第80話 攻防
なんとか『文化の日』には間に合わせることが出来ました!
すみません、プライベートでゴタゴタと色々あって時間ばかりかかってました(-.-;)
とりあえず、迷宮都市〜光と闇のアヴェスター、最新話をご覧ください!
「御早く! 今は一刻を争う時! さあ、御早く!」
皇国の侍女たちは普段とは違う異常な事態に緊張の色を隠せずにいた。
避難を指示したフェルネのおかげで、今や神殿の奥部は慌ただしさに揺れていた。
皇女付きである側付きの侍女達を筆頭に、神殿奥の者達が一斉に動き出した。現実に、彼ら彼女らの心胆に冷水を浴びせるような事態が起こっている。
様子を見に行った者達が帰らないのだ。
外から響く戦の声に事態を察してはいたものの、腕に覚えがある者達が戻らない意味をこの場にいる者達が分からぬ訳がなかった。
「御足元にご注意を!」
こちらへと促す巫女たちに誘われ、シュリもまた足早に移動する。
極上の絹で設えた真っ白な衣装の裾を払いながら皇女シュリ姫は足早に移動していた。
幼い巫女候補の童女たちの手を自ら引いて避難する。
誰ひとり見捨てることなど念頭に無いシュリ達の避難は遅々として進まない。
走れなくなった童女を抱き抱え、年嵩の家人たちを連れて行く。其の周りを巫女たちもまた走った。
我等が皇女の為に全員が意を一つにして誘導する。
誰ひとり欠けること無く神殿から脱出したい、そうシュリは望んでいた。
(……)
しかし、先ほど彼女の胸を穿つような衝撃が走っていた。
極微細な魔力の伝播。其れは、消えゆく生命の残滓。
見知った者の面影が一瞬だけ脳裏に浮かんで、消える。その儚さにシュリの胸が締め付けられていた。
(ミラ……)
まだ幼さを残す純真な少女の笑顔。幼気な眼差しに過日の想い出が過ぎる。
(私の視る未来に貴女の死など絶対になかった……。いったい何処で何を間違ったというのでしょうか……?)
足早に移動する最中、不安の影にシュリは苛まされていた。
何度も何度も繰り返してきた未来視の予言。手繰り寄せる筈の未来が両手から零れ落ちるような喪失感にシュリは不安の色を隠せなかった。
瞳に映る万象の影が薄灰色の虹彩となって彼女の瞳を銀色にも見せている。
しかし、見る者がいればシュリの抱える強い不安を其の瞳の奥に垣間見たことだろう。
湊鼠、藍鼠、桔梗鼠、空色鼠等の瞳に宿る色とりどりの色彩さえ、陰影が映えるように見えたことだろう。
ただ、その鮮やかさの中に拭えない不安が影を落とすのだ。
(私の未来視を邪魔する黒い影……。どうやら私が考える以上の存在なようですね)
漠然とした不安の影が尾を引いていく。
長く密やかに其の存在感を増そうとする影は、不穏な意志を孕んだ危険因子のようでもあった。
身の内から、まるで針で刺すような痛みが走る。其の痛みに紛れた何かを確かめるようにシュリは思考を巡らせていく。
現実の危機に流されそうになる其れを必死に繋ぎ止めようと彼女は思索をやめない。その身に迫る危険を測ることで、彼女は懸命に己の運命に抗っていた。
「お姫様! どうか御早く! 御急ぎくださいませ!」
侍女たちの声に現実へと引き戻されながら、シュリは聡明さを失わない。
逃げ遅れた者がいないよう、全員を回収できる経路で進む。力無き弱者の不安を宥め、幼い者や年老いた者達を見捨てず手を引いていく。
皇国の領袖として振る舞い、皇国の民を導く存在としてある。それが彼女のあるべき姿であったからだ。
一行の向かう先から誰かを気遣う声が響いた。緊張した声に、シュリも気を取られた。
其処には倒れ臥す幼い巫女装束の煤けた姿があった。
「しっかり!」
「何方様か、治癒の技を!」
侍女たちの声に焦りと悲痛な色を見て、シュリが駆け寄る。
「どうしました?! 誰なので……?」
眼前に倒れる幼い童の白い顔に、シュリが息を飲む。
既に侍女の一人が治癒の技を掛けている。だが、童の顔色は戻らない。もう生命維持が出来ないような危機的な状態だと解る。身体中に酷い火傷を負ってしまっているからだ。
ボロボロの巫女装束は火に焼かれ、至る所が焦げ付いている。
「御姫様!」
言葉よりも早くシュリの御技が奇跡の光を呼び覚ます。
白銀の光彩を纏う皇国の姫が持つ神聖術の奥義。半ば無意識に発動した其れを既に展開している侍女の其れに間髪入れず重ねていく。
常人ならば決して簡単には出来ない御技だが、シュリは息を吸うが如く魔力を操り、高度な術式を固定化させることが出来る。
侍女の扱う治癒魔術に干渉しながら、決して反発させない。
常人では到底成し得ない御技で童の怪我を癒やしていく。重ねられた事で治癒力が跳ね上がり相乗効果を上げるのか、みるみる火傷の痕が消えていった。
「気がつきましたか?!」
目を開けた童の瞳に直ぐに決意の色が見える。
其れは大切な何かを守ろうとして、でも自分の非力さに泣きたくなるような、そして感情を押し殺して何かを伝えようとする幼い童子の心だった。
「姫さま! ミラ様が……、ミラ様が!」
縋り付いて泣きたいだろうに、必死にミラの身を案じる姿に心が揺さぶられる。
シュリが手を差し伸べて、その童の小さな手を掴んだ。
「大丈夫、よく帰って来ましたね。立派ですよ」
優しい微笑みで童子を言葉を遮った彼女に、幼い巫女は堪らず滂沱の涙を流した。侍女の腕に抱かれたまま、しゃくり上げる幼い童。その姿にシュリも言葉を失くしてしまう。
ただ、その勇気を褒めてあげたくて頭を撫でてやることしか出来なかった。
こんな小さな子まで戦争と不和の犠牲になる現実にシュリは我慢がならなかった。
「さあ、泣いてばかりではミラが悲しみますよ?」
振り返り、皇女を見上げる童の顔には悲しみがあった。
しゃくりあげるのを我慢する幼な子にシュリの心が締め付けられる。
励ましの言葉をと思った瞬間、ズズズズズ、と地鳴りが走った。
「きゃあぁ!」
「お姫様、お早く!」
「皆静まりなさい!」
神殿内に地鳴りと地響きが起こる。
地響きを立てる神殿の足元が覚束ないなか、白銀の髪をした姫君こそが他の巫女たちを制していた。
そして彼女こそ、瞬時に悟っていたのだ。
(フェルネ!)
シュリですら予想しなかった、まさかの事態が発生しているのだと。
(これはフェルネがあの力を使い始めた証左……。フェルネにあの力を使わせるような、そんな事態が起こったというの?)
鳴り止まない地響きに全員が不安を煽られる中、シュリだけが事態の異常さに気付いていた。
(……何かが来ている? この場に?)
唐突に浮かぶ心象。
互いに争い、せめぎ合い、相果てるまで力をぶつけ合う者たち。
膨大な魔力で身体を押し潰し、御技をもって生命の熱量を簒奪し、揺らいでは形を変え、己を変質させる者たち。
また朽ち果てるまで切り結び、返す刃で薙ぎ払う者たち。
壮絶な殺し合いを演じる二人の影がシュリの心象風景に浮かび、凄惨な心象を植え付ける。
(これは、まさか……?)
鮮血を思わせる赤。炎とも光ともつかぬ黄金色。其れに入り混じる闇よりも深い黒。
生命が生き残る余地など無い、殺伐とした心象風景にシュリが言葉を失う。
自らに近しい侍女長に生命の危機が迫っている。逼迫した予感にシュリは冷や汗が流れるのを感じた。
縦に斬り下す一撃が腕をもぎ取り、肩を潰す。赤に染まる一撃に生命の力が消える。
返す一撃が男の胴を薙ぎ払い、身体を三つに分ける。血飛沫を上げて飛び散る其れは男の死を意味していた。
黄金色の魔力が閃光の軌跡を残して霧散する。膨大な魔力量の一撃に、力の余波が周囲に衝撃波を発生させる。
だが、男は死なない。千切れた胴体が蠕動するように動き、互いに求め合うように接合し、再生していく。
血生臭い匂いが辺りに漂い、人ならぬ者が起き上がる。その顔に不敵な笑みを浮かべて。
人智を超えた戦い、生死を超えた戦いが此処にあった。
フェルネの放った横殴りの一撃が、クライン将軍の胴を薙ぎ分断した。彼女の有り余る魔力が暴風となって男の血飛沫から身を守る。跳ね返された男の血飛沫が煙を上げて神殿の床石を猛烈に溶かしていく。
復元して立ち上がるクライン将軍に、フェルネが上段から追撃を叩き込む。
首が落ちて血肉が飛び散り、切断面は超重量を持つ大剣に潰されて歪んでいく。
肉が裂け、骨が砕ける音が響く。
全ての一撃が相手に致命傷を与えるものばかり。魔剣の巻き起こす余波が烈風となって周囲の生命を刈り取っていく。
強烈な酸性を示す男の血肉を黄金色の炎で焼き尽くしながらフェルネは己の足場を確保していた。
「殺し甲斐がありませんこと」
身の丈すら超える大剣を従えて、美貌の佳人がわざと嘆息する。
「無駄ナ事ハヤメロ……。人族ノ身ニハ過ギタ望ミダゾ」
肩から肉が内側から盛り上がり、身体が再生していく。
血糊すら身体には残らず、激闘の痕跡は衣服に残る破損と赤黒い痕のみ。
何度目かとなるグロテスクな肉体再生にフェルネは食傷気味だ。
「確カニ噂以上ノ魔力ダ。今世ノ魔王ヨ……。感服シタゾ」
些かの興味も持てない顔でフェルネは大剣を肩に担ぐ。
皇国の美女と名高い彼女に余りに似つかわしくない立ち姿だが、真の彼女は文人であり、武人でもある。
明日の天候を話題にふるように、彼女は相手に語り掛けた。
「何者であろうとも我等が皇統に障るならば容赦はいたしません」
有り余る金色の魔力光が帯状に停滞する。その光を受けて、フェルネの美貌が冴え冴えと輝く。
「たとえ貴方様がまつろわぬ神であろうと……」
愉悦が止まらないと言う顔でクライン将軍が嗤う。
「コレガ今代ノ魔王カ! オモシロイ、オモシロイゾ!!」
その身から漏れ出す黒い影が濃密な魔力となって男の周囲を腐蝕させる。
文字通り黒い影に喰われているのだ。
その様子を見ていたフェルネが嫌なものを見たと眉を顰めた。
「破壊と殺戮のなんと無益なこと……」
彼女の小さな呟きは誰の耳にも届かなかった。
暗黒と闇の力が高まり、圧を増している。
そのせいでフェルネ自身も身に宿す魔力が活性化しているのだ。
形あるものを粉々にしたくなるような破壊衝動。
敵の喉笛を食い破りたくなるような殺戮衝動。
そんな野性の呼び声とも呼ばれる衝動が胸の内側からこみ上げてくる。
彼女を認めてなお高笑いするクライン将軍に、フェルネも得体の知れなさを感じていた。
「モットダ! モット見セテミロ!」
クライン将軍の腕が伸び、質量を増して彼女を襲う。
闇よりも暗い色を宿す“どす黒い気”を纏わせてクラインが迫る。其れを流れるような足捌きでフェルネが受け流していく。
「これほど瘴気が濃いとさすがに侮れませんね」
蠢く黒い影に視線を止めてフェルネが憂いを帯びた色香を見せる。
嫋やかな手が口元を隠して詠唱句の終わりを隠していた。紡ぐ魔力に金色の炎が応える。
フェルネと男の間に突如として魔力光が浮かび上がる。
「オオッ!」
虚を突いた一撃が黄金色の精緻な光輪を見せて、男ごと黒い影を焼き殺す。
顔を上げた彼女の双眸に強い光が宿る。
「私も常々思っていたことがあります。身に余る力を持つ者として……」
炎に焼かれる男が彼女の挙動をじっと見つめている。その身から焼滅される肉が焼け、脂が焦げ、爆ぜる音を響かせながら。
「“神殺し”が如何なるものかと……」
「クハハハハハッ! 面白イ! 面白イゾ、女!!」
ヤッテミロと男が炎に焼かれながら言い放つ。その声音にあからさまな歓喜の色を浮かべて、だ。
「ならば、ご覧あそばしませ」
新たな光輝を放つ彼女の背後に幾千幾万の“魔力宝珠”が突如輝き出す。
荒れ狂う炎と呵責な熱の向こうに男の笑みが歪んで見える。
そのひとつひとつに高威力の火と風の魔力が込められた魔力宝珠が男に殺到するまで時間は掛からなかった。
爆音と高熱の狂乱が齎す蹂躙劇。
常人なら死を避けられないだろうフェルネの奥の手に、北の神殿は震撼した。
「フェルネ!」
うら若い女性の声が皇国の侍女長を呼ぶ。
身分ある彼女を親しげに呼べる者など本国にも数える程しかいない。ましてや敵国の只中であるアンガウルで彼女をそう呼べる者など何人いるだろうか。
一瞬の静寂に息を呑む。
その声の主を見た者は、すぐに心を奪われることだろう。
その髪は白銀の色艶を持ち、輝き出さんばかりに麗しい。凛とした容貌は芸術の神が手掛けた天上の作品すら寄せつけることはない。
見た者だけが分かる圧倒的な魅力。
その高貴さは万人をもって傅くことを躊躇わせぬほどに気高く、その類い稀なる純血の素性ゆえに“白銀の姫君”とも呼ばれる殿上人。
神聖皇国における皇室の正統な後継者であり、母親から受け継いだとされる異能を持つ稀代の姫巫女。
神代の時代より皇国の導き手と噂されたフローレシエンシス最期の生き残り。
シュリ・ロンド・エス・フローレシエンシス。
白銀の姫君その人が、神殿に張られた神聖結界に駆け込んで来た。
そこで少女が目にしたのは倒れ込む侍女長の姿。血を吐き、屑折れた姿にシュリの胸が締め付けられる。
充満する高熱に曝されたシュリの耳に、その声音が響いた。
「其処ニイタノカ、人形……」
倒れ臥す女の傍らに、静かに立つ男が振り返る。
今し方までの凄惨な戦いでも見せなかった明確な殺意がシュリに向けられる。
其の視線がシュリの未来に影を落とす。それは彼女の運命を狂わせる異形の神が齎らす災厄の嚆矢に他ならなかった。
シュリが遭遇した黒衣の男。向けられる殺意と憎悪。彼女の運命を狂わせる何かが、避けられぬ争闘となっていま始まろうとする。
次回、第81話「争闘」でお会いしましょう!




