第41話 姉弟
なかなか進まない諸事情にオタオタしながら、書いてました。
大変お待たせいたしました! 「迷宮都市〜光と闇のアヴェスター」本編の続きをご覧ください!
その日、ユウの姿は茜色の午後の光の中にあった。
暮れかかる陽の光を浴びながら、少年はアンガウルの街並みを眺めていた。
初めて一人で眺める異世界の街並みは、果たして少年の目にどう映るのか。
肩を落としたユウの目に映る世界。
其処は平和でありながらも何処か危うい世界。現代日本とは違う異世界の街であった。
少年にとって今まで見て回ることもなく、よく知らないものばかりだった。実際、ユウも気が紛れればいいくらいの考えで外に出ていた。
一人になりたかったのだろう。落胆した今の彼には異世界の全てが煩わしいかにみえた。
眺める古都の街並みは質実剛健な石作りで、建物以外にも大きな通りには石畳が敷かれている。装飾の少ない建物などは少し華やかさに欠けるものの、魔物の脅威があるこの街で人々に安心感を与えるだろう。北の大地に根を下ろす人々の営みが生み出した様式美なのだろうと少年には思えた。
しかし、理解しているからこそ見えてくる違和感があった。
現代日本とは違う環境。違う人種。違う風土。
己の無力さを感じているユウにとって、改めて知りたくもない現実を浮き彫りにしてくれる情景。
日常の中にある非日常。
もう溜息も出ない、と少年は思った。
周りと違う自分の肌の色。珍しい黒髪と黒い瞳。
其れが自分を証明するものであると分かっているのに、今は酷く劣等感のようなものを掻き立てられる。
煩わしいとも違う、負に向かう何か別の感情が、少年の精神を攻め苛む。
時刻は夕方に差し掛かる頃合いだろうか。
幾人もの人々が行き交う街は次第に活気に満ちていく。道の一角には屋台のようなものが立ち始め、食欲をそそる良い匂いを漂わせていた。
様々な種族の者が行き交う通りを眺めて、ユウは或る疑問が生じることを禁じ得なかった。
其れは答えなど無い疑問。何故と問い掛けても、誰も応えてなどくれない。
見つめるでもなく、ただ目にしている異世界の街並み。
其処には、活気があるとの一言では片付けられない独特の空気感が漂っていた。人々の目は生き生きとしており、誰一人として自分のように不貞腐れた者はいない。
闇市が開かれる平民街であるにもかかわらず、だ。
そう、ユウは出かける際に敢えて一度だけ目にした治安の悪そうな路地へと踏み込んでいた。表通りから一本裏側に入った街の区間。そこには日々の糧すら満足に得ることができない者達が溢れ、行き場をなくした者達が路頭に迷い、困窮している現実があると思っていた。
だから少年は驚きをもって眺めていた。
少年がそこで感じたもの独特の空気感。その理由が、純粋に生きる為の本能なのだと少年には思えた。
厳しい土地で生き抜く人々の生命力の逞しさを目の当たりにして、ユウは言葉を失くしていた。
日差しが傾いてくるまで、まだ幾ばくかある。行き交う人々の活気もいや増すばかりだった。
そんな平民街の中にある大通りに、新たな人影が加わった。
真新しい革鎧の装備に身を固めた黒い毛並みを持つ獣人族の戦士。その影が少年の側に寄り添った。
「探したぞ、ユウ」
言葉少なに話しかけてくるガルフに少年は顔を向けた。
少し頭を下げてユウが応えた。
問うことすら億劫だと言うふうに少年は言葉に詰まった。
彼の師匠もまた多くは語らない。それでも互いに生まれた信頼が二人をその場に留まらせた。
「これをお前に渡そうと思ってな」
「え?」
見せられたものは双剣。ガルフの使う“純鉄の双剣”であった。
訳が分からず固まる少年に、戦士が笑う。
「お前が倒した大猪の牙から新しい剣を削り出した。それが思いのほか早く仕上がってな」
先程俺の手元に届いた、と彼は言った。
手にした双剣をぐっと胸元へと差し出してくる。
「餞別代りだ」
そう言って手渡されたふた振りの剣は、しっかりとした重さがあった。その拵えも歴戦の強者が使っていたものらしく風格すら感じられる。
素人目にも確かな逸品であった。
「お前の好きにするといい」
使うなり、誰かに譲るなりすればいいとガルフは笑う。
持たされた双剣に目が向いたユウをガルフは見ていた。その目が優しい光を宿していることを少年は気づいていない。
それでも獣人族の戦士は語りかける。
「この街を見ていたのか?」
その言葉が少年を気遣ってのものだとはユウには分からなかった。彼の大きな背中がユウの目前にあった。
「生きることが厳しい土地だ。此処では皆、何かに縋らなければやっていけない。誰であっても何かと助けが要ることが多い」
先達の知恵とも言えるガルフの言葉は続く。
「ユウ。お前はよくやっている。俺やセスの他にもお前を気にかけている者達は大勢いる。だが、お前に悪意を向ける者達がいることも確かだ」
だがな、とガルフは言う。
「強く生き抜く力がお前にはあると俺は思っている」
自分を信じろ、とガルフは言った。
師と仰ぐ戦士からの言葉にユウの感情が惹かれる。
だが、と自問する自分に少年は嫌気がさす。
素直に首肯できない自分が情けなくもあった。
そんな葛藤の間に、時間ばかりが過ぎてしまう。言葉に詰まったことで返答も出来ない。悔しくて歯噛みする。
少年は項垂れたままガルフの言葉を待った。
「帰ったら、美味い飯を食べるといい。明日を生きる糧になる」
ガルフはそう言うと、再度ユウに眼差しを向けた。
最後に、明日は迷宮だと言い添える。
「準備を怠るなよ」
最後にそう言い残して、獣人族の戦士は少年に背を向けた。
自分を激励するために来てくれた師匠には感謝しかない。ただ今はそれを上手く言い表せなかった。
熱い風が吹き抜けていく。
残されたユウは、また一人になった。
そう、一人なのだ。少年の心の奥底にある孤独感。拭えない其れが、澱のように溜まって感情の波を乱すのだ。
誰も知らない、何の伝も無い異世界で自分のことを気遣ってくれた人達に迷惑をかけることに耐えられなかった。
共に狩りをした友人がいた。生きる為に剣の手解きを受けた師がいた。
集まってくる人達に恩を受けてばかりの頃、自分も何か役に立つことができるのではと思った矢先に起きたのがハルディアの一件だった。
もうやめなよ。私が受けるしか、ないじゃないかーー。
ハルディアの言葉が繰り返し思い出される。
初めて会った赤茶色の髪をした狐人族の女性。探索者として生きてきた誇り高い彼女の心が、ユウの差し出した手を拒絶したのだ。
無力感に打ち拉がれた自分。
そこから逃げてきた自分。
今また、師に助けられ、それでも立ち上がることが出来ない自分が悔しかった。
この異世界に召喚され、あまりにも濃密で、あまりにも眩しく過ぎていった日々。充実した毎日が常に誰かに支えられていた結果だったという事実。気付いて初めて分かる其れは、どちらの世界でも同じではなかったか。
自由と責任の所在に似た、一見すると甘やかな香りがする罠。
自覚した過ちに少年は自己嫌悪に陥る。
それでもなお、少年の心を占めるのは助けてやれなかった獣人族の女性のことだった。
初めて誰かを助けようと行動したのにーー。
だからこそ、余計に悔やまれてしまう。彼女が受ける火審の苛烈さが、何度となく思い起こされ、ユウの心を苛むのだ。
その心象に炎が重なる。
その炎が、少年の胸の内で燻り、火となって炎となって吹き上がる。己に対する深い怒りにユウの心は荒れていた。
「ほら帰れ! 商売の邪魔だろうが!」
其れが目に付いたのは偶然だったのだろう。商売人の男が殴ったのか、襤褸を着た小さな子どもが道端で倒れていた。
倒れた子どもへ口汚いヤジが飛ぶ。子どもが握りしめていた硬貨が地面に落ちて散らばっていた。
「亜人なんかに売るもんは無いんだ。帰った、帰った!」
何を言っているのか分からない。屋台の店主らしき商売人の男が子どもを叱っている。
その子がムクリと起き上がる。黒っぽい毛並みの獣人族の子どもだ。頭の上の獣耳が露わになる。まだ十歳にもならない小さな手が落ちた硬貨を拾う。
その拾った硬貨を握る手を差し出して男に何かを伝えていた。
返事の代わりに男は再度子どもの手を払う。
「あっ!」
小さな声がユウの耳に届いた。
再び地面に落ちた硬貨に子どもの顔が歪む。
「待って! 待ってください!」
獣人族の子どもを庇って人波から現れたのは襤褸を纏った女だ。背は子どもより高いが、まだユウより小柄だった。高い声が屋台が並ぶ大通りの人混みの中でもよく通った。
「この子だけでも食べさせてくれませんか? お金ならあります!」
同じ獣人族の仲間なのだろう。もしかすると家族なのかもしれない。襤褸の外套の下に獣の耳が見え隠れしている。子どもを庇って立つ姿は、まるで母親のようですらあった。
だが背格好や声の感じから、女はまだ若く幼いようだ。
「商売上がったりだろうが! ほら、帰ってくれ!」
「お願いします! この子の分だけでいいんです!」
そう言って差し出された手は細く、弱々しかった。
邪険にされることを承知で男に食い下がる獣人族の女に、男の仕打ちは容赦がなかった。
「悪い風評でも立ったらどうしてくれるんだ? そんな端金で買えないものもあるんだよ。帰った、帰った!」
取り付く島もない態度に女が俯く。差し出した手を戻し、握り締める。女はふらつくように子どもの方に足を向けた。
おそらく厳しい旅だったのだろう。食べるものも無く、幾日か過ごしたのかもしれない。
飢えに体力を奪われて、女は碌に反論すらできていなかった。しかし、反論できたとして誰が売ってくれるというのか。周りの屋台の主人達は皆顔を合わせないように獣人族の二人から目を逸らした。
女の疲れた声が路上に溢れた。
「行こう……」
初めて訪れた街で、ユウは食べ物を売って貰えずに歩き疲れた二人の子どもを見た。横を向いた女の横顔がユウの目に映った。まだ幼さを残す十代の少女であった。
その姿が脳裏に焼き付く。
(なんで……、この子は、まだ妹より、奈々未より小さいんだぞ!)
パシャッと小さな破裂音がする。
何かが投げ付けられたのか、獣人族の子ども達が手で顔を庇っていた。卵の中身のようなものが子ども達の襤褸の外套に付着していた。
誰が投げ付けたのか、周囲の人々は何も言わない。ただ不躾な視線が集まっているだけだ。
「……うぅ」
すすり泣くような声が聞こえる。小さな男の子が泣いていた。それを庇う姉らしき少女が宥める。
ドクン、とユウの心臓が高鳴る。
炎が揺らめき、燃え上がる。
(何だよ、これ?)
ユウの中に静かな怒りが吹き荒れる。
人々の嘲笑が聞こえた。クスクスと陰で笑う者達の嘲笑がユウの耳にこびりついた。
湧き上がる怒り。少年にもそれを抑えられない。
(こんな、子どもに何の真似だよ⁈ 何のつもりだよ!)
次の瞬間、立ち上がる二人に石が投げられた。肉を打つ音と少女の悲鳴が聞こえた。
堪らず倒れ込む少女に男の子の方が言った。
「お姉ちゃん!」
再び投石される二人は逃げる体力も無いのか、その場に蹲っていた。互いに庇い合い、抱き合ったままだ。その様子にユウの中で何かが切れた。
(……やめろよ)
二人を嘲笑う街の商人達の声が聞こえてくる。街行く人々は二人のことなど見て見ぬ振りだ。
(笑うのをやめろ!)
膨れ上がるユウの感情に、彼の魔力の波長が重なっていた。
「お前らぁ! 笑うのをやめろぉーーー!」
少年の叫びが街の大通りに木霊した。それに伴って強烈な覇気が辺りを覆う。
その直後、街から音が消えた。
辺りには顔色を変えた人々が動きを止めていた。誰もが動くことも出来ず、声を出すことも出来ない。ただただ、誰もが立ち上がった一人の少年を見ていた。
「なあ、ここは市場だろう? 食べ物に不自由してる連中がいて、明日のメシ代を稼ぐ商売人がいて、なんで金を払う幼い子供に商品を売らない?」
ユウの声が街の中に響き渡る。
「この少女が亜人だからか?」
ユウの視線が獣人族の少女のそれと重なる。
少年から込み上げる怒りが辺りを蹂躙していく。
「この少女が、俺達と何処か違うところがあるってのか!?」
大通りの隅々までユウの声が響き渡る。
「このクソッたれな世界には、まともな商売人がいないのかよ!」
ビリビリと腹に響く声に誰もが声を上げる事さえ出来ない。
彼自身にも昂ぶる感情を抑えられない。
「一緒にいて、何も感じないのかよ? 何も思わないのかよ?」
不条理に怒りをぶつける少年を倒れた二人の子ども達が見上げていた。
「わかってんだろ!? 本当は‼︎」
少年の頬を熱い涙が零れ落ちる。その様子から獣人族の子ども達は目を離せないでいた。
「違わねェ……。違わねェぞ! 亜人でも俺達と同じ血が通ってんだ!」
握る拳がギチリと鳴る。やり場の無い感情がユウの胸を焦がした。
「俺たちと一緒なんだよ!!」
叫ぶユウの迫力に居合わせた誰もが言葉を失くしていた。
ユウの視線が屋台の主人に向いた。強烈な覇気が男に集中する。今にも飛びかかりそうなユウに男は悲鳴に近い声を上げた。
少年の足が一歩踏み出される前に思い掛けない助けが入った。
「ユウ、よせ!」
獣人族のダルクハムがユウを背後から抱き留めて制止していた。俯くダルクハムの顔にも溢れる涙の跡があった。
「もういいんだ、ユウ!」
少年を羽交い締めにして制止する友人に思わず声を荒げてしまう。
「離せよ、ダルク!」
「もうやめろ! もう十分だ、ユウ!」
亜人のために怒りを露わにした少年と、其れを制止する友人らしき獣人族の青年。二人の姿は街行く全ての人々の目に留まった。
少女の目には鮮烈な印象を与えた少年の姿が今も映っていた。亜人である自分達のために怒りを隠さない少年から目が離せないのだ。
まるで長く分かたれていた自らの分身を見つけたかのごとく、少女はユウの姿にいつまでも魅入っていた。
同じ頃、ユウの姿を見つめる別の人物達がいた。いづれも王国の紋章が刻まれた鎧に身を固めた軍人。それも将校らしき人物であった。
中でも体格の良い方の男は酷薄そうな口元を固く結んでいた。ギリと歯が鳴る。
「情けねェ。あの程度の覇気で当てられやがって!」
その言葉は、一人の少年が発した威圧感に臆した露店商達に向けられていた。
罵倒したのは金属鎧を身に付けた軍の高官。気性が荒いことで有名な男であった。
「ク、クライン将軍……、そんな……」
対する市民達の態度は急速に硬化していく。この街を事実上支配している軍部の高官の登場に、皆が怯えていた。
「てめぇらに市民としての誇りはねぇのか? あぁ⁈」
ひっ、と男が悲鳴を洩らす。怯えた表情の男は膝が震えていた。
「こ、殺されるかと……」
ようやく絞り出した声は少年の威圧に完全に気圧されていた。
「仕方がないですよ。我々、戦闘職とは違いますからね」
別の声がクラインを諭す。柔らかな雰囲気と優しげな声はクラインとは全く違った。金髪と青い瞳の偉丈夫だ。銀色に輝く金属鎧に青色のサーコートがよく似合っていた。
「それにしても彼がまだ生きていたとは……」
どうなんです、と銀色の騎士がクライン将軍に尋ねた。当のクラインは苦虫を噛み潰したような表情を見せた。
「始末は付ける」
「神に幸運を祈りましょう」
嘆息するように言う銀色の騎士は、少年らが去っていった方角を見つめていた。
夕焼けに染まりはじめた古都は、赤く色付いていく。
「彼は危険かな。まだ若い身で、あまりに向こう見ずだ」
騎士の呟きは徐々に大きくなる街の喧騒の中に消えた。
人間至上主義の王国で、其れは湖面に落とされた石のように何処までも波紋を広げる予感がした。
図らずも助けた姉弟との合流にユウは心を動かされる。少年のとった行動は彼の与り知らぬところで思わぬ波紋を呼ぶ。
そして迷宮では思いもよらぬ出来事が彼を待ち受けていた。
次回、第42話「中層」でお会いしましょう!




