レナータの記憶
「バーストアウト!」
無詠唱で唱えられた魔法が地上へ叩きつけられる直前の梨音の体を強力な風魔法で吹き上げた。
一瞬の砂嵐のような現象で地表面から突風が上方へ巻き起こり落下速度は大部分が削がれたものの梨音は背中から地面にぶつかった。
ドスン。
「つっーーーーーーー!」
声にならないくらい痛かった。
痛かったけれど、衝撃としては1メートルくらいの落下くらいに緩和されていたため、梨音は命の別状なく、身体的損傷もなく学校の中庭に倒れていた。
「あぶないな、もう。魔法なかったら死んでたよ、マジで」
立ち上がる梨音。
なんの疑問も抱いてはいなかった。
だって、魔法師だもん。
中身のレナータ的には。
魔法は使えて当たり前で、とっさの回避だって散々訓練したんだもの。
・・・なんで魔法使えちゃっているわけ?とは思っていなかった・・・
いくら中身が魔法師だったとしても、ここは現代日本だ。
ここで魔法が使えるなら異世界転生なんかしなくてもいいわけで・・・とも考えていなかった。
スカートの砂を払いセーラー服の襟を正す。
騎士たるもの見栄えは堂々としていなくてはならない。
「どうしようかな。とりあえず保健室、かな」
12年の記憶により、学校のことも何不自由なく知識がある。
まるでチート・・・
チート?
梨音は「チート」という言葉にひっかかりを覚えた。
何か大切なことを忘れているような気がする。それはとても重大な任務・・・任務?
「ま、いっか」
レナータ・ディ・スカファーティーは、その名の示す通り貴族である。
正しくは貴族令嬢である。
もっと詳しく言えばスカファーティー家の三女。
幼き頃より魔法の才に恵まれ、その才能を伸ばすべく研鑽を重ねた。
スカファーティー領は隣国との国境に近く、レナータの訓練は戦闘訓練も含まれた。
そうして15歳になる頃には一流の魔法師としての実力、近接戦闘における身を守る程度の剣術、そして社交の場においては優雅な身のこなしとユーモアあふれる会話術を叩き込まれていた。
つまり、優秀だったのだ。
そんなレナータが「ま、いっか」などと簡単に問題先送りをするわけがなかったのだが、おそらくそれは梨音の12年分の記憶による性格の擦り合わせ現象によるものだろう。
意識はたしかにレナータだが、性格は本来の梨音でもレナータでもなかった。
そりゃそうだ、19年プラス12年の記憶をもとに形成されてしまった性格だ。しかも肉体的には梨音なので、どっちかというと怠惰な部類の性格に摺り寄せられているようだ。
少なくとも現段階においては。
とりあえず今の本人の感覚的には19年の異世界生活に続く12年の日本の生活になる。
「とりあえず保健室。私、屋上から落っこちたんだし。午後の授業、全部さぼりでファイナルアンサー?」
あと、日本語の能力においては完全に12年分しかないので、相当に貧弱っぽい。
保健室の先生の名前は柳さんだった。30歳ぐらいの女性である。
「で、倉本さん。屋上から落ちたって?」
3階建ての屋上から落ちて無事なわけがなかろうが、と思いながらも聞き返す。生徒の話を聞いてあげるのも養護教諭の仕事なんだから。
「そうなんですよー。でも魔法を空気のクッションにしたので、ちょっと背中を打ったくらいで済みましたから。ちょっと2時間くらい寝てれば治ります」
「あー保健室は授業をさぼるための場所じゃないんだけどなー」
魔法うんぬんはスルーして柳先生は答えた。
「倉本さんの魔法はいつものことだからねー。まあ、一応みてあげるわ。ほら、背中見せて」
「はーい」
確かにセーラー服の背中は少し汚れていた。
屋上から落ちたかどうかは別にして背中から倒れたのは間違いないかも。
「頭の後ろにたんこぶあるね。頭、打ったの?」
「あ、それは屋上から落ちる前に・・・」
「あーはいはい。まあ、いいわ。いちおう病院行く?」
「いえ、いいですいいです。寝てれば治りますから。このくらい剣の稽古で何度だって・・・」
柳先生は華麗にスルーした。
倉本梨音は保健室の常連だったからだ。
しかもちょっとアレな妄想をする中二病患者だった。
魔法の話を信じたわけではない。
「背中にシップ貼っとくね。今度からコケるときは前に倒れること。ちゃんと腕を使って頭を打たないようにしてね」
「いやーだから屋上から・・・」
「それはもういいから」
梨音はベッドの中で目を閉じていた。
目を閉じると、レナータの記憶が浮かび上がってくる。
レナータは何かを為そうとしていた。
レナータとしての最後の記憶を・・・思い出そうとして・・・
寝た。
いやあっさりと寝てしまった。
理由は簡単だ。
記憶の混乱から急激な魔法の行使。
処理が追い付かなくて落ちたのである。
そして、それは良いことだった。
睡眠は精神の休息であり、記憶の整理整頓だった。
再び目覚めたとき、梨音はレナータとしての記憶をかなり鮮明に取り戻していた。