第33話 獣人
お待たせしました!「迷宮都市〜光と闇のアヴェスター」本編の続きをご覧ください!
古都アンガウルの上等区域の一角で、とある商会の建物の中、活気のある男達の声が響いていた。
建物自体が比較的新しいことは、セスの商会が、この古都での販売網を最近拡げたことを意味していた。セスの商会は、大陸中に行商へ赴き財を成したことで知られている。一介の街商人から街間商人として成り上がり、何処へでも求めに行き、また何処へでも売りに行く。
商売を手広くやっていると言えば聞こえは良いが、国内に根を張るように続く商いの伝統に穴を穿つのは多大な労苦であった筈だ。
名うての商会が北の大地に設立した支店は、彼らの努力と汗の結晶であった。
支店と呼ぶには余りにも立派な建物は、商会の財力を見せつけるような楼閣にも見える。その立派な商会の建物の一室で、ユウたちは新たな探索の準備に余念がなかった。
「帰ったか、ユウ」
足りない備品を市場で買い込んで帰った少年たちを見つけて、パーティーリーダーであるガルフが呼んだ。荷物を纏める手を止めてユウが応えた。
「師匠、どうしたんですか? 何か準備に不足があったとか?」
「違うぞ。お前達は良くやっている。次の探索は中層に降りる予定だ。往復する時間も長くなる。必ず予備の武器を選んでおけ」
はい、と首肯する少年に手を挙げて獣人族の戦士が了解の意を示した。
歴戦の勇士たるガルフは日頃から黒色の革鎧を着込んでいる。肩幅のある背に背負う双剣は彼の存在感に華を添えていた。
身体能力の高い獣人族特有のしなやかさがあり、筋肉の隆起は力強さを示している。その魅力は彼自身の存在感を確固たるものにしていた。
鍛えられ、研ぎ澄まされた一振りの剣のような雰囲気があるのだ。
彼に心酔する獣人族が多いのも頷けるとユウは納得していた。
「市場で盗人に狙われていないかと心配していたところだ」
師匠たるガルフの声にユウが笑って反応した。
「大丈夫ですよ」
「市場には、また行くだろう。手荷物に気をつけておけ。懐や荷物を狙う輩は何処にでもいるものだ」
「そうします」
素直な少年の返答に気を良くしたのか、ガルフがユウの予備の剣を手に取る。武骨な飾りの無い短剣だ。幅が広く、握りは短めに造られている。
両手に持ち、抜いた刃を見た。真剣な表情は声を掛けることを躊躇わせた。
「悪くない。なかなかだ」
賛辞は選んだ武器が少年の体格に見合うものだということか。それとも其れに見合う負荷に耐えられる耐久性を見定めてのものか。
ガルフの向ける笑みに少年は気づかないまま、手渡される短剣を受け取った。
ガルフは次に他の若手達に声をかけた。
「お前達はどうだった? 古都は商習慣も違う。色々と手間取ることはなかったか?」
「……だ、大丈夫です。何とかなったんで俺たちだけでやれます」
「オイラは疲れた。久しぶりに街中を歩いたせいだなあ」
あ、バカとダルクハムが慌てた顔をした時には眼ざとい少年が話しの輪に入っていた。
「……そんなに歩き回ったのか? なんでだ?」
ユウの其れは純粋な興味。つまり好奇心だ。
現代日本での大型店舗やインターネット等での販売形式しか知らない少年は、むしろ初めて訪れた市場に強い関心を持っていた。
ある種、味気ないコンビニ感覚しかなかった少年は売り手と顔を合わせて直接的に交渉できることに感動すら覚えていたのだ。
「仕方ないのさ。馴染みの店も俺たちはこれから作らなきゃならないんだ」
いやいや、と少年が手を振ってダルクの説明に反証を挙げた。
「……ギルドがあるだろ?」
「あん?」
「なんだ、そのギルドってのは?」
ムースやダルクハムがその場の全員を代表して聞いた。その顔はギルドという言葉を知らないばかりか、その概念すら知らないのではないかと思わせた。
そして、その予想は当たっていた。
「え? いや、依頼の取りまとめとか素材の買取をしてくれる冒険……、じゃなかった探索者たちのための組織だろ? 無いのか?」
若い獣人族の探索者二人が顔を見合わせる。
「そんなもんがあるのか?」
「オイラ、聞いたことないなあ」
ユウの心に疑念が湧く。やってしまった感じがするが、この世界の真実に近づいたことも事実だ。
(……ギルドが無いのか? この世界は、まだそうした考え方自体が無いのか。じゃあ、まだ個人商店が乱立した状態で、相場や物価も変動しやすいんだ)
異世界の商習慣に納得したユウが一人ごちる。
「いや、すまん。変な事言ったな。忘れてくれ」
「おかしな奴だな?」
「オイラは気にしてないけどなあ」
無理矢理な話題を逸らしたユウだったが、内心は冷や汗ものだった。
この世界に無い新しい概念と組織。絶対王政らしい王国に、それを持ち込むことが何を意味するか分からない少年ではない。危険な事になるという思いがユウを慎重にさせていた。
異世界での冒険譚を書いた小説、物語などは現代日本で世に数多の作品が輩出されていた。
ユウも様々なメディアを通して知らない訳ではなかったのだ。
冒険者ギルドーー。
其れは迷宮に挑む者達のための相互扶助を目的として組織された組合だと言える。
冒険に必要な魔物の討伐といった依頼情報を地域ごとに取りまとめ、冒険者達に仕事として斡旋する。ギルド自体は討伐結果をもって地域の問題を解決し、威信を高めるとともに、その仲介料を取ることで運営資金を集めているというのが一般的な姿であろうか。
実際には多くの分野にわたる専門業務があり、冒険者向け商品の販売から維持管理、人材の雇用と教育などについても独占的な権利を有している。
例えば引退した冒険者を雇用し、初心者への教育を行うことを始めとする人材育成。
冒険に出るために必要な各種物品の販売から討伐した魔物素材の鑑定と買取。また遠方から来た冒険者のための宿屋、武具屋の斡旋などを手がける各種斡旋業と冒険者が集めてきた素材の販売網の構築と拡大。
直接冒険者達と接して依頼達成率を高める花形の受付業務など、ギルドは冒険譚には必要不可欠な存在であった。
本来なら、世に言うギルドとは職業別の組合組織のことであり、古くは中世に石工たちによる組合が最初だとも言われている。
他にも都市の成立に貢献があった大商人達が商業ギルドを結成し、特権的な集団として都市の市政に参加していた。
取り扱う商品の品質を厳しく維持する反面、価格や流通量をギルド側が独占的に決定できる組織でもあった。
ギルドに参加する者達の共存共栄を図れるという利益の一方で、閉鎖的という批判もあった組織である。
その少年の発想を関心しきりといった表情で見ている大人がいた。
「面白い考え方ですな。とてもあの年頃の少年が話したとは思えないほど現実味のある……。いや、しかし……」
口にしたのは商会の主人たるセスだ。周りの従業員達も商会長の言葉と決断を待つ。
その雰囲気がピリピリとした気を伝播させる。
「一度詳しく話したいものですな」
興味を示した商会長の言葉に数人の男達が隣室へと消えた。
「セス。勧誘もほどほどにな」
会長の挨拶など我関せずと聞き流していたガルフが言う。セスも分かっておりますとばかりに頭を下げた。
「装備を整えておけ、ユウ」
手荷物を纏めていた少年にガルフが声をかけた。
「中層から下は、いよいよ本格的になる。魔物も群れをなしていることがあるからな」
「はい」
改めてユウはガルフの偉丈夫ぶりを見た。
細身の双剣が、いやに少年の目に付いた。
ぼんやりとした感覚が少年に何かを訴えてくる。黒光りする鉄剣の鈍い輝きが、何故か脳裏を掠めた。
不吉な光だと、少年は思う。その感覚がなんなのか分からぬまま、ユウは視線を外した。
(……やっぱり、異世界なんだよな)
ユウの何気ない感慨が溢れる。
武器を身に纏う習慣に慣れない身としては、どうしても彼らの姿が映画の中の存在のような印象を受ける。
朧げな感情が齎すものは非現実的な景色のはずだった。
「ユウ、今日は俺たちもやろうぜ! 頼りにしてるぜ!」
獣人族の友人が少年の背中を叩く。
決して痛くないそれが、友からの信頼の証だと思えた。ユウの表情が柔らかくなる。
「初めて行くところは慎重に、だろ?」
「分かってるさ! それでも中層だぜ? いよいよ迷宮攻略も本格化してきた気がするからなぁ」
「分かるなあ。オイラも初めて降りた時はそんな感じだったなあ」
三人の若き探索者達が腕が鳴ると意気込む。そんな姿を微笑ましくガルフが見ていた。
年長者の視線からユウ達を見やりながら、彼もまた迷宮攻略への思索に耽ることにした。
「ところで、ドリスは何処に行ったんだ?」
そうユウが尋ねた。
「あん? 台所を借りに行くって言ってたぞ?」
「へえ」
意外な一面を見た少年が感心する。普段男勝りに自分に絡んでくる少女も、やはり年相応な一面があるようだった。
「そう言えば、なんか大きな荷物を持ってたなあ」
ムースの口振りからも少女は台所で食材と格闘中らしい。
もうすぐ昼時になる。セスの館では本職の料理人がいるのだが、市場で自分の好物でも見つけていたのだろう。此処にはいないドリスの様子を見に行くことはないが、祈る気持ちのユウだった。
「先ず、足もとに気をつけることだな」
探索開始前に大人達から指示が飛んだ。探索に不慣れな自分達を守るように出される其れに、ユウは聞き逃さないように注意を払った。
迷宮の入り口に向けた往路を少年達が歩く。
「中層になると足もとが悪い場所が多くなる。よく覚えておけよ。そんな場所で戦闘になれば、しなくていい怪我をするかもしれないからな」
前回の探索で出会った探索者の一人が、現在セスの商会が経営する宿に泊まっていた。
その縁でガルフはユウ達の探索に自分達とは違うパーティーを同行させたのだ。
迷宮攻略に様々な知識と経験が必要となる。今後の課題を洗い出すためだとガルフは言った。
「足をくじいた場合、魔物から逃げるだけで手一杯だ。仲間が怪我した時点で探索は中止してもおかしくないくらいだ」
自分の意見を聞いてくれるユウ達に気を良くしたのか話を続けてくれた。
「ムース君だったね。彼のような案内人を同行することは良い選択だな。中層だと、だいたいの道筋は案内人達に把握されている」
「危なくないんですか?」
少年が探索者に質問した。
「まさか! 金を惜しむ探索者達が帰らない程度には危険だぜ」
笑顔で言われるには物騒な話題だが、今の少年達には興味のある内容だった。
だからユウには、この複数名での行き道は時間を忘れる程の楽しさだった。
道すがら、幾人もの探索者達がすれ違った。多くはベテランの探索者であろう。使い込まれた装備品を身に付け、獲物を手に入れて帰路についている。中には身の丈を軽く超える魔物を数人で運んでいる者達もいた。
ユウ達と同行する二人の探索者は、そうした知り合いらしい何人かと挨拶を交わしながら迷宮へと歩いた。
ユウ達を見守る役目を受けたのは、グレッグとアイラの二人だった。
二人とも仲間の殆どを先の蛇神の使い戦の折りに失くしていた。
ちょうど探索者生活を考え直そうかとしていたところをガルフに声をかけられ、少年達の指導役を引き受けていた。
「いい、少しでも体調が良くないようだったら私に言うのよ?」
「はい、ありがとうです」
ドリスに女性ならではの助言をしているのはアイラである。彼女はなかなかの器量良しで、その色気と愛嬌ある笑顔で一行の雰囲気を明るくさせていた。
そんな容貌とは相反して、探索者生活は五年目の中堅でもあった。短弓と小さい盾を持ち、腰の後ろには短剣もあるようだ。
探索者生活で得た経験が彼女にそうさせるのだろう。
「アイラは頼りになる。なんでも相談するといい」
そう言うグレッグも同じく探索者生活五年目の中堅だ。彼の持つ装備も剣と小さい盾に短槍を所持している。どのような場所、どのような魔物を相手にしても戦える、生き残るための経験から得た彼らなりの知識が、彼らの準備した武器から垣間見えた。
ユウはガルフが自分達に何を教えたかったのか、分かる気がした。
グレッグ達に質問しながら歩く時間は、意外と短く終わった。それ程に楽しく充実した時間であった。
いつしか彼らの眼前に巨大な一枚岩の山が聳えていた。
王国兵士が管理する迷宮の入り口に差し掛かっていた。一行が迷宮へ踏み込もうとする頃、少年達の後方に一人分の人影が動いた。
他のパーティーも次々と集まって来る。今日も迷宮は人々を呑み込み、数多の素材を吐き出すことだろう。
そんな事を考えていたユウに、ダルクハムが近寄って来た。
「ユウ、お前に嫌な思いをさせたくないから、先に言っておきたいことがあるんだ。聞いてくれるか?」
「なんだい?」
少年が何気ない一言で返す。
「この国には俺たち獣人族のことを良く思わない連中がいるんだ。アンガウルでも沢山見てきた」
「……」
「お前は俺たちを友人だと言ってくれるが、中には白い目で見てくる奴らもいてな。嫌がらせをしてくる連中だっている。そんな連中がお前にも何かしてくるかもしれない」
真面目な顔でダルクハムがユウに告げた。
「何かあったら必ず駆けつける。だから俺たちと……」
「なんだ、そんなことか?」
意外な返事にダルクハムが固まる。目の前の少年は人種差別を知っていたのか。
「よせよ。らしくないだろ? だいたい、そんな連中がいるなら、俺たちでぶっ飛ばしてやろうぜ」
「……ユウ?」
「それに、何かあるかもしれないから今から他のパーティーメンバーを探せって? 迷宮でお互い命を預けてるんだ。信用してるさ」
迷いの無い真っ直ぐな瞳がダルクハムを見ていた。
「よろしくな、相棒」
「ユウ、お前って奴は……嬉しいこと言ってくれるぜ! 頼りにしてるぜ、相棒!」
二人の若者が友誼を交わしていたころ、同じ迷宮の入り口で密やかな噂話が囁かれていた。
「まただ……」
誰かが確かにそう言った。不穏な内容を含んだ其れは、密かに探索者達の間で広がっていた。
「また獣人が殺されたぞ」
迷宮探索に赴いたユウ達はグレッグ達の指導のもと有意義な時間を過ごしていた。だが、同じく探索に来ていた別のパーティーが遭難したとの報せを受ける。少年は救助に向かうが、そこには一人の探索者と既に事切れたパーティーメンバーが倒れ伏していた。
次回、第34話「事件」でお会いしましょう!




