疫病を齎すもの
朝、目が覚めると同時に右手の感覚が無いことに気付いた。
冷や汗をかきながら右腕を見ると、そこには俺の腕を枕代わりにしたルトアの頭部があった。
ラッキースケベではだけた胸元と寝顔を脳内で永久保存した後、起きないように腕を抜いて枕へすげ替える。
寝室はここしかなく、ベットもダブルだけなのは些か問題だと思った。
眼の保養になったが心臓に悪い。
当分の間は居間のソファーで寝るとしよう。
ルトアを起こさないように家を出た。
書き置きのメモにはきちんと今日のスケジュールを書いたので安心だろう。
まずはサイクロプスの解体が終わっている筈なので冒険者ギルドへ向かうことにした。
ホテプさんにもお願いしたい事もあるし。
冒険者ギルドへ着くと何やら騒がしい。
所狭しに冒険者達が受付の前でたむろしていて通行の邪魔をしている。
何か揉めている様子だ。
ふと人の隙間から顔を覗くと見かけた顔だった。
確かあれは昨日、ダンジョンに行くときにすれ違ったパーティーだ。
あんまり関わりたくない相手だったのでその場を後にした。
ホテプさんに会うのを後回しにしてドワーフのおっさ……もといアーティさんとピーちゃんの所に行く事にした。
別館を進む。
アーティさんの仕事場へ着くとピーちゃんが椅子に座り、何やら口を尖らせて手に持っていた鉄の輪が複雑に絡み合った物とにらめっこして格闘していた。
「おはようございますピーちゃんさん、テスカです。アーティさんはいますか?」
「おはよ!いるよー!呼んでくるね!」
ピーちゃんはそう言って鉄の輪を机に置く。
それが気になった俺はピーちゃんに聞いてみた。
「もしかして知恵の輪?」
「そうそう!頭の体操!楽しいよ!」
ピーちゃんが俺に先ほどの知恵の輪を渡してくれた。懐かしいな、ちょっとやってみるか。
「ありがとう!待ってる間に遊ばせてもらうね」
「いいよー!でもムリかなー!難しーもん!」
笑いながらトテトテと可愛らしい駆け足で奥へと消える。
直ぐにドワーフのアーティさんと一緒に出てきた。
「お、朝早くに来るたぁ真面目な男だ。ほれ、今回の素材のリストとこの袋にその分の貨幣が入っている」
俺はピーちゃんに解けて外した知恵の輪を渡し、リストと称した紙に目を落とす。
素材の一つ一つへ丁寧に値段が書いてあるので有難い。
そういや昨日ルトアに聞いた話で、この異世界の文字の読み書きができるのは異世界召喚の儀式によるものらしい。
よくわからないがそういう便利なシステムなんだなと思うことにした。
貨幣を袋から出して数える、この狩りで生活できるんじゃないか?と半ば楽観的に考えてしまう。
「さて――お前さんどうやって倒した?頭部の損傷を見るに、ドデカい手形の陥没が見られた。サイクロプス以上の大きい手形だった。ギガンテスでも出たのか?」
あ、どうしよう。
応え難い質問が飛んできた。
そうです、ギガンテスが出て助けてくれました……なんて適当に相槌をうって楽をしたい衝動にかられる。
「え?無我夢中に倒してしまったのでよく覚えていないんですよね。真っ暗だったのでもしかしたら他の魔物もいたのかもしれません。倒せたのは偶然だったと思います」
偶然なのは本当だ。
あの時の思考回路は今を思えば常軌を逸する行動だと反省している。
何故俺はあんな無鉄砲な行動をしたのだろうか。
しかし今でも覚えている感覚として確かに心の何処かで魔結晶が暗黒神殿のダンジョンにあるという謎めいた確信があった。
……もしかしたらスキルか称号の悪戯で導かれたのかもしれない。
まだまだこの呪われたスキル達の事を研究しなければわからないことなのだろう。
「偶然で倒せた?冒険者達が聞いたらお前さんに模擬戦をふっかけそうじゃわい」
フン!
勘弁して欲しいものだな。
脆い人間なんぞに我が見えざる腕を使ったのではあまりにも簡単に勝敗がついてしまうではないか。
もっと骨のある奴と戦いたいんだが――
――ん?
あれ?
今なんか別の思考が現れた感覚があったけど、気のせい?
大言壮語も甚だしいくて厚かましい発言をしたような?
自分では無い誰かの意識が頭の中にいるような……
疲れているのかな?
今日は観光しつつ美味しいものを食べて療養しよう。
「上手く誤魔化してくれると嬉しいです。ははは」
頭を掻きながら愛想笑いを浮かべる。
「そうかい。色々と事情があるんじゃな。まぁ頭部は市場には流れんから安心せい、此方で処理しておく。今のところワシとピーの助とホテプしか知らんわい」
今のところは安心していいらしい。
受け取ったお金の金額がカジノで稼いだ金額くらい手に入った。
おいおいおい貧乏神様息してるー?
ちょっとした小金持ちじゃあありませんか。
くりとったサイクロプスの目玉は魔導師や魔術師、錬金術師といった人達に良い値段で売れたらしいのだ。
なんでも触媒にするらしい、不気味なのであまり詳しくは聞かないことにした。
皮は防具、骨は武器として使われるらしい。
唯一、肉だけは固くて不味いとのことから買い手がつかなかったみたいだ。
昨日の今日なのに商売人の仕事は早いと感嘆した。
もう少し早い時間に競りがあるらしい。
今度アーティさんにお願いして覗かせてもらおう。
「詮索はしない替わりじゃ、贔屓してくれよ?次もワシが喜んで解体するので持ってくるのじゃ。珍しい魔物を寄越してくれると嬉しいわい」
「わかりました。期待しないで待っててくださ……ぐぇえ!」
そう言って踵を返し帰ろうと歩いたらマントをグイッと引っ張られて転けそうになる。
なんだなんだ?
振り返るとピーちゃんがマントを引っ張っていた。
「知恵の輪!元に戻して?」
あ、忘れていた。
「ごめんね、すぐ戻すよ。目を瞑っていてね……はい!どうぞ」
目をパチクリと開いたピーちゃんが不思議そうに知恵の輪と俺の顔を交互に見る。
「難しかったけど、偶々解けちゃったんだ」
「テスカは嘘が下手だな!ふふふ!他にもあるぞ?やって!」
ピーちゃんは机の下からいくつも知恵の輪を出してきた。
可愛いピーちゃんのお願いならやらないとね!
「ホテプちゃんがいっぱいくれたの!頭の体操なんだって!」
受け取った知恵の輪を解いては机に並べていく。
知恵の輪を解いている時はね、誰にも邪魔されず、自由で、なんというか救われてなきゃあダメなんだ、独り静かで……はい解けた!
30個ほどあった知恵の輪をクリアした。
面白かった、こういうのパズルとか好きなんだよね。
「すごいね!やっぱりテスカはすげぇよ……!」
驚きながら知恵の輪と俺の顔を交互に見る。
その動きに比例して動くアホ毛がとても愛らしい。
また全部戻してと。
ピーちゃんが知恵の輪から眼を離し、俺の顔を見た瞬間に一つずつ丁寧に戻しておく。
「ほほぅ、見事なもんじゃな……頭が良くて、手先も器用ときたもんじゃ。お主、解体の仕事を手伝わんか?良い勉強になるぞ」
「ほんとですか!今の生活が安定してきたらお願いすると思います」
「なっはっは!気長に待っとるよ」
手に持ってた貨幣の詰まった袋を指して笑う。
当分の間は手に職つかなくても旅行してて大丈夫そうだ。
あ、アイテムボックスがあるの忘れてたな。
しまっておこう。
袋をアイテムボックスへ仕舞うとアーティさんが難しい顔をしていた。
「あんまりおいそれとアイテムボックス持ちである事をひらめかすのではないぞ。悪い奴らに狙われるからの」
「悪用でもされるんですか?あんまり想像つかないですけど?」
「知らんか、そうか。世の中には知らん事が良い事もある。アイテムボックス持ちが奴隷にされるケースが後をたたんのじゃ、それも冤罪やあの手この手で借金を背負わせ破産させたりの」
冤罪。
満員の通勤電車で特に注意しなければならないものの一つだ。
アイテムボックス持ちが狙われるなんて以外だな。
「荷物持ちにでもするんですか?」
「その通りじゃな。それと、アイテムボックス持ちが『死ぬ』と入れていたアイテムはどうなるか知っておるか?」
え、なにそれ恐いんですけど。
「永久に取り出せなくなる、とか?」
「残念ながらその逆じゃな。死体の周りを囲むようにその場でアイテムが出てくる。アイテムボックス持ちが出さない限り中身が出ない、これはとても強固で優秀な金庫となるだろう。しかし殺せば保管、貯蔵した物が出てくるのじゃ」
「まさか宝箱を開ける感覚で殺されたりするんですか?」
ごまだれイズムをしたいが為に人を殺めるとか勘弁して欲しい。
人の家に勝手に入って壺を割ったりタンスを漁ったりするよりもタチが悪い。
「その通り。この国は奴隷制度もキチンと統制されておるから、大丈夫だが。他国のアイテムボックス持ちの奴隷は荷物持ちにさせる者が大半じゃ。その様な特殊なスキルを持つ奴隷は総じて値段が高いので丁重に扱われておる。その他国にはあまり良い噂は聞かぬがの」
この国は奴隷制度が浸透しているんだな。
あまり良いイメージではない。
「それでは用心することにします」
「因みにアイテムボックスの用量は個人差がある。一説では魔力量に比例するとされておるが真偽は不明じゃ」
「そうなんですか、僕はありがたいことに結構大きいほうだと思います」
無尽蔵に入るんじゃないかとさえ思ってしまうのだけれども。
サイクロプスって巨大な魔物も仕舞えたのでその分の要領は確保できているだろう。
「それにしてもこの国は奴隷を認めているんですね、以外です」
「認めるも何も、この国は別名『奴隷の国』なんじゃが?もしかして知らないで来たのか?」
「えぇっ!?!?初めて聞きました」
なんて物騒な名前の国家だ。
「勘違いするなよ。昔、この国が建国する際の話でな。他の国から奴隷を買って人口を増やしていたのさ」
アーティさんは昔話を楽しむかのように髭を弄りながら遠い目をして語り始める。
「その奴隷といってもな、他国との戦争で負け、無理矢理奴隷に落とされた小さな町や村の連中を中心に引き取っていた。先導に立って指揮していたお方が何を隠そう現国王様じゃ。その彼らが中心となって建国した古い歴史があるから奴隷の国と呼ばれているのさ。だからこの国には色々な種族がいるし、集まってくる。それこそ魔物の分類に当てはまるピーの助も例外ではない。つまり、奴隷はこの国では存在しないのさ。王様は偉大なお方だよ」
ハーピーであるピーちゃんの頭を優しく撫でる。
アーティさんに撫でられて嬉しいのかアホ毛が左右に揺れ、にこやかスマイルだ。
「それじゃあ、この国では――魔族も受け入れられるのか?」
ルトアは魔族だ。
角などの特徴を隠蔽する魔法をかけて彼女は外に出る。
家で二人きりのときは解除しているところを見るとやっぱり息苦しいのだろう。
「安心しな、この世界にたった一つある差別のない国だ。この国の王様は変わり者でな、懐が途轍もなく広い。そりゃあ悪さをしねぇか見張りはするだろうが、安全が確認されるまでの一時的なもんだろう。なんだ?魔族に知り合いでもいるのか?」
「えぇ、恩人に一人います。」
「そうか、ならこの国へ遊びに誘ってやるのもいいかもしれんな。お前さんもその恩人とやらも王様を知っていくうち、偉大さに敬意を表すだろう」
この国に住んでいる人は皆、屈託の無い笑顔で王様の事を話している。
「すごーい!とってもすごーいよ!」と手をぱたぱたさせてるピーちゃん、王様グッジョブっすわー。
「すでに感謝の気持ちでいっぱいですけどね」
このことはルトアも知らなかったのだろうか。
知っていて敢えて隠蔽しているかもしれないけれど。
また後で聞いてみよう。
「今でも奴隷商売は国に認められている。それはな、この国が他国から救われるべき奴隷を買っては奴隷から解放している変わり者の国家じゃからの」
結構豪快な王様なんだな。
奴隷を買う資金がどこから出ているか気になるけど、そのへんは追々ホテプさんに教えてもらうことにしよう。
「すまん、年寄りの長話につき合わさせてしまったな」
「いえ、ありがたいお話ですよ。本当に全く何も知らないでこの国来たので、こういった話を聞くのは楽しいです」
お礼を言ってこの場を離れ、本館へ向かった。
冒険者ギルドの本館ではまだ人が受付の前でごった返していた。
仕方が無い、何を揉めているのか話だけでも遠くから聞くことにした。
「おいおい!こちとら昨日から準備してきてんだぜ?話と違うじゃねぇかよ!緊急クエストが出てるんじゃないのか!?」
「そもそも本当にサイクロプスが暗黒神殿の浅い層に出たのか?尻尾巻いて逃げ出してきたお偉い冒険者様よぅ!」
「俺たちを疑うのか!貴様等のような低ランク冒険者風情なんぞ足手まといだ!邪魔だから引っ込んでいろ!」
雑音に紛れながらその声の主が昨日すれ違ったパーティの1人だという事がわかる。
人で溢れ返っているから受付に行こうにも近寄りがたい。
「あ、テスカさんじゃあないですか。奇遇ですね。此方から其方のご自宅へ伺おうかと用意していた所だったんですよ」
声に振り向くとホテプさんがいた。
あっれれーおっかしーぞー?
さっきまで誰もいなかったのに……不思議だ……
「おはようございます、テスカさん。お伝えしたいことがありましてですね……至急、ギルド長の部屋まで来てもらえませんか?」
眼鏡っ娘の上目使いのお願いを無視できる訳がござらん。
行く行く行きます、行きますよう!
「ホテプさん、おはようございます。畏まりました、こちらも聞きたいことがございましたので、丁度良かったです」
人込みを避け、関係者以外立ち入り禁止の張り紙がある場所を通る。
なんか緊張するな。
ホテプさんが部屋をノックして扉を開けてくれる。
ホテプさんに一礼し、部屋に入った。
「貴方が最後のメンバーになります」とホテプさんが言う。
中に入ると数人の冒険者が屯していた。
パッ見でもわかるくらいヤバそうな方々だ。
明らかに歴戦の強者です。怖すぎ漏らしそう帰りたい。
殺気を飛ばしてるのか首筋がピリピリする。
どこのコワモテ事務所ですかな?
カツアゲを予想し、小銭は持っていないというアピールをするために何度か跳躍してみる。
しかし何も起こらなかった。
其の中でも一際大きい獣人と目が合う。
獣人はニヤリと口元を歪ませ、声をかけてきた。
「どうも、私がこの冒険者ギルドのギルド長『ロック』さァ。見ての通り、狼の獣人。他の連中は地方から集まってもらった名のある冒険者たちである任務を受けてもらうことになっているゥ。君の名前はテスカと申したかなァ?」
「はい、テスカといいます。で、早速ですがお話というのを聞いてもよろしいですか?」
仮面も外さずに挨拶したので失礼かなと考えたが、身の上をこの堅気じゃない人達にバレてしまうのもそれはそれでなんかヤダ。
何かあってからでは遅いのだ!
ルトアとも約束している事だしね。
「あぁ、此方としてもその方が助かるゥ。――今朝、『暗黒神殿』付近にて突如出現した巨大魔物の討伐を依頼したいィ!」
あばばば、嫌な予感しかしないぞ。
敵はサイクロプスとは違うと、ロックさんの目がそう俺に語りかけている。
これあかんやつやで。
「今回討伐してもらう魔物は『疫病を齎すもの ギガントバジリスク』の討伐だァ!」
カッコいい二つ名をお持ちの魔物らしい。
センスが俺と似てロマンを感じる。
何せ『疫病を齎すもの』だぜェ?
ヘヘッ、口調が移ってしまったァ!
あれ?
――疫病?
そういや《疫病神の寵愛》って称号が俺のステータスに表示されていたな。
……関係ないよね?
机の上にある乱雑に置かれたギガントバジリスクの資料で等級が目に入る。
何々?
SSS級の魔物?
サイクロプスが霞むレベルでワロてしまう。
それにしても俺はまだこちらの世界に来て3日目なのによく順応していると思うよ。
自分褒めちゃうよ。
でもね、難易度高すぎて険しすぎないかな?
初めてダンジョンに行った時は調子が悪くてまともな思考ができなかったので仕方が無いけど、今回は違う。
前の雑な思考回路は無くなった代わりに死地に赴く覚悟がまるでできてはいないのだ。
調子悪いほうが負ける気がしなくて気持ち的には楽だったとか笑えるな。
ハハッ!
ファンタジーゲームあるあるの序盤にある負けイベントって事で無理矢理納得する。
死なないように後方でいてよう。
それとどんな魔物なのかホテプさんに聞いておこう。
「他にも危険な魔物が出現していると聞くがァ、お前は一人でサイクロプスを葬ったらしいじゃねえかァ!期待してるぜェ!期待の新人さんよォ!!」
ロックさんに背中をバンバンと叩かれ、秘密を暴露された。
穏便に済まそうとしていたのに、意図せず周りの視線を集めてしまう。
他の冒険者は舌打ちや金属を擦り合わせる音等で威嚇し睨めつけてくる。
逃げ道が無いということを悟りましたね。
ホテプさんを見ると申し訳なさそうな顔をしていた。
味方がいないッ!!!
その後はすぐさま家に帰った。
あの部屋にいた他の冒険者たちにろくに挨拶もしないで出てきたので罪悪感を覚える。
しまった、ホテプさんに今回戦う魔物の特徴を聞く事を忘れていた。
ホテプさんへ伝言しておくことも忘れていた。
今日はもうだめだめだぁ。
助けてー!ルトアえも~ん!と心で叫びながら、自宅のどこにでもあるドアを開けた。