第66話 再起
お久しぶりです! 遅ればせながらも本編の続きを更新です!
コロナ禍で色々とありますが、皆様、体調にはくれぐれもご注意ください。
それから暫くは大変な事態となった。
ユウの一行はメンバー全員の負傷により事実上解散に追い込まれ、彼自身も大怪我を負ったのだ。
セスの宿屋に運び込まれた彼を待っていたのは、誰あろう眠りの森の魔法使いであるフリッツバルトであった。
有能な魔法使いは、まるで少年たちが運び込まれることを知っていたかのように手際良く怪我をした彼らを診察して、それぞれに適切な治療と回復魔法をかけてくれた。
もともと、少年の剣術の師匠であるガルフのパーティーメンバーである彼は、怪我をした少年たちを見るや無償で回復魔法を使うことを申し出てくれたのだ。そのおかげで翌日には大部分の怪我は治っていたが、魔力枯渇を起こしていた少年が全快するには足りなかった。
王国軍による襲撃事件は、こうして一見して収まったかのように見えた。
しかし、事態は彼の回復を待ってはくれなかった。
同じ様に少年を待ち構えていたのはガルフを筆頭とした獣人族の氏族会議のメンバー達であり、議長ザナドゥを始めとしてユウ自身のことを改めて尋ねられることとなった。
王国が秘密裏に行った儀式魔法によって召喚されたこと。
そこで神聖皇国の皇女シュリ姫と運命的な出会いを果たし、彼女の窮状を知ったこと。助けてやることは叶わす、獣人族の医者を呼ぶ代わりに自分から迷宮へ行くことを決めたこと。
ユウが話すたびに部屋にいた周囲の大人達が騒めき、動揺するような気配を感じたが、怪我をしている身では確認することも出来ず、気不味いものがあった。
それに、仲間達の容態も気になることだった。迷宮探索の帰りを襲われ、国軍兵士達と戦うことを余儀なくされた一人であるドリスは、ムースの献身によって幸いなことに軽傷で済んだ。
だが、ムースに至っては彼女を庇い、無数の打撲や擦り傷に加えて左腕と左脚に斬り傷を受けている重傷なのだという。
少し遅かったなら生命が危ぶまれたほどに、だ。
まだ絶対安静であるが、なんとかムース達の回復を成し得たのもフリッツバルトの妙技のおかげであった。
だからこそ、少年は見舞いにも行けない自分の不甲斐無さを悔やんだ。
無言で握り締める拳に力が篭る。まだ強い倦怠感が残る身体にユウは歯噛みするしかなかった。
(俺が強ければ、この結果は変えられただろうか?)
幾度となく胸の内に湧いてくる疑問。
(この世界は弱肉強食。強い者の正義だけが罷り通り、弱い者は何も守れない……)
そっと触れる指先には冷たい鉄の感触があった。
初めての敗北に代償として支払われた己の自由。これが何を意味するのか分からないが、少年の目は既に前を向いていた。
立ち止まってなど、いられない。
自分の未来は、どうやら戦いの末に勝ち取らなくては掴めないもののようだからだ。
(考えろ、俺! この危機を好機に変えられるのは俺しかいないんだ!)
異世界に召喚され、戦いに身を投じた少年は決意する。
必ず勝利をもぎ取って現代日本に帰還すると。家族の元に帰るのだと。
(この借りは、いつか必ず……)
ユウが獣人族の者達に質問攻めにあっている時から、少年の傍らには常に黒狼族の少女の姿があった。
ユウのために甲斐甲斐しく世話をする彼女の姿を見て大人達も何も言わなかった。
ガルフを始め、氏族会議に来ていた族長達も彼女の存在を認めていたくらいだ。
今もユウの身を案じて、ずっと彼の傍らに付いている。少年が怪我のため迷宮前の広場から運び込まれるまで、付きっきりで看病し、側にいた少女。
ユウもアイリにだけは強く言えない。不思議と側にいられても気負いなく接することが出来る少女であった。何より、こんな自分のため涙してくれた彼女の顔が脳裏から離れないのだ。
今はまだ何もできない身だが、と彼は思う。
それでも自分が現代日本に帰る前に、彼女に何かをしてあげられればいいがとユウは考えていた。
「結論から言うと……」
こめかみを抑えながらフリッツバルトがガルフに話し出した。
彼の座る机の上には書き殴られたような幾つもの複雑な数式と何かを分析しているかのような計算結果。古い魔術用語などが何枚にもわたって綴られていた。
恐らくは彼の本来の仕事が終わったのだろう。フリッツバルトのいる部屋には今や十数人もの獣人族の重鎮達が居並び、今や遅しと彼からの説明を待っている状態だった。
「この“契約の首輪”を作った人物は悪魔の心を持った奴だよ」
「……どういうことだ?」
険しい表情のガルフにフリッツバルトが説明する。
「よく出来てるよ、これは。奴隷の首輪でも行動を制約する術式と共に契約解除の条件が魔法陣に刻まれているというのに、この首輪には其れがない。通常の奴隷用の首輪とは似て非なるものだよ」
部屋に集められた氏族の族長達が唸り声を上げる。それを冷静になれ、とばかりにザナドゥが睨んだ。
そんな遣り取りすら無視してガルフが質問を続けた。
「本当に期限や金額が設定されていないのか? 王国法でも奴隷売買に関する契約の改竄や拘束具の改造は全て違法だぞ?」
どういうことだ、と説明を求める。
「この“首輪”はね、特殊な魔法を用いて魔物が持つ魔力の波長を蓄えるようになっているんだ。魔術式にそう刻まれていたよ。恐らく解除の条件として、一定量の魔物を狩らなければならないと思う」
「金額や期間ではないなら、王国が求めているのは一体なんだというのだ?」
横合いからザナドゥが割り込んで尋ねた。ガルフも黙っているのは皆が気にしているからか。
金獅子族の鍛えられた体躯に不機嫌な“気”が乗るが、其れを意に介さずフリッツバルトは説明する。
その表情にやや疲れた顔が覗く。
「このままだと彼は御使いとしての使命すら果たせずに迷宮で死ぬということだね。この“首輪”がある限り、彼は魔物を倒し続けなきゃならない。魔物を倒し続けること。王国の狙いは其れだと思う。」
「我らの希望を迷宮に縛り付ける気か!?」
バァンと捕まれを殴打する音が響き、怒りの感情を露わにした氏族会議のメンバー達が激昂する。壊された机や椅子を一瞥して、フリッツバルトは更に続けた。
「この“首輪”の強制力が分からない以上、下手な真似はしないほうがいいと思うよ、ガルフ」
成るほど確かにな、とガルフが頷く一方で興奮した氏族の長達が声を荒げた。
「戦争だ! 王国は我らの希望を潰そうとしている! やはり融和など無理だったのだ!」
「シュリ姫さまが捕らえられているのだ。まだ早い、時期尚早だ!」
「はっ! 豹族は臆病風に吹かれたか!?」
「何だと!? 猪族の単細胞めが!」
「落ち着かれよ。諍い合うては王国の思う壺ではないか!」
獣人族の氏族長達が互いの主張を戦わせていたが、事態は好転する兆しすら見いだせなかった。
そんな折、金獅子族の先代族長であるザナドゥが低く唸るような声で言った。
「“鉄血宰相”の仕業ではないな。フン、話を聞くに恐らくはクライン将軍でもあるまい。魔術館も味な真似をしてくれる。お主はどう見る?」
「俺もそう思う。だが、あまりにも情報が足りないな」
ザナドゥを一瞥したガルフに、金獅子族の先代もまた睨み返す。
「大戦の時の最精鋭部隊だ。内部派閥までは手が回らん」
「どうしてもか?」
「厄介なことにな。“聖冠”は王の側にいるのか、目撃情報すら無い始末なのだ。昨日見た“雷汞”も情報が少ない。奴の派閥があるのは確かだが……」
「送り出した密偵が帰って来ない訳か……」
ああ、そうだとザナドゥが首肯する。
「厄介だな」
「ああ、厄介だ」
ザナドゥとガルフが互いに睨み合うような視線で意思疎通を図っているところに、周囲では氏族長達が困惑しながらも様々な意見を出し合っていた。
「早急に護衛を付けねば!」
「いや、待て。彼の護衛については“耳長族”から一言託されていたはずじゃ」
「本国に増援を要請すべきでは?」
「賛成だ。手遅れになる前に手を打たねばならん!」
「落ち着かれよ、皆の衆! “森の参与”からの託宣は無視できるものではありませんぞ!」
騒がしくなってきた部屋で、ガルフは歴戦の勇士に相応しく泰然としていた。其の目が少しだけ険しさを増した。
王国が少年の身柄を狙っていることは間違いない。其れを阻止するために獣人族が結束してことに当たるよう調整し、場を設けた。
少年自身の警護は問題ない。耳長族の協力がある上に、今は同族の娘がいるのだ。任せておいて悪いようにはならないだろうと思える程には安心していられる。
だが、とガルフは戦士の勘働きとでも言うべきものを感じて戦友に声を掛けた。
「お前はどう見る、フリッツバルト?」
声を掛けられた魔法使いの方は、難しい話は分からないよと肩をすくめて見せる。
だが、平静を装ったまま彼は徐ろに口を開いて言った。
「僕に分かるのは、首輪を嵌めた奴がユウを確実に殺しにかかってるってことだけだよ」
彼はそれだけを言うと、机上に置いていた分析結果を纏めた羊皮紙や紙類の束を暖炉に投げ込んだ。
すぐに煙を上げて燃える其れに、彼の目は向けられたままだ。揺れる炎を見つめる戦友は、静かな闘志を滾らせていた。
同日の夕刻ーー。
王国内にいる全ての獣人族達が注目する会議の最中、ユウとアイリの二人は迷宮探索へと赴いていた。
まだ倦怠感が残る身体に鞭打って、少年は或る決意を胸に迷宮へと向かった。
其れを見かねたアイリが同行を申し出て、何故か準備を終えていた彼女が直ぐに出発できますと答えたため、ユウが断る暇など全くと言っていいほど無かったのだが。
迷宮が近付くに連れ、周囲には他の探索者達も増えていく。だが、そんな些事にかまける暇は無い。
仲間達の為に、一日でも早く終わらせなければならなかった。いや、一日では出来ないことは分かっている。それでも、一日たりと無駄にしたくないのだ。
「まもなく到着です、ご主人様!」
アイリから告げられ、少年は頷いた。
まだ本調子では無いものの、これから地下迷宮へと潜り、戦わねばならない。勘を鈍らせる訳にはいかない。
(やるしかないんだ……。例え俺一人でもやるしか……!)
その声は誰に聞かれることも無かったが、ユウの心に深く響く。
誰かに依存せず、何もかも一人で責任を負い、立ち向かう。それは、これまで十数年を生きてきた少年にとっても最初の試練となることだろう。
現代日本では、まだ未成年の年齢だ。最も多感と言われる学生時代を異世界で過ごすことが、心身にどれ程の負担を掛けることか。
大人達に守られ、導かれているはずの少年が誰の助力も無く過酷な環境に追いやられ、成果を求められる。
全てを一人で背負い、それでも何とかしようと踠き続ける姿が胸に痛い。
この戦いがユウにとって人生の岐路になることは間違いなかった。
決意を秘めた少年の黒い瞳をアイリは振り返り様に密かに盗み見ていた。
(やっぱり、ご主人様は戦士の眼をしてる……)
亡き父から聞かされた部族の仕来たり。戦いに臨む戦士達が神に捧げる祈りと舞踏、そして供物の儀式。荒吐を震わせる槍を使った舞踏に、伝統の装束を身に纏う戦士達。美しい女達から神に捧げられる狩りによって得られる供物。
黒狼族の一員として守るべしと教えられた戦いの前の祭事の風景が、少女の脳裏に浮かぶ。
勇壮な戦士であることが一人前の男に求められた世界。
ようやく見つけた彼の人の横顔に、父の面影を重ねるアイリ。その想いに少年は何を思うのか。
迷宮入り口へと“鳥”を走らせるアイリは気を引き締める。
(お役に立つ時が来ましたね! いよいよです!)
僅かに口角を上げて感情を見せるアイリは上機嫌だ。
鳥の乗り方も堂に入ったものでユウと二人、いつでも旅に出れると自信を持っていた。
この“リトルモア”を手足のように扱うアイリに舌を巻くユウだったが、彼の方も直接的な衝撃が伝わる乗り味に慣れてきていた。
そうして見えて来た国軍の宿営地に、ユウの視線が鋭くなる。
昨日、敵対した勢力の真っ只中だ。兵長ベルンをはじめ多くの兵士達がいるだろう。その中にヘイリーの姿もあるかもしれない。
胸を突かれるような痛みに少年は奥歯を噛み締める。
(前を見ろ! 胸を張れ、俺! ここまで来たら、当たって砕けろの精神だろ!)
精悍な戦士のように前を睨む少年に、“鳥”達も感化されたのか野性的な走りで応えてくる。
其れを手綱を引いて抑えるユウにアイリが見惚れる。
朝焼けが収まらぬ空を背に二人は迷宮へと辿り着く。
「ドゥ、ドゥ!」
父と母から一族の手習いとして教えてもらった乗馬だが、存外、大型鳥類にも効くようだ。
華麗な所作で鞍から降りた彼女は、腰の袋から鳥に餌を与える。手慣れた様子に少年も乗って来た鳥を見る。その視線に、見返してきた鳥の視線が交差した。
横合いから鳥の気を引いた少女が餌を食べさせてやる。羽根を優しく撫でてやった後、首筋を軽く叩いてやる。
「さあ、お帰り。いい子ね」
アイリの指示に従い、鳴き声を上げると二頭の鳥は来た道を引き返して行った。
残されたのは若い探索者二人。
「さあ、気合いを入れていきましょう! 前衛は任せてください、ご主人様!」
明るい彼女の声にユウの気持ちが幾分か楽になる。
精神的に参っている筈の少年が顔を上げて歩き出す。その後ろには槍を手にした黒狼族の美少女の姿があった。
周囲にいる獣人族の探索者達からは好奇の視線が飛ぶ。十代の精神に容赦なくのし掛かる重圧。
その重圧感すら跳ね除けてユウは歩き出した。
其処にあるのは迷宮探索に再起を賭ける少年と少女の熱い闘志であった。
再起を掛けた迷宮探索。二人の未来に忍び寄る不穏な影。異世界の運命が大きな転換点を望むのか、少年の身に降り掛かる予想外の出来事とは。
次回、第67話「災禍」でお会いしましょう!




