第82話 暗転
なんとか、バレンタインデーに間に合ったのか!?
とりあえず「迷宮都市〜光と闇のアヴェスター」本編の続きをご覧ください!
白と黒。二つの相反する魔力の相剋に全てが震えていた。
煮え滾るような其の中心地で、灼熱と血と怨嗟とが男に力を与えていた。
夜と闇、破壊と終末を支配する神の力が男の身体に流れ込んでくる。
神域にあっても尚、流れ込む黒い魔力が身体中を駆け巡っているのだ。溢れる力が激しい衝動を刺激する。
(殺セ……)
胸の奥から溢れ出る暴力的な衝動。獲物を仕留めんとする野獣の其れが、かつてクラインだった男の精神を支配していく。
(殺セ、土クレカラ生マレタ人形ヲ殺セ……!)
黒い魔力が昂ぶるように騒めく。
クラインだった男の暗い瞳に黒より昏い闇が宿る。
「闇の楔!」
鉄鎖を引き摺るような不快な音を鳴らして影が伸びる。その速度たるや黒き雷のよう。
内包された魔力量ゆえか行く手を阻む障害物が全て弾かれていく。
「させません!」
淡い白光がシュリを中心に同心円上に広がる。
発動する守護の光。
「聖光!」
シュリにとっての陣地を構成する白い光の輪。その圏内に収められた黒い魔力は、悉く雲散霧消していく。
白光に意志を乗せて皇女が意を結する。
収束していく白い光が一条の細い束へと変化する。
白く淡い光が、鮮烈な輝きへと変わる程にだ。
「貫通光!」
シュリの差し出す指先から放たれる閃光は、鮮烈な残光を残して闇を切り裂き焼滅させていく。
「オオッ!」
歪んだ男の顔は初めて与えられた苦痛によるものか。
胸に開けられた風穴がみるみるうちに周囲の肉を焼き、溶かしていく。焼け爛れていく肉体に構わず、男がシュリの魔法に刮目する。
(ヤハリ……! 奴ノ眷属ノ中デモ稀ニ見ル威力!)
驚愕に顔色を変える男の内心を知ってか知らずか、少女は攻め手を休めない。
収束した白い光の束が今度は彼女の手元に集まっていく。その手を覆う白光が留まり、形を変えていく。
輝ける大剣がシュリの手に収まる。踏み出した一歩に渾身の力が宿る。
「光の剣!」
流れるような動作で可憐な少女が身の丈を超えるような大剣を振るう。
其れは、勇者の剣ーー。
黒い影の影響を侮れぬと考えたシュリの決断が呼び覚ました神の力を纏いし光の大剣。
一撃に込められた強大な魔力が敵を屠らんと牙を剥く。込められた余剰魔力が綺羅星の如く光輝を吐き出していく。
上段から振るわれたのは余りにも重い一撃。
衝撃が土煙を払い、漏れ出づる真っ白な光輝が床石を割ってなお激しく振動する。
獣人族の崇める神が魅せる武威もかくやと言わんばかりの威力が男の防御ごと斬り伏せる。
「オオォッ!!」
真正面から斬り付けられたクラインが身体を維持できないのか傷口が崩れ広がっていく。
身体を肩口から真っ二つに斬り裂かれ、生命の危機を感じてか闇の魔力が噴出する。
輝ける光輝に黒い闇の魔力が拮抗している。
「馬鹿ナッ! 何故、オ前ガコノ技ヲ使、エル!」
闇を散らす閃光迸る中、クラインだった男が吼える。
「人形デアル、ハズノ……、オ前ガッ!」
その昏い魔力を宿す眼が、シュリを睨み、見据える。
輝く大剣を手にシュリは拮抗する巨大な魔力の塊を押し返す。
「国難の折に双神より下賜されてきた光の剣です。貴方になら必ず効くと思いました!」
シュリの言葉に男は顔色を変える。
押し込み始めた光の剣が闇色の魔力を分断していく。
肩口から斬り込まれ、身体を裂かれていく男が絶叫を上げる。
「人形ゴトキガ世迷言ヲ!!」
崩壊する身体を支え切れず、男がシュリに殺意を向ける。
男の輪郭が黒い靄に包まれるようにぼやけていく。足元から湧き上がる膨大な闇色の魔力が拮抗する光の神力を押し留め、抵抗する。
光の大剣にかかる抵抗力に皇女シュリは得心する。
彼女の未来視を邪魔する黒い影。其の力を見誤る彼女ではない。
(やはり簡単には勝たせてもらえませんか……)
仕方ありません、とシュリは大剣を手放す。
その行為が非力な少女によるやむにやまれぬ行動だと男が察知したのかどうか。
身体に大剣が刺さったまま苦しみ悶える男が腕を伸ばす。
伸びた腕が不定形に崩れ、黒い靄のままに膨張する。
その異様さと放たれる魔力量に、周囲の魔力濃度が爆増する。通常なら誰もが魔力酔いを起こすレベルだ。当然、その中心地に長く留まる者は生命の危険が伴う。
シュリは目を閉じて、じっと何かを考えている。
その皇女の姿に影が勢い付く。
決して逃がさぬとでも言うように黒い波濤が押し寄せていく。
瞬きする程の刹那の後、シュリの頭上から黄金色の神光が降り注ぐ。
「光輝なる護封剣!」
「ナンダッ! ナンダ?! コノ光ハ……」
全てが流れるように連なり、あらゆる動作が意味を持ち、一分の隙も無い。
壮麗な陽光による神威を模した光の縛鎖が顕現する。
厚い雲間からこぼれる幾筋もの陽光の如く、神々しい程の神光が顕現し、闇色の魔力を文字通り貫き縫い止めている。
一種の魔法陣として機能する薄明光線が黒い影を捕らえていた。
一瞬の攻防が分水嶺を分けた。
黒い影の輪郭がぼやけ、闇色の魔力が雲散霧消していく。
「馬鹿ナッ! 上位階梯ノ司祭ニスラ出来ルコトデハッ! コンナモノガ、何故伝ワッテイル?!」
ヤツノ仕業カ、と影が吼える。
空間に放たれる魔力が増えていき、その行き場を失っている。縫い止められた影への効果は確実だ。
その様子を見てシュリが走り出す。
(フェルネ! いま助けに……!)
不快な音がシュリを追う。
闇の縛鎖が神殿の床石の隙間から分厚い石板を突き破って現出する。
「なっ!?」
瞬く間に追い縋る闇の楔に皇女が行手を阻まれる。
黒い靄が伸びてシュリの行手を遮る。彼女を捉えようとする鎖は先程から幾筋も彼女の守護の光により消滅させられている。
(光輝なる護封剣は対大型魔獣用ですよ!? 竜種すら捕縛し、神聖結界にも匹敵するというのに……!?)
シュリが驚きを見せたのも一瞬、すぐさま戦闘思考に切り替える。今のは謂わばフェルネを助けに行こうとして思考から黒い影の存在が薄れた隙を突かれたもの。万全の状態ならば彼女は決して遅れを取らない。
「逃ガ、サナイ……。此処、デ仕留メル……」
呻くような影の声がシュリの耳に届く。
温度の無い死者の妄執に似た其れは、聞く者の背筋に冷水を浴びせるだろう。
だが、熱波が支配する此の場では、それすらも意味を成さない。
「腐っても神々の一柱ということですか……」
シュリ・ロンド・エス・フローレシエンシスは其の特徴的な瞳を閉じて告げた。
「俺ハ死ネ、ナイ……。オ前ヲ、仕留メルマ、デ……!」
黒い影の齎す死の気配。
其れが魔力を含んだ黒い靄となって周囲を侵蝕する。
生命を脅かす脅威を前に皇女シュリは相手に氷の色をした瞳を向けた。
殺意の洗礼に負けず彼女は毅然として答えた。
「私も皇族の姫、危険を飼い慣らす覚悟くらいあります!」
その身に纏う神聖な魔力に空間に満ちた熱波が遮られ収まっていく。近寄る黒い靄もほぼ全て消滅させられていく。
目に見えぬ“魔力の渦”がシュリの周囲に影響を及ぼす。強烈な干渉力が皇族に伝わる並々ならぬ魔力の武威を示していた。
「あまり時間もないことですし、お遊びも此処までにしましょう!」
胸の前に両手で魔法印を切る皇女シュリを取り巻くように、魔力の揺らぎが現れる。
「魔戦陣!!」
劫火の如く燃え盛る炎が戦陣となってシュリの背後に顕現する。
降り注ぐ聖火の灰が神殿内に何処からともなく入り込んでくる。
空間への支配力が齎すのか、灰が落ちた箇所から炎の色が変わり、より明るく眩しい色合いに変化していく。
更に、両手で印を切る皇女シュリの顔に、手の甲に、目に見える艶やかな肌に鮮やかな朱色の紋様が浮かび上がるではないか。
其れは神聖な戦いに臨む際に神聖皇国の皇族達が装う戦化粧。
過去には首級を挙げた皇帝が、敵の血で顔を染めたと云われる伝統と格式のある戦時の作法。
正統な皇統を継ぐ皇女であるシュリが本気になった証であった。
そして其れは、虫も殺さぬ優しい彼女が、以後一切、手加減などしないことを意味していた。
遠くで鳴り響く、爆音ーー。
遠くの地で、空を裂き、地を割るような轟音が鳴り響いている。
霞む意識の中で、何とかして留めようとしても身体が言うことを聞かない。
指先一つですら重く、身体を縛り付けられているようだ。
(私は……、逃げることは叶わない……)
見に纏う焔の戒めが彼女の身体を縛り付ける。
そして我が身を焼く、浄化の焔。
幾度となく考えた自死の選択。
(でも……!)
誰かが私を呼んでいる。
誰かが私を見ている。
特徴的な氷の色と言われる瞳に、凛とした覇気を漲らせて。
(あれは……、誰……?)
純白の魔力を身に纏い、突き抜けるような笑顔を見せてくれる誰か。
「あれ、は……?」
鮮烈な炎が視界を埋める。
幾度か見たことのある聖火の煌めき。
其れらが結び付き、沈みかけた自身の意識を暗い闇から引き摺り出す。
そして、閃く皇女の面影。
「やめ、て……!」
体内魔力の全てを繰り出して、早く立ち上がらなければ。
「おやめ、下さい……、お嬢様!」
巨大な魔力同士が激突する戦場で、唐突に目覚めた自身の声がはっきりとフェルネの意識を覚醒させた。
「シュリお嬢様!」
普段の侍女長からは想像するできないほどの弱々しいか細い声音。
その声をシュリは聞き逃さなかった。
「フェルネ!」
傷付いた身体を起こしたフェルネが叫ぶ。
「……なり、ません! 私如きのために原初の魔法使いの御力を使ってはなりません!」
血を吐くような叫びと懇願する侍女長の真摯な眼差し。
黄金色の眼差しを受け止めたのは、純白と言える魔力を身に宿した少女。
其の周囲に輝く白銀色の魔力。巨大な魔力の奔流が今も渦を巻き、荒れ狂っている。
その中心地に身を置く少女の瞳には緊張や恐怖の色は無い。麗かな春の午後のような表情は美しく、見る者全てを惹きつけて止まない。
「……フェルネ、無事で良かった!」
無心の笑みにフェルネの心が温かくなる。
此処が戦場であることすら一瞬忘れかけて、フェルネは身体に力を入れ直した。
「お嬢様、お逃げください! 私が時間を稼ぎま……!?」
息を呑む音が聞こえた。
侍女長がシュリの身を案じて声をかけたところで、唐突に視界が暗転する。
昏い魔力が使われ、夜と闇の魔法使いが放つ“暗黒領域”が形成される。
「!?」
視界を遮られ、皇女と侍女長が警戒する。
しかし、二人の困惑は其れだけに留まらない。先程から明らかな違和感を感じているのだ。
「此れは……!?」
フェルネが思わず身体を支える手に力を込める。身構えたのが分かる程の緊張が走る。
思い通りにいかぬ身体に鞭を打って自らを奮い立たせる。皇宮の侍女長として皇女を護らなければならないのだ。
「神殿内に、“暗黒領域”を作ったと言うのですか!?」
周囲に拡がる魔力に闇の匂いを感じて、フェルネは身を強ばらせた。
暗黒領域とは、夜と闇の眷属達にとって有利な環境を作り出す結界のようなものだ。並の魔獣や魔人では作り出すことなど出来ない。
ましてや神域に魔の領域を形作るなど、通常では考えられない所業だ。まつろわぬ神の御技にフェルネの顔色も無い。
「依代として使う身体で、これ程の御技を見せてくるとは驚きです」
シュリが口元を裾で隠すように軽やかに笑っていた。
暗黒領域なぞ何するものぞと神聖皇国の正統な姫が言う。その表情には真新しい玩具を貰った幼児のような無邪気さすら垣間見える。
「五感の変位……。闇属性の中でも高尚な魔法をお使いですね」
驚嘆です、と麗しい顔に笑みが浮かぶ。その艶やかな笑みにフェルネは感服と同時に危うさを感じた。
「今マデト同ジ様ニハ動ケヌゾ、人形!」
先の見えない空間からクラインだった男の声がする。
「我ラガ“暗黒領域”ノ奥深サヲ知レ!」
視界を覆う昏い魔力。
湧き上がる闇の魔力にフェルネの顔色は悪い。知らず生唾を飲んでしまう。
これから巻き起こる戦闘の激しさを予感して、彼女の本能が激しく警鐘を鳴らしていた。
(私が何とかしなければ……! シュリお嬢様に何か有れば、我らが皇統に断絶の危機が生じてしまう!)
まだ動かせぬ身体に鞭を打ってフェルネは魔力循環を始める。
黄金色の魔力が蠢動を始め、フェルネの身体中に魔力が行き渡り始める。
すぐ其処には闇の領域が形成されている。
まったく見通せない深淵の奥からクラインだった男の声だけでなく、狂おしい怨嗟の声すら聞こえてくる。
何が起こるか分からない状況に彼女の危機感ばかりが募っていく。
(この圧……。とても人族が成し得るものとは思えません……!)
フェルネの視界は既に塗り潰され、時折、原色の何かが通り過ぎている。明らかに視覚に異常をきたしてしまっている状態だ。
他にも手の感覚もおかしい。先程から身体を支える手が自分のものでは無いかのようだ。
既に嗅覚も効かなくなっている。身体の変調は戦闘の続行を困難にしていた。
(かくなる上は……!)
幾つかが残っていた銀色の爪飾りを一瞥してフェルネは意を決する。
暗黒領域からの魔力侵蝕が神殿内を破壊していく。最早、フェルネ達が張った神聖結界が無ければ其の威容を保てない程だ。
昏い魔力の海から黒い影が現れる。
崩れかけた身体を無理矢理繋ぎ止めたような歪さが見る者を恐怖に陥れる。
膨れ上がる負の感情を抑えてフェルネは魔力循環に集中する。
その側で影とシュリの魔力が激闘する。
互いに致死の一撃を繰り出し、余波だけで周囲に被害が及んでいる。
感覚を狂わされたというのに己が護るべき皇女が敵に立ち向かっている。
忸怩たる想いを胸にフェルネは集中を深めた。
「……!」
鋭さに特化した斬撃が、弧を描いて魔力侵蝕を引き裂いた。主人の危機に立ち上がったフェルネの技が冴える。
「フェルネ!」
シュリの声が侍女長の身を案じていた。
闇色の中に呑まれていく黄金色と朱色の斬撃の余波が音も無く消えていく。
手応えの無い衝撃にフェルネの肩が震え、そして吐血した。
口元を隠しながら咳き込むフェルネの指先からは血が滴り落ちている。
「オマエニ私ハ倒セナイ」
今世ノ魔王ヨ、と黒い影が嗤う。
膝をついた彼女の側に昏い魔力を纏った影が佇む。
一切の光を映さない其の眼窩に、何処までも深い闇が映っていた。
「……人形、オ前モ何モ解ッテイナイ」
影の独白に、シュリが警戒の色を見せる。漲る覇気もそのままに魔力の渦が唸りを上げる。
「ヤツノ下僕デアリナガラ、何ヒトツ見エテイナイ……」
「いったい何を!? いくら“五感の変位”を受けていようと私の瞳は貴方を捉えていますよ!」
臨戦態勢を崩さないシュリに黒い影がゆっくりと振り向いた。
其の眼窩に映る闇は世界を呪っていた。
あらゆる熱を持たない黒い影が淡々と告げた。
「セメテ、父親ト同ジ毒デ死ヌトイイ」
「毒?!」
皇女シュリの瞳が驚愕に染まる。
身体を貫く黒い影の魔力。侵食する不快な毒。
白亜の輝きを宿す皇女の魔力が真っ黒に染まり、蝕まれていく。
神聖皇国における正統な後継者にして最後の姫君。類稀なる異能を受け継ぐ、地上世界唯一の希望。
シュリ・ロンド・エス・フローレシエンシス。
北の神殿にて流された彼女の血によって、神域は決壊し、この日、世界は暗転した。
流された血に世界が震える。皇女シュリ襲撃の報に、獣人族の全部族に激震が走った。怒り、憤り、戰を望む者達の狂乱に誰もが止める術を持たない。
事態は一刻を争うように悪化の一途を辿る。果たして世界に齎されるものは何なのか。
次回、第83話「狼火」でお会いしましょう!




