第11話 客人
迷宮都市〜光と闇のアヴェスター、本編の続きをご覧ください!
その報せは、瞬く間に町中に広まっていった。
魔獣討伐ーー。
それだけなら珍しくもないが、それが“奈落”の主となれば話しは違った。
最初は、町の門を守る衛兵が騒ぎ出した。今朝、巨大な牙を引き摺った探索者達が帰って来たのだという。
一人は町の住人でもある獣人ダルクハム。全身が返り血と埃で薄汚れながらも、自信に満ちた顔で町の門を潜った。もう一人は、見たこともない黒髪と黒い瞳の人族の少年だった。彼もダルクハム同様に戦闘の跡を残す服装だったが、衛兵は見たこともない奇妙な服装だったと語った。
彼等は魔獣、大猪を討伐してきたと語り、同時に“奈落”が解放されたとも語った。その証拠に、見たことも無い程の巨大の猪種の下顎の牙二本を持ち帰ってきたというのだ。猪種の牙は特徴的で、他の獣と比較的簡単に区別がつく。だからこそ、衛兵は自分が見たものが俄かには信じられなかった。
しかし、衛兵の彼は獣人であり、鼻もよく利いた。その為、彼自身の感覚が魔獣討伐の真偽が本物だと確信した。門の通行を許可した衛兵に、二人は礼を言って重い足取りながらも互いに笑顔を見せていたという。
当然、彼等は早朝の町中へと消えたが、見せられた衛兵の興奮は治らなかった。雄叫びのような声を上げ、二人の偉業を讃える最初の一人となってくれた。
一般的に、強力な魔獣の存在はそれだけで周辺に定住する人々にとって死活問題となり得る。その魔獣が獰猛で危険な種であればあるほど、人的被害が頻出するほど、魔獣の被害への対応は周辺住民にとって最優先課題となる。
そんな害獣の中でも“奈落”に住み着いた主の存在は一際目立つ存在であった。周辺の町に住む人々に、死と危険を齎らす災いと認知されていたのだ。過去に王国の騎士団を退けたという事実が、“奈落”を一種の不可侵領域のように見せ、誰も近寄る事さえしなくなったのだ。
そんな害獣が討伐されたという報せは、町の住民にとって正に待ち望んだ吉報以外のなにものでもなかった。
魔獣を討伐したとなれば、新たに開墾する農地が見込め、領土を広げ、安全な狩猟が約束されるのだ。街道も延長され、街を行き交う隊商もこれまで以上に街に立ち寄る機会が増えるだろう。その経済的な効果は単なる害獣の駆除にとどまらない。
彼がダルク達の背中へと称賛の喝采を送ったのは無理からぬことだった。
その日の朝は、迷宮に近いこの町の住民にとって、誰しもを晴れやかな気分にさせてくれる朝となった。
そんな早朝の街は、独特の喧騒で賑わっていた。
家々の竃から立ち昇る煙が一日の始まりを知らせ、畑へと向かう農家の人ともすれ違った。街の中心部へと続く石畳の道は、両脇に商店や旅籠などを連ねて延びていた。
店舗前では商人達が仕入れや掃除と、それぞれの準備に勤しんでいる。
生産活動が始まった町で、大仕事を終えた二人は場違いな無法者に見えていたかもしれない。
街行く人々の群れは、二人に奇異な目を向けて近づかなかった。幾人かは彼等の引き摺る巨大な牙に目を剥いていたが、ダルクハムもユウも気にしない事にしていた。
「結構、たくさんの人が住んでるみたいだな」
立派な二頭立ての馬車が近くを通り過ぎていく。その様を少年は珍しいものを見るように見つめていた。御者をしているのは丸い耳をした獣人族の男性だった。黒っぽい体毛は狸を連想させるが、種族的な外見から年齢は分からなかった。明らかな異種族の存在にユウへ戸惑うより、珍しいと思う気持ちが先行する。
少年の感想に、ダルクハムが軽口で応じる。いつもの彼の口調は、どうやらそうらしかった。討伐で疲れているだろうに、彼の持ち前の明るさが少年への配慮となって現れていた。
「ああ、この町の皆は迷宮に集まる連中を相手にしてるからな。大勢の探索者がいて、探索のための武器や道具、食料を扱う店が出来て、宿屋が増え、次第に商人が増えて、娼妓達を連れて来る奴等や一旗揚げようとする連中やらで、他の町の何倍も活気があるぜ」
「凄いな……」
そうだろう、と得意げなダルクハムが街中を指し示して言った。街の様子をキョロキョロと見回すユウを見て、案内するダルクハムも笑みを漏らした。
「多いときは真っ直ぐ歩けねぇからな」
「 へえ、ホントか? 何処かで聞いたような話だな、それ」
「嘘じゃねぇぞ? 秋の収穫祭の時なんか、何日も前から近隣の町や村の連中が集まってくるんだ。もともと、この辺は宿場町として発展してきた街だからな」
感心する少年を隣にダルクハムは或る宿屋を見つけて手招きした。少しだけ、彼の表情が柔らかくなった気がした。
「こっちだ、ユウ」
大きな造りの宿屋へと二人は向かった。他の店と比べても大店である事は分かるだけの立派な門構え、そして店構えであった。
煉瓦を積んだ石造りの建物は、現代日本で暮らしてきた少年には珍しく映ったようだ。少年の視線の先には、白っぽい石造りの建物が並び、黒や青といった屋根が異国情緒たっぷりの町並みを見せていた。
足を止めた少年は、全体を見渡すように眺める。そんな少年を催促して、獣人の彼が店へと向かった。
ダルクハムは一階の入り口から堂々と足を踏み入れる。
まだ朝の早い時分に、商人見習いの若い衆が気付いたように挨拶してきた。いずれも見習いだが、小奇麗な服装をしており手慣れた様子で開店の準備をしている。
「ごめんよ」
ダルクハムの慣れた様子に、少年は彼と、この店との特別な関係性を見て取った。
「おっちゃん! いるか?」
店舗内に響く大声で呼ぶ。ダルクハムにとって親しい人物が働いているのだろうかと、少年は考えていた。
そんな考察を年配の男性の声が遮った。
見れば恰幅の良い体格をした40代の男性がこちらへ歩いて来るではないか。
身長こそダルクハムに比べれば小柄だが、人族としては平均的な体格だ。髪に少しばかり白髪が混じり始めているが、日に焼けた肌は艶も良い。見る者が見れば大店の主人としての貫禄も十分伺える。
その壮年の益荒男が慌てて小走りでやって来るというのも身内を心配しての事。ダルクハムの方も男性の側に寄って行った。
「ダルク⁉︎ この数日どこに行ってた? 心配かけるなと、あれ程言ってただろう?」
男性の目がダルクハムを見て、次いでその背後に担いだ異様な物に注がれた。次の言葉が出たのは、少し間が空いた後だった。
「……おい、お前。そりゃ、なんだ?」
何か途方も無い代物を見せられたような顔で、男性が尋ねた。その顎髭を蓄えた顔が、ぽかんと口を開けている。
「見てくれよ、俺たちの戦利品だ」
差し出された双牙はかなりの重量の筈だが、ダルクハムは全く重さを感じさせない態度で其れを差し出した。
ギシリと牙を結わえたロープが悲鳴をあげる。
ゆっくりと降ろした筈の魔獣の双牙は、ドスンと音を立てて床を鳴らした。
床面に降ろしたというのに、ダルク達の身長を超えるほど巨大な牙は圧倒的な存在感で見る者の視線を奪う。ダルクハムがポンポンと叩く牙は、どう見ても大型魔獣のものだ。それを男性も分かっているのだろう。信じられないという表情で牙を上から下へと見返していた。
愉快そうなダルクハムの笑みに、店の主人らしい男性が視線を彼に戻した。
その目を正面から見て、ダルクハムが言った。
「倒したぜ。“奈落”の主を」
「あっ⁈ はっ……? お、お前……何を言って……?」
指差す牙の巨大さに、男性は理解が追い付かない様子だった。それでもダルクハムは無駄を省いた説明を続け、この店の主人を更に混乱させた。
「おっちゃんの伝手で人手を集めてくんねぇかな? 討伐したはいいが、まだ主はそのまま置いてきたんだ」
「……ホントか? 本当なのか、ダルク⁉︎」
主人である男性が真顔で聞き返す。事はそれ程に重大な内容だった。
本来、こんな旅籠の一角で済ませていい話ではないのだ。
これまで周辺の町までも、その脅威に晒されてきた。全ての元凶たる魔獣、大猪が討たれた。その価値は計り知れないものがあった。
「わ、分かった。すぐに人手を集めよう!」
「集まったら教えてくれるかい? 詳しく場所とか言わないと危険なんだ」
「分かった。部屋でゆっくりしてろよ、ダルク。ぜんぶ手配を済ませてくる!」
そう言うや店の主人は脱兎の如く外へと駆けて行った。さの後ろを見習いらしい若い衆が慌てて駆けて行った。
「来いよ、ユウ」
一仕事終えたように嘆息するダルクハムを見る。やはり彼も疲れているのか手首や肩を回していた。
「ダルク、ここは実家なのか?」
少年の問いに、獣人は答えた。
「そんなもんだ」
ニヤリと嗤うダルクハムにも事情があるのだろう。ユウにとって彼は、この世界に来て初めての友人に等しい獣人である。あまり立ち入った事を聞くのは少年にとっても憚られた。
獣人のダルクハムにとって、人族の店の主人は赤の他人の筈だ。込み入った事情を聞くのは少年には負担が大きいのだ。
視線が下がる少年を見て、ダルクハムが尋ねた。
「取り敢えず、疲れたからな。早く部屋で休もうぜ」
首を鳴らして荷物を担ぎ直すダルクハムは、慣れた様子で客室らしい部屋へと足を向ける。そこで、ふと少年を振り返る。
「そういや、ユウはこの街に来たのは初めてか?」
突然の質問に、少年の鼓動がドキンと脈打つ。知られたくない事に、踏み込まれた気がして不安になる自分がいた。
「ああ、他意はないんだ。ただ、暫くここに拠点を置くといいぜ。親爺には俺から頼んでみる。それに、“奈落”の主を倒した探索者なんだ。絶対ここに居てくれって話になると思うがな」
ダルクハムは変わらず明るい口調であった。少年の返事だけが辿々しかった。
「あ、ありがとう……」
少年はぎこちない返事を取り繕おうとしたが、何故かダルクハムの顔を見ることが出来なかった。視線が彷徨う。
それきり会話も無いまま、少年達は魔獣討伐の疲れを癒すべく各自の部屋へ向かった。
そんな二人の遣り取りがあった頃、店の主人である男は指示を出す手を止めていた。
ある事を思い出したからだ。
「あぁ、しまったな! あまりの事にダルクに伝えておくのを忘れていたよ」
周囲では若い衆が男の指示に従ってバタバタと忙しくしている。男も大店の主人として、その統率力を発揮しなければならなかった。ふむ、と顎髭をさすり考える。
「大事な客人が逗留してるんだが……。まあ、同じ探索者だ。面識があるやも知れんなぁ」
男はダルクに伝えられなかった事を気にしたが、暫くして考えを改めた。
店に戻らず、人手を集めて準備を終える。それこそがダルクハムの助けとなることだ。男はそう考えて、目の前の仕事に取り掛かった。
案内された部屋の中で、ユウは先ず服装の汚れを落とした。
砂埃や泥汚れをはたき、改めて全身を確認する。高校の制服姿のまま異世界へと呼ばれた少年は、当然の如く着替えなどなかった。少しばかり魔獣の血が付いていたが、黒地の生地であったため無視する事にした。
なんとか寛げる部屋に来たが、現代日本との差異が目に付く。それを視界に入れたくないとばかりに少年は俯いた。
部屋に設えられた簡易なベッドに腰掛けて、取り敢えず一息つく。
身体中が重しを付けられたように疲労感が濃い。今まで、自分でも知らず気を張っていたのだと少年は気付く事が出来た。
「まいったな……」
少年が思い出すのは、昨夜からの出来事。
この名も知らぬ異世界に呼ばれ、体験した出来事が次々と思い出される。見知らぬ王国の為政者達と出会い、果ては生命の危機に晒された。今朝方まで体験した出来事に、今更ながら冷や汗をかく。
宿の一室で、ひとり天井を見上げた。その行為さえ、ユウにとっては気を休めるための足掻きにほかならかった。
(いったい……、これから俺はどうすればいい? 俺は、元の世界に帰れるのか……?)
静かな室内で少年の体温だけが、温かさを保っていた。決して居心地が悪い訳ではないのに、ユウの心は晴れないままだ。
眠るのが怖いと思った。ベッドに身を委ねて眠る。そして目覚めた時、まだ異世界にいることを知る。
それが現実だと知らされることが怖かったのだ。
疲れた身体を休めながら、ユウは考えをまとめようとした。しかし、上手く思考が回らないせいか今後の展望など望むべくもなかった。
無視できない疲労感が精神を責め苛む。それでも少年は瞼を落とすことを躊躇っていた。
少年が部屋の中で一人耐えていた時、階下の騒ぎ声が聞こえてきた。喧嘩ではないようだが、姦しい。男の声だけでなく、女の声も混じっている。
多数人の話し声が聞こえてきたのを言い訳に少年は部屋を出た。眠れない自分を宥めたかった。
次第にはっきりと聞こえてくる嬌声は、まるで誰かを歓迎しているようだった。商人達だろうか。商いの声ならばじゃましては不味いだろう。確かめるだけだ、と少年は自身の心を騙して尚も進む。
ギイ、と階段を鳴らして少年は階下へ降りていく。重いはずの足を動かして、ユウは警戒しながらも階下へ向かった。
「武器は自分の愛剣だけでいいぞ。急いで準備しろ!」
威勢の良い声が飛ぶ。
「馬車に乗り込む奴は手荷物を預けろ! 馬に乗る奴は数が揃い次第出るぞ!」
「そら、グズグズするな!」
声を掛け合い、武装する男達が準備に追われていた。
「他の連中に荒らされる前に行くぞ!」
そうした場の中心に、辺りに群れる男達を従える益荒男がいた。背中に二本の剣を背負っている。黒い耳が頭からピンと立っており、腰の辺りには黒い尻尾が垂れて、彼が獣人であることを主張していた。
鍛え上げられた肉体が強者の雰囲気を醸し出す。背中に漂う風格が違う。引き締まった腰や二の腕から見える筋肉も少年とは比較にならない。ダルクハムとは違う種族らしいが、戦士であることは間違いなかった。
その彼が振り向く。狼のような顔つきに灰色の瞳が鋭い眼光を放っている。
冷静に見ていた少年を威圧的な気が襲う。
「誰だ、お前? 見ない顔だが、探索者か?」
聞こえてきた声は、むしろ落ち着いた低い声であった。ゆっくりと近付いて来る足音も一種の余裕のような雰囲気を醸し出している。
双剣のガルフーー。
数多の探索者達から畏怖と尊敬をもって語られる人物が、ユウを視界に捉えていた。
圧倒的なカリスマ性を纏う獣人族の戦士。歴戦の強者が持つ勘がガルフに警戒を促す。彼は人族の少年の瞳に何を見るのか?
次回、第12話『双剣』でお会いしましょう!




