スカファーティー伯爵領
レナータが18歳になった時。
父から呼び出されて行ってみれば・・・
近頃王都で人気の商品があるという。
その名は「シャンプー」といい、ふんわりといい香りで使用すればするほどに髪がサラサラで艶々になるという。
その効果は絶大、貴族の夫人の間ではそれを求めて価格はうなぎのぼり。プレミア価格で取引されるとも聞く。
そしてそれを売り出したのは、それまで主要な生産物もなく貧乏だった子爵領。
突如開発に成功した「シャンプー」をはじめ、これまでに聞いたことのない商品を次々と王都に卸し成功を収めているという。
「いかにも突然の大躍進。そこに理由がないはずがないではないか」
レナータの父であるスカファーティー伯爵はその人脈を活用し、いったい何が子爵領で起きたのかを探った。
するとそこから聞こえてきた真相は不思議な話であった。
「その子爵の一人娘である令嬢が、前世の記憶を持っているのだとか。その前世というのが異世界の二ホンという世界であるらしいのだ。その世界は何百年分も文明の進んだところであったらしく、いろいろ便利なものがあったのだとか。シャンプーというのもその一つであるらしい。前世の記憶を頼りに様々な植物や鉱物を組み合わせて商品にしたのだ。聞くところによると、そういう記憶のことを、チート、というそうじゃ。異国の言葉ゆえ、意味などわからんが」
レナータは、そんな話を私に聞かせてどうするんだ、と思っていた。父は言った。
「うちも、是非ともチートとやらが欲しいもんじゃ」
「お父様、いくら私が父上のために尽くす所存でいるとはいえ、前世の記憶などというもの、それはいくらなんでも無理というもの・・・」
「そうかな?わしは無理なことは言わぬ。あてがあるのじゃ」
レナータは首を傾げた。父はいったい何を言っているのだろう。
「ま、まさか、お父様、その子爵令嬢を誘拐して来いとか仰るのではないでしょうね」
「レナータ、わしはそこまで腹黒で残忍ではないぞ。それに、もしもそんなことをしても例の子爵領と同じ商品を売りに出すわけにもいかぬだろう」
いや、一度は考えたのかい、とレナータは心の中で思ったが、口には出さなかった。
三女の自分は幼少の頃より両親の期待は薄かった。
適当に育って、都合の良い縁談で伯爵家の政治力を強く出来れば上出来である、くらいに思われていたのだろう。
そうであるがゆえにレナータは人一倍の努力をしたのである。期待をされていないからこそ、両親に姉二人に少しでも振り向いてほしかった。
幼少の頃、魔法師として他人よりも素養が高いことを知ってからは誰よりも努力を惜しまなかったし、隣国のルカニア帝国と国境を接するスカファーティー領においては優秀な軍人としての素養も身につけて置く方が存在価値は高く、女といえども前線に立ち攻撃、支援、治癒と魔法を用いて奮戦するつもりであったし、近接戦闘においては剣技も必要であり、その訓練も積極的に行った。
魔法文明の発達した世界においては、魔法戦闘における男女間の格差はなかった。
もともと戦闘で通用する魔法の使い手というのは人数が少なく、その技量があるのであれば「女だから」という理由で無駄にするほど余裕はなかったのある。
そのため、レナータは15歳で成人した後は、国境警備隊に所属していた。
普段は国境近くの別邸に住んでいたのである。
とはいえ、この3年間、本格的な戦闘になることはなく小競り合い程度、レナータも何度かの実戦は経験しているものの大きな戦いとはなっていなかった。
つまり、わりと平和であった。
成人後、親元を離れて生活するようになったレナータは、伯爵令嬢という立場を利用して、その気になれば好き放題に振舞うことも出来てしまう。
けれども、もとより努力家でもあったため・・・自由な時間のほとんどは魔法の勉強に使った。
要するに、魔法オタク。
集められるだけ魔法に関する書物を集め、可能ならば優秀な魔法師には会いに行く・・・そういう生活を送っていた。
「レナータよ。そなたは今ではわが領内で右に出るものがいないほどの魔法士となった。わしが調べたところによれば、エトルリア国に異世界の知識を得られる魔法を収めた本があるという。それは禁忌魔法書と呼ばれ優秀な魔法師でなければ本を開くことさえ出来ぬと言うのだが・・・」
「え、まさか、その魔法書を・・・」
「そうじゃ、手に入れるのじゃ。いや、手に入れずとも魔法の知識だけでも持ち帰れれば良い。そしてレナータよ、そなたがそのチートとやらを手に入れるのじゃ」
レナータは魔法オタクである。
魔法に関することであれば何でも興味を持つ。
そんな特別な書物があるのであれば是非ともみたい、触れたい、読みたい、手に入れたい・・・
そんなわけで、レナータは大喜びで旅に出たのであった。
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スカファーティー領はカンパニア王国の南側、海沿いの領地であった。
エトルリア王国はカンパニア王国の北側に位置しており、レナータは海沿いに旅を進めた。
なにせチート知識を得るための旅なので派手な行動は出来なかった。
カンパニア王都に立ち寄る理由もない。
というか、出来るだけ大人しく通過した。
さすがに単身で旅をするわけにもいかず、従者を連れていたが。
けれども「目的は魔法書の閲覧」なので、その風体は商人馬車といった感じであり、レナータを含め総勢6名、内訳は従者1名、護衛2名連絡係兼情報収集要員2名といったところだった。
カンパニア王国北部はレナータにとって初めての土地であったが、海沿いを移動していることもあり気候的にも風景的にも大きな違いは感じられなかった。
国境まで無事に移動しエトルリア王国へ入ったころにはレナータ的には退屈を感じるほどだった。
父上から聞いた情報によれば国境から北へと内陸に進みソーラという町を目指せとのことであったので、レナータは事前の計画通りに旅を進めた。
その禁忌魔法書を執筆編纂した魔法師の名前はマウリツィオ。
その名が示すとおりであれば、男性と推測された。
マウリツィオは、少し南方の血が混じっているのかも、と思う。
その名は海を隔てた大陸の地名を思わせた。
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ソーラの町に到着すると宿屋に投宿し情報収集要員に聞き込みをさせた。
ほどなくしてマウリツィオの弟子という人物と面会の約束が取り付けられた。
「レナータ・ディ・スカファーティー、魔法師です」
「シーザリオです。マウリツィオ師の3番弟子でした」
宿屋の食堂へやってきたシーザリオとレナータ達は夕食を伴にすることにした。
他国の貴族とはいえレナータは伯爵家令嬢であった。
平民に過ぎないシーザリオに会うために出向いていくなんてことはしなかった。
出向かれても、向こうも困るだろうし。
貴族の令嬢なんて逆立ちしたってもてなすことは出来ないのだから。
そのあたりはレナータも心得ていた。
だから宿泊している宿屋に呼び寄せたし、その宿屋はソーラの町では一番の高級宿屋だった。
ま、田舎町に過ぎないので、そうはいってもそこそこ程度のものなのだけど。
当たり障りのない話題で食事をし、シーザリオは緊張もあってワインを少々飲み過ぎており、ほんのりと赤い顔になっていた。
レナータは頃合いか、と本題を切り出した。
「それで、本日お越しいただいた理由なのですが、マウリツィオ師の残したという魔法書のことなのです」
シーザリオは大きく頷いた。
酔いが回っているためだ。
「マウリツィオ師は何冊かの魔法書を筆記されましたが、お尋ねのものは封印されし魔法書のことでございますね?」
「そうです。一般の者には書を開くことも出来ぬ、と聞き及んでいます。ですが私はお伝えの通りの魔法師です。実力のほどを確かめたいと仰るのであれば明日にでもご覧に入れますわ」
シーザリオは慌てるように手を振った。
「いえいえ、滅相もございません。貴族のご令嬢様の実力を疑うなど恐れ多いこと。それに封印されし魔法書は隠されているわけでもございません。何処にあるのかは弟子達のみならず多くの者が知っていることなのです」
「え?」
「封印されし魔法書は、その名の通り封印されているのです。この町から東へ半日ほど行った森のダンジョンに」
「ダンジョン?」
ダンジョン、てなんだ?とレナータは思った。
洞窟とか森とかいうのならわかるけど、ダンジョンっていうのは。
一般的にダンジョンと言えば王宮の地下牢獄のことを指す。
もしくは半地下要塞とか。
レナータの豊かな魔法関連の知識をもってしても、そういう感覚だった。
レナータの世界は「剣と魔法の冒険の国」では無い。
魔法文明の進んだ、洗練された世界である。
ゆえにレナータの常識では、ダンジョンは森の中にあるようなものではない。
そう思っているとシーザリオが説明を始めた。
「ダンジョン、とはマウリツィオ師が名付けた地下迷宮のことでございます。若かりしころ様々な魔法を研究しつくした師は、ある時を境に突拍子もないことを思いつき、実行するようになられまして・・・地下迷宮も師が魔法により創られたとお聞きしています。私はそういう不思議な師しか知りませんので、以前がどんなだったのか存じ上げませんが・・・私達の知らない言葉や物事のことをよく話されていましたねえ」
少し遠い目で話すシーザリオ。
レナータは目を輝かせた。
弟子達が知らないような言葉!それはつまり「チート」のことではないのか。
チート、の意味はわからないけれども。
「では、その地下迷宮にいけば魔法書を読むことが出来ますのね?」
「はい。レナータ様の魔力が充分であれば」
「これで私は念願の魔法書に出会えますわ。ありがとう」
レナータはいくぶんかほっとしてワインを口に運ぶ。
「ですが一つだけお伝えすることがございます」
口に付けたワインを離し、シーザリオの目を覗き込む。
「はい、なんでしょう?」
「実は、その・・・・ダンジョンには魔物がおります」