第56話 選択
大変お待たせいたしました!
「迷宮都市〜光と闇のアヴェスター」本編の続きをご覧下さい!!
「ごめんな、ダルク。付き合ってもらって」
「おかしな奴だな。別に謝る必要ないぜ、ユウ?」
互いに理解し合う二人は側から見ても仲の良い友人と言って差し支えなかった。
探索の合間の貴重な休日を付き合ってもらったのだ。ユウとしては御礼の一つも言いたくなるのだろう。それを切符の良い啖呵で終わらせたダルクハム。
どう見ても信頼し合った仲間達であった。
「ユウ! お疲れ様。演奏、良かったわよ。それと、私とダルクは今日は外で食べて来る予定だから。よろしくね!」
言外に邪魔しないでよ、分かるわよねとドリスが言う。
最近、割と打ち解けてきたと思うユウだが、彼女としては否と言っているらしい。
「わかった。二人で楽しんできてくれ」
「すまねぇな、ユウ」
鼻先を指で掻くダルクハムも何処か照れ臭そうにしていた。もとより、二人の恋路を邪魔するつもりなど毛頭ない少年は一も二もなく頷いていた。
ユウも今は心地良い疲労感と達成感に包まれていたかった。
久しぶりの弦楽器に楽しさを感じていたのだ。長らく感じていなかった純粋な愉しみに、少年の心も満足していた。
肩に吊るす楽器の重さも心地良い。そう思うほど彼は充足感を感じていた。
その会話を近くで聞いていた獣人族の男の子が咄嗟にユウの手を取ってきた。
「ユウ! ねえ、今日うちに来て! いいでしょ?」
実はロディからご飯を一緒に食べたいと誘われていた彼だが、これまでは探索の準備を理由に断っていたのだ。それが、たった今ダルクハム達との食事は別にすると言ったばかりでは少年に断る理由がなかった。
「息子もそう言っているし、どうだい? 君にはお礼もしたい。ぜひ一度我が家に来てくれ」
「その……」
ロディの父親であるスサクからも言われ、ユウはどうしていいのか分からなかった。
(獣人族と人族って、あまり仲が良いとは聞いてないんだけどな……)
ダルクハム達から注意してと言われている身としては、行くべきか悩むところだ。
だが、ロディたち親子の親切心は本物にしか見えない。
「分かりました。お言葉に甘えます」
「やったぁ!」
幼子の喜ぶ姿を見て父親のスサクも相好を崩す。
自分の演奏が繋いだ縁をユウは不思議に思いながら、父親から借りていた楽器を肩から降ろした。
(あれで良かったのかな?)
自問する少年に、答えをくれる者はいない。
目の前にある光景を静かに静観していると、興奮気味に踊り、歌う獣人族の若者たちが多いことに気づく。
そこにいる者達の笑顔が、ユウの目に焼き付いていた。
音楽に国境は無いと言ったのは誰だったか。
初めて見る獣人族の人々の明るい笑顔や仲間同士で笑い合う姿。
良い音楽は、言葉や国境を超えて聴く人の胸を打つ。
少年にとって音楽に寄り添うそんな当たり前の光景が、この異世界の街で広がっていた。
きっと、あれで良かったんだろう。これならば平和を愛したあの人も気に入ってくれるはずだ。
少年の紡ぎ出した音色は、レスポールにも負けない音を紡ぎ出してくれたはずだ。今はそれを信じてユウは不安を打ち消すようにホッと胸を撫で下ろした。
「でも意外よね? 貴方にこんな特技があったなんて」
ドリスが心底不思議なものでも見るような調子で言った。
彼女も最近では獣人の女魔術師として名前を知られている。父親から受け継いだパキラキス戦の時に少年を助けた癒しの魔術は多くの探索者達が目にしている。身に纏う茜色のローブは彼女のお気に入りだ。愛用の白い杖と共に女性探索者の間で話題になってきている。
「まあ、その……なんだ。昔、ちょっと齧ったことがあったんだよ」
「へー、魔術の修行ばかりしてたんだと思ってたけど?」
ドリスの鋭い質問に少年の心臓がギクリと跳ねた。笑って誤魔化そうとしていたユウを後ろから呼び止める声が聞こえてくる。
「ねえねえ、お兄ちゃん! これ見て!」
「え?」
べちゃり、と少年の頰に冷たい感触があった。
「お前、それ……!」
笑うダルクハムの様子にユウもやられたんだと知る。
見るとロディの友達だろうか、白犬族の男の子が食虫植物のような花を手にしていた。
アルラウネという植物の魔物だ。森林の中などで潅木の側などに群生している魔物で、弱い毒素を持つものの人族や獣人族には危険は無いため、主に子どもたちの遊び相手になっている。ウネウネと動く蔦のような緑の葉と、赤い厚みのある花弁にヨダレのような蜜が垂れているのが特徴だ。
その男の子の後ろにいるロディも悪戯が成功して笑っていた。
獣人族の子どもの間で流行っている遊びのひとつだ。ユウも其れが分かったのか悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「やったなぁ!」
嬌声をあげて逃げ始める子どもたちに、少年が追いかける。ダルクハムも混じって近くにいた子どもたちと追いかけっこが始まっていた。
「ちょっと、なに二人とも子どもみたいに……!」
トントン、と肩を叩かれたドリスが振り向く。
べちゃりと鼻に赤い花弁をつけられたドリスの表情が消えた。魔物の葉と花弁だけがウネウネと動いていた。
「こらーっ!!」
怒ったドリスが参戦したことで、周囲にいた女の子たちも含めて子どもたちが更に集まっての追いかけっことなった。
その後、まるで猟犬のような俊敏な動きを見せた彼女に捕まえられ、窘められる一幕があったのは余談である。
両手を胸の前まで挙げて降参のポーズを取る少年に、ドリスは腰に手を当てて更に要求していった。
「なら、この後は遅くならない程度にしてね。ダルクも一緒に行くんでしょ?」
「お、おう……」
ユウは何でロディとした遅めの昼食だけでなく、スサクとの約束事を彼女が知っているのか疑問に思ったが、聞いても詮無いことと頭の片隅に追いやった。
実際、その理由を詮索する暇も無く、甲斐甲斐しく世話を焼いてダルクハムを送り出すドリスや他の子どもたちに見送られ、ユウはその場を後にした。
昼下がりの晴れた午後のひととき。アンガウルの街はいつになく穏やかな時間が流れていた。
久しぶりにダルクハムは街中へと出かけていた。
まだ陽は高いが、商人たちは商いに勤しんでいる時間帯だ。街の主婦層や貴族家のメイドたちを相手に様々な品物を売り込んでいる様子が見えてくる。
久しぶりの休日に街を散策することにダルクハムも浮き足立っていた。
腰に剣を佩き武装こそしているものの、心が軽くなっている様子が見て取れた。探索者の出で立ちだというのに尻尾がフサフサと揺れている。彼の機嫌が良い時の癖なのだとドリスなら言うかもしれなかった。
そんな彼は先を急ぐかの様に意識も目的地へと向いていた。幼馴染みのドリスが待つ店へと急ぐためだ。
探索に明け暮れる中、いつも自分を信じて付いて来てくれる彼女はダルクハムにとって今や単なる幼馴染みの女の子というだけではなかった。
いつのまにか大切な存在へと変わっていたのだ。その彼女との約束を守るべくダルクハムは急ぎ足で街を歩いていた。
屋台が出ている路地に入ると人混みにぶつかったのは、そんな時だった。
トン、という何かにぶつかった拍子に誰かがダルクハムを追従した。
路地を抜けようとしていた織物商が大きな籠を抱えていた。
其れを目にしたダルクハムの視界の外から不意に悪意が滲んだ。街角を駆け抜けていくダルクハムの肩を何者かが掴んだ。避ける間も無い完全な早業に、ダルクハムの警戒心が跳ね上がる。
驚いても即座に反応して腰の剣を抜く彼の手を襲撃者の手が制した。
何かを言おうとしたダルクハムの口を何者かが塞ぐ。
(こ、こいつら……! いったい何を!)
いつのまにか身じろぎすら出来ないほどに拘束されたダルクハムは眼を見張る。人族らしい影が視界に映っていたからだ。
腕を掴まれ強制的に移動させられ、裏通りへと投げ出される。路地に倒されたダルクハムがピリピリと肌を刺すような感覚に首の後ろ付近を撫でる。
「……!」
「キャンキャン騒ぐなど煩い犬だ。此処は人族が統べる王都だ。無駄に吠えるな」
「な、んだと……!?」
襲撃者の顔を見たダルクハムが息を飲んだ。
「ほんと躾のなってない犬ね。矯正が必要かしら?」
軍の関係者と思しき者達が路地裏で自分を見ていた。王国軍の騎士服を着た人族がこちらを見ていた。
冷ややかで敵対的な目がダルクハムを見下ろしている。いづれも金色に輝く髪と青い瞳を持つ人族だった。雰囲気から青い血を尊ぶ貴族に連なる者だと分かる。二人組はどちらも獣人族に対する差別意識を隠すつもりもないように吐き捨てるように言った。
「閣下の前だ。平伏しろ」
男女二人組の騎士の後ろに、ダルクハムは見たくもない筈の男を見てしまった。
「久しぶりだな」
「ク、クライン将軍……!」
獰猛な野心家の顔を見せる王国軍の将官。この国に数人しかいない将軍職の男が其処にいた。
金髪を短く刈り込み、鍛えられた体躯を誇る軍人然とした姿は威圧感を与えるに十分だった。青い血脈を尊ぶ貴族階級出身にありがちな他を睥睨するような昏く青い瞳は、冷酷そうな光を宿している。
派手な金糸の刺繍が入ったマントを着用しているものの、その下には金属鎧が見えている。完全武装した軍の将官を前にダルクハムは困惑していた。
ダルクハムが知るこの男は敵対する者に容赦無い男だったが、目の前の姿は更に冷酷さが増したようにみえる。
金属鎧を身に着けたクラインの身体には、小さいが確かな血痕が付着していた。其れと相まって昏い笑みを浮かべる彼に薄ら寒いものを感じてダルクハムは後退った。
「相変わらず獣人族の臭いは我慢ならんな」
鼻を手で覆うような仕草をしながらクライン将軍が話す。
「だが、今日の俺は機嫌がいい。少しばかり大目に見てやる」
だが、余計な話しは抜きだと前置きして男は話し始めた。
「此処には何をしに来たのだ? 迷宮入りで名を上げるつもりか?」
「……」
答えないダルクハムの態度をどう思ったのか、クライン将軍が話題を変えた。
「あの小僧のことをどこまで知っている?」
「……小僧? いったい誰のことだ!?」
答えたダルクハムの左頰に衝撃が走った。自分が殴られたんだという事実に、彼は痛みでもって気付かされることになった。どうやら完全に騎士達の実力は彼より上のようだ。
「口の利き方に気をつけろ。下郎が!」
男の騎士が吐き捨てるように言った。手が握り拳を作っている。
「な、何を……!?」
まだ混乱する彼の意識を逆撫でするように血の味がする。どうやら殴られ口の中まで切ったらしい。
「閣下の質問に答えろ。それがお前に許された唯一の選択だ!」
二人組の騎士達の態度が硬化する。女の方は腰の得物に手を掛けている。何かあれば斬り殺すつもりだとダルクハムは窮地を悟った。
「難しい話ではない」
クライン将軍がゆっくりと話しかけてくる。供をする二人組の目は侮蔑を含んだままだ。緊張感を孕んだ気配にダルクハムの首筋の毛が逆立つ。
「お前に、ひとつ頼み事をするだけだ」
相手の言葉を聞き、ダルクハムは言質を取られないように気をつけながら答えた。
「……頼み事?」
そうだ、とクラインが首肯する。昏い瞳に影が差した。
「お前が知っている“ユウ”という名前の小僧を迷宮で始末しろ」
「!!」
あり得ない話しを聞かされたかのようにダルクハムが目を見開いた。
「そんなこと、出来る訳がない!」
「何故だ? 間抜けな新人探索者が迷宮で一人死ぬだけだ。問題など無いはずだ」
クラインもダルクハムに反論されても声を荒げることはしなかった。むしろ言い聞かせるような口調で続けた。
「やれるな?」
「あいつは友達なんだ! 俺の、俺の友達なんだよ!」
クラインの昏く青い瞳がダルクハムを見つめる。その闇が深さを増した。
「俺が話しているのは“人族”の男だ。獣人族じゃない」
「できねぇ……。あいつを裏切るなんて、俺にはできねぇ!」
倒され傷つけられているというのにダルクハムの主張は変わらない。友人だという少年への加害行為を断り続ける。
だが、そんな彼にクライン将軍はむしろ憐憫の表情を見せた。
「お前達がものを知らないのも無理はない。だが、あの小僧はお前が守ってやる価値は無いとだけ教えてやる」
「やめてくれ……、俺にはできねぇよ!」
商家の壁に背中を付ける形でダルクハムは首を振った。
王国軍人達の反応が変わったのもこの辺りからだった。男の騎士がダルクハムへと近づく。
「閣下への質問に答えろと言ったが?」
ズン、と鈍い音が響いた。壁際にいたダルクハムの腹部に男の拳がめり込んでいた。いつ踏み込んだのか分からない程の早業だ。
「聞こえなかったのか、この下郎が!」
殴られたダルクハムの身体が浮いていた。すぐに彼の口元から血の飛沫が飛んだ。
立っていられずに崩折れたダルクハムにもう一人の騎士が迫る。
膝で立ち、地面に両手をついて咳き込む彼に再度衝撃が叩き込まれた。背中を踏み付けられ、地面に這わされた格好のダルクハムを見下ろして女騎士が言った。
「本当に躾の出来ていない犬ね。このまま踏み潰してやろうかしら?」
ギリギリと圧のかかる足に下から苦悶の声が上がるのに時間はかからなかった。
「待て、お前達」
クライン将軍の命令を聞いて二人組の騎士達が手を引いた。そのままダルクハムの両脇側へと移動し、油断なく彼の一挙手一投足を見つめる。
「ダルクハムよ、お前は知るまい? あの小僧はな、異世界の人間だ。この世界において神の恩寵から外れた存在だ。誰が殺しても何も法に触れない。分かるか?」
起き上がろうとするダルクハムを見下ろしてクラインが話し掛けていた。その様は蛇が鳥の巣を狙う時に見せる優しさに似ていた。
「あの小僧を迷宮で始末しろ。分かったな?」
沈黙するダルクハムの手の甲を女騎士が踏み付けた。ギシリ、と手の骨が軋んだ。
「……ぐっ!」
「答えなさい。聞こえたの?」
頑ななダルクハムの態度を見て二人組の騎士達が苛立つ。
「それに小僧のスキルを知っているか? “イカサマ師”だぞ? お前が庇う価値などなかろう?」
クライン将軍の言葉にも耳を貸さず、ダルクハムは首を振り続ける。
「やめてくれ! 俺にはできねぇ……!」
絞り出すように訴えるダルクハムの声に苛立つクラインが尋ねた。
「何故あの小僧に肩入れする?」
「……裏切るような真似なんかできねぇ! 頼む。見逃してくれ!」
この後、二人組の騎士達は違和感を感じて怪訝な顔をした。何があったのか捉えることが出来ない。そんな想いが二人の警戒心を刺激してダルクハムの監視を続行させた。
クラインの瞳から光が消えていく。それまで彼の雰囲気が変わったことに、この時誰も気づいてはいなかった。
「お前は父親のことを知りたくないのか?」
クラインの言葉を聞いたダルクハムは我が耳を疑った。
「な、何を言って……」
「氏族の指導者になるべく育てられ、守られてきたお前が態々ここに来た理由は此れだろう?」
とぼけるな、とクライン将軍が口にする。
「お前の姉はどうやら誤魔化しているようだが、可愛い息子が命懸けで迷宮入りしたと聞けば母親はどう思うかな?」
「お袋たちは関係ない!!」
抵抗し、立ち上がろうとしたダルクハムを女騎士が押さえ込んだ。
「お前が氏族の長老達を騙してまで此処へ来たのは何のためだ? 父親の死の真相を知りたいがためではないのか?」
「なんで、そんなことまで……?」
クラインの瞳に黒い影が過ぎる。不吉な予感を感じさせる其れは誰の目にも留まらななかった。
「よく考えて選べ。お前に残された選択肢は少ないのだから」
その頃、同じアンガウルの街の一画でダルクハムを待つ人物がいた。爽やかな新緑をイメージするような色合いなワンピースに身を包むのは、彼の幼馴染みの女の子であった。
彼女はダルクハムが好きな肉料理を得意とする店でひとり先に来店していた。
「まだかなぁ、ダルク……」
彼女の手元には小さな包みがあった。彼に手渡す予定の品物だ。彼が気に入ってくれるだろうかと悩み抜いて選んだものだ。
二人の小さな記念日を祝うため、彼女は待ち続けていた。
その未来に潜む逆運という名の悪意に気づかぬまま、ささやかな幸福が訪れることを信じて。
普段と変わらない探索行の中で、何者かの視線が纏わりつく。昏い闇の奥から湧き上がる其れは誰の憎しみなのか。一行を狙う悪意にユウ達は翻弄される。
次回、第57話「憎悪」でお会いしましょう!




