第19話 印象
お待たせしました! 「迷宮都市〜光と闇のアヴェスター」本編の続きをご覧ください。
軍閥の実力者であり、救国の英雄でもあるミツヤス将軍による突然の来訪。
神殿は、ようやく騒めきを治め、普段の落ち着きを取り戻しているようだった。そんな神殿の一角に、世俗とは完全に切り離された場所があった。
いや、寧ろ神との対話のため祈りを捧げ、神への感謝を表すために宝物を奉納する神殿らしい場所は此方のほうなのかもしれなかった。
石造りの建物の奥深く、閉ざされた区画に設えられた私室の窓から離れていく騎影を見つめる者がいる。
駆けていく騎士と追従する数名の者達の後ろ姿。僅かに上がる土煙りに、厳しい時代を生き抜く逞しさのようなものを感じる。
その姿を氷色の瞳に映して、一人の少女がポツリと呟いた。
「フェルネ」
「はい、 控えております。お姫さま」
窓辺に佇む姿も麗しい少女が、視線を戻さぬまま専属の侍女である彼女に言った。
「やっと確信が持てました。先日、私達に接触を試みてきた王国の組織……」
窓辺にかけた手を離し、話すのは皇女シュリ姫。
「どうやら彼の仕業ですね」
「ミツヤス将軍でございますか⁈」
驚きの声が侍女フェルネから上がる。
既に三十路に近くなった彼女は皇国では宮内の侍女長の役職についていた。結婚し、夫もいたが戦争で寡婦となっていた。
細身の身体を皇国の紋章入りの侍女服に包み、落ち着いた雰囲気を持つ彼女であったが、主人たるシュリの一言には動揺を見せていた。
「ええ」
フェルネの驚きも無理からぬこと。それ程、この国における獣人族への風当たりは強く、厳しい。王国の人間の中でも亜人と蔑称する異種族への当たりが強いのは王宮にいる貴族達や軍人達であった。
そのような状況下で軍閥の実力者たるミツヤス将軍が亜人である皇女に近寄る理由。それは、皇女シュリ姫自身が誰よりもよく知っていた。
しかし、それは彼女にとって幾つもの感情が入り混じる理由だった。
内にある感情を隠しているのか、少女は表情を崩さない。
かつての幸せな記憶が呼び覚まされ、少女の胸の内を深く抉る。もう取り戻せない過去が、シュリを不安にさせていた。
「お母様が呼ばれた異世界よりの使者……」
ミツヤスハルト。異世界より召喚された日本人。
五年前、シュリの母がまだ存命の頃に世界を救うべく祈りを捧げ、召喚した人物だと聞かされている。
彼の活躍により当時の王国の紛争は終わりを告げ、その後の迷宮探索でも目覚ましい成果を上げたのだという。
だが、召喚魔法に持てる魔力の大半を捧げた母は体調を崩してしまい、やがて床に伏すようになってしまった。少女にとっては母を失う切欠となった人物であり、死を呼び覚ます象徴のひとつであった。
「お姫さま……。しかし、彼等の申し出は到底現実味の無いもの。下手に関われば、王国からいらぬ不興を買いましょう」
「ええ。ですから私達は手を取ってはいけないのです。分かっていますね?」
まるで他人事のような顔で侍女と話す様は、生粋の皇族らしさを漂わす。
皇女シュリ姫としての顔を見せる少女に、侍女フェルネは何処までも忠信を示す。
「御意に御座います」
まだ時期ではありませんしね、と気怠い風に話すシュリを見て、侍女フェルネは強く頷いた。
「神聖皇国の系統こそ至上。お姫さまの行く末に障るわけにはまいりません」
「……貴女に任せます、フェルネ」
瞼を閉じるシュリ姫が、物憂げな表情を見せる。
止むに止まれぬ選択を迫られたような、自棄になるのを必死に堪えるような雰囲気を感じる。少女の胸には、口に出来ない想いがあるようだった。
「差し出された手を取る訳には、いかないのです……」
今はまだ、と少女は思う。
心に浮かび上がるいくつもの心象。浮かんでは消える心象に、シュリの顔が曇る。
暗い迷宮の中で互いの名前を叫ぶ二人の男女。二人は恋人なのか、伸ばした手は、空を掴もうとも戻されることはなかった。過去に流された血と悲恋の記憶。
張り詰めていく空気に、側に控える侍女も気付く。
「皮肉なものです。互いに思い遣る心が、枷となってしまったなんて……」
「お姫さま?」
侍女の心配と疑問を他所に、シュリは窓辺から離れた。
「何でもありません。フェルネ、戻ります」
歩き出そうとした少女の胸の内に、ふと思い出された少年の姿。
立ち止まろうとするシュリは、逡巡の後に毅然として前に進む。その表情には迷いや躊躇いは見られない。
だが、シュリの胸の奥深くには温かい感情が確かに宿っていた。
(ユウ、無事でいてくださいね……)
青空の向こう側を見る少女の瞳には美しい空と美しい雲を映す 蒼穹の輝きが宿っていた。
帰路を急ぐ騎影が街道を真っ直ぐに進んで行く。
陽の光を跳ね返す鎧姿に青いマントを翻して駆ける。地面を捉える馬蹄の音が、急ぐ彼等の事情を何より雄弁に物語っていた。
彼等は急いでいた。それは逃走などではなく何か決意を感じさせる信念に基づく行動であった。
辺りに響く馬蹄の音。規則的な其れは男達が希望を繋ぐための音。我先に急ぎ、駆ける。蒼天の空模様だというのに、森の中は暗く陽の光が少ない。北部森林地帯に近い場所柄のせいか、空気にも緑の匂いが濃い。だが、駆けて行く男達は、その事にさえ気付いたかどうか。
騎馬を駆るはいずれも鍛えられた男達だが、その表情は一様に固かった。
「将軍」
「分かっている。振り返るなよ」
馬上で側近と話すミツヤスは、或る確信を得た顔をしていた。感情をおくびにも出さない彼だが、その目には確かな光を宿していた。
「収穫はあった。これ以上ないものがな……」
周囲の側近達が耳を立てる。並走する彼等は、かつてミツヤスと共に戦場を駆け抜けた仲間達だ。志しを同じくする彼等は、誰もが次の言葉を待っていた。
「間違いない。シュリ姫が軟禁されているのは此処だ」
はっきりと言い切るミツヤスの言葉に、男達の顔色に変化が見られた。
期待通りの答えに、男達の視線に熱気が篭る。
「いつ襲撃を?」
「急くな。時期を待たねば成功は覚束ないぞ」
それに、とミツヤスは部下達に教える。
「神殿に出入りする者達を探れ。必ず何かあるはずだ。それと、すぐに動かせる兵はいるか?」
「近くの街に待機させた者達が200名ほどおります」
すぐさま隣から返答が返ってくる。組織立った騎影は脇目も振らずに元来た道を駆け抜けて行った。
「その中から精鋭を選んで森の中に潜ませろ。魔獣が多いと聞く。人選は任せる」
鎧の音が馬上で煩い。にも関わらず、彼等は誰一人ミツヤスの指示を聴き漏らさない。
信頼以上の求心力がある指揮者に率いられた集団であった。
ミツヤス以外は、決して召喚された異世界人でもなければ日本人でもない。事実、彼以外の髪の色は黒色ではないし、瞳の色も様々だ。この世界に元から住む住人達が、召喚魔法によって呼ばれた存在に寄せるものとは、畏怖と侮蔑の視線であった。
理解できないものに対する意識は、現代日本とは比較にならない。
だというのに、彼等の間には固い信頼で結ばれた絆があるのだ。単に戦友と呼ぶ間柄とは一線を画すものが、ミツヤス達にはあった。
周囲の風景を後方に置き去り、いつしか街道には飛ばす騎馬の足音だけが響いた。
(亡き皇妃に勝る才能を持つ巫女姫……。何としても味方に引き入れなければ!)
高速で後ろに流れていく景色とガチャガチャと鳴る騎士の装備が耳を捉える中で、光安は静かに意識を保っていた。
異世界に呼ばれて以来、彼にも様々な事があった。身に宿した“|将軍《ジェネラル》”の力。剣と魔法が蔓延る危うい世界。
日本人である彼にとって、此処で生きる事はまさに驚異と苦難の連続だった。
(俺の自由と仲間達の悲願のために、双方の間を取りなしたいが……)
馬上で前方を見据える彼は、手綱を緩める事なく騎馬を駆る。歴戦の勇将の風格を漂わせたミツヤスは、今や軍閥の有力者と目される程になっていた。
その彼が警戒するのだ。難しい交渉になると。
(皇妃が亡くなられた時に見たあの美しい少女が、まさか我らの希望になるとは……)
思い出しながら、ミツヤスは考える。母親の死に涙するか弱い少女。まだ成人もしていない彼女にあるのは、神聖皇国の尊い血脈だけ。
何処にでもある悲劇の愁嘆場を見せられた過去の自分に光安は辟易した。
(儚く、可憐で如何にもお姫様という印象だったな……)
皇女シュリ姫の印象は、ひどく庇護欲を掻き立てられるような細く、か弱いものだった。涙に濡れていた銀色の瞳が、ミツヤスの中で彼女の印象を決定付けたといっても過言ではなかったからだ。
「だが、何としても遣り遂げるぞ!」
力強い意思を秘めた声は、周囲の騎士達を鼓舞するに十分であった。
応、と男達の声が勇ましく応えた。これまで以上に馬を巧みに操りながらミツヤス達は街道をひた走る。或る使命感を胸に、彼等は進む。
駆けるミツヤスの胸中に、ふと懸案事項たる心象が浮かぶ。
(迷宮の下層にある“黒い扉”……。あのことは、まだ我々しか知らない情報だ。上手く事を運ばねばならん!)
まだ見ぬ成功と輝かしい未来図を掴むため、彼等は険しい道を走破する。
この時、既に光安の頭の中では、囚われのシュリ姫を如何に救出するかが幾度となく計算されていた。
守ってやらねばならぬ少女の存在に、ミツヤスは彼女の印象について疑念など差し挟む余地はなかった。
「どうなってやがる?」
王国の準備した宿の一室で、クライン将軍は自問していた。王国軍人の頂点にある一人は、今ある事に頭を悩ませていた。
口元に利き手を当てて、視線は宙を彷徨いながらもギラギラとした力を感じさせる。鍛えられた体躯は筋骨隆々として、歴戦の勇者然としている。身に付けた長剣などの装備も使い込まれた様子がありありとわかる代物。黙して座していれば、軍人らしい風貌に恵まれているとさえ言えた。
しかし、落ち着きが無い彼の態度は、すぐに下の者に当たり散らす事で発散された。
「てめぇら、揃いもそろって碌な情報を持ってきやしねぇじゃねぇか!」
手近な杯を投げ散らしてクラインは部下を叱責した。彼の前に跪いた数名の騎士達が皆一様に頭を下げている。その様子は、側から見るならば嵐が通り過ぎるのを待つ鳥達のような滑稽さがあった。
「チッ、もっとマシな報告が出来ねぇのか!」
投げ捨てた杯を振り返りもせず、男はテーブルに置かれていた酒の入った壺を引き寄せる。太い腕は筋肉質で鍛え上げられていた。短い金色の頭髪と酷薄そうな口元は如何にも軍人らしい。黒っぽい革製の軽鎧を身に付けたまま、クラインは頭をひねっていた。
蒼く暗い瞳には殺気が宿る。
「……まさか獣王の野郎、勘づきやがったのか⁈」
ボソリ、と口にした妄想に、直ぐ部下の一人が報告する。
「そ、それはないかと思います。異世界人は間違いなく“奈落”に入っております」
まるで癇癪持ちの上司が当たり散らすのを恐れるように、だ。
進言した部下をギロリとした目で睨み付け、クラインは再び思案する。今回は何一つ上手くいっていない。
「まだ気付かれてはいない、か……。だったら、どうして此の異世界人は逃げやがった? 迷宮の入り口からは連絡はねぇんだな?」
不機嫌なクラインの質問に、部下達の表情は暗くなる。
叱責を恐れての事だが、無理も無い事ではあった。彼の怒りに触れて実際に死人が出ているとなれば、誰も彼等を責めることなどできないだろう。
「ま、まだ迷宮には現れておりません……」
「なら時間の問題ってか? だったら早く異世界人の死体でも持ってきやがれ!」
再び荒れるクラインに、今度は誰も彼もが口を閉ざしてしまう。いよいよ感情を持て余した上役に、部下達は黙って耐えていた。
「クソッ、どいつもこいつも……」
テーブルに置かれた果物や肉料理の数々を見て、クラインは気に入らないというように顔を顰めた。
不愉快な事が続くのだ。彼にとっては異世界人の失踪は面白くない状況だった。
「宰相も余計な事をしてくれる。早いとこ始末しておかないと、面倒な事になっちまうな……」
豪勢な料理の一つを手に取り、香ばしく焼けた肉にかぶりつく。肉汁が溢れ出すのも、構わずに二度、三度と咀嚼する。美味い食事に美味い酒。気を紛らわせるには十分な歓待だが、クラインにはまるで足りないらしい。
健啖家というより、歓待の方法に不満ある様子が見て取れる。
「あと残る問題は皇女か……」
好色そうな目付きで顎をしゃくる。油と香辛料の付いた指輪ねぶると、今度はクラインの表情に昏い影のようなものが差した。
蒼い瞳に、一瞬だが黒い影のようなものが過った。
怪訝な目を向ける部下達を見ることもせず、豪奢な椅子に腰掛けたままで思案していた。
まぶたに映るのは美しい女の色香。
辺境の女に有りがちな野暮なところが全く無い、均整の取れた肉体と白銀の髪を持つ少女。年頃に相応しい瑞々しい美貌は、間違いなく衆目を惹きつける。
伏せがちな青い目が、想像の中でクラインを見つめる。
(あの目は男を誘う目だ……。辺鄙な場所で碌な女がいなかったところだ。遊ぶには、ちょうど良い……)
娼婦のように笑う少女の幻影を追いかけるように、クラインはいやらしい笑みを溢す。
彼の頭の中は、この後どうやってシュリを手に入れてやろうかという欲望が支配していた。
(獣人ってのも久しぶりだ……。存外、愉しませてもらえるかもなぁ)
昏い表情を変えぬまま、彼の心は邪悪な闇に蝕まれていった。
ユウの預かり知らぬところで、王国の包囲網が敷かれ始める。異世界人の能力を利用しようとする策謀が異世界の闇を浮き彫りにしていく。何も知らない少年は、目の前の危機を乗り越えていけるのか?
次回、第20話「策謀」でお会いしましょう!




