第73話 戦場
お待たせしました。何度も言っててすみません!
物語を作ってる時に多々ありますが、少し話が長くなってしまって、前回分を少し書き換えてます。
ともあれ「迷宮都市〜光と闇のアヴェスター」本編の続きをご覧ください!
興奮した飛竜が怒りを露わにして咆哮する。
ビルの外壁を掴む両脚の爪がギリギリと喰い混み、破壊の痕を刻んでいく。空気が振動し、小さな破片がバラバラと落下していく。
その次の瞬間、飛竜の尻尾がビルの壁面を容易く打ち砕き、砕けた破片が大量に地上へと降り注ぐ。
「こいつ!」
ビルの外壁やガラスの破片が脅威になることを学習したのか、飛竜が更に尻尾を壁面にぶつけた。
地上にいる者が嫌がる行動を取る飛竜の本能にユウも対応が追いつかない。
上を仰ぎ見ることが出来ずに、視線を切った直後、響き渡る豪音と地震のような振動が巻き起こった。
ユウですら立っていられない揺れに事態は混乱を極めた。土埃が上がり、土くれの塊が飛び散る。
収まり始めた振動音に少年は反射的に原因を探す。
「……本気かよ?!」
顔を上げた少年が見たもの。其れは、地上に降りてきた飛竜が正面に立ちはだかる異様な光景だった。
「Kuruaaaaaaaa!!」
巨大な魔獣が獲物を仕留めんと咆哮する。
翼こそ折り畳んでいるが、其の脅威は未だ健在。
暗紅色の鱗に覆われた巨体は、地上の小さな者どもでは傷付けることすら難しいだろう。
縦に割れた金色の瞳孔がユウを捉えて離さない。睨み返す少年も飛竜の気迫に圧され、冷や汗が止まらないかのような錯覚を覚えた。
「オルタス! まだか?」
珍しく焦った戦士長の声にオルタスは彼我の距離を測る。顔を撫でる熱波が事態の深刻さを想像させた。
「ロウ様、まだ風が乱れてる。加護を与えた槍でも無理だ」
手にした槍を握りしめてオルタスが返答する。睨む視線が暴れ狂う巨大な飛竜を捉えていた。
赤熊族の一団は予定を狂わされていた。御使いのため生命を掛けて飛竜の注意を引くつもりだったからだ。
決断しなければならない。ロウの頭にあるのは御使いを助け、無事に我々の世界へと帰すこと。
耳長族との密約を違える訳にはいかなかった。
「征くぞ! 続け、戦士達よ!!」
「おお!」
一斉に駆け出した赤熊族の戦士達は前方で繰り広げられる戦場を目指す。
飛竜が何処から襲ってくるかは確かに賭けであった。だからこそ、赤熊族の一団は最も飛竜に発見されやすい集団行動をとったのだ。
御使いたるユウの危険を少しでも減らすために、だ。
だが、飛竜は何か彼らの預かり知らぬ方法で少年の存在を看破し、真っ先に襲いかかっていた。
最早、一刻の猶予も無い。
足が千切れるまで駆け続け、戦場に雪崩れ込むのだ。少しでも早く。
「駆け抜けろ! 止まるな、戦士達よ!」
息苦しさに胸が、心臓が悲鳴を上げている。
歴戦の強者達が全力疾走で少年のもとへと馳せ参じる。
距離感が近づいてくる。手にした武器を握る手に汗が滲む。其れを更に握り締めて参戦する隙を狙う。
不幸中の幸いか、飛竜の注意は御使いに惹きつけられている。今も炎の息吹を吐くのか口の端からチラチラと赤い炎が漏れている。
巨体に似合わぬ素早さを見せる飛竜に、地上から真紅の衝撃が迸った。
此方にまで届く飛竜の苦鳴に、戦士達は参戦の機会はあると確信する。
御使いが戦っているのだ。加勢に行かねば戦士の誇りが廃る。
突如として発生した地震のような地鳴りに戦士達が足元を取られるが、流石に歴戦の勇士達。冷静に対処していく。
「見ろ! 飛竜が大地に降りているぞ!」
斥候や物見の役割を持つ戦士が其の目を活かして叫んだ。
「オルタス!」
「承知」
短い会話で戦士長の意図を汲んだオルタスが手にした槍を握り込む。
呼吸を整え、投擲の姿勢を取る。幾度となく繰り返され、洗練された動きだ。
槍を持つ利き腕を顔の真横で構え、距離感を測るように一端ぴたりと止まる。
緩急をつけられた投擲姿勢に入るオルタスは軍神もかくやと言わんばかりに力を振り絞る。
気合いと共に投げられた槍は大きな孤を描いて荒ぶる獲物に的中していた。
「天と地に其の御身姿を現し給う龍王よ! 汝は一切を生み、一切を育て給う王神なれば……」
耳長族の女騎士であるカレナリエンは他の感覚器官を遮るほどに呪文詠唱に集中していた。
彼女の端正な横顔は、芸術家達の創作意欲を刺激するほどに美しい。しかし、今は額に汗が流れ、その美貌は苦悩に歪んでいる。
「神聖なる大樹の森に御坐す大いなる精霊との古き盟約に従い、我は祈願奉る!」
部族の口伝で伝えられる呪文を詠唱していく彼女だが、集中するカレナリエンは冷や汗が止まらなかった。
(そんな馬鹿な……、精霊の声が聞こえない……!)
彼女達、耳長族が新世界と呼ぶ現代日本からでは、大樹の森の精霊達に交信しようとしても反応が無いのだ。
いくら魔力を込めて精霊の声を聞こうとしても何も返って来ない。
無だ。無が、あらゆる空間を占めて魔力の伝播を妨げているような感覚だった。
(どうして……? いや、姫さまが精霊達の力を借りるように仰ったのだ。偶々この新世界が遠く、交信が難しいだけのはず!)
真摯に祈るようにカレナリエンの詠唱は流れるように滔々と紡がれていく。
大樹の森で交流を持った精霊達。其の姿に想いを馳せる。極限まで集中して聞こえてくる筈の精霊の声に耳を澄ませる。
(精霊達よ! どうか御使いを救い給へ!)
今や飛竜は地上に降りて戦いは分水嶺を超えようとしている。
戦いは飛竜側が優勢。彼女が精霊の技を使わなければ生命の危機が訪れる程に、だ。
カレナリエンの精神世界を表すなら、真っ暗な空間に一筋の小さな光明を探すようなものであった。
上下も定かでない世界で、闇夜に星の光を探すように只ひたすら詠唱を続ける。彼の世界と繋がる確かなものを信じて彼女は吟じ続けた。
暗闇の中、見逃してしまいそうな程小さく弱い何かが現れたのは正にそんな時であった。
(感じる! とても小さな、消えてしまいそうな程、か細い声。でも此れは……?)
カレナリエンも今まで聞いたことが無い種類の声が聞こえてきていた。
次第に大きくなる其の声、露わになっていく其の姿を信じられないものを見るような目で彼女は認識した。
“雷”の精霊。異世界でも珍しいとされる其れが新世界である現代日本に顕現する。
(お願い、私たちに力を貸して!)
呪文の詠唱が進む程に精霊の力が増していく。周囲の電力を取り込んで加速度的に大きくなる其の力に!カレナリエンは歓喜に震えていた。
彼女の感覚器官が堰を切ったように外界の情報を伝える。
荒ぶる魔獣は何故か御使いばかりを狙って襲い掛かっているようだ。最早、迷う時間すら惜しい。
彼女は身に纏う確かな力を信じて駆け出していた。
「アイリ、危ない!」
飛竜の炎の息吹があらゆるものを焼き、熱波が撒き散らされる。立て続けに起こる爆発にユウは前衛を勤めるアイリの身を案じて気が気ではなかった。
火事場のような熱気が二人を襲う。
「大丈夫です! ご主人様、私に構わず集中してください!」
アイリの言う通り、ユウは前衛が稼ぐ時間を利用して魔力を練り上げる必要があった。
「くっ!」
少年の体内に蓄積された暴力的なまでの魔力が無理矢理に熱と炎へと変換される。
火の魔法使いとして迷宮で戦ってきた経験が、彼女の言葉が正しいと伝えている。其の献身に報いるため、少年は再び炎の魔法を練り上げた。
赤い閃光がユウの手から放たれる。豪音を立てて爆炎が飛竜を打ち据える。
「Kuruaaaaaaa!」
もう何度目か分からない飛竜の叫び。焼けつく飛竜の鱗の匂いと霧散する炎が見せる綺羅の輝き。
互いに魔力と体力を削り合う戦いは、ますます厳しさを増していた。
地上に降りて来た飛竜は其の巨体に似合わぬ素早さで少年に襲い掛かってきたからだ。
吐き出す炎。鉄よりも硬い爪による斬撃。巨大な顎から繰り出され咬みつきなどどれもが一撃必死の攻撃となってユウを狙う。
あまりの猛攻に一度は死を予感したユウだったが、其の窮地を助けたのが他ならぬアイリだった。
焼け野原のような戦場に飛び込み、飛竜の顎の前に身を晒して間一髪で少年を助け出した功績は異世界なら値千金の働きだ。
言葉を交わす事なく、すぐさま前衛と後衛の二手に分かれて飛竜と対峙した。
互いに想い合う二人の信頼なくして、この戦いに勝利は掴めない。そんな予感を感じさせる連携が生まれつつあった。
「一度下がるんだ、アイリ!」
「いいえ、まだ行けます!」
少年の為に頑なに固辞する彼女に新たな声が掛けられた。
「アイリ殿! あとは我らに任せて休まれよ!」
ロウ様、と驚く彼女の前に赤熊族の戦士達が走り込んでくる。
盾を構え、アイリの前に盾の壁を作ってゆく。
未だに倒れたまま、もがき苦しむ飛竜を警戒する。いつの間に放たれたのか、巨体に槍が突き刺さっている。其の痛みに飛竜が混乱し、激昂しているようだった。
「加勢するぞ!」
あとは我らを壁として使ってくれ、と赤熊族の戦士長が明言する。
「いや、しかし……!」
「ユウ殿、我らが持っていた“加護の槍”は尽きた。あとは其方の火魔法しか奴には効かぬ! 此処で躊躇えば全員が死ぬぞ。ユウ殿、号令を!」
雄叫びを上げて飛竜が起き上がる。
身体の至る所に焼け焦げた跡が見える。だが、其の巨体には禍々しい魔力紋を宿しており、黄金色の瞳は怒りに震えていた。
ロウも盾を構えて前衛の列に加わるべく走って行った。
(……いや、待てよ! 他に方法は、やり方はないのかよ!)
眼前に構築された壁に少年は何を思うのか。握り締めた拳がギリギリと軋んだ。
「Kuruaaaaaa!!」
火に焼かれ、槍を撃ち込まれた首元が痛むのか、先程より獰猛な咆哮をあげて威嚇する飛竜だが、警戒してか踏み込んで来ない。
明らかに此方の戦力を測っている。だが、己に天佑があると踏めば躊躇なく襲ってくるだろう。
其の縦に割れた金色の瞳が赤熊族の戦士達の動向を探っている。
風が不意に凪いだ。其れが飛竜の巨体が跳躍したからだと分かった時には上空に飛竜の爪が迫っていた。
「危ない!」
壁となった赤熊族の一団がいる方向から金属を引き千切るような不快な音が響く。
前衛の戦列がガタガタに崩れ、一瞬で戦線が崩壊した。しかし、其れをロウの一喝で持ち直してみせたのは歴戦の勇士達だからこそか。
「下がれ! 距離を取れ!」
だが、二度、三度と襲ってくる飛竜の勢いに押されて前衛はもう崩れる寸前だ。
「構えろ! 来るぞ!」
飛竜が姿勢を低くくしたと思った瞬間、回転した巨体の太い尻尾による打撃が前衛を直撃した。
数人が一度に吹き飛び、半壊した戦列でロウが時間を稼ぐために飛竜に斬りかかっていた。
硬い暗紅色の鱗に阻まれて刃が通らないが、ロウは繰り返し斬りつけている。金属音のような耳障りな音が少年の耳にも届く。
「ロウ様!」
「来るな、アイリ殿! ユウ殿にも伝えよ!」
眼前で繰り広げられる絶望的な戦いに少年の闘魂が燃え上がった。掌に魔力を集めながら、頭は冷静に飛竜の動きを観察する。
(クールになれ! 感情的になるな、俺!)
息を細く長く吐いて気持ちを落ち着かせていく。
ここ一番の勝負どころだ。魔力も残り少なくなってきている。無駄打ちは控えなければならない。赤熊族の戦士達が食い止めてくれるからこそ、考える時間もあるのだ。
(体力はかなり削ってるはずだ。狙うなら、何処だ? 何処に当てれば飛竜を倒せる? 何処が弱点だ?)
飛竜に叩きつける火の魔法は充分に練り上げなければ効果が見込めない。
威力を出すためには魔力量と放出する魔力のコントロールが必要なのだ。
異世界で体験してきた魔獣討伐に思いを馳せる。
師匠から教えを受けた狩猟と戦闘技術は身に染み付いている。
戦いに関して素人だった自分が、探索者として迷宮に入れるまでになったのは師匠や友人達のおかげだ。
飛竜を倒すために必要な事は、もう既に知っている筈なのだ。
少年の瞳に強い光が宿る。
「翼を狙え! 地上に縛り付けるんだ!」
ユウが叫ぶ。その声に触発されたように前線の赤熊族の戦士達が雄叫びを上げて剣を抜き挑み掛かっていく。
彼らを援護すべく少年の手から炎弾が放たれ、次いで炎の壁が放たれる。
眼前に飛んで来た炎を嫌って身を捻った飛竜の側面から炎の壁が出現する。
退路を断たれた飛竜が暴れ回るが、前線の戦士達が作る盾の壁を崩せない。彼らの何処にそんな力が残っていたのかと思うほどの強固さだ。
(飛ばせたらダメだ! 今しか倒す機会はない! この機会を活かし切るんだ!!)
掌に集中する魔力の渦が赤熱して形を変えていく。
“炎槍”ーー。
魔獣を仕留めるために十分な魔力量を込めていく。
「喰らえ!」
彼の師匠は真の戦士だ。
其の戦闘技術は国軍兵士達の其れを遥かに凌ぎ、探索者としても一流の領域に在る。
常に少年の手の届かないような高みにおいて戦い、勝利し続けてきた。何処か孤軍奮闘していたように思えるのはユウ達を守るために戦っていたからではないか。
力不足の自分達を守るためにーー。
「Kuruaaaaaa!」
飛竜の巨体が炎に灼かれる。
熱風が頬を撫で、灼けつくような熱波が戦場を支配する。
強者が集い、戦う場所に来た自分をユウは感じていた。
昂る闘志、沸る魔力。身体の全てが戦いを望んでいる。
これまで経験した事の無い衝動がユウの胸を熱く焦がす。
現代日本では、およそ知ることなど無かった感情に少年の魂が震える。異世界に飛ばされ、光明神と出会い、己の弱さを知った日から彼は変わった。
其れがいつの日だったか、確かなことは覚えていない。それでも少年の中で何かが育まれてきた事は確かだ。
単純な闘争心ではない、殺戮を好む嗜虐心でもない。
真っ直ぐで直向きな闘志と決して諦めない強い心。其れが少年を一人の男へと成長させようとしていた。
「皆さん、離れて下さい! 下がって!」
ユウ達の斜め後方から掛かった声はカレナリエンのものだ。
耳長族の女騎士が風属性魔法を使ったのか滑るように駆け込んで来る。精霊の加護か、その身には風だけでなく、雷を纏い、帯電している。
遠目からでも分かる威風に戦士達が身を屈めて構えを取る。
「“赤い牙”よ、おまえの悪業も此処までよ! 討たせてもらうわ!」
閃光が迸り、目が焼き付くように痛む。耳をつんざく雷鳴が轟き、空気が振動する。
落雷に匹敵する威力の雷が飛竜の全身を打ち据えた。
背骨ごと後ろに逸らして飛竜が翼を広げる。全身に雷撃を喰らったはずだ。巨体からは燻るような煙すら出ている。
その様子を見ていたユウの頭の片隅に警鐘が鳴り始める。
(こいつ、飛ぶ気だ!)
身を捩り、此処から逃げ出そうとする飛竜を追って、少年は追撃のため前に駆け出していた。
残り少ない魔力を練り上げ、狙うは天空の王者。
少年の追撃体勢が整うより早く、飛竜は翼を羽ばたかせ、上空を向いた。
(間に合え、俺!)
赤熱した魔力の塊が上空に向かって飛び立つ飛竜の背を狙う。
刹那の間が、何時間にも感じられる熱い戦場で、ユウは己の全てを賭けた一撃を天に放った。
ようやく決着した飛竜との戦い。満身創痍の仲間たち。戦場の熱も冷めやらぬ故郷で少年の胸に去来するものは何なのか。
戦い傷付いた戦士達の心なぞ預かり知らぬ神の思惑に、ユウのとった選択とは?
次回、第74話「家族」でお会いしましょう!




