第49話 変化
少し早くなってきました! いや、前が遅いし。という訳で、最新話です!
「昨日は遅くなったですね?」
歩きながら話すドリスの問い掛けにダルクハムが応える。足場を固めるように進む一行は迷宮中層を攻略するため、出陣中だ。
「ああ、すまねえ。ユウと色々とな?」
いきなり話を振られた少年はドリスの顔を見ていない。素知らぬ顔で街の朝方の景色を見る振りをしていた。
「美味しいもん食べてたなら、今度は一緒に連れてって欲しいだ」
ムースが無邪気な笑顔でダルクハムに頼んだ。大柄な獣人族の彼は食欲旺盛だ。
「ああ! 今度、一緒に行こうぜ!」
それは私も行くです、とドリスが叫ぶ。ダルクハムに連れ添うように歩く彼女のほうもブレない。今日も若い探索者達は平常運転だった。
(そういえば、結局、あの娘は奴隷として売られたんだよな……)
ふとした時に思い出される耳長族の美姫。まるで悪戯が成功した時のような無邪気な瞳と、金糸のように豪奢な髪が印象に残っている。
それに、と少年は思い出す。
(あれって、何の意味があるんだ? 本当に俺のことなのか……)
彼女は言った。少年のことを“天の御使い”だと。
彼女は耳長族の伝承にでもある何かと異世界人の自分とを混同しているのではないかとユウは考えていた。
(やっぱり、俺だけ違うんだよなぁ……)
異世界たる場所へと呼ばれた己は、やはり此処では異物なのだろう。そんな自分にできる事を探して、迷宮探索に足を突っ込んでいる。
充実した日々の陰で知った、虐げられている亜人達の現実。
今でも思い出す狐人族の女性のこと。
路地裏で出会った黒狼族の姉弟のこと。
そして、自分をこの異世界へと召喚した不思議な瞳の少女のこと。
怪我は大事なかっただろうか、と心配がユウの心を締め付ける。
自分が迷宮に入る理由となった美しい少女は、今どうしているだろうかと考える。胸の中にある深い部分で、温かい何かを感じてユウは不思議と安心感を覚えた。
(やっぱり、あまり時間は無いかもなぁ……。ホント本気かよ)
少年のため息が消える頃、四人は迷宮の近くへと到着した。
四人が軍の宿営地の中心部に来ると、彼らもさあ戦闘かと昂ぶるようだった。周囲には他の探索者達の一行が思い思いの装備で同じように乗り込むところだった。
ダルクハムも着込んだ革鎧の着心地を気にしていたし、ムースも彼専用に調達した大斧をしきりに気にしている。
ドリスも愛用の杖を手に、やる気が漲っているようだ。
そんな彼らに横合いから声を掛ける者がいた。
「ユウ殿」
兵長が迷宮の入り口付近で待っていた。連れの兵士達は彼の部下らしかったが、全員が全員、歴戦の強者に見える。彼の権勢が伺える絵面だ。
今日も探索行とは順調ですな、とベルンが褒めそやす。
朝から胡散臭い笑顔を見せられてユウ達は警戒した。
「探索者仲間はおいそれと増えぬでしょう。これは私からの心ばかりの付届けと思い、お納め下さい」
ベルンが言うが早いか、彼らの後ろにいたらしい小柄な探索者が進み出て来る。
その顔に、その肢体に見覚えがあった。
目の前に出て来たのは、昨夜の奴隷市で見た兎人族の美少女だった。
以前、お話ししたように迷宮も中層以降は危険度が増しますぞ、とベルンが言った。その声が少年の耳にまともに入らない。
面食らったように少年は呟いていた。
「……確か、ヘイリーって名前だっけ?」
「はい、よろしくお願いします! 精一杯、頑張ります!」
もう名前を覚えてもらえたようだ、と兵長が笑う。王国の宰相の部下である筈の彼が仕組んだ甘い罠は、こうしてユウの足元へと仕掛けられた。
しかし、件の美少女はと言えば軽装に短剣を腰に履き、いかにも斥候職という出で立ちだ。探索行きに付いて来ること前提で準備していたに違いなかった。
そのヘイリーが笑顔になる。くるくるとした赤い瞳が愛らしい。小柄な身体は細くしなやかで、出るところは出ている見事な肢体だ。頭の上の長い耳はぴこぴこと動いて、白い毛並みが柔らかく跳ねていた。
ダルクハムは既に昨夜の事を思い出してか、鼻の下が伸びている。友人には頼めないと思い、少年はベルンを止めようとしたが上手く言葉にならなかった。
「ちょっ、ちょっと待ってくれ!」
「兎人族は、良い斥候になりますぞ。では、良い探索を」
半ば押し付けられる形で、ユウ達の一行は新たな仲間を得た。
当惑する少年を他所に、当の美少女はダルクハムやムースに挨拶して回っている。その光景を見ていたユウの背後からは、まるで地の底から響いてくるような声が聞こえてきた。
「ユウ。新入りには、きっちりと序列というものを教えるです」
「え? なんで俺が……」
強迫するドリスの勢いに押された少年は聞き返すのが精一杯だった。
「教えるです!」
「お、おう……」
少年を睨む目つきに只ならぬものを感じて、ユウは首肯するしかなかったのは余談だ。
そんな遣り取りから暫く経つ頃、ユウ達は迷宮で新たな階層の攻略に取り掛かっていた。
「いるよ。この先に中型の魔物が二匹」
動いてないから奇襲できるよ、とヘイリーが言ってくる。
彼女の長い耳が小さく小刻みに動いている。音と気配を頼りに探っている姿は、どうして一端の探索者の其れだ。
その言葉に前衛を務めるダルクハムが頷く。同じ前衛の少年も半信半疑で同行する。
タイミングはダルクハムが、援護を少年が受け持つ。足音を殺して進む二人の前に僅かな影が見えた。
「Uoooooooooーー!!」
「炎よ!」
ダルクハムの突撃に合わせてユウも魔法を顕現させる。暗闇の中、赤い輝きが勢いよく吹き出す。
黒い体毛を持つ隠密型の擬態に長けた脚長後家蜘蛛が炎に炙られ叫び声をあげる。気味の悪い声が迷宮内に反響して、少年達の聴覚を翻弄する。
「こんなとこに隠れやがって! 分からねぇだろうがよ!」
「気をつけて! ダルク、あれ毒持ちだから!!」
ドリスの声に考え無しに突っ込んで行ったダルクハムの尻尾が逆立つ。
勇敢な男達が距離を取ろうとしたところへ短弓の矢が飛ぶ。毒蜘蛛に突き刺さる其れは、後方からの援護射撃だ。
「助かる! そのままドリスを頼むぜ!」
「任せて!」
探索者仲間として十分な活躍をしてみせる彼女が活き活きとした表情を魅せる。
当初せ少年達の一行は前途多難を予想させたが、その後、快調に迷宮中層を攻略していく。
其れは、新たに斥候職を得て彼らの取り得る戦術の幅が広がったことに起因するのは誰の目にも明らかだった。
その日の夜、ユウは剣の師に呼び出されていた。
その宴席で、少年はガルフに迷宮攻略の状況や新たな仲間となった兎人族のことなどを話した。尽きぬ話題に時間を忘れていた少年は、ふと或る疑問を口にしていた。
「獣人族も一枚岩ではない」
ガルフは重い口を開いて少年に話し出した。
「我らの歴史は闘争の歴史だ。野生の本能に根差した序列にこだわる闘いの歴史だと言える。有史以来、遍く大地の隅々で種族ごとの争いが絶えた試しは無い」
酒杯を片手にガルフは獣人族の歴史の一節を引用していた。
「中には強い者に阿るしか生きる術を持たない種族もある」
兎人族が其れだ、とガルフは告げる。少年の方を見ないまま、手にした酒杯を呷る。強い酒精の香りがした。
「生き残るために自ら主人を求める者たちもいる。しかし、彼らを責めるな。必要だからこそ、なのだから」
これまで、幾らかの差別を目にしましたと少年はガルフに話した。痩せて身寄りの無い子どもが虐待を受けるようなこの世界の理不尽を何とかしたいと。
真剣な表情で尋ねる。
「……俺には、何もできませんか?」
「ああ、無理だ」
「!!」
あまりにストレートに返された返事に少年は衝撃を受けた。しかし、それは種族の特性故の事実であった。少年を傷つけるためでは無い。
「其れは君主として立つ者達の仕事だ」
気持ちは分かるがな、と師匠が笑う。獣人族の国の為政者に良い君主は大勢いたのだろう。だが、彼らでさえ手放した問題だと師匠は言う。
だが少年は、現代日本で言うならば教育こそ問題解決の鍵になると思うのだ。
「ユウ。例え理不尽な現実を目にしても一々気にしていては、お前自身が保たない。全てを救ってやれると思うな。もともと獣人族の問題なのだ。其れでお前が倒れては本末転倒というものだ」
「⁈」
ガルフが珍しく身を乗り出す。
「お前には何か為さねばならぬことがある。違うか?」
少年の心臓がドクンと跳ねた。核心を突く問いは、ユウの心にさざ波を起こす。
「其れが何かは分からん。だがお前が本気でどうにかしたいと望むなら、好きにしろ。信じて進めば自ずと道は開かれるだろう」
「え? さっき反対しませんでしたか?」
黒狼族の戦士は酒杯をもう一度呷るとユウに告げた。
「回り道をしたほうが早く解決することもある」
そう言ってガルフは口角を上げた。
図らずもユウは師匠から背中を押された。この時のガルフが少年の考えを見抜いていた訳でもなく、少年がガルフに諭された訳でもなかった。
ただ、少年の心に何か強い原動力のようなものが奮い立つ契機となるに十分ではあったのだ。
(この異世界に蔓延る亜人への差別、か……)
少年は知らず身慄いする。
(差別を無くす方法……。頭を使えよ、考えろ、俺! “彼”のいた国でも人種差別はあった。でも、そんなのは男のすることじゃない。この世界で俺にできる事があるはずだ! そうだろ、俺!)
光を宿した瞳が少年の意思の強さを示す。黒曜石のような瞳に不断の決意があった。
それでも、問題は大きく根が深い。
(俺一人だと出来ることには限界がある。問題が起きる原因か、問題の本質を掴むことが必要だよな……)
街に出るか、とユウは呟く。其れを聞いたガルフが何事かとばかりに目で追っていた。
彼の行動力には際限が無い。少なくとも、この異世界の常識に囚われることはない。柔軟で自由な発想をする少年が周囲に与える影響力を正しく推し量れる者は誰もいなかった。
「どうかなされましたか、お姫様?」
ふと、彼女が仕える皇女の様子が気になり、フェルネが尋ねた。勿論、彼女が仕える皇女とはシュリ・ロンド・エス・フローレシエンシスのことだ。
「……なんでもありません」
珍しく機嫌が悪い皇女の様子を見て、フェルネは疑問に思う。
鼻筋の通った横顔も麗しい美貌の皇女であるシュリが、何かに執心していることが珍しいからだ。幼少の砌から皇女としての英才教育を受けてきた彼女は、滅多なことでは感情を露わにしない。
そう在るべきと、フェルネ自身も諭してきたのだ。
その皇女が珍しく不満気な顔を見せていることを感心半ばに注視していた。
その視線の先で麗しい皇女が思案顔をしている。
(此処へ来て、あからさまな助成を申し出るなど不審の極みではないですか! 何故分からないのでしょうか?)
彼を非難するシュリが口を結ぶ。少し怒った表情さえも可憐な美しさを感じる。
美しい氷色の瞳が凛とした威厳と気品に満ちていた。
(それに……。どうして彼女までいるのでしょうか? 大森林で既に滅びを受け入れた筈の、真の耳長族の末裔が……)
悪足掻きでしょうか、とシュリは思う。
しかし、それならばとも思う。
なぜ、彼女は私が呼び出したユウのもとへ馳せ参じたというのか。何を狙って行動したというのか。しかも奴隷に身をやつしてまで。
耳長族の一族には神の託宣を聞く星の名を持つ娘がいる。今代の巫女である彼女が神意を聞いたのだとしたら、シュリでも窺い知ることは出来ない。
答えの無い問いにシュリ自身もじれったく思う。
(彼の未来に障るなら、キツく糾すことも必要でしょうか……? しかし、私にそのような権利は……)
シュリの筆で履いたような形の良い眉が歪められる。口元に当てる手指の動きさえ艶めかしい。
思い悩み、美しい顔を曇らせるシュリにフェルネが声をかけた。
「お姫様? やはり何かありましたか?」
「なんでもありません!」
思わず声を荒げた自分に、シュリ自身が驚く。
そして自己嫌悪に俯く曇り顔もまた美しかった。
あまり見たことのない彼女の様子に、フェルネも他の侍女たちも関心を持っていた。
側仕えの侍女達がフェルネの元へと寄ってくる。その内の一人が上奏する。
「まあ。お姫様の御様子は、まるで恋煩いのようではありますまいか?」
「!」
まあ、恋煩いと声に出すフェルネに麗しい皇女がムキになって否定する。
色白の頬を朱に染めて、シュリが違いますと否定する。
その様が何故かフェルネ達の琴線に触れてしまったらしい。甲斐甲斐しく皇女の世話をする彼女達からシュリが解放されたのは、暫く経ってからのことであった。
ユウの心に芽生えた新しいもの。其れは差別を嫌う切なる願いか。友人達が蔑まれる現実に少年は一人叛旗を翻す。
次回、第50話「奔走」でお会いしましょう!




