第48話 奴隷
今回は少しだけ、早めの更新です!
「迷宮都市〜光と闇のアヴェスター」本編の続きをご覧くださいませ!!
「なんだってんだ……」
ダルクハムの声が震えていた。迷宮の森で遭遇した正体不明の生物に少年達は固まっていた。
直接、目にした訳ではない。しかし、だからこそ一層の不安感が彼らを襲っていた。
空を飛ぶ巨大生物。その異様な存在感が少年達の心を凍りつかせていた。
「急げ……。あれが戻って来たら助からんぞ。お前たちを死なせたくない」
ラムジーと呼ばれた兵士が不意に話しかけてきた。
「おい、あんた何か知ってるのかよ⁈」
興奮した様子でダルクハムが詰め寄る。
「すまない。俺が話せるのはこれだけだ……」
軍の機密だ、と彼は言った。以後、苦渋の表情で沈黙するラムジーにユウ達は言葉を失った。
「先ずは街に帰ろう。とにかく、此処を離れるんだ。考えるのは後だ」
なんてこった、とダルクハムが吐き捨てた。明るく温和な性格の彼が苛立つのにも理由があった。
空を飛ぶ巨大生物ーー。
この異世界においてさえ、あれ程の威圧感を与えられる魔物となれば、その候補は限られていた。
例えば竜種である。
現代日本では竜と言えば、その特徴から西洋のドラゴンとは明確に異なると言える。欧州の文化圏で想像上の生き物と呼ばれ、神話や伝承上の存在とされ、トカゲやヘビに似た姿が各地で残されている。
もともとは、その名もギリシア語のドラコーンに由来すると言われている。
その姿形は爬虫類を思わせる体に鋭い爪と牙を持つ。体色は様々で、体表には魚の鱗を備え、鳥の翼で空を飛ぶものがあり、蛇の尻尾を持ち、しばしば口や鼻から炎や毒の息を吐く。
中には異形の大蛇の姿で地下の洞窟を住処とすることもあるという。
地を飛び立ち、空気を乱して嵐をおこし、巨大な雄牛や象さえ一息に殺す。
彼らの姿はアリストテレスの『動物史』やヘロドトスの『歴史』にも出てきている。
その他にも、この異世界では、大型の鳥類である巨鳥や竜種から別れたとされる飛竜などが候補に挙げられるかもしれない。
どちらも凶暴なうえに肉食であり、人族すら捕食することで知られ、人々に恐れられている存在だ。
この王国でも南部の火山地帯に生息することが確認されている。決して想像上の生き物ではない。現実的な脅威であった。
「急ごう!」
少年の声に導かれるように、彼らは一先ず迷宮の出口を後にした。
昼なお暗い森の中では、未知の恐怖に怯えた動物達が息を潜め、姿を隠していた。
それがかえって不気味な静けさを呼び、居合わせた一行の心境に不安の影を落としていた。
「なあ、ユウ。ちょっと付き合わないか?」
沈んだ思考の海から我に帰った少年は、声の主に反応した。
あれから宿に戻って、少年はこれからの探索行のタイムスケジュールを確認していた。予想もしなかった存在。あまりに危険な迷宮を取り巻く環境。
悪い考えばかりが湧いてきて辟易していたところへ友人が訪ねてきでくれたのだ。
いつもの態度と変わらないダルクハムに、ユウは返答した。
「何処か行くのか?」
「まあ、そんなところだ」
ニィと笑うダルクハムに、多少訝しむものの少年は後を追って宿を出る事にした。
武器は携帯して行くようだ、と友人の装備を見て理解する。これから陽が落ちることを考えて、少年も其れに倣った。
「ドリスは一緒じゃないのか?」
ユウの素朴な疑問にダルクハムが笑う。
「たまには男同士の付き合いってもんもいいだろ?」
彼女を連れ歩くには時間が遅いということなのだろう。ユウはダルクハムに了承の意を示した。
いいってことよ、と彼も笑った。二人は、そのまま宵闇の迫る迷宮都市の街へと繰り出して行った。
雑多な感じがする街並みの中には、多くの人々の暮らしが感じられる雰囲気があった。息遣いが聞こえると言ってもいいかもしれない。
夕暮れ時に街で見られる買い出しに来た女性たちや、その連れ合い。威勢のいい店主の掛け声とか、道端で遊ぶ子どもたち。
この異世界でも、人々の生活は変わらなかった。
松明の火が店の明かりとなって灯され始める。異国の街並みと、その情緒豊かな雰囲気に魅了されていた少年は、夜の顔へと姿を変える街の姿に気を取られていた。
だから、すぐには分からなかったのだ。少年の到着した先にあるものは、北街の中でも一番の広場がある場所であった。
その広場には、いま巨大な市が立っていた。大勢の男たちが集まり賑わっているようだ。日も暮れ始めた街の何処からか集まってきたのだろう。探索者や商人、供を連れた身分のある者達も見かけられた。
入り口らしき門の前に、これまた門番らしき大男が立っている。人相の良くない獣人族の男だ。鍛えた身体は大柄で重さも少年の比ではなかった。ユウは自身の知るマフィアの使いっ走りか何かのイメージが似合うなと思った。
「いつまでも宿でクサッてても仕方ねえからな! 俺たちはまだ若いんだ。見聞を広げなきゃいけねえ!」
「そうだな」
笑って答える少年に、友人が何故か勢い相好を崩す。
「そう言ってくれると思ってたぜ! ユウ、そうこなくっちゃなぁ!」
早く行こうぜ、とダルクハムは厳つい門番が待つ門へと進んだ。数人の供を連れた白いトーガのような着物を着た商人らしい好々爺の後ろに二人は並んだ。何故か前に立つ老人に驚かれたが、少年は気にせず待つことにした。
見ていると他にも探索者たちが入場していくのが分かる。夜の市場も面白いかなとユウは思った。
他愛のない話をしながら待つこと暫し。順番が二人の番になると、強面の門番から探索者として活動しているかと尋ねられた。特に身体検査なども無い。
「入って良し!」
促されて二人は市場の中へと進んだ。
夜の帳が近づいてきた街一番の広場に、少年は初めて足を踏み入れた。
「うひょおぉぉぉ! すげぇな。噂に違わぬところだぜ!」
何故か興奮しきりのダルクハムにユウが面食らっていると周囲の状況が変わってきた。
仕切りがわりにと置かれた背の高い鉢植えの列を抜けると大人たちの熱気が伝わってきた。
そこかしこに設えられた舞台。
篝火の炎に照らされた数多の商品たち。
逃げられぬよう首や足に鎖が繋がれている不遇な者たち。
屈強な戦士と一目で分かる男達や妖艶な色香を放つ美しい女達。
此処で売り買いされる商品とは、他ならぬ奴隷であった。
「なっ……⁈」
国籍、種族、年齢など実に様々な商品が居並ぶ商人達の前に立っていた。
(奴隷市! あの兵士長が言ってたのはこれのことか!)
内心、動揺したユウだったが、横にいるユウのおかげで余計なことを口走らなくてすんだ。
「うひょおぉぉ! 見ろよ、ユウ! 色っぺぇぞ!!」
隣にいた筈の友人は既に女奴隷達に目を奪われていた。
獣人族の美女、美少女たち。其れが首輪を付けた状態で舞台の上に数人ずつ並ばせられている。白犬族や猫人族など、愛想の良い器量好しばかりが目立つように並んでいた。
そして、彼女達も観衆がいると自ら見てもらおうとするのだ。抜群のプロポーションを活かして。
それが奴隷商人の手口だとユウは思ったが、ダルクハムは見ていてわかるほど視線が一箇所に集中している。先程から垂れ耳の犬人族の美女のたゆん、と揺れる胸に釘付けなのだ。
「来て良かったろ、な?」
イヒヒ、という擬音が似合う顔でダルクハムが下品に笑う。
同意を求められたユウも戸惑う。
(ドリスを連れて来ないはずだよ……)
あからさまな友人の態度に、ユウも力が抜けた顔で笑うしかなかった。
「たまんねー。見ろよ、あの尻! かぶり付きてぇ!」
騒ぐダルクハムを放っておきたい衝動に駆られたが、ユウにも見えてしまう。
現代日本なら半端な芸能人など歯牙にも掛けないほどの美少女たちが、見事なプロポーションを誇る身体を見せつけてくれるのだ。
自分で赤面するのが分かったと後に少年は言う。
思春期真っ只中のユウにとっても直視したい、けど気恥ずかしい、心の葛藤に悩まされる場所だった。
そんなユウが視線を晒した先に、ひとりの兎人族の美少女がいた。
年齢は少年と変わらないくらいか。ユウの目に留まったのも同年代の女の子という印象からだ。
その美貌が、ただ群を抜いているだけだ。
短めの白い髪に赤い瞳。細い身体に反して豊かな肉付き。形の良い胸や締まった足首は若くとも女の色香を放つ。
他の奴隷達とは一線を画した扱いを受けていることは明らかだった。着飾られ、美しく化粧すら施された彼女は自らの美を売り込むように身体をくねらせて踊っていた。
「この女奴隷達は探索行にも同行できるぞ! 若旦那のお供にどうだい?」
奴隷商人の部下らしい下卑た男が声をかけてきた。日に焼けた肌の色黒い男だ。
ユウ達の装備を見て迷宮に入る探索者だと当たりをつけてきたようだった。
「兎人族の女は特に人気があるんだ! 耳がいいから探索に使えるし、この美貌だ! 若旦那の夜の相手も務めてくれる」
思い掛けない売り込みにユウは言葉が上手く出てこなかった。驚きながらも目は彼女に向いたままだ。
「ヘイリーって名前だ。良かったらどうだい?」
半ば呆然としていたユウの周囲でも、商人達が積極的に売り買いの交渉をしている。
奴隷商人達も今夜の市で一人でも多く売り込みたいのだろう。ユウのような若い探索者にも惜しまず声をかけていた。
ヘイリーと呼ばれる美少女が舞台の上からユウを見つめていた。
燃やされる篝火が舞台の上を照らし出す。辺りは夕陽に染まる独特の雰囲気を感じた。
買い付けに来た商人達からよく見えるように、奴隷たちは高い台の上に立たされていた。
そこに変化が現れたのは次の瞬間だった。
ユウの目に飛び込んできた台上の変化。それは、今まさに美しい耳長族の美女が引き合いに出されてきたのだ。
その場の全員が注目していた。
見たこともない文化様式のドレスを着た美女。年の頃は二十歳くらいに見える。もっとも外国人の顔立ちは年上に見えるため、実際にはまだ十代かもしれない。
どよめきが起き、会場の熱気が高まっていく。
「おい、嘘だろ⁈ ユウ、見ろよ。耳長族だ! 森の参与に連なる種族だぜ。ありえねぇ……」
ダルクハムも驚いた顔をして告げた。
後で知った事だが、耳長族は森から出ることが少なく、例え獣人族でも彼らの姿を見ることなく死ぬ者も少なくないのだと言う。
つまり目の前の此れは訳ありのことなのだ、と友人は言った。
「もし、其処な御方……」
彼女の声が不意に聞こえた。頭の中に響いてくるような美声にユウは驚く。
「汝、天の御使いよ。妾の名はエルミア。見知りあれ」
話しかけたのは絶世の美女。煌めく金髪に澄み渡る青の瞳。白磁のような肌を持つ耳長族の娘であった。
少年を見つめる瞳が、悪戯が成功した子どものような、探し物を見つけた時のような好奇心に満ち満ちている。
会場の興奮は二人の邂逅を他所にどこまでも高まっていた。
「エル、ミア……?」
ユウの声を聞いたエルフの美女が花が綻ぶように笑う。眩しいほどの魅力的な笑みにユウは酔ってしまいそうになる。
台上の奴隷達を見もせずに一人の男が観衆の前に進み出た。恰幅の良い中年の商人だった。
さあ、ご覧あれと男が口上を述べる。
「本来ならば、今夜の目玉であった筈の逸品! 偉大なる耳長族の女王、聖なる太陽の生まれ変わりと言われるエルフの美女! 陽が落ちる前にと本人からの希望で、たった今から競売する!」
雄叫びにも似た熱気の声が上がる中、ユウはエルミアと見つめ合ったままだ。
不意に彼女の視線が途切れる。奴隷商人に手を掴まれ、引き戻されたエルミアは今や熱狂の渦となった競売場の中心へと連れて行かれた。
そこから起こった出来事は、少年にとって現実感がないものだった。人ひとりが売り買いされるというのに、何故か現実味の無い感覚にとらわれてしまったのだ。自分でも説明のつかない事態にユウも困惑していた。
居合わせた男達が全財産をつぎ込んで競売に参加したが、結果、身なりの良い大商人が彼女を競り落としたようだった。
自らの境遇に関わらず凛とした気品を損なわない彼女。その瞳がユウの印象に強く残った。
その瞳が美しすぎて、ユウは現実感がないまま彼女を見送ったのだった。
「エルミア様。流石に肝を冷やしましたぞ」
白い上等な服に身を包んだ老齢の男が対面に座る美女に苦言を呈した。
この男。ユウが奴隷市に入る際に、入場門で前に並んでいた男であった。
「妾のことが噂となり広まれば、同朋を攫う輩が向こうから寄ってくるであろう」
「大王様から厳罰に処せられるところですぞ。まったく……」
好々爺の苦言をサラリと受け流してエルミアと呼ばれた美女は笑った。
「星の名を持つ娘が妾しか居らなんだゆえに。許せ」
「もとよりお供する覚悟でありますれば、このくらい何でもございません」
「うむ」
大陸南部に広がる大森林地帯の奥深く、エルフの王国における第二王女。それがエルミアの肩書きである。彼女の名前の意味するところは、エルフの宝玉、又は星の宝石である。
王女だからといって易々と付けられる名前ではない。将来における森の参与となるべく育てられているからこその名であった。
「して、探し物は見つかりましたかな?」
「首尾は上々。妾の名を覚えていただけた」
礼を言う、とエルミアが上機嫌で笑った。
「まこと我らの神の託宣の通りであった」
これだからやめられぬ、とエルミアは笑った。供をする好々爺もそれなりに身分のある者なのかもしれない。彼女の側で仕える事などおいそれと出来る訳もないからだ。
「誰かある?」
部屋着の民族衣装に着替えていたエルミアが声を掛けた。すぐに返事が返ってくる。
「お側に控えております」
「彼の御方を護衛せよ。密かに、ゆめ気取られぬよう」
エルミアから出される指示に膝をついて待つエルフの戦士は頭を下げた。
「連絡を絶やさぬよう。疾く援軍も送る」
はっ、と返事をしてエルフの戦士は退室する。その洗練された所作は場所を選ばない。誰もがそう思うほどにも映えていた。
ただ歴史を重ねてきただけでは産まれない文化の違い。彼らの種族に特有の精神が垣間見える。
「ふふっ。フローレシエンシスの姫の羨ましいことよ」
妾も共にありたいと申すに、とエルミアは嘯く。それを聞いて眉を顰める好々爺は王女にはしたないですぞと窘めた。
運命とはままならぬ、とエルミアが苦言に閉口して呟く。
大陸でも稀有な耳長族の美姫。
その瞳は少年の何を見抜いたのか。青く澄んだ瞳に映るユウの肖像は、いつまでもエルミアを魅了して止まなかった。
新たなメンバーを得てユウ達の迷宮攻略は進む。それを見守るのは彼らの躍進を快く思う者ばかりではなかった。忍び寄る不和と謀略の影。ユウの身に迫る危機に気付く者はいるのか?
次回、第49話「変化」でお会いしましょう!




