディ・スカファーティー、カンパニア王国スカファーティー伯爵の三女である」
黒猫の目が大きく開かれたように見えた。
「これは失礼した。まさか伯爵令嬢とは思いませんでした。今は現身を持たないが、過去にはこう呼ばれておりました。エルトリアの魔術師、マウリツィオ、と」