悪鬼羅刹の解放者
外を見ると暗雲が垂れ込める空模様。
まるで自分の心を映しているかのようだ。
「事情は相、分かった。しかしどうしたものか……」
俺はギルド長に言われたことをそのままルトアに伝えた。
討伐に向かうものたちの大勢は昼に門の前に集合するらしい。
俺が帰る時に冒険者ギルドの提示版に緊急クエストの張り紙がされていたので受付に屯していた連中は大人数いち早く討伐に行ったみたいだ。
机に向かい合って座っていたルトアが頬杖をつく。
「――君と遠くへ逃げようか。この家は惜しいが命あっての物種だからな。嵐が過ぎるまでの間だけ、この国を離れるのも良い」
そう言ってルトアは苦笑いを作る。
この家から離れるのはルトアにとっては辛い選択というのは昨日聞いた話であるので記憶に新しい。
なんでもこの家の前いた住人はルトアに転移石を渡した冒険者だという。
ルトア曰く、ルトアより若干歳上で俺よりは年下の若い男らしい。
いや、まずルトアの年齢を知らないんだけどな。
うーん、じゃあ彼は俺より2~3くらい若いのか?
ルトアを見つつ考える。
お酒を飲めるから成人してるっぽいけど、こっちの世界ってばおませさんだ。
20歳よりも低い年齢で飲めるそうだ。
「この世界ではお酒は何歳くらいで飲める?」
「15歳から成人として認められ、酒も飲めるし結婚も出来る。何故今聞く?」
「ちょっと気になってね。因みにルトアも結構お酒がイケる口だけよね。飲み初めて何年くらい?」
「2年くらいだな。魔族は皆強い方だと聞く」
誘導尋問に引っ掛かったJKから推測するに、予想は正解だろう。
その冒険者は長い旅に出るためこの家を離れた。
その際、家の名義をルトアに変更していたらしい。
すんなりと家が決まったのはその為だ。
彼は世界に3人いるSSSランク冒険者の一人でもあり、特に魔法に秀でた人物らしい。
この世界の冒険者は彼の名前を知らぬ者はいないと言うほどの英雄でもあった。
まぁ俺は知らなかったけどね!
因みに彼はルトアの家庭教師でよく外の世界の情報を教えてくれた魔法の先生でもあるらしい。
箱入り娘だったのかと聞くと、その時ルトアにはぐらかされたのであまり城での内容は話たく無いのだろうと察し、多くは聞かなかった。
彼は種族の壁を越えて差別なく接してくれる道徳ある人物で多種族からの信頼も厚い。
魔族の国も自由に出入り出来る人間で、なんと魔王から爵位を授かってもいるらしい。
魔法以外にも多才な能力と知恵で慕われるスーパー何でもできるマンである。
会って礼がしたいとも言っていたし、放浪癖のあり半ば行方不明で所在知れずな彼も、ここにいればいつかは会うことが出来るだろう。
この家を離れるのはルトアにとって苦渋の決断になる。
「一緒に逃げてくれるのは嬉しいけど、ルトアはそれで良いのか?先生に会いたがっていただろう?」
「構わん、生きていれば自ずと会えよう。あの人のやる事は一々派手でな、目立つのでこちらからも会いやすい」
そう言ってくれて少し気は紛れる。
それにしても一緒に旅をしてくれるのは一体何故だろう。
また今度聞いてみることにしよう。
「君がいくらサイクロプスを一人で倒そうが、神話級の化物を相手にするのにはまだ早い。それ処か触れずに逃げる方がまだ利口だ。君は命を粗末にするでない。義理や人情があるならまだしも、君に赴く道理や筋は無いのだから。差詰め、彼らは藁をも掴む思いなのだろう。何せこの国は唯一、戦争をしない国なのだ。兵力はそれほど無い。だから君が動くとしたら――それは同情だよ」
そうか、お国柄そういう事情があったのか。きっと大変だろう。
他人事の用に思ってしまうほどに俺は内心、冷めていた。
きっと俺には少年漫画の主人公に成る器では無いのだ。
駄目だ、顔が濡れて力が出ない。
勇気なんてさらさらない。
やる気スイッチは何処にあるんだ。
ヒーローはさ、困ってる人たちがいたら何が何でも助けるけれど、俺にはそんな気概は一ミリもない。
一番に自分の保身を考えてしまう弱い男だ。
手がさ、ずっと震えているんだ。
こんな足手まといはいないほうが邪魔にならないで済むし、自分でもそれがたった一つの冴えたやり方だとも理解している。
死ぬのは、怖い。
――小生の人生、逃げてばっかでござるな。
敵は神話級の魔物らしい。
巨大で毒霧を纏い、石化や麻痺、混乱などの状態異常を引き起こす魔眼を持っているという。
3000年前に他国の近郊にあるダンジョンで出現した際は一夜にして国土の8割を汚染し、多大な被害を被ったという。
しかも討伐はできず、海に潜るようにして消えていったという。
出現方法等の詳細は未だ不明で、謎が多い魔物だと言う。
今回も体裁は討伐だが、主な行動は国に近づけさせないように進路妨害をすることになるだろうとルトアは予測をしてくれる。
出現した噂が仮に本当だとしたら、奇跡に近い程の偶然に出会ったという事らしい。
「自分を責めるでない。これは仕方がないことだ。この私でもあのギガントバジリスクを相手には到底できないよ。避難することに全面的に同意だ。だから、そんな顔をしないでくれ」
心配されるくらいだ、きっと酷い顔をしているのだろう。
外していた仮面を付けて表情を隠す。
「君のレベルはまだ低いのだから、あまり無茶はしないことだ。――そういえば今は何レベルなのだ?サイクロプスを一人で倒したのだ、相当上がっている事だろう」
ルトアは優しく話題をそらしてくれる。
そういえば見てもらうのを忘れていた。
自分でも気にしてなかったから見るのを忘れていた。
ステータスオープンと声に出そうとするが、過呼吸気味で発声はできなかった。
しかしステータスは表示されたので、念じれば応じてくれるシステムなのだと理解した。
― ― ― ― ― ― ― ― ― ―
名前:テスカ
職業:暗黒騎士
年齢:24
LV:1 身長:185cm
HP(生命力):8/8 MP(魔力):3776/3776 SPスキルポイント:299
ATK(攻撃):10 DEF(防御):10
STR(筋力):10 DEX(瞬発力):10 INT(知力):10 CON(体力):10
APP(魅力):- AGL(器用度):10 LUK(幸運):- VIT(気力):10
≪所持スキル≫
経験値取得大幅低下(呪)
幸運値破棄(呪)
被ダメージ倍加(呪)
自然治癒力低下(呪)
バフ無効(呪)
デバフ倍加(呪)
方向音痴(呪)
ヘイト一極集中(呪)
痛覚倍加(呪)
睡眠障害(呪)
破壊衝動(呪)
闇魔法
悪運
不運
≪称号≫
異世界からの※※※
転生者
黒炎龍の呪詛
疫病神の寵愛
貧乏神の寵愛
死神の寵愛
≪契約従魔≫
黒炎龍クアトル(仮)
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結果としてレベルは上がっていなかった。こんなものか。
スキルにある《経験値取得大幅低下(呪)》が悪さをしているように見えて仕方がない。
あれ?またまた表示がバグってない?
MPの表示がバグってる希ガス。
MPが3776もあるんですけれども。
富士山の標高かな?
初めてステータスを見たときは10だったはずだし可笑しい。
あれかな、魔結晶の魔力がこの身に吸収されていったのかもしれない。
というかそれしか原因は思いつかない。
何だかんだでSPもちゃっかり貯まっているじゃあないか。
「ちょっと待て、君のHP最大値が減っているぞ?どういうことだ?」
――うわ、本当だ。
元のHPは10だったから2減っていることになる。
減った原因がわからない。
サイクロプスと戦ったときに致命傷に近いダメージを受けた記憶があるから、もしかするとその時に受けたダメージが後を引いているのかもしれない。
でも身体のどこか傷が残っていたり痛みも特に無いので、何処が悪くなっているのかもわからなかった。
――どうせもう戦わないのだから、このデータは意味の無い数値でもある。
「怪我も痛みもないし、それほど気にならないけど」
不安な顔をしているルトアを安心させようと、精一杯声を振り絞る。
かろうじて出た声はか細く、余計に不安を煽ってしまう。
「何を言うておるか!これはとどのつまり、寿命が減っておるのと同意なのだぞ!」
確かにそういう捉え方も一理ある。
そうだとしたら非常に不味い出来事だ。
「君はもっと我が身を労ってやるべきだ……ああぁ、もしかしたら私の≪ヒール≫が寿命を縮めてしまったのかもしれないよな」
「それは無いさ!とは言い切れないけど。ともあれ検証してみないことには話しにならないし……そうだ!もう一度俺に≪ヒール≫をかければ分かるんじゃない?確かにこっちに来てからダメージを受けたのは≪ヒール≫とサイクロプスとの戦いの二回だけだ。これでHPの最大値が減るようなら、今後の行動が見定められるしね」
「いやでも、仮にダメージを受けたらまた寿命が減るかもしれぬのに。そんな事はしたくない」
「ルトアにしか頼めないんだけどね。他の誰かに頼んでしまったら、後々面倒ごとに巻き込まれそうだし」
魔女裁判ならぬ展開になってしまうこともさもありなん。
ルトアが数秒間固まったように見えた。また悪いことを頼んでしまったな……
「――わかった。う、恨むなよっ!」
ぎこちないルトアに《ヒール》を身体にかけてもらう。
しかし弱めにしているのが手に取るかのようにわかる。
スーパー銭湯の電気風呂に入った時に感じるビリビリを全身で味わう感じだ。
あー、そこそこ肩こりに効くわ~。
弱すぎて逆に痛気持ちいいレヴェ~ルなんですがこれは。
「初めて《ヒール》をした時の出力でお願いします。できれば検証のためにもっと強くしてほしいけど」
ルトアは出力を調整したのか、内側から鈍い痛みが駆け巡ってき――たたたた痛たたた。
「ゲッホ!ゴッホゴホ!」
咄嗟に口元に手を当てて咳き込む。
手のひらには血が付着していた。内部破壊とかシャレにならないな。気を失う前にもう一度ステータスを確認してみる。
HP(生命力):2/8
よかった、ダメージは入ってはいるが最大値は減っていないな。確認終了です、お疲れ様でし――たたた痛たたた。
「あばばば!もう大丈夫だから止めてえええ!」
HP(生命力):1/8
机の上でうつ伏せになり、息を整える。し、死ぬかと思った……
これ以上情けないところは見せたくなかったので直ぐに起き上がり激痛を我慢する。
「魔結晶で回復するから、少し離れていてくれ」
ルトアが頷いて俺から距離をとった事を確認してから小さい魔結晶を取り出し、治癒に当てる。
治癒に当てる前にふと閃いた事があったので試してみることにする。
魔結晶が内包する瘴気交じりの魔力を取り出すとき、瘴気だけを吸収する事ができるのかという点だ。
手のひらに載せ、黒く濁ったものだけを吸収するイメージで体内へと取り込む。
うん、成功したみたいだ。魔結晶から瘴気は取り除くことができた。
そして俺の身体も調子を取り戻している。
これを考察するに、俺の身体は瘴気で回復するみたいだ。
魔力を同時に取り込むことによって魔力の値が増えていくらしい。
手にある魔結晶は神々しく光り輝いていた。
HP(生命力):8/8 MP(魔力):3776/3776
もう一つ別に小さい魔晶石を取り出し、次に魔力だけを空になるまで吸い取ってみた。
HP(生命力):8/8 MP(魔力):4771/4771
おぉう、だいぶ魔力が増えた。
魔結晶は小さくてもかなりの魔力を内包しているらしい。
瘴気だけが残った魔結晶は禍々しく、このままだとルトアに危険が及ぶと判断し、アイテムボックスへとしまった。
「瘴気での回復でも最大値の変動は無かった。つまり原因は他にあるということだな。それにしても君の魔力の上がり方は尋常ではないな」
そうなのか?どうやら魔結晶の魔力をすっからかんになるまで吸い付くしているらしい。
器用だなとルトアに言われたけど実感が無いので何とも言えない。
「こんなにあっても俺の場合、魔力の使い道がわからないけれどね。あ、見えざる腕があったか」
「うむ、その闇魔法も大量に魔力を消費するだろう。そう、闇魔法は大量に魔力を消費するものだと聞いたことが――しまった、単純な事を忘れていた。その闇魔法が原因かもしれん」
ルトアが何かを思い出してびっくりした表情をしている。
でも俺も薄々そんな感じはしていた。
そういえばこの腕を使ったのも二回だった筈だ。
「闇魔法は強力すぎる魔法故、大なり小なりの代償が発生する魔法もあると昔に本で読んだ気がする……すまない、もっと早く気づくべきだった……」
つまり、この見えざる腕を使うたびにHPの最大値が削られていく。呪いの魔法だったわけか。
「大丈夫、レベルを上げればHPも上がるさ!闇魔法の方も暫くは使うことも無いだろうしね……!」
でも今後の為を思って早いうちに一度は確認をしておきたいところだけど。
「うむ。そうだな。そうしてくれ」
そうして俺達は家を出るために家具をアイテムボックスの中に入れていく。
少ない家具を片付けている最中、ふと「無尽蔵に入るのだから、家ごと持っていけないのかな?」と思ったことを口に出してしまう。
「ふふふ、家が丸ごと入るアイテムボックスなんて聞いたこと無いぞ」
そうかな?
そうかも。
空っぽの家に鍵をかけて夜逃げならぬ朝逃げだ。
ご近所さん達も出ていくのか、道路には国から出ていく人たちで溢れ帰っていた。
門に近づくと異様なまでの風景が目に入ってきた。
ダンジョンがある方とは真逆にある国の出入りする門付近には、数千、いや数万人の大渋滞で前に進む気配が無かった。
そしてこの人だかりはパニックを引き起こしているかのごとく、喚き散らかしていた。
「これは神の怒りだ!我らは逆鱗に触れたのだ!」
「子供だけでも逃がしてやってくれ」
「どうせみんな死ぬのだ!あははは!」
「金だ!金ならある!私を誰だと思っておる!ヌルゴン様だぞ!門を開けろ!」
「きっと冒険者様や国王様が何とかしてくれますわ」
「まだ?……助けて……ここから出して……」
「アヒャヒャヒャヒャ!!!」
「嫌だ!死にたくない!死にたくないっ!!」
「ミーは一貫のジ・エンドなのデース!」
口々に叫び、辺り一面は阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
「う゛わーん!お゛か゛あさーん!お゛と゛う゛さーん!お゛に゛いちゃーん!」
近くに泣いてる小さな男の子がいた。
俺が駆け寄るよりも早くルトアは近づき声をかける。
「迷子か、家族を見つけてやるから安心せい。大丈夫だから、一旦落ち着きなさい」
「直ぐに見つかるさ!肩車をしてあげるから一緒に探そう!」
俺がしゃがむと男の子はモジモジしつつ肩に乗ってくれた。表情もどこか安らいでいた。
なまじ俺の身長が高い方なので子供には肩車が大好評なのだ。
おっと、今は別の体を借り暮らししてたっけ。
同じくらいの身長だったから忘れてたけど。
正月休みに親戚の集まりで子供達にせがまれ要求を飲んだ結果、腰を悪くし全く休めなかった正月を思い出す。
もってくれよ!俺の腰!地獄は近い!
「あでぃがどう、おでぇいぢゃぁん……えっぐ、ひっく……お゛じさんも゛」
ぐはっ!こうかはばつぐんだ!きゅうしょにもあたった。
「――お兄さんだよ~。辛うじて魔法使いじゃ無いんだよ~。恐くないよ~。テスカダヨー」
「くっくっく!これ止めぬか爺さんや。小童が怯えてしまうぞ」
「なんじゃと!婆さんめ!言ってくれるわい!」
「……君は淑女に言ってはならない言葉を言った!訂正したまえ!したまえ! 」
自業自得だと思うけど口には出さないでおこう 。
黙って無視しているとルトアにほっぺを両方をつねられる。ひたひ。
しかし、こうも人が多くて騒がしくては見つかりそうもない。
良いことを閃いたぞ。俺に視線を集めれば自ずと見つかるのではないだろうか。
俺はルトアをそのまま抱きかかえると見えざる腕を発動し、そのまま垂直に身体一つ分浮いた。実際は見えざる腕で身体をスパベビして持ち上げているだけなのだが。
俺のスキル≪ヘイト一極集中(呪)≫はやはり優秀なようだ。周りの目線を釘付けである。
結果としてこの子の家族は直ぐに見つかった。
男の子を降ろすと彼らは4人互いを抱き合い、俺達はお礼の言葉を受け取った。
うんうん、やっぱ家族ってのはこうでなくちゃな。
「何を遠い顔をしておる?」
「いや、あの光景が懐かしく見えてね」
「君も元いた世界に残してきた家族が心配というわけか」
「いや……家族は子供の頃に事故で亡くしているから。子供のときの思い出と被って見えてね」
「そうか。すまない、辛い話をさせてしまったな」
「謝る必要なんてないさ。ただちょっぴり羨ましいなって思っただけだよ」
「そうか、羨ましいか……うん、その、そうだな。で、ではこれからゴホン!……授かれば良いのでは……ゴニョゴニョ」
「ん?授かる?つまりどういう「そっ、そう言えば君はなんであんなに易々と闇魔法を使うんだ!散々忠告はしておいただろう?」こと?」
勢いよく話をぶった切られた。
うーん、養子の話は置いといて今は素直に叱られよう。
「手っ取り早いかなって考えてさ。この見えざる腕のデメリットと持続時間も確認しておきたかったことだし、丁度良かったと思ってるよ」
HP(生命力):7/7
ルトアの予感は見事に的中していた。
ステータスを見て怒ったルトアはちょっとメンドクサイ感じなので早い事この渋滞から抜け出すことにする。
ルトアをまた抱き上げ、出しっぱなしにしている見えざる腕を使い、高く跳躍する。
上手く家の屋根に着地するとそのまま城壁を見えざる腕を伸ばし、凹凸を掴みながらロッククライミングを体験する。
ルトアは何か悲鳴のような声で叫んでいる。
申し訳ないがもう少しの辛抱なので我慢してもらうことにした。
ものの数秒で城壁の上に辿り着くことができた。
どうやらこの見えざる腕の各手のひらには一つ大きな穴が開いており、呼吸のような動作をしていた。
なので壁に手のひらを押し当てると器用にも壁に吸着することができた。
そう言えばサイクロプスの頭部が見えざる腕で掴んだ手のひらの部分が内部出血のような痣や破裂していたのはこの所為かもしれない。
俺も実際きちんと見えざる腕を目視しているわけじゃなくて感覚だけが頼りだから詳しいことはわからないが便利だと思う。
「ごめん。きっとルトアは反対するだろうから、勢いで突っ走っちゃった。もうこのまま流れで外に出るね」
「しょうがない、わかった――いや、ちょっと待ってくれ……」
「人々の様子が可笑しい……」
そう言われて振り返るようにして城壁の上から国を見下ろす。
さっきまでの喧騒がまるで聞こえない。
静まり返り、時が止まったかのように静止している。
「あれは……石化している!?」
ルトアの呟いた言葉が鮮明に聞こえる程に、静寂の中にいる事が分かる。
音も無く、怪異は出現していた。
『――ポツ。ポツ』
――雨が降り始めた。
俺の頬を伝う雨粒を見えざる腕で拭い取る。
屋根のある場所に一時的に避難した。
雨脚が段々と速くなる。
――見えざる腕に付いた水滴は黒く滲んでいた。
この雨の色は黒い。
嫌な予感がした。
雨は絶えず降り続ける。
その雨は災いを運んでいた。
腕に抱いたルトアが重く感じる。
ぐったりと項垂れ、気分が悪そうにしている。
雨はやがて国を黒く染め上げた。
そして地獄を作り上げた。
「まずい……な。この雨はギガントバジリスクの仕業かもしれん。強力な呪いの類かも……」
ルトアの袖を捲る。
雨に濡れた箇所が前に魔結晶を触ったときのような黒い痣が徐々に身体を蝕んでいた。
聖水やポーションを使っても回復は見込めなかった。
瘴気を吸い取る要領で触れてみるが効果は無い。
俺は何もできなくて、慌てふためいているとルトアは気を失い――石化した。
それはこの国の住人達と同じ症状だった。
雨は止む気配は無い。
試しにもう一度全身に雨を浴びてみる。
やはりというか、俺には何故か黒い雨の影響が無かった。
まだ時間は朝なのに、まるで日が落ちたかのように当たりは暗く、静寂に包まれている。
『ズン!』
突如、地響きが鳴り響く。
音のなった方向に目を向けるとダンジョン方面の城壁には異形の化物の顔があった。
100mはある城壁を軽々と越えて醜い顔を出している。
その巨大な生物はまるで障害物が無いかのようにぶつかり、城壁を崩し城内に侵入する。
その怪物の足元には夥しいほどの魔物が群れを成して押し寄せてきていた。
俺は為す術も無く、膝を突き絶望した。
頭が真っ白になって、目の前が真っ暗になった。
何も、何もできなかった……
眩い光が目の前を覆い尽くす。
その光が落雷だったと知ったのは余波で全身に火傷を負い、鼓膜は破れ平衡感覚が無くなってからだった。
数秒の内に激痛は止んだ。
皮肉にもこの黒い雨は俺の傷を癒していたからだ。
雷が全身を走った火傷の痣は消えてはいなかったが痛みはもう無い。
この戦場で動いている人影はいない。
俺一人しか動いていない。
もう誰にも頼れない。
「この状況を打破できる存在は我一人といっても過言ではない」と、誰かが囁いた気がした。
鼓膜が治ったのか平衡感覚が戻ってくる。
雨音が漸く自分に届く。
「殺し尽くせ」とまた誰かが呟く。
「根絶やしにしろ」と鏡に映った自分が言っていた。
俺はその誰かの存在を何処かで前にも感じた事があった。
意識ははっきりしている。
しかし、次第に身体の自由は利かなくなっていった。
「主導権はコチラが受け持とう、貴様には荷が重過ぎるだろう?――あぁ馴染む……馴染むぞ!!」
俺はそう呟いた。
俺は誰だ?
俺の中に入っているのは一体……誰だ?
「クククッ!我が何者かだと?貴様が一番よく知っているだろう……」
俺が一番よく知っている?どういうことだ?
「さぁて――お膳立ては整っているのだ、ここからは『ぱーてぃ』を存分に楽しむとするか。ククク、貴様は指を咥えて一等席で見物でもしていろ」
鎧は呼応するかのように俺に装着する。
見えざる腕は楽しそうに腕を振るう。
身体からは瘴気のような黒い炎の靄が目視できるほどに溢れ出していた。
「コレが魔力の使い方だ」
アイテムボックスから巨大な魔晶石を取り出し内包した魔力を瘴気ごと全て吸収する。
知らない間に黒い尻尾と黒い翼らしきものが生えていた。
手には瘴気を圧縮して作り出した禍々しい黒剣と黒盾が握られていた。
見えざる腕は肥大化している感覚がある。
HP(生命力):4/4 MP(魔力):37564/37564
ステータスにはそう表示されていた。
「――我が名はテスカ!暗黒炎龍騎士テスカ!!」
背中の黒い翼を大きく広げ、大空を滑空する。
『世界に平和と安寧が訪れるまで戦い続ける――悪鬼羅刹の解放者なり……』