第16話 疾走
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「ユウ、振り落とされるなよ!」
「無茶言うな!」
今日、初めて騎乗した“リトルモア”に、ユウは極限とも言える集中で挑んでいた。
握る手綱が頼りない。そう思えるほど荒れ地を豪快に走る“鳥”に、どうにかこうにか掴まっていた。
大型鳥類の名前に相応しく外敵を悠々と蹴散らす“ガストルニス”の脚力は、陸上生物の中でも上位に位置する。その疾走力も競走馬に匹敵するかのような駿足ぶりだ。
黄色く可愛らしい外見に似合わず、二本足故に大きな歩幅で走る鳥は縦揺れする野生的な乗り味を見せる。
なんとか耐えられるユウだったが、気を抜けば落馬の危機とあって先程から緊張しっぱなしなのだ。
少年を含め、今や数十騎が草原を疾走していた。狩りが始まったがために、否が応でも乗りこなさなければならない状況下にあった。
(もう鳥じゃないだろ、これ⁈)
手綱を握りしめた少年が心の中で毒づく。
現代日本で暮らしていた頃には、乗馬経験など無かった自分が異世界で鳥に乗って草原を走っているのだ。
俄かには信じられない状況の変化にユウでなくとも困惑する筈だ。しかも其れが命懸けの狩りとなれば、生活環境の違いに戸惑うどころの話ではなかった。
だが、何処かで興奮する自分がいる。昔読んだ冒険譚にあるような状況に、少年の心が踊るのだ。
「くそっ……!」
地面の起伏が直接的に伝わる。鳥の背に乗ったまま、少年が舌打ちする。
(かといって危なくて手放せないぞ、これ!)
見渡す限りの青々とした草原で、少年の顔色だけが悪い。
草原でも足場の悪い箇所を軽々と飛び越えて、少年を乗せたリトルモアが疾走する。
既に“群れ”は近づきつつある。側方から追いかけるユウ達は、隊列も疎らになったままだ。
最も近い騎馬の一人が少年の方を見ていた。 険しい視線にユウは気付かない。
なんとかしがみ付き、姿勢を保つことに集中する少年に、騎馬兵から大声が飛ぶ。
「もっと膝を立てろ! それだと落馬するぞ! 膝を立てるんだ!」
大人達の助言を受けても皆目検討もつかない少年の元へ、獣人族の友人が後方から馳せ参じる。
「ユウ、俺のを真似しろ!」
言うが早いか、ダルクハムが腰を浮かせて最適な姿勢を少年に身振りで伝えようとする。その乗馬姿勢は獣人族ならではの華麗な妙技と言えるものだ。いとも容易く鳥を御する友人に、少年が不満を露わにした。
「真似しろじゃないだろ! いきなり出来るか!」
両膝で“リトルモア”の背の鞍を挟み込み、ダルクハムは手放しで走らせている。生半な技量ではない。とても初心者の少年に模倣できる技とは思えなかった。
その声を待ってましたとばかりにドリスが後方から叫ぶ。
「ちょっと! あなた、やっぱり邪な考えで……、あうっ⁈」
「黙ってないと舌を噛むよ、ドリス!」
熱くなるドリスを宥め、フリッツバルトが全体を見渡して指示を出していた。少年を含む左翼の速度を維持するべく、時折掛け声を上げている。
群れの先頭が先ほど少年達の斜め前を走り抜けたばかりだ。野太い鳴き声が少年の耳にも届いている。
巨大な体躯を誇るジャイアントモアが百を優に超す群れで疾駆する。その黒色の体毛と遠目でも分かる鋭い嘴に、少年は戦慄する。
(本気かよ⁈ 鳥を狩る前にいつか落ちるだろ、これ⁈)
内心の焦りにユウの頰を冷たい汗が滑り落ちていく。
疾走する鳥の背に跨ったまま、少年の顔色だけが悪くなっていく。
騎乗した鳥だけは騎手の心など御構い無しに興奮した鳴き声を上げて走る。
久しぶりの草原に興奮しているのか、少年では全く抑えが効かない。
「くっ!」
汗で湿ってくる掌の感触が気になり始める。ユウは、いつにない危険を感じて緊張していた。
「ユウ、よく見ろ! 膝でこう挟むんだ! 手綱に頼ったら落馬するぞ!」
「分かってるよ、そんなことは!」
焦る少年の顔色に、ダルクハムは決意する。狩りに付き合わせた自分が少年を守らなければならないと。
一羽だけ暴走気味に走るガストルニスは、既に“群れ”に近づき過ぎている。何百という数の巨鳥が走る集団の壁。その壁に突入すれば、一匹のガストルニスなどまず間違いなく踏み殺されるだけだ。
言葉を交わす暇さえ無い。疾走する鳥の影響で慣れたダルクハムですら気を抜けない。
あのドリスですら、後方から真剣な顔付きで駆っているのだ。まだ周囲を見るだけ、ユウには時間が残されていたとも言える。
(……くそっ! 俺だって、やってやれないことはない筈だ! 冷静になれ! 冷静になるんだ!)
吠え声を上げる鳥にしがみ付く少年に、僅かな変化があった。
それまで鳥の甲高い雄叫びだけが少年の耳を占めていた。その声が遠退いていく。
集中していくユウの顔が、真剣味を帯びてくる。
揺れる身体を精一杯の力で制御して、少年は前を睨む。自分の息遣いだけが、嫌に耳に残る。
「付いて来い、ユウ!」
叫ぶダルクハムの姿があった。いつの間にか、友人が右手に駆け寄っていた。
(簡単に言ってくれる! 思い出せ、俺! こんな時、彼ならどうする?)
荒い息遣いの中、ユウの思考がクリアになってくる。
周囲の余計な音が削ぎ落ちていく世界で、自分の息遣いだけが聞こえる。
見えている視界の全てが、ゆっくりと流れるように移ろっていく。
手を伸ばす友人と、疾走する鳥の背中がそれぞれ鮮明に見える。
極限の集中の中で、ユウは心に決めた誓いを思い出す。
(やるしかない……)
自らが理想と定めた男の生き様。そのタフな男の精神を自分の心に重ねる。
弱さに挫けそうな自分を叱咤するために、少年は敢えて困難に立ち向かう道を選ぶ。これまでそうしてきたし、これからもそうなのだ。
「ハァッ!」
男なら、最初の一歩を踏み出せ。そう言ったのは誰だったか。
ガストルニスの背で足に力入れて姿勢を正す少年に、周囲が目を剥く。巨鳥の群れに並走するように方向転換する。ギリギリで間に合った少年に、ダルクハムも息を飲んだ。
嘶く悍馬の如く、少年の騎乗したガストルニスが一際大きな鳴き声を上げる。
「やってやらぁ!」
半ば自棄になってユウは叫ぶ。こんなところで落馬している場合ではないのだ。
それを蛮勇と見たダルクハムが慌てて駆け寄って来る。中央の隊列を率いたガルフがユウを見て叫ぶ。
「その意気だ、少年!」
フリッツバルトも左翼の隊伍を再編させながら、追い込みのための準備に入っていた。
「ダルク、隊列まで下がって! そろそろ仕掛けるよ!」
左翼の隊列が揃ったのを確認して、魔法使いフリッツバルトが合図を出す。
「はい!」
サッと手を挙げるフリッツバルトの合図を受けて、騎乗した男達がガストルニスに鞭をくれる。追い上げるような勢いで、巨鳥の群れに迫って行く。
少年の騎乗する鳥にダルクハムが同じく鳥を寄せていく。
「ユウ、大丈夫か⁈」
「なんとかな! 難しいこと言うのは無しだぞ! こっちはノリと勢いで乗ってるんだからな!」
大声で互いを気遣う二人にドリスが割って入る。女性ながら見事な馬術でガストルニスを御している。
「ちょっと、あなた! ダルクは気を許してるけど、私はそうはいかないんだからね!」
「ドリス⁈ 今は俺が話してるだろ?」
はためく裾を棚引かせ、ドリスがふくれっ面をする。
「ダルクばっかり、ずるい!」
「なんで、そうなるんだよ⁈」
趣旨が変わってきた少年への交渉権に、周囲ばかりが姦しい。
その隙を突いた訳ではないが、巨鳥ジャイアントモアが接近してくる。周囲が翳るような脅威に、顔を引攣らせたのは少年ばかりではない。
「Boooua! Boooua!」
野太い声で威嚇する巨鳥に、周囲の者達が警戒する。
モア種は、進化の過程でその飛行能力を退化させていた。地上を走る彼等は、やがて群れを作り、集団で移動することで彼等を捕食する大型肉食獣達に対抗した。
それが“鳥の渡り”を生んだとも言われている。
彼等の“鳥の渡り”は、最も長い距離であれば32,000キロにも及ぶ。文字通り大陸を横断する彼等は地上における鳥類の頂点であった。
このような集団行動をとるモア種は、捕食者である大型肉食獣に遭遇しても簡単に走る事をやめない。それが自分達を守る手段と知っているからだ。
運良くはぐれた一羽に遭遇し、餌にあり付けるものは良いが、運の無いものは大型肉食獣であれ、群れ集う巨鳥の脚に踏み殺されるのだ。
自然界に存在する弱肉強食の世界であった。
疾走し、迫って来るジャイアントモアの大群にユウが動揺を見せる。
「なんなんだよ、この数は⁈」
「ほら、並走するよ! 横を合わせて!」
しかし、冷静な対応を見せる大人達に窘められたユウは、一人だけ掌に汗を握りしめていた。
騎乗した男達が横一線に隊列を組んでいく。馬脚を揃えていく男達は手慣れた様子を見せる。熟練の狩人ねらではの集団戦だ。草原を埋め尽くさんとするかのようなジャイアントモアの群れに、少年が悪態を吐くのも無理からぬことだった。
鳥の腹を蹴って、ガルフが頭一つ前に出る。
「抜剣! 上手く合わせろ!」
腰の得物を抜き、天に掲げる。馬上で男達に示すべく、剣を突き上げた。接敵時の剣撃についてガルフの指示が飛ぶ。
すぐに男達の剣が彼に続く。気勢は今や天を突く如く高まっている。
「付いて来い、ユウ!」
さも当然の如く少年に声を掛けるガルフに、ユウは困惑しながらも応じた。
「おいっ、ユウ⁈」
鳥の背から友人が叫ぶ。
捲き上る草の葉と巨鳥の喧しい鳴き声で聞き取り難い其れを少年は敢えて聞き流す。無謀な疾走が始まることに、ダルクハムの肝が冷えていた。そんな友人の心配を余所に、少年は唇を噛んでいた。
「くそっ……、食らいつけばいいんだろ!」
歯をギリと噛み締め、少年が吐き捨てる。誰にも聞かれなかった声は疾走するジャイアントモア達の足音に掻き消されていた。
しかし、右側から聞こえる声が少年の理性を引き止める。はっとしてユウが相手を見る。狩りの喧騒の中、獣人族の友人が自分の身を案じてくれていた。
「ユウ、やめろ! 無理するな!」
「ガルフに言ってくれ!」
少年は友人にそれだけ言う。意識は既に腰の短剣の場所にある。疾駆するガストルニスの背に生命を預けて、ユウは草原の中を駆け抜けて行く。
(不味いんだろうけど……。でも今更、後に引けるかよ!)
先頭を引くガルフの背中を睨み、ユウが必死に鳥の手綱を握る。膝を締め、何とか乗りこなそうと足掻きを続ける。
狂気じみた速度で疾走するガストルニスは大地を踏みしめて進む。追うジャイアントモアの姿は既に圏内に捉えていた。
「ハァっ!」
巨鳥に追い付き、接敵した途端、ガルフの剣が容赦無く振るわれる。血飛沫が草原を渡る風に舞う。
舞い散る赤い飛沫の冷たさを肌に感じて、ユウは息を飲む。見開いた目の先では、師匠が見事に一羽の巨鳥を仕留めていた。
何かに躓いたようにジャイアントモアが草地に伏す。ドウと派手に倒れ、首から血を流して緑の大地を朱に染めた。
「そら! 次々いくぞ!」
「おおっ!!!」
隊を率いるガルフの一声で、騎乗した男達が一斉に雄叫びを上げた。騎馬を駆る姿に少年の心が震えを感じてしまう。初めての集団戦。初めての騎乗。体験する全てが、ユウの精神を知らず昂らせていく。
「風よ、逆巻く神の息吹きとなれ」
フリッツバルトもガルフに負けじと魔法を披露する。
巻き起こる風が真空波を生むのか、彼の手を媒体にしてあり得ない現象が起こっていた。疾走する彼の周囲だけ、風が違う動きをしている。はためくローブの一部がまるで無風状態のように動きを止めているのだ。
視認出来ない魔法が、突如として牙を剥いた。風切り音が聞こえ、被弾した巨鳥が首を傾げる。その一部が、血を吹き出しながれ落下していく。魔法の余波とも言える巨鳥の姿を見て、ユウは戦慄した。
「なんだよ⁈ 首が飛んで……まだ走れるのか⁈」
首を落とされたジャイアントモアが、依然として疾走している。初めて見る光景に少年の目が釘付けになる。大陸横断すら可能とする“鳥の渡り”を支える巨鳥の心臓が未だ酸素を供給するため身体は動き続けていた。
「仕留めたぞ!」
また男達の歓声が上がり、巨鳥が倒れた。本格的に追い込みに入った狩りに男達は十分な働きを見せていた。
「右翼が薄い! 轡を並べて!」
フリッツバルトの指示が飛び、すぐに集団が向きを調整する。ユウも位置的に男達に挟まれた格好で騎乗しているためか、騎乗したガストルニスが周囲の仲間に同調してくれていた。降りることは出来ないが、操ることに必死になる必要はなかった。
「群れに当てるぞ! 着いて来い!」
ガルフの一声で男達は再び手にした剣を握り込む。
仕留めた数が一つ、また一つと増えていく。狩りの成果に男達が高揚していく。
ない。
「Boooouaaaa!」
ジャイアントモアの怒りに震える鳴き声が鳴り響く。群れの上位者が男達の存在に気付いたのだろう。統率する群れを守るべく、頻りに鳴き声を上げていた。
徐々に群れが向きを変える。その変化を即座に男達も感知する。
追撃の最中、少年も手にした短剣を握りしめていた。
先ほど自らも巨鳥ジャイアントモアを斬りつけていた。自らもに手を下した事実に、その余韻が身体から消えないのだ。疾走する鳥の背に乗って、冷えていく自分の心を、扱いかねていた。
鳥が甲高い鳴き声を上げる。先ほどまでの熱に浮かされたような狩りの高揚が嘘のように引いていく。
まだ続く狩りの興奮の中で、ユウだけが一人場違いな自分を感じていた。
戦いの余韻に興奮冷めやらぬなか、少年は生命のやり取りに忌避感を覚える。それでも繰り返される遠征に、ユウの中で強い何かが育つ。
次回、第17話「願い」でお会いしましょう!




