第18話 対立
迷宮都市〜光と闇のアヴェスター、本編の続きをご覧ください!
翌朝、ユウは気持ちの良い目覚めとともに起床した。昨日は、あれほど緊張したというのに身体には幾らの筋肉痛も無かった。
不思議と頭がスッキリしており、体調も整っているのである。いかんせん不思議なこともあるものだとユウは思った。
昨夜は主人のセスが張り切って準備をしての大宴会となった。周囲の大人達から何度も酌を勧められ、セスからも武勇伝を聞かせてくれとせがまれたのを記憶している。そのうえ、セラフィからは祝杯だと側で甲斐甲斐しく杯に注がれ、飲まされた気がするのだ。
少年は途中で記憶があやふやになっている自分が怖くなったが、まあいいかと頭を振って考えないようにしていた。
異世界に喚ばれて4日目。
此処に至るまでに、少年には実に色々な体験があった。怪物のような獣に襲われ、本格的な狩猟を体験し、人生初の乗馬も経験した。値千金の短くも内容の濃い時間。過ごした筈の時間が切なくなるほどユウには貴重な時間に思えた。
思えば元の世界では自分を探して両親や妹が心配していないかと、少年は不安になる。
これまで家出などした事の無い彼が突然いなくなった事で周囲を騒がせていないか心配でもあった。真面目な両親のことだ。既に警察に相談しているかも知れない。妹にも余計な心配をかけるダメな兄貴と思われるのがユウには堪らなかった。
帰らなければならない、日本へーー。
彼の目標は帰郷の二文字しかないのだ。ここ数日の恵まれた出会いは有り難かったが、いつかは別れるはずの出会いでもあった。
(とにかく、圧倒的に情報が足りないよな……。この世界のことを知らなきゃ何も始まらない。誰か信頼出来る奴がいれば……)
少年の顔が、ふと思いついたように動きを止める。
(俺より先に、この世界に喚ばれた日本人がいるなら……)
考えておきながら、少年は首を振った。あり得ない想像だと否定する。
自分以外にも異世界に召喚された者がいるなら、元の世界でも謎の失踪事件としてニュースになるはずだった。だが、少年は同様の事件を耳にした事がなかった。テレビやインターネットでも目にした事がないのだ。
それに異世界から召喚するという二つの世界を繋ぐ魔法を連発できるとも思えなかったからだ。
あの日、神殿の儀式の間に喚ばれた際に、少年は亜人の少女に出会った。名前も知らない少女だが、彼女こそが異世界召喚に大きく関わっていると直感していた。優秀な魔法使いなのだろうと少年は思い出す。
そして、何よりも少年の心に印象深く映った氷色の瞳。
(何故、俺を見て泣いてたのか……? あの娘に会って、いや会ってどうする? 俺は、どうしたいんだ……)
思い出すのは少女の美しい顔立ちばかり。白銀と称するのが相応しい艶を持つ長い髪。まるで人形のように整った容貌。その美貌が涙に曇ることが少年の胸を締め付ける。
もう一度、会って笑顔を見せて欲しいと少年は漠然とした想いに駆られた。胸の奥に温かい何かが宿る。その熱量を仄かに感じながら、ユウは窓辺から覗く青空を見ていた。
暫く経ったころ、ふと腹の虫が鳴っていることに少年は気付いた。
空腹が首を擡げてくる。いつの時も変わらない食欲に、少年は窓辺から視線を逸らして部屋を出ることを選んだ。
窓の外に広がるのは青く雄大な景色。澄み渡る空は、まさに快晴。ゆったりと流れる雲は白く、遠くまで見渡せる。
今日も絶好の訓練日和だった。
階下に降りて行く少年の耳に言い争うような男の声が聞こえたのは、そんな朝のひと時だった。
「よう、早起きじゃねぇか」
視覚の外から掛けられた声に少年が振り向く。
声を掛けたのは獣族の友人。ダルクハムが右手を軽く挙げていた。広めの廊下に置かれた椅子に腰掛け、足を組んでいる。
その彼の背後には大きな肖像画が掛けられていた。王冠を被った壮年の男性の絵であった。貴族の肖像画に有りがちな威風堂々を絵に描いたような構図と色使いが印象的であった。
後で知った事だが肖像画に描かれた人物は、この国の国王だという。王政の敷かれた身分社会での貴族の在り方は異世界と言えど余り違わないというのが少年の感想であった。
益体も無いことを考えつつ、ユウは階下に降りて行く。
「どうした、ユウ? 眠れなかったか?」
少年の知る彼の雰囲気とは少し違う気配を感じて、ユウはダルクハムをじっと見つめた。何が違うのかは分からないが、彼の雰囲気から少しばかり緊張していると感じるのだ。
狩りの前に見せた斥候職のような雰囲気があった。
「ダルク、おはよう。その……、あれは?」
少年の問いにダルクハムが真面目な顔をして答える。
「ん? あれか、まぁなんだ……。たいした事はねぇよ」
ここも客商売だからな、と笑いながらダルクハムが告げた。いまだ宿の店員と客らしき人物とが言い争うような声が聞こえてくる。男が腰に下げた得物が少年の目についた。
少年の視線の先にいる連中に興味も示さず、ダルクハムは言った。
そうこうするうちに、言い争っていた男は宿を後にする。去って行く後姿を目で追いながら少年はダルクハムの側に寄った。
何かあると思い、少年は彼に尋ねる。其処に計算や疑念、邪推の類いは無い。純粋に気になったからこその直向きさがあった。
「……今のは、王国の兵士だよな?」
正当を得た声に、ダルクハムは気まずい顔で少年を見た。気付いて欲しくなかったとでもいう素振りであった。
仕方なく両手を振って何かを振り払う。右手を顔に当てて、ダルクハムは苦虫を噛み潰したような表情を見せた。
「……勘が良いよな、お前」
僅かな逡巡の後、仕方ないと言ってダルクハムは話し出した。
「お前を尋ねて何度か来てたんだよ。おっちゃん達が全部撥ね付けてくれてたんだが……。まったく、王国は良い耳と目を持っているぜ」
予想された答えに少年の身体が強張る。自分の身辺に及んで来た手に嫌な予感を感じる。
少年の視線が下へと落ちる。不安が徐々に膨らんでいた。
「俺、もう見つかってたのか……」
「仕方あるまい。あれだけ派手に売り出せば、顔を知られないほうが無理というものだ、ユウ」
その時、よく通る声がユウの背後から響いた。声の主は双剣のガルフだった。
振り向く少年に温かい目を向ける獣人族の戦士が歩み寄りながら話しかけていた。
黒い毛並みが狼の印象を際立たせる。
「お前は“奈落”の主を討ったのだ。噂は千里を駆ける勢いだぞ」
師匠でもあるガルフの言葉に今更ながら自分がダルクハムと成した偉業を思い出す。
「まあ、心配するな」
「そうです」
そこで二人目の男の声が聞こえてきた。見ればガルフの後ろに宿の主人セスが続いていた。
「あなたは私の恩人の息子を助けてくれました。そのあなたを売るような真似は致しませんとも」
自分を庇いだてしてくれる二人にユウの顔が自然と綻ぶ。
少年の中で張り詰めていた何かが、優しさを受けて溶けていく。そんな感覚がユウを包む。知らない間に少年は頼もしい友人や大人達に見守られていた。
異世界に一人、放り出されたと思っていた少年。其れは余裕を無くした自分の狭い視野の中での話しだった。
多くの者に囲まれている今、少年は多くの事に気付かされ、励まされていた。
少年の口から感謝の言葉が聞こえたのは、ごく当たり前の光景であった。
「誰か! 誰かいるか!」
「お待ちください、これより先は誰も通さぬようにと言付かっております」
石造りの床に敷かれた赤い絨毯の上を男が気勢を上げながら大股で進んでいた。その周りを女官達が右往左往しながら小走りに駆けていく。
都市アンガウルにある王国の神殿。その神聖な場所で、声を荒げて男は叫ぶ。
「誰かいないのか!」
「お待ちを! どうかお待ちくださいませ!」
男は騎士職にあるのか、磨き抜かれた銀色の鎧に青いサーコートを着けている。長身の背には同じく青いマントを棚引かせ、堂々とした足取りで奥へと進んで行く。
年の頃は二十代半ば、体格も良く、溌剌とした声は周囲によく通っていた。
その鋭い瞳は漆黒の色。頭髪も同じく黒色。肌は陽に焼けて健康的であるが、その色は白を基調とした平均的な王国人のそれとは違っていた。
その人物は制止しようとする女官たちを意に介さず、奥へ奥へと進んでいた。
「ええい、退け!」
「何卒お待ちくださいますよう!」
「誰かいないか!」
「どうか、どうかお待ちくださいませ!」
騒がしくなった廊下に新たな足音が響いたのは、女官達が困り果てた頃であった。
カツン、と硬質な音が石造りの空間に響く。反響が空間に霧散した。
「どうされたかな、ミツヤス将軍?」
ふらりと現れた風貌は白いローブを羽織り、顎髭を蓄えた人物像であった。手にした杖を傍らに、威厳ある態度で対応する。
力と覇気に満ちた容貌は歳を重ねて尚、活力に満ちている。ある種のカリスマ性を備えた壮年の威厳を感じた女官達は、慌てて最敬礼に近いお辞儀をする。
王国の重鎮である彼の登場に、騎士職らしい男の足も止まった。
再度静まり返った廊下で二人の偉丈夫が相対した。
「……まさか、宰相閣下に御目通りを賜るとは思いませんでした」
ミツヤスと呼ばれた騎士職の人物が口にした言葉を受け止めたまま、宰相ボノがローブの裾を揺らす。
「フム。別の誰かがいると思われたか。それに、何か此処を訪ねた理由があるようだ。何用か?」
宰相の質問にミツヤスと呼ばれた男は居住まいを正して質問を返した。男の真摯な姿勢が伺えた。
「どういう事か説明していただきたい」
「どう、とは?」
ボノの目が細められ、幾分だが視線が鋭さを増す。だが、それは彼のことをよく知る人物でなければ分からない程度の些細な変化であった。
表情を読ませない宰相を相手に、ミツヤスと呼ばれた男が臆する事なく語気を強めた。将軍職にあるというボノの言葉も本当だと思える冷静な対応であった。
騎士職のサーコートが僅かにはためく。騎士服の陰で男の手が腰の長剣に添えられていた。
「ボノ殿、私を欺くおつもりか? 何故また召喚魔法を使ったのか、納得のいく説明をしていただきたい」
決意の漲る目で宰相を睨むミツヤスという男。その目には並々ならぬ想いがあるやに見える。静かな男の決意が場を支配していく。嘘偽りを許さぬ男の不退転の決意が言葉の端々から透けて見えた。
しかし、宰相ボノも魑魅魍魎の跋扈する政治の世界に生きる者か、これを平然と受け止めていた。こちらも並みの胆力ではなかった。
それが証拠に笑い声を上げたかと思えば、好々爺然とし顔で男に答えていた。
「これはこれは何かと思えば……。内務省の管轄ならまだしも魔法省の管轄のお話しとは」
「笑い事ではない!」
男の激情が迸った。
男の反応を我が意を得たりという顔で宰相が笑みを漏らす。
腹の読めぬ宰相ボノがゆっくりとミツヤス将軍に向き直る。その深い灰色の目が細められていた。何処か冷徹な声色でハッキリと告げる。
「ミツヤス将軍。軍閥の貴方が口を出すのはお門違い。これは高度に政治的な問題を孕んでいる」
「私には知る権利がある! 理由なら閣下こそご存知のはずだ!」
再び声を荒げるミツヤス将軍に、ボノは右手を軽く振る仕草で応える。その直後、側に控えていた女官達が潮が引くように離れていく。
人払いをしたボノが口元に笑みを湛えてミツヤスを見た。手応えの無い相手など面白味も無いということだろう。
「将軍。貴方は王国の未来をどう見ている?」
思いがけない問いに、ミツヤスと呼ばれた男は困惑する。宰相の意図するところを逃すまいと真剣な表情を見せる。
そんな男の態度を一瞥もせぬままボノは続けた。
「王国の威光を千年後の後世まで遺したい……。そう思われぬか?」
「……なに、を?」
困惑の度合いを強める男が手に力を込める。握られた長剣の柄が少し露わになっていた。
「私は大いに期待している。異世界から来た貴方がたに。王国の黄金期を築くため貴方がたは招かれた。其れは運命というものだったと」
「惚けないでいただきたい!」
まるで激昂した男の態度に、宰相ボノは怯えた表情ひとつ見せない。周囲に助ける者もない状況で、命懸けの遣り取りをする者が顔色ひとつ変えないのだ。王国という名の魔境で培ってきた経験が、ボノに優勢に働いていた。
「それならば召喚した者は何処です? 何処にいるのですか?」
攻める切り口を変えて、男がボノを問い質した。
「気になりますかな、同朋が?」
ぼそりと呟いたボノに、男の顔色が変わる。
召喚魔法に関する手掛かりを得たというのに男の感情は入り乱れていた。
同朋だと宰相は言った。その意味を男は誰よりもよく知っていた。
「召喚より既に4日近く……。生きていれば迷宮にいる頃合い」
淡々とした物言いに、男の顔色が変わっていく。絶望に近い何かを感じ取った者が、よく似た表情を見せるだろうか。
絞り出すような声が、非難めいた言葉を吐いた。
「また悲劇を繰り返すおつもりか……?」
「はて、栄達を果たした貴方の言葉とも思えぬが?」
意に介さぬボノの返答に、男は拳を握り締める。力を込めた拳から血の気が失せていった。
「あのような危険な場所に碌な支援も無く、どうやって成果を出させるおつもりか⁈ 迷宮で生き延びる事が、どれほど困難を伴うか……」
吐き捨てるような激情を込めて、言葉が紡がれる。
「お忘れか? 過去に召喚された者は、いずれも神のご加護を賜わっていることを」
「それだけなら探しはしない! しらを切るおつもりか?」
男の声が再び激しさを増す。この王国に内在するところの何かを危険視しているのか、男は王国の重鎮である宰相ボノに膝を詰めるように迫る。
だが、返ってきたのは思いがけない返事であった。
「私は荒療治も止むなしと見ているのですよ、将軍。貴方なら、理解していただけると思っているのですが」
ボノが告げるのは、果たして王国の未来なのか、それとも違う何かのことか。宰相ボノは、何処か遠い目をしていた。
「貴方は今もあの日のまま……。王国の英雄なのですから」
「……そんな称号、地獄の悪魔どもにくれてやるさ!」
男の顔を苦渋の色が占める。
「謙遜は時に美徳ではありませんぞ。あぁ、そうそう……。ミツヤス殿は“トリックスター”という言葉に聞き覚えはありますかな?」
「トリックスター?」
男が聞き返した言葉。ボノが自分の事を名前で呼んだことも彼の困惑を招く要因となっていた。
「左様」
聞き慣れない其れは、男が求めるものの情報に関係するのか。
宰相ボノの人物像は切れ者の政治家。彼の振る話しの狙いが分からず、男は緊張した。
しかし、彼が情報を出し渋る場合、召喚された者に不利益が及ぶ可能性があった。その影が男の脳裏を過る。
「あまり聞かない単語だ。私もよくは知らないが“技巧者”という意味だったか……。あと俗語だと、確か“イカサマ師”……」
「フム、器用値が高いということですかな」
男が慎重に言葉を選びながら答えていく。
(しかし、確かに聞かない単語だ。それが今回の召喚者に関わる“鍵”か……?)
頭をフル回転させる男に、宰相が声を掛ける。
「ミツヤス殿」
「何か?」
対峙する二人の男の間に、見えない緊張感が張り詰める。
「これからも王国の発展へお力添えをお願いいたしますぞ。勿論、見返りは十二分に」
宰相ボノが有無を言わさず告げる。
「今日はこれでお引取り願おう。ミツヤス将軍」
言外の拒絶。宰相の態度から伝わる絶対的な気迫に、男は否応なく引き退るほかなかった。
過去に召喚されていた日本人。彼は何を狙い、ユウを探すのか。来殿した本当の理由とは何だったのか。謎が謎を呼び、王国の闇はいや増すばかり。そして、それは誰が望むことだったのか。
次回、第19話「印象」でお会いしましょう!




