第12話 双剣
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少年を油断なく見つめる双眼は、灰色の光を強めていた。
少年を見遣る獣人族の戦士からは、威圧とは違う圧倒的なオーラが放たれていた。強者の気配に、ユウは緊張を強いられる。
だが、少年は思いのほか慣れた感じで受け止める。戦士のオーラに気圧される事なく受け止めることが出来たのは、恐らく魔獣戦での過度の緊張感がいまだに少年の精神を麻痺させていたためだろう。
普段の少年ならば何がしかの影響を受けて狼狽していたはずだ。
「どうした?」
少年を見る目は警戒を解かないまま、確認のための質問を振った。
その意図が分からずユウは、答えに窮していた。その態度を肯定ととったのか、否定ととったのか。眼前の獣人は変わらず値踏みするような視線を飛ばす。
「フッ、簡単に話さない気か?」
少年の全身に残る戦闘の跡は見る者が見ればわかる隠せない証跡であった。
そんな少年を見て、獣人族の戦士はこう告げてきた。
「見ない顔だが、何処からか聞き付けてきたのか? 宿の客でもあるまい? どちらにしても離れていろ。これからもっと騒がしくなる。怪我をするぞ」
邪魔さえしなければ不問にする、と言外に言われているのだと少年は晴れない頭で理解した。
言葉にしたい事はあったが、ユウは口を開くことも忘れていた。戦士の一挙手一投足を見つめる。
それほど強い存在感を感じるのだ。昨夜出会った少女ほどではないものの、この獣人族の戦士からは圧倒的なカリスマを感じる。
それは、人を惹きつける引力であり、少年に訴えかける何かだった。
「だんまりか、話さない気ならそれでもいい。ただ……」
何も答えない少年の反応に、ガルフが問い訊すように告げる。幾ばくか不機嫌さを表すような雰囲気があった。
「うちの縄張りで、余計なことをしてくれるなよ?」
少し冷やかな落ち着いた口調。決して油断していない警戒感が滲む。
その戦士の態度に、何故か忙しない雰囲気があると少年は感じた。
また、ボンヤリとした頭で黒いガルフの尾が揺れているな、とも少年は考えていた。何故かピリピリとした感覚に覚えがあるが、今の疲れたユウにはどうでもよかった。
「何があったのか……その、聞いても?」
立ち去ろうとしたガルフにようやく聞こえた少年の声には疲労の色があった。
嗅覚が違和感を嗅ぎ取り、ガルフは振り向く。逗留中の客だと思っていたが、何処か馴染まない。ガルフは直感的に、そう感じていた。
「俺はまだ探索者として……その、色々疎くて……」
だからこそ少年の口から出た言葉は、ガルフにとって意外だった。警戒していた自分が愚かな勘違いをしていたと思える。少年の言葉を受け取るなら、彼はまだ新人なのだ。
一般的に探索者などというものは、自分の腕っぷしだけで世間に力量を認めさせるものだ。少なくとも世間ではそう認識されている。
だからこそ探索者には面子を気にする輩が多く、例え年若い者でも自分の弱みを他人に教える事などしないものだ。勇ましい風評こそ望むところだが、競争相手に舐められた態度を取られることは自分の価値を下げることだと理解している。
狭い郷里では生きづらく、力を持て余すしかなかった奴等。跳ねっ返りと呼ばれるような輩が、遠く故郷を離れて迷宮都市に集まってくるのは、何も一攫千金を狙ってのことだけではない。行き場を無くした荒くれ者達が止む無く足を向けた結果でもあるのだ。
良く言えば富と名誉を競い合う好敵手同士。悪く言えば舐められたら終わりという荒くれ男の世界こそ、探索者の世界であった。
本来なら、自分から他人に頭を下げるなど死んでもゴメンだという者達ばかりなのだ。
眼前の少年が見せる殊勝な態度はガルフにとって新鮮味のあるものだった。
殺気立つはずの心が、何か温かいものに触れたような錯覚を覚える。奇妙な感覚に襲われながら、ガルフは少年を見つめた。
そして意外なほどあっさりと少年に真実を伝えていた。
「奈落に巣食う魔獣を討った奴がいる。それが事実かどうか、これから確かめに行くところだ」
少年の質問に、ガルフは端的に答えた。何処の誰とも知れない少年。ガルフにとって益のない筈の応答だった。
「えっ? 奈落に……?」
驚く少年の顔を見たせいなのか、ガルフは自分の中で折り合いを付けた。
この少年が探索者ならば、いずれは多少の戦力になることだろう。取り込むにしろ、放置するにしろ後からでいい。いつの世も結んだ縁は後々活きてくるものだ。そんな打算が働いた事が幸いした。
「そうだ。あの奈落だ。信じられないかも知れないが、確かな筋の情報だ。それより今は時間が惜しい。危ないから離れていろよ」
ガルフは不思議と胸騒ぎを覚えた。
彼自身、荒くれ者達が凌ぎを削る世界で生きてきた身だ。こんな人族の少年には出会ったことなどなかった。
部族の幼い子ども達とも違う目下の者へ、まして初見の人族に気遣いを見せたことなど彼自身の記憶になかった。
(フッ、俺が気を使うだと……?)
それは誰にも聞かれることのない声だった。
こちらを見ている少年の姿は、見慣れた探索者達とはまるで違っていた。
この辺りでは見慣れない服装。珍しい黒髪に黒い瞳。人種が入り乱れた王の住む都でもお目にかかれないような人族に、ガルフはいつしか興味が湧いていた。
いつか何処かで聞いた御伽噺のような心象が浮かぶ。そんな荒唐無稽なものを頭の片隅に追いやって、ガルフは現実を考える。
同じ宿に投宿しているのならば、また会う事もあるだろう。この生き死にの激しい世界で縁があるならばだが。
「そう言えば、まだ名前も名乗ってなかったな」
口の端を上げて獣人の戦士は尋ねてきた。獰猛な笑みは、何処か人懐こいものに感じられた。
「俺はガルフ。この宿の主人セスの客人だ。お前は?」
戦士の挨拶を受けて、ユウは返答すべきかを悩んだ。
「俺、は……」
見知らぬ異世界に呼ばれ、まだ知り合いと呼べる者すらいない。ユウにとってダルクハムは戦友と言うべき関係だが、彼の周囲も信用に足るかは別問題だ。
自分の背後関係を調べられたら信用されるかは正直微妙だと考えられた。
「俺の……名前は……」
ユウの心を満たす葛藤。晴れない表情はガルフにはどう映ったか。
少年が口を開いたのと同時に、ガルフを呼ぶ声が宿内に響いた。
「叔父御! ガルフの叔父御! 20人、もう出れるぞ!」
鞣し革の軽装備に身を包んだ二十代前半の戦士職らしき男達が走ってくる。
部下らしき戦士を見て、ガルフも表情を変えた。
「そうか、先発隊としては十分だ。よし、すぐに出るぞ!」
「了解でさぁ!」
逞しい男達が戦装束に身を包み、宿内から次々と飛び出していく。
俄かに動き出した事態に、ユウは見ていることしか出来なかった。
「少年、また会おう! 今度は互いに戦士の名乗りが出来ることを祈っているぞ!」
ガルフが再び背を向けたことで、ユウの意識が引き戻される。
「待って、これを!」
少年の手が服の内側から何かを取り出すように動く。差し出された手に載っている小さな匂い袋を見て、ガルフは眉を顰めた。
匂い袋自体は珍しくもない。季節柄、この時期に咲く花を乾燥させて作ったものだろう。だが何故それを差し出してくるのかがガルフには分からなかった。
「持って行ったほうがいい……。その、詳しく話してる時間が無いから……」
戸惑いながら差し出された少年の手は、純粋に好意からだと理解出来る。縁起を担ぐことが多い探索者の流儀から、ガルフに断る理由はなかった。
「分かった。心遣い、感謝する。また会おう」
そう言って去って行く戦士の姿を少年は感慨深く見つめていた。
いつの間にか、武装した獣人族の戦士達を見送る町の住民が集まり、宿の外では多くの声援が掛けられていた。騒がしい喧騒の中、ユウはこの世界の住民の声を遠くに聞いていた。
「……すげぇ。本物の戦士だ」
思わず漏れた言葉は少年の本音だった。
それは宿の外にいる住民達の声とは違い、ある種の感慨を込めて口に登った。少年の心に深く響いた其れは、戦士のもつ生き様を見せられた子供のような憧れだった。
「よぉし、周りの草から刈り込め! 荷運び用の丸太を切り出すんだ! もう主はいないぞ、びくびくするなよ!」
おおっ、と男衆の声が高らかに響いた。
「獣避けの薬草が焚かれてるが、風に流されてる! 暫くの我慢だ、手早くやるぞ!」
周囲に漂う薄い煙に顔を顰め、戦士達が動き出す。慌ただしくも統制の取れた動きに、ガルフも頷く。
そして、まだ比較的にマシな顔をしている彼は、胸元の小さな袋に感謝する。黒髪の少年が持たせてくれた匂い袋。薬草の香りを緩和する目的で調合されたものに間違いなかった。
獣人の鼻を潰す悪条件の中、戦士達が一人、また一人と堆い小山を見上げては作業に戻るのを繰り返している。
「これが主か……。改めて見ても凄まじいな」
双剣と呼ばれたガルフは、腰の剣に手を掛けたまま巨大な魔獣の死骸を見つめていた。
先程まで悪食鼠の群れを討伐していたのだが、それすら些事だとばかりに眼前の巨体を見つめていた。小山のような猪の魔獣は、物言わぬ骸と成り果てている。
両腕には悪食鼠討伐の名残りである僅かばたりの返り血が付着していた。
真剣な表情は戦士のそれだ。決して油断しない気配は一流の探索者のものだ。
「ダルクハムと組んだあの少年がこれを倒したとは……。いくら毒を使ったのだとしても信じ難いものがある……」
誰に話し掛ける訳でもなく呟く。現状を冷静に分析する姿こそ、彼を一流と呼ばれるまでに押し上げた姿勢だ。噂や憶測になら流されない見たものを信じる姿勢。
現実的な探索者に相応しい性向だった。
「この巨体に普通の剣撃ではラチがあかないはずだ。剣の腕ではないならば魔法か?」
ガルフはゆっくりと少年の能力について分析していく。
(しかし取り立てて焼け焦げた跡などは見当たらないが……)
いつか必要になるかも知れない状況に備える習慣が、ガルフに戦士としての思考を続けさせる。
(あの少年、魔力の波動は感じられなかった……。もし魔力を外部に漏れないよう訓練して遮断できるとしたら、見た目にそぐわない手練れか……)
フフ、と知らず笑みをこぼしていたガルフ。獰猛な獣人特有の笑みが凄味を増す。
「面白いな」
久しぶりに面白いものを見つけたと言わんばかりの顔でガルフは嗤う。
その顔が崩れるより早く、彼を呼ぶ声に意識を呼び戻される姿があった。
「ガルフの叔父御! また悪食鼠が来ましたぜ! 叔父御!」
鼠の魔物が群れをなして奈落の主だった魔獣に迫る。その身体を啄むべく、第二陣と言うべき群れが襲ってきていた。
「分かった、すぐ行く!」
ガルフは再度戦闘になることを厭わず、両手に剣を持つ。
奈落の主の亡骸をどのように利用するにしろ、下手な魔獣に傷を付けられる訳にはいかなかった。
悪食鼠は体長が50センチにもなる異世界産の鼠だ。現代日本流に言うなら哺乳綱齧歯目に属する大型の齧歯類とでも呼ぶべきだろう。
その生態は大陸中に生息、分布しており高い環境適応性で様々な亜種が見られる。常に群れで移動し、体躯に相応しい大食と悪食で異世界の住民からは不名誉な呼び名を与えられている。
鉤爪を持ち、終生伸び続ける一対の門歯は鑿状をしているため、住民にとって身近な脅威の一つとなっている。
また、悪食鼠は自分の体重の倍近い獲物を毎日食べる。そのため食べるものを選ばず、人間や獣人にさえ襲いかかる獰猛さを持っているのだ。死んだ魔獣の亡骸など渡りに船とばかりに大群で襲い掛かって来るだろうことは容易に想像出来た。
小さな鳴き声をガルフの耳が捉える。
既に戦士達が準備を終えて声を掛け合っている。数人が壁となるべく並び、正面からの集団に備えていた。その列に加わるべく、ガルフは小走りに駆ける。
戦端が開かれるのを待たず、ガルフこそ先陣を切ろうと剣を取る手に力を込めた。
既に身体は温まっている。戦闘の余韻が残る鼻腔に、血の匂いが充満してくる気がした。
戦いに臨む気合いは十分であった。
ふと思い出す、いつか聞かされた御伽噺。一瞬のうちに浮かんでは消える心象に、ガルフはある記憶を呼び覚まされる。
(我らの神は、いったい何者を遣わしたのか。人ならぬ身の我らだが、あの人族の少年が、もしそうだとしたら……)
頭をよぎる考えに戦士が答えを出すより早く、魔獣の群れが襲い来る。
大群で押し寄せる悪食鼠の鳴き声に戦士達が吼える。獲物にありつこうとする飢えた魔獣達を前に、誰もが一歩も引かず前に出る。
異世界の戦士が考える未来に真実が含まれているなど、誰も予想しえないまま“奈落”に血風が舞う。
戦士達の雄叫びが響くたび、血飛沫が舞い、次第に緑の大地を赤く染めていった。
異世界での戦士との出会い。それは少年にとって新たな縁を結ぶ切っ掛けとなる。剣と魔法が支配する世界で得た其れは、いったい何を齎すのか。
次回、第13話「疑念」でお会いしましょう!




