第75話 使徒
ちょっと遅くなりましたが「迷宮都市〜光と闇のアヴェスター」本編の続きをご覧ください!
夜の帳が下りる中、苦悩する声が聞こえる。
其れは大陸北部の都市アンガウルからだ。王国の古都に季節外れの強風が吹き、夜半だというのに轟々と音を立てていた。
肌寒さと相まって街行く者達の姿は見えない。最近の古都は天候不順で暗い空ばかりが思い出される。
この日も一日中薄暗いまま、気が滅入るような天候に誰もが俯いていた。最近は、何か暗い空気が古都を覆っている。そんな取り止めのない噂が流布していた。
そんな迷宮都市の一画で、獣人族の少女ドリスは先日来の戦闘時の負傷から顔を歪めていた。
「くっ……! はぁ!」
まるで悪魔にうなされるような声に室内は満たされていた。
悪い夢に囚われているような、そんな声だった。
ーーてめぇが本気を出さないなら、宰相に任せてる姫さんがどうなるか分かってんだろうな?ーー
魔術館の黒衣を纏った男が少年に告げた。其れは、或る少女の未来に関わる事だ。
ーー待てよ! あの娘は関係ないだろ!ーー
必死に抗い、戦う黒髪の少年が叫ぶ。己の危険を省みず、ただ少女の安寧だけを望んで。
翻る銀光が少年を襲う。幾度も幾度も襲い来る生命を刈り取る死神の鎌が振り下ろされる。
恐怖とともに或る感情から跳ね起きたドリスが声にならない叫びと共に目覚めた。
物音ひとつしない深夜に全身に汗をかいていたが、それでもドリスの心は別の事柄に捉われていた。
「どうしてユウが、シュリ姫様のことを……?」
其れは幾度となく考えを巡らせたことだった。
数多の種族を抱える獣人族の中において、唯一の古き正しき血統を今に伝える神聖皇国の象徴。
シガ・ニオの双神より奇跡の力を授かったとされる一族の末裔。
歴史上、地上に飢饉や災害が訪れる度に其の力を振い獣人族の未来を指し示してくれた崇拝すべき存在。
其の皇統の正統な後継者である皇女シュリ姫。
母親譲りの白皙の美貌と豊かな魔術の素養を合わせ持ち、民衆のため神殿の奥深くで祈りを捧げる日々を過ごしていると聞く。
王国に軟禁された美姫を獣人族の誰もが心配してやまない。
ドリスの心にも皇女への畏敬と崇拝、そして同じ魔術を嗜む者としての憧れがあった。
其の皇女シュリ姫を守るため、人族のユウが何故戦うというのか。
(……ユウ、貴方どこにいるの?)
少年がいなくなってしまった時から、彼女は不穏な気配を感じていた。
魔力に敏感な感受性を持つ少女であるが故に、ドリスは誰にも分からない筈の何かを感じ取っているのかも知れない。
(ダルクも何も言わずにいなくなるなんて……。どうなってるの? 何があったの?)
自分達のパーティーが崩壊したあの日、幼馴染であるダルクハムは行方知れずとなった。ヘイリーの裏切りや性質の悪い探索者達の恫喝があったとはいえ、彼が姿を眩ます理由が分からず、ドリスも悶々としていた。
(ダルク、お父さんのこと思い詰めてたのかな? 私、どうして気づいてやれなかったんだろう……)
そう思い、少女は嘆息する。
ううん、それだけじゃないとドリスは顔を上げた。
あの日、彼女を守ってパーティーメンバーのムースが無理を推して戦ってくれたのだ。その時の怪我が元で、彼は未だに病床から起き上がれないままだ。
仲間たちが次々と不幸に魅入られる気がしてドリスは胸中に漠然とした不安を感じていた。
其の不安の渦の中心人物たる人族の少年は、迷宮の崩落で行方知れずだという。
この迷宮の崩落にも謎が多い。
いまや迷宮は国軍が警戒して立入禁止の措置を取っていると聞く。ましてや体調も優れない状態では探しに行くことすら躊躇われる。
ドリスは不甲斐ない自分に歯噛みするしかなかった。
「ユウ。ダルク。無事に帰って来て……」
「ユウが行方知れずになって三日目か……」
黒狼族の戦士が暗い一室でテーブル席に掛けたまま悠然と構えて言った。
古都の雰囲気に呑まれるでもなく、今し方出て行った者を見送ったばかりのようですらあった。
「ガルフ、何を悠長に構えているのですか?! どうして彼らに教えてやらないのです? 事態は深刻です!」
「……」
フリッツバルドの言葉に動じる事なくガルフはテーブルに置かれた酒杯で喉を潤した。強い酒精が香りとともに鼻腔を擽る。
鬼気迫るような顔で睨む彼の眼を正面から見据える。その上で泰然とした態度を崩すことなく、ガルフはむしろ口の端を上げた。
彼がよく見せる癖だと知るフリッツバルドだが、まるで挑発されるような態度に語気をあらげた。
「ユウが何故、シュリ姫と知己を得たのかは分かりません。しかし、彼がシュリ姫を助けるべく迷宮へ入ったのは明らかですよ!」
いい加減にして下さい、と更に迫る魔法使いを相手にして双剣使いもまた一歩も引かない。
互いを知る二人の遣り取りに第三の男が割って入った。金獅子族の先代族長でもあるザナドゥだ。
年齢を感じさせない精悍さを見せて堂々たる男が部屋に入って来た。ガルフ達の視線もザナドゥに集まる。
「ガルフ、不味いぞ」
開口一番、ザナドゥが溜息を漏らした。
「儂だけでは抑えきれん。今はまだいいが、お前が事情を知っているのなら説明してやってくれんか? 頼む。姫様を想う気持ちは皆同じなのだ」
大柄な男が頭を下げてガルフに頼む。珍しい姿にフリッツバルドは目を白黒させてしまっていた。
獣人族の社会は、族長を中心とした部族社会だ。良くも悪くも辺境の地で中央の法律など意味を成さない。
何か問題が起こるたびに複数ある部族の長たちが話し合って全てを決める。若者たちの婚姻の許可や部族間における争いの調停、果ては決闘で死んだ者の残された遺族への補償内容などもだ。
それだけ部族長の地位は高く、その決定は重い。それが獣人族共通の認識だ。
仮にも族長を経験した者が、他の部族の者に頭を下げるなどあり得ない。其れが厳然とした部族の掟だ。
そのザナドゥが頭を下げた理由。其れは他ならぬ皇室のシュリ姫にあった。
獣人族の社会そのものである神聖皇国をひとつに纏める唯一人の象徴であり、原初の魔法を今に伝える魔法使い。
王国との和平を名目に囚われてしまった正統な皇統の姫君。その去就は全ての獣人族が 最大の関心を持って見つめている。
黒狼族の戦士にとっても皇女シュリ姫の安否は気になるのか、徐ろに口を開いた。
「……“大樹の森”に、聖なる太陽と称えられた耳長族の女王アイナノアが現れてから概ね千年が経つのだそうだ」
誰に聞かせるでもないようにガルフはゆっくりと語り出した。鋭い視線は手に持つ酒杯の面に注がれている。
「その女王が記し、編纂したとされる数多くの書物の中に”神聖記”がある」
集まった男達は物音ひとつたたないよう傾注していた。
「耳長族の中でも“森の参与”以外には殆ど知られていないらしくてな。俺も教えてもらって初めて知った」
「へぇ、誰にだろうね?」
フリッツバルドの合いの手を受けてガルフも軽口で返す。
「聞きたければ話してやるが?」
「また今度にしておくよ」
話を進めろ、というザナドゥの視線に押されて黒狼族の戦士も軽く咳払いをした。
「“森の参与が受け継いでいく書物のひとつらしいのだが、詳しくは分からない。ただ、この“神聖紀”を亡くなられた前皇妃陛下が殊の外気に掛けられていたらしい。そして、“彼”の出現を逸早く予知されていたそうだ」
「待ってガルフ。君はいったい何の話しを……?」
話が逸れたと心配したフリッツバルドが眉根を寄せてガルフに尋ねた。
「だが、当時の情勢は“彼”の出現を安穏と待ってはくれなかった」
コトリ、とガルフが手にした杯を置いた。静けさが物音を飲み込んでいくような錯覚を誰もが覚えた。
「王国との開戦。戦の最中における前皇帝陛下の崩御。長引く戦に傷付く皇国民を誰よりも労られ、何とか戦火を少なくしたいと思われた前皇妃陛下は王国との講和を望まれた……」
ふむ、とザナドゥが頷いて次を催促する。
「後は知っているだろう? 王国との講和は失敗だった」
珍しく強い言葉で話す黒狼族の戦士の言葉に、ザナドゥの体躯に熱い何かが滾っていた。其の何かに呼応するように、静かな気炎が揺らめいてガルフの身体を覆い、そして霧散した。
「……すまん。話を戻す」
酒精を振り払うように黒狼族の戦士が細く長く息を吐く。
「前皇妃陛下が召喚魔法を使われたことは事実だ。元皇宮侍女に証言してもらった」
息を呑む音が聞こえる。ザナドゥが身を乗り出さんとして集中している。
フリッツバルドもいよいよ大事かと注目していた。
「お前、やはり……」
ザナドゥの小さな呟きは誰にも聞かれる事なく消えてしまった。
「召喚魔法を使われた際、彼方の“新世界”から正義と博愛を持つ者をと願い呼ばれたのだそうだ」
魔法使いとして、これ以上ないほど天稟の才能に恵まれた方がだ、とガルフは続けた。
「ただ其の二つが……、まさか二人の人間に分かたれていたとは誰も予想がつかなかった」
「ガルフ、君の言う二人とはまさか?」
「“将軍”と“勇者”のことだ」
ガルフの言葉に反応して、フリッツバルドが反論する。
「ガルフ、でも勇者はしかし……?」
その結論をザナドゥが片手で遮っていた。余計なことを差し挟むなとばかりに。
「前皇妃陛下は二人の召喚で魔力を使い切り、倒れられたというのが皇国民に向けた話だが事実は違う」
「どういう事だ?!」
ザナドゥが吼える。
「座れ。冷静さを欠くのなら聞かせられない話だ」
ガタン、と椅子を引き寄せ座るザナドゥをガルフが見遣る。何かを知る者だけが放つ空気を目の前の男から感じ取って金獅子族の元戦士長は黙り込んだ。
「耳長族の信仰する光の神について聞いたことはあるか?」
再び話し始めたガルフの問いに、その場の全員が首を横に振った。其の二人の様子を見てガルフは視線を落とした。
「前皇妃陛下が再び召喚しようとなされていたのは、我らが神を従えると言われる其の光の神が選んだ勇者なのだ」
「!!」
シガ・ニオの双神を従えるという異教の神の存在にザナドゥが憤る。
「前皇妃陛下が身罷られた本当の理由は、魔力の回復が思わしくなく体調が優れぬのを推して魔力を限界まで使っておられたからだ」
「いや、待ってれ。前皇妃陛下はいったい何に……? それにユウが召喚されたのは最近の筈だ。召喚したのはシュリ姫様の筈じゃ……?」
「王国の記録では100年以上前から召喚魔法は使われている。王国魔術館の魔術師たちが伝統的に関わっているようだ」
流石に機密保持の程度が高過ぎて詳細までは分からなかったがな、と黒狼族の戦士は淡々と言う。
其の驚愕の事実を聞いたフリッツバルドとザナドゥは黙り込んでいる。
これまで皇国で明らかにされなかったことだ。相応の危険を伴う調査であった筈だと理解しているからだ。
「ユウの召喚はシュリ姫様によるものだ。だが、新世界との繋がりを創る“蒼洞”を創られていたのが前皇妃陛下の御技だ」
ガルフの言葉にフリッツバルドが尋ねた。
「じゃあ、いったいユウは……?」
沈黙の後に発した言葉は二人の声であった。
「「神の使徒」」
柔らかな衣摺れの音が更紗の上で転がり、凛と軽やかな鈴の音が静かな室内に響き渡った。
「其の少年は、我らが遠く待ち望んだ者。我らに新たなる未来を運ぶ者」
陶然とした表情でガルフの声に被せたのは金糸のような長い髪を翻す耳長族の美女。艶やかな長い髪の所々に白金のような輝きが煌めいていた。
燭台を手にして一人の女性が現れる。深緑の翠に彩られた特有の民族衣装に身を包んだ耳長族のアリエル だった。
「彼の者こそは星を愛する者に連なる伝説です」
見る者ことごとくを魅了する耳長族の美女高貴なる娘が笑った。
「アリエル !」
「おお、“銀弓”来ていたのか?!」
フリッツバルドとザナドゥの声に応えるように微笑んで、アリエル は皆が集まるテーブル席へと近づく。
「大樹の森に戻った私を長老達が待ち構えていて、一族の至宝たる星の宝石に関わる大事とか言うものですから大変でした」
シャラン、と金銀で形作られた装身具が鳴る。繊細な彫金が施された耳飾りが揺れた。
「久しぶりですね、ガルフ」
「久しぶりだ、アリエル 」
火と水に調和を、とアリエル が右手を挙げて敬意を示す。
その手の中指には部族の長老たちから贈られ、“高貴なる娘”という名前の由来ともなった身分を表す証が嵌められていた。
黄金甲冑蟲の甲殻を使って耳長族の職人が作った特別な指環だ。
大陸南部の雲霧林に棲息する此の蟲は「森の宝石」と呼ばれ、あらゆる時代の権力者達を魅了する黄金の輝きを放つ。
鏡のように光る甲殻は、表面にある細かな凹凸によって光が散ったり重なったりすることで構造色という複雑な色合いの輝きを持つ。
大王の姪にあたる彼女の為に夜行性の其の蟲を求めて耳長族の戦士達が死を恐れずに夜の森に踏み込んだという逸話を持つ逸品だ。
耳長族の部族では身分を示す証として黄金甲冑蟲の甲殻で作られた指環の他にも胡琴鳥の羽で作られた“七色の冠”や暗い夜に訪れ、家人の残りの寿命を数えると云われる死番蟲の角を加工した“胸飾”などがある。その時代の長老達が選定した二つと無い品物で次代の王族の健やかな成長を讃えるのだ。
耳長族でも特に身分の高い彼女が此処にいる事実に皆が注目していた。
「久しぶりですね、フリッツバルド。それにザナドゥ様も」
どこまでも優雅な仕草でアリエル が笑う。
同じ探索組としてガルフやエルダー、フリッツバルド達と付き合いが長い彼女。彼女が微笑むだけでいつも仲間たちは元気付けられたものだ。
彼女と同行するパーティーを決める際にも幾人もの挑戦者が現れ、ガルフ達が激闘を経て迷宮探索の権利を勝ち取ったのは古都に残る伝説となっている。
「“彼の少年”についてはガルフの説明で納得できると思います」
どこまでも美しいアリエル の美貌が蝋燭の灯りに映えていた。其の冴え渡る神秘的な美貌が、夜の静けさを映していた。
パーティーメンバーとしてガルフに協力していたのだろう。久しぶりの邂逅だというのに二人の間には変わらない信頼関係が見て取れる。
そして黒髪の少年を自ら鍛え、迷宮探索を見守ってきた彼自身が最も驚くべきことを口にしていた。
「神聖記にある神の使徒こそ、彼のことだと俺は思う」
ちらつく戦乱の影。暗躍する暗黒神の使徒達。ユウのいない異世界に危急存亡の危機が迫る。
次回、第76話「暗雲」でお会いしましょう!




