第85話 選択
お疲れ様です!いつもバタバタして申し訳ありません。「迷宮都市〜光と闇のアヴェスター」本編の続きをご覧ください!
「……幸い死者もなく、“御使い”殿の導きにより我らは帰還することが出来ました」
「俄かには信じられん話だ。だが、先ずは“御使い”殿が戻られたことを喜ぶべきか」
ザナドゥの一言に多くの氏族における長老級の者達が頷く。
その会場に赤熊族のロウと共に出席している彼女は淀みなく説明する。
「それと本体そのものが大き過ぎますゆえ、この一枚だけとなりますが、飛竜討伐の証です。お納め下さい」
そう言って耳長族の女戦士カレナリエンが差し出したのは暗赤色の鱗である。まるで盾のように大きな其れは彼らの社会において悪名轟く飛竜種のもの。
陽の下で妖しく輝くような艶を放つ其れが見る者の言葉を奪う。
「立派なものだ。儂も若い頃に見たことがあるが……」
「……フム。纏う魔力性質が火属性。そして飛竜種によく見られる表皮起源の特徴も備えておる」
間違いなかろう、と小猿族の古老の一人が明言する。
おお、と周囲から響めく声が上がる。智慧者と名高い古老のお墨付きが出たことで飛竜討伐が現実味を持って受け入れられた。
飛竜種の鱗は“角鱗”と呼ばれる硬い角質から形成されており、水分の無い陸上や大気中において保湿と保温に優れている。
「大物狩りとは何年振りかの?」
「このような時期でさえなければ褒賞も名誉も思いのままであったろうが許せ」
「いえ、使命を果たしたに過ぎません」
カレナリエンが淡々と答える。彼女の主人は南部森林地帯に一大勢力を構える大王アルミナスのみだ。
「堕ちた場所が深緑の森であったのは幸いかの。あたら魔獣の餌にするのも惜しい」
「翁、手配はお任せしても?」
「引き受けた」
古老と話を合わせ、議長ザナドゥが新世界における飛竜討伐の報告を纏める。
「新世界か……。見てきたお前達こそが生き証人であろうな」
「“御使い”様の故郷とあれば学者共が騒ぎそうじゃしな」
カレナリエンによる報告を聞いて氏族の長老達が今後の彼らの扱いを図っている。彼らが知った情報の秘匿を含めてだ。
ザナドゥ殿、と赤熊族の族長ロウが口を開く。
「俺は……、いや赤熊族は“御使い”が飛竜に挑む姿を目の当たりにした。その勇気と知恵、決して絶望に挫けぬ心と気迫に彼の在り方を感じた。同行した戦士達も同じだ」
状況は決して良くないが彼こそが切り札に成り得る。赤熊族のロウはそう語った。
「ともあれ“御使い”殿の安全は我らが保証するべきであるな。彼の使命に供する側仕えを選ばねばならんじゃろ」
「然り。各氏族からの選出に時間を掛け過ぎぬよう早足で進めましょう」
獣人族社会全体の縮図を構成する氏族会議の場で、“御使い”への積極的な支援が決定した。
其れは、これまでの日和見的に監視ばかりを行なっていた獣人族社会全体としての負い目によるものであると同時に、神話に語り継がれる“御使い”への畏怖と尊敬の念によるものであった。
そんな政治的な取決めが行われている赤煉瓦亭の一画で、今まさに目覚めた少年がいた。
(知らない天井、だな……)
身体に走る微かな痛みと、疲労感が軽減された時のような気怠い感覚。
見知らぬ部屋で目覚めたユウは次第に頭を回転させ現状を捉えていく。
「ここは何処なんだろうな……?」
此処はどこだと問うよりも頭の中に入って来る圧倒的な情報量にユウは戸惑っていた。
自分のいる場所と、それまでの行動を思い出しながら目覚めたばかりの頭をフル回転させていく。
豪華なタペストリーが壁に飾られ、床には魔獣と思しきものの毛皮が轢かれている。作り付けの家具は部屋と同一の様式で違和感なく必要と思われるものが整然と置かれている。
まるで日本とは違う世界のモデルルームでも見てる気がするとユウは思った。
とりあえず、自分は無事に異世界へと帰って来たようだと安堵する。
一時は、あれほど現代日本に帰りたい衝動に駆られたというのに、いま安堵している自分がいることが可笑しかった。
この世界を統べる光明神との約定もある。破滅に向かうという異世界で成すべきことを想像して、これからの立ち居振舞いをどうするかとも思う。
まあ、生死に関わるような身体の不調は無い。体内魔力も以前より高まっており、不足はなさそうだった。
何より今回の来訪では自分に課された制限が無い。
授けられていた恩恵が完全な形を取り戻しているのが分かる。
ただ、それでも一抹の不安は残っている。光明神に敵対する者の存在だ。
夜と闇の眷属。
暗黒を統べる領袖。
魔王など比較にならない、光とともにあり、決して相容れない闇を顕現させたかのような存在。
暗黒神ーー。
ユウの使命を知れば必ず邪魔してくるだろう。それでもやるしか道は無い。
少年は自分が選ぶ未来がどんな形になるかを考えようとして、やめた。
光明神は言った。この異世界に来れば分かると。ならば、そうさせてもらおう。己に課された使命を果たす方法もいずれ分かるだろう。
整えられた、むしろ立派と言える寝台で目覚めたユウは、すぐ側に控えるアイリの寝顔に気付く。
(アイリ……)
艶を持つ綺麗な黒髪にまだ幼さを残す愛らしい少女。師と同じ黒狼族の戦士の娘であり、自分の窮地に己の全てを擲って駆け付けて来てくれた少女。
この少女の事を思うと胸が温かくなる。はっきりとした形にもならない感情は、ユウの中で成長していた。
目覚めない自分をつきっきりで看病していたのだろうか。疲れて眠っているようだった。
世界樹の若木でもある迷宮の魔力災害に一緒に巻き込まれて、現代日本の首都東京に飛ばされたのが嘘のように思えた。
あの一連の戦いはアイリにとっても試練だったと光明神は言った。
もう初めて会った頃の弱く儚い雰囲気は感じない。きっと彼女も大きく成長したのだとユウは感慨に耽っていた。
アイリの寝顔に絆されたユウの手が彼女の頭に伸びて、そこで掴み返された。
「え?」
思わず声が出た少年の前で、アイリが覚醒する。寝ていても反応するとか、何の達人だよと感心する。と同時にやましい事は無いはずと焦る少年がいた。
「ご主人さま……?」
「……お、おはよう、アイリ」
幾分、引き攣った笑顔で彼女に言葉を返した。
見開かれた少女の双眸。黒曜石に似た瞳が急激に光を宿して燦然と輝き出す。
そして、すぐに大粒の涙が溢れて彼女の顔を歪めさせた。
「ご主人さま!!」
目覚めないユウの身を案じて側に張り付いていた少女は、次の瞬間、感情を爆発させて少年の胸に飛び込んでいた。
「ユウ! 気がついたのかい!?」
「ユウ殿! 大事ないと聞いたが!?」
「御使い殿、お身体は大丈夫ですか!? どこか痛むところは!?」
少年が目覚めてから怒涛の展開が待っていた。
フリッツバルド、ロウ、カレナリエンなど見知った顔に加えて獣人族の探索者達が彼の寝ていた部屋へと殺到した。
やにわに慌ただしくなる周辺にユウは対応に追われた。次々と獣人族社会の顔役達を紹介され、新たな縁を築いていた。
「起きたか、ユウ」
そんな中、不意に入り口から掛けられた声に懐かしさを感じてユウが顔を向けた。
「師匠……」
「よく無事に戻って来たな」
顔馴染みの探索者達や獣人族の知り合いなど、この異世界で知り合った多くの者達が自分の事を案じてくれている。
胸の奥が熱くなる想いに感情を揺さぶられ、少年は涙を堪えながら相好を崩した。
「ガルフ、御使い殿に儂のことを紹介してくれぬか?」
野太い声が掛けられたかと思うとユウの視界に一際大柄な獣人族の男が入った。天を衝く鬣に筋骨隆々とした体躯。其処にいるだけで周囲を圧倒するような気迫を感じる。
金獅子族の元戦士長でもあり、獣人族社会の氏族会議議長であるザナドゥであった。
一番の大物と登場に、さしものユウも迫力の違いを感じ取っていた。
その背後には、各氏族の族長や長老達が続いている。
「ユウ、獣人族の氏族会議で議長を務めるザナドゥ殿だ。ザナドゥ、こちらが人族のユウだ」
ガルフが略式でザナドゥを紹介する。その紹介を受けてザナドゥが片膝を着いた。
「初めてお目にかかる。“御使い”殿にあっては、先ずはご無事の御様子、大事にならず安堵いたしました。また、こ度の御来臨まことに慶ばしく、我ら一同心より感謝申し上げる」
ザナドゥの挨拶に合わせて、氏族会議に参加する族長級の古参の者達が膝を着き首を垂れた。どよめきが室内に木霊する。
「更に赤熊族の戦士達への御助力、そして、我らが皇統のシュリ姫様へのこれまでの御尽力、重ねて感謝申し上げる」
この遣り取りを見ていた他の獣人族の探索者達も一斉に頭を垂れて跪く。
あっという間の出来事に驚き、少年は言葉が上手く出ない。
いやいや、と内心で困惑して部屋中を見渡すユウの側ではアイリすら頭を下げて跪き、傅いている。
この周囲の対応に少年は光明神の言葉の意味するところを知った。
(これが、使徒の威光なのか……。神が実在するこの異世界の、本当の現実……)
言葉を飲み込んだ少年の喉が嚥下する。
現実問題として自分に課された使命が両肩にのしかかる気がした。だからこそ、ユウは自分の感じた無力さを隠さずに話すことにした。
「……俺は、大したことはしてない。いや、出来なかったって言うのが正しい」
アイリには話してたよな、とユウが話し掛けると黒髪の少女が顔を上げて微笑んでくれた。
「あの娘の名前も知らなかったよ。俺を呼び出した連中は獣人族には冷たかった。あの娘に医者を呼んでもらう代わりに迷宮に行くことを約束したら、すぐに召喚魔法を受けた場所から放り出されたくらいだ」
自嘲気味に笑うユウの言葉がじわりと聞き入る者達に響く。
「まともに話しをさせてもらえなかった」
ただ、あの娘の涙の理由が知りたくて、ずっと気になっていたと少年は話した。
「そういえば……、あの時、俺を助けてくれた人がいた。大柄な男で、厳つい巌のような人だった。俺が迷宮に連行されようとした時に、わざと途中の奈落で解放してくれた」
古老の一人がユウに尋ねた。
「“御使い”殿、その者はどのような素性の者でしたかな?」
「……その、ごめん。名前は聞いてない。聞ける雰囲気でもなかった」
でも、と少年は続けた。
「何となくだけど、ザナドゥさんに雰囲気が似てる気がする。いかにも歴戦の勇士って感じでさ」
ざわり、と場が見えない何かに揺さぶられた。
この時、幾人かの視線がザナドゥに向いたことを誰が気付こうか。
ザナドゥの眉根がピクリと動いていた。質問した古老が何かを呑み込んで答礼した。
皆が一様に氏族会議議長の対応を図りかねていたところへ、当のザナドゥ本人が徐に口を開いた。
「“御使い”殿、ひとつよろしいか?」
ユウが頷いて肯定する。
「実は獣人族社会は、喫緊の問題を抱えております」
ザナドゥの目が少年の一挙手一投足を見逃すまいと爛々としていた。
「“御使い”殿が守ろうとされたシュリ姫様が昨夜何者かに襲撃され、重症を負わされたのです」
ユウの雰囲気に剣呑な空気が加わる。
「幸いにも御典医ファムニール殿が手を尽くされ、急場を凌いておりますが容体は芳しくなく予断を許さぬ状況です」
智慧もない我々にはもはや打つ手がありませぬ、とザナドゥは告げる。室内の誰もが言葉を詰まらせていた。
可憐なシュリ姫の笑顔が戻ることを願う者達は、同時に解決の糸口すら掴めず無力感に苛まれていた。
「しかして、“御使い”殿」
姫にもしものことがあれば我らは王国と一戦交える所存、とザナドゥが明言する。
「我らとともに立ち上がっては下さいませぬか?」
ざわり、と室内に異様な緊張が走った。
「本国では王国のこれまで仕打ちを知った探索者達の話から火がつき、既に戦端が開かれておる様子。王国南部の国境を越えて進軍してくる同胞たちは怒りに我を忘れておるのです」
ザナドゥの重苦しい声音が苦しい胸の内を代弁しているようでならない。
「この上、もしシュリ姫様の身に何かあれば、もう誰にも止められぬでしょう」
ザナドゥの射るような目が少年を捉えてな離さない。
「開戦したが最後、王国が滅ぶか我らが死に絶えるまで止まることはないでしょう」
その時、とザナドゥがユウを見据えて尋ねた。
「“御使い”殿は我らとともにあられるのでありましょうや?」
返答は如何に、とザナドゥが問う。
集まった各氏族の族長、長老達が同様にユウを見ていた。其の視線の圧が少年を追い詰める。
何故かガルフまでもが黙って事の推移を見ているようだった。
(本気かよ……!)
誰にも聞けない状況に陥った事を悟ってユウは思考する。
(来れば分かると言っていた、光明神の言っていた状況って言うのは此れのことか……)
獣人族社会の代表者達を前にユウは答えを示さなければならない。
それも次の機会ではない。今、この場でだ。
(俺の一言で戦争が始まる! この異世界で種族の存亡を賭けた戦いが……!)
俺が決めるのか、この世界での戦争を。まだ高校生でしかない俺が。
フル回転を始める少年の頭が事の重大性に震える。
俺に決めきれるのか、種族の滅亡すらあり得る決断を。
内心の迷いを抱えたままユウがザナドゥと対峙する。其れは異世界へと舞い戻ったユウに課せられた最初の使命。
この異世界の趨勢を決める運命の選択に他ならなかった。
迫られる重大な選択。掛けられた皇国の運命。王国との開戦を意味する申し出にユウは決断を迫られる。光明神に託された異世界の運命。ユウが齎すものは戦乱に明け暮れる閉ざされた未来なのか。
異世界に生きる者達の生命を、虐げられてきた獣人族達の未来を少年は選ぶ。其れが己の信じたものに恥じない結果だとの覚悟をもって。
次回、第86話「決断」でお会いしましょう!




