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「一話、ひとつだけ許せないこと 3」の付け足し

本文


教室にはすでに、真辺まなべのための机と椅子が運び込まれていた。

そのせいで今朝のクラスは、普段よりも騒然としているようだった。どこかから「転校生?」とささやく声がきこえた。

チャイムが鳴ったすぐ後に、ドアが開いてトクメ先生と真辺由宇まなべゆうが入ってくる。そのとたんに教室が静まりかえる。

「今日から皆さんに新しい仲間ができます」

とトクメ先生が言って、綺麗な字で、黒板に彼女の名前を書く。

真辺は緊張している様子もなかった。

「真辺由宇です。よろしくお願いします」

そう言って、頭を下げる。

再び顔を上げた彼女は、毒気のない笑顔を浮かべた。

「私と七草ななくさはこれから、島を出る方法を探します。皆さんにもぜひ協力してほしいと思っているから、気楽に声をかけてください」

クラスが息を飲んだのがわかった。

島を出たいと語るのは、ちょっとした禁忌だ。クラスメイトたちの多くはかつてこの島を出ようとして、でもすでにそれを諦めている。諦めた目標を再び目の前につきつけられるのは、気分のよいことではない。

「簡単に言うなよ」

と誰かが言った。ほんの小さなささやき声だった。

まずいなと僕は思う。真辺は議論を躊躇わない。

彼女はまっすぐにその生徒――吉田という男子生徒だ――をみつめる。

「確かに私は、この島から出るのがどれだけ難しいのか知らない。でもどんな時でも、目標を口に出すのは間違ったことじゃないと思う」

真辺に悪意がないことを僕は知っている。攻撃的な意思もない。ただ思ったことを率直に口に出しただけだ。でもストレートな言葉は多くの場合、攻撃的に聞こえる。

一瞬、吉田が驚いたように顎を引いた。

彼が反論するよりも先に、僕は口を開く。

「違うよ、真辺」

真辺がこちらを向く。

僕はゆっくりと、できるだけ感情を込めないように続ける。

「あらゆる言葉は、誰かを傷つける可能性を持っている。明るい言葉でも愛に満ちた言葉でも、どんな時にも間違いのない言葉なんてないよ」

また。クラスメイトたちが息を飲んだ。僕はあまり教室で目立つ生徒ではないから、急に喋りはじめたことに驚いているのだろう。

いつだってそうだ。真辺が現れると、僕は望まない行動を強いられる。とはいえ真辺と吉田がやり合うよりは、僕が相手をした方がよほど後々に問題を残さないだろう。

真辺はゆっくりと、時間をかけて頷いた。

「確かに、そうかもね。どんな時でも、と言ったのは間違いだった。ごめんなさい」

「うん」

「でも、まだわからないな。島から出たいと言うことが問題?」

問題だ。とはいえ懇切丁寧に、僕たちは弱くて、もう諦めていて、なんて説明してはいられない。

「その話は後にしよう。みんなのホームルームの時間を、君の都合で奪っちゃいけないだろう?」

「そっか。確かにね」

彼女はまた、ごめんなさい、と頭を下げた。

トクメ先生が、「では席についてください」と言った。

僕は内心でため息をつく。本人にそんな意図がなかったとしても、真辺由宇の自己紹介はあまりに的確だった。ほんの短い時間で、彼女の性質の一端をわかりやすく表していた。

致命的に、真辺由宇は周囲に馴染まない。


彼女が突然なにか厄介なことを語り始めるのではないか、と気が気ではなかったけれど、授業は滞りなく進行した。

一見する限りでは、真辺は真剣に授業を受けているようだった。基本的には真面目な生徒なのだ。口を開かなければ優等生にみえる。

彼女は休み時間になると、僕のところにやってきて、「なぜ島から出たいと言ってはいけないの?」と質問した。

仕方なく僕は答える。――いいかい、真辺。誰にだってそれぞれの居場所というのがあるんだ。深海魚には深海魚の居場所があり、ホッキョクグマにはホッキョクグマの居場所がある。海の底でここは暗すぎると言っても仕方がないし、北極でどうしてこんなに寒いところにいるのと尋ねても仕方がない。あるいは深海魚だって、青空に憧れているのかもしれない。ホッキョクグマだって、南国でフラダンスを踊りたいのかもしれない。でもね、彼らにはそれができないんだよ。彼らの前で、私は青空の下でフラダンスを踊りますと言ったら、そりゃやっぱり傷つくさ。

真辺は僕の話を上手く理解できないようだった。

「でもこの教室にいるのは、深海魚でもホッキョクグマでもなくて、同級生だよ」

つい僕はため息をつく。

「僕たちはね、君に比べればずっと、深海魚やホッキョクグマに似ているんだよ」

そう言ってみたけれど、真辺は首を傾げるだけだった。

深海には深海の幸せがあり、北極には北極の幸せがあるように、ごみ箱にはごみ箱の幸せがあるのだと僕は思う。

でもその幸せは、ごみ箱を受け入れなければ、きっとわからないだろう。


筆者ぼくですの編集・付け足し



彼女が突然なにか厄介なことを語り始めるのではないか、と気が気ではなかったけれど、授業は滞りなく進行した。

一見する限りでは、真辺は真剣に授業を受けているようだった。基本的には真面目な生徒なのだ。口を開かなければ優等生にみえる。

彼女は休み時間になると、僕のところにやってきて、「なぜ島から出たいと言ってはいけないの?」と質問した。

仕方なく僕は答える。――いいかい、真辺。誰にだってそれぞれの居場所というのがあるんだ。深海魚には深海魚の居場所があり、ホッキョクグマにはホッキョクグマの居場所がある。海の底でここは暗すぎると言っても仕方がないし、北極でどうしてこんなに寒いところにいるのと尋ねても仕方がない。あるいは深海魚だって、青空に憧れているのかもしれない。ホッキョクグマだって、南国でフラダンスを踊りたいのかもしれない。でもね、彼らにはそれができないんだよ。彼らの前で、私は青空の下でフラダンスを踊りますと言ったら、そりゃやっぱり傷つくさ。

真辺は僕の話を上手く理解できないようだった。



「でもこの教室にいるのは、深海魚でもホッキョクグマでもなくて、人間だよ」私は言った。

授業で歴史を学んだなら、人間には努力すれば創造できると教わっているはずだ。私は話し合いをしたい。感情論について話したいわけじゃない。一々、嘆いていては話が進まない。

七草はため息をつきながら言った。

「僕たちはね、君に比べればずっと、深海魚やホッキョクグマに似ているんだよ」

どういうつもりで言っているのか、全くわからなかった。人間とほかの動物に違いはない、と思う。私と、七草や他の人間も同じように違いはないはず。もし青空や南国に憧れている動物がいるなら、腹を括って進む以外はないはずだ。

と、ここまでを頭の中で、言葉にはっきりできていたわけじゃなかった。ただ、そういうふうな感情を抱いただけだった。だから、せめて首を傾げて、違うと思う、ということを示した。私は話し合いがしたい。



そう言ってみたけれど、真辺は首を傾げるだけだった。やっぱり馬鹿だと再び思った。普通に苦楽を受け入れて、普通に満足していれば、普通に生活していれば、真辺のように――真辺に自覚はないだろうが――熱い考え方にはならない。

そうは思ってみても僕も、深海には深海の幸せがあり、北極には北極の幸せがあるように、ごみ箱にはごみ箱の幸せがあるのだろうとただなんとなくでしか思えない。

その幸せは、ごみ箱を受け入れなければ、きっとわからないのだろう。

きっと、僕ら以外の他人はそれで平気なのだ。それで平穏を保っていられるのだ。

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