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chapter-9

 9


 放課後のチャイムが鳴る。

 退屈なホームルームが終わるのと同時に、大勢の生徒が席を立ち始めた。

 外はまだ明るいが、直に日が落ちていくだろう。

 端の席へ腰を下ろす智仁は、自分も準備を済ませようとして腹の痛みに気付く。

 鞭で打たれているような感触だ。

「っ……」

 思わずうめき声をあげる。まだ前日の傷は残っていた。

 結局、あの場にいた中に肝心のタイクーンはおらず、無駄足を踏んだと言ってもいい。

 今日ぐらいは高校を休み、家で休養しようとも考えたが、心情がそれを許さなかった。

 学校に行く、ということは大して楽しいことでもない。それは大抵の生徒と変わりなかった。

 しかし智仁の中では、学校生活とは「退屈と平穏」を象徴するものであり、唯一仕事から逃れられる時間でもある。

 家にいれば、スイーパーとして有ることしかできなくなる。それはゴメンだった。

「おーい」

 ふと、声がかかる。顔をあげてみると、隣席のライサがこちらを見つめていた。

 相変わらず整った作りの顔をしていて、智仁は少し気圧される。

「なんだ?」

「いーや♪ なんだかひとりの世界に浸りきっていたみたいだから」

「心が落ち着いていいぞ。瞑想みたいだ」

 智仁は鼻で笑うと、腹を擦る。

「……変なものでも食べた?」

「ちがう。そっちじゃなくてさ」

 何と説明してよいか迷う。智仁が答える間もなく、ライサが眉をあげた。

「あー、カツアゲでもされたの」

「俺、そこまで貧弱に見える?」

「雰囲気が暗いんだもん♪」

 くすくす笑う少女にしかめっ面を作ってやると、彼女は肩を竦めた。

「じょーだん、じょーだん。ボクなりの気遣いってやつだよ」

「そりゃどうも。できれば声をかけないでもらえると、かなりありがたいんだけど」

「まあまあ。そんなにいじけないでさ」

 ライサは背筋を伸ばすと、両手を組んで伸びをする。

 彼女の身体が図らずしも強調される形になり、智仁は眼をそらした。

「喧嘩でもしたの?」

「事故みたいなもんだよ。腹に突っ込まれた」

「なにが突っ込んできたのさ~? その様子だと、けっこう痛そうだし」

「鉄球」

「はあ? 頭でも打ったの」

 こちらの正気を確かめるかのように、ライサが眉をひそめる。

 腹の痛みが激しくなったので、智仁は額にシワを作った。

「正気だよ。変なおっさんに思いきりやられた」

「それで、なにかもらったんでしょ」

 智仁は表情を消して、ライサのほうを見やる。

 彼女は懐から可愛らしいスマートフォンを出して、画面をタッチしていた。

「なにかもらった、とは?」

「慰謝料に決まってんじゃん。まさかなにもタカらずに帰ってきたの?」

 無作法者を見るかのように、こちらをまじまじと見つめる。

 智仁は苦笑すると、言った。

「そういうタイプだったんだな、ライサは」

「なにをイメージしてるかは知らないけど、取るものは取らないとね~」

「したたかと言えばいいのか。まあ、もらうものはもらった気がする」

「気がするってなんだよー」

「予告状みたいなもんだよ。俺にとっては価値があった」

「ちょーっとボクには意味が分からないなぁ」

 彼女が小さくかぶりを振る。ふとその視線がスマートフォンの画面に移り、次いで口角があがった。

 ライサが笑顔を浮かべ、智仁を見る。

「ま、そんな話はいいからさ♪ 耳寄りな話を教えてあげる」

「胡散臭いなぁ、オイ」

 露骨に顔を歪めると、彼女はけたけたと笑う。

「まあ、騙されたと思って信じてみるといいよ」

「内容は?」

「今から屋上に行ってごらん。教科棟のほうね」

「どうして行かなくちゃいけないんだ?」

「相手にしなくてもいいけど、かなり後悔すると思うよ♪」

 嬉しそうにする相手を見て、智仁は鼻を触ると、小さく舌打ちした。

「……分かったよ。行けばいいんだろ」

「そうそう。それでいいの。君はボクの言うことに従ってればいいのさ~」

 むふーと得意げな表情をする彼女。

 それに肩を竦めながら、彼女の真意を図りかねていることも確かだった。

 与熊ライサという少女は、どこか悪戯っぽいところがあって、中身が見えない。

 智仁はライサとの会話を切りあげると、廊下に出て、近くの窓を覗く。

 そこからは特殊教科棟が見える。灰色の外壁に教室棟の影が覆いかぶさっていた。


 * *


 教科棟の屋上。その扉の前で唇をさわる。

 乾いて、ざらついた感触が神経を通して伝わってきた。

 この先になにがあるかは分からない。あるいは単純に騙されたのやもしれない。

 なんにせよ、こんなお遊びは早い内に終わらせるべきだった。

 二回目だ。小さくつぶやくと、智仁は扉を開けて、屋上へと出る。

 微風が顔に当たる。生ぬるい温度に妙な心地よさを覚えた。

「ん、来てくれたんだ」

 声がした。銀鈴がころりと鳴るような、透る音だ。

 智仁はそちらに顔を向ける。黄色がかった陽光を受けて、きれいな黒髪が際立つ。

「あ」

 何か言おうとして、少しだけ気恥ずかしくなる。

 月倉礼佳がフェンスを背にして立っていた。彼女は微笑んでいた。

「智仁くんの連絡先、知らないから」

 彼女はどことなく弁解するような口調で言う。

「ごめんなさい。でも来てくれてうれしい」

「そうか。君だったんだ」

 うん、と彼女が頷く。

 ――相手にしなくてもいいけど、かなり後悔すると思うよ。

 ライサの言葉が思い出され、確かにそうだと心中で苦笑する。

 これを逃したら、智仁はいろんな意味で悶絶する羽目に陥っただろう。

「そっち、行ってもいい?」

「来てほしいよ」

 彼女がいるフェンス間際まで歩く。

 ふわりと鼻を撫でる香りに、智仁は心安らいだ。礼佳の匂いだ。

「あの日はとても楽しかったね?」

「ゲーセン? あー、うん」

 最初はそれなりに戸惑ったものだが、今では甘美な記憶だった。

 まだ握った手の暖かみを覚えている。

「楽しかった、な」

 礼佳は髪を手で押えながら、穏やかに笑みを浮かべている。

 頬をさわってみた。自身の顔もいくらか緩んでいた。

「また行きたいな。いろんなところに」

「そうか? 俺はけっこう疲れたからアレだけど」

 苦笑して、言葉を続ける。

「でもさ。ふたりでなら、悪くないかも」

 言ってから顔が赤くなるのを感じる。

 そういう雰囲気だったとはいえ、似合わない台詞を吐くのは辛い。

「ふたり……そうだね。もっとふたりで」

 ぽつりと彼女が言って、沈んでいく太陽へと視線を向ける。

「私はね。あなたのことが好き」

 その言葉には誠実さがあった。智仁は答えあぐねる。心臓の鼓動が早くなった。

「あなたの色が好き。あなたの言葉が好き。あなたの弱さが好き」

 彼女が智仁へと向き直る。

「だから、私のことも聞いてほしいの」

 受け止めてほしいと、眼前の少女は言う。

 彼女の足が小さく震えていた。

 智仁は言うべき言葉をずっと持っている。そして、今が語りかける時なのだった。

「俺も、君のことが好きだ。だから話してほしい」

 彼女が瞳を伏せた。時間が経つ間、両者の耳に届くのは校庭の喧騒だった。

 ふと、彼女が破顔した。智仁の胸に飛び込んできて、ぎゅっと身体を抱きしめられる。

 柔らかい感触と女性の香り。どうしてよいか分からず、ぎこちない動作しかできない。

 だが、小さく彼女の嗚咽が聞こえた時、智仁はひどく安らかな表情になって、彼女の背中を優しく撫でた。

 誰しも先を急がせることはない。ただ智仁は彼女が泣き止むのを待った。

 それは今まで知ったことのない感情だ。スリルでもなく、平穏でもなく。ただ愛しかった。

「ぐずっ……ごめんね」

 彼女が抱き着いたまま、か細く言う。

「謝らなくていいよ」

 ぐりぐりと顔を押し付けてくるのが分かる。まるで親に懐く子犬のようだ。

 智仁は苦笑して、自分の中でこの少女への愛しさが明確に形をとっていくのを感じながら、言った。

「変わりもの同士だな、俺たち」

「うん」

「礼佳って呼んでいいかな」

「うん」

「笑顔が見たいんだけど、いいかな」

 風が流れた。今までの微風ではなかったが、やさしい風だった。

 彼女が顔をあげる。涙でぐしゃぐしゃ。けれど一番素敵な表情だ。

 礼佳は笑う。今まで見たことがないほどに、親密な笑顔がそこに浮かんでいた。

「きれいだ。すごく」

「ふふ、ありがと」

 抱き着いたまま、彼女が苦笑する。

「……服、汚しちゃった」

「気にするなよ。別にいいって、これくらい」

 むしろご褒美だ、と言いかけて慌てて口に留めた。

 少女が一旦身体を離す。去っていく感触に名残惜しさを感じつつ、智仁はなんでもないように振る舞う。

「私ね。ずっとむかしから色が見えたの」

 彼女はぽつりと溢す。智仁は眼を細め、聴覚に集中した。

「その人に付帯するいろんなものが見えて、最初は楽しかった」

 声のトーンが落ちる。

「……私は養子なの。本当のお父さんとお母さんの顔は知らなくて、気付いたら今のお義父さんとお義母さんのところへいた」

「優しかった?」

「最初はね。たぶん、普通の人だったの。色が見えることを話したら、それはすごいことねって……お義父さんは将来、芸術家になれるんじゃないか、って」

 彼女が眼をつむる。

「その内、冗談じゃないことが分かってきたみたい。気分も、過去も、具体的じゃないけど見えるもの」

 智仁はなんと返答してよいか分からず、押し黙る。

「精神科に連れていったり、有名なカウンセラーの人に診てもらったり、遠い宗教施設まで行ったかな」

 彼女の顔はただ穏やかだった。夕日が頬に辺り、その陰影を際立たせる。

「お薬もたくさん飲んだし、カウンセリングも受けた。でもね。色は見えるの」

「それは君のせいじゃない。悪いことでもない」

「ありがとう。そう言ってくれるあなたが好き」

 礼佳がゆっくりと眼を開いて、暖かく微笑む。

「でも、気味が悪かったんだろうと思う。私に沢山してくれて、それには感謝してるけど、次第に距離ができたんだ」

 もう手に入らないものを懐かしむように、彼女は夕日を眺める。

「とても苦しかった。なんで普通の子じゃないんだろうって、ずっと思ってた。お義父さんとお義母さんを苦しめてるのは私だと思ったの」

 そして、と彼女が言葉を続ける。

「もう一度生まれ変わろうって考えた」

 繊細な指がフェンスを優しく掴む。

「もう一度生まれ変わって、また普通の子になろうって。そうしたらきっと、一人でいなくても済むって」

 少女は淋しげに微笑んだ。

「マンションの屋上でね。こんなフェンスを一生懸命に登って、乗り越えたんだ」

「死のうとしたのか?」

「うん」

 なんともないように言う彼女に、智仁はショックを覚える。

 自分だったらそんなことは考えもしないだろう、と思うのと同時に、何故だとも自身に問うた。

 父親が目の前で拷問され、それを見せられる自分。

 あの時、死の臭いはあたりに満ちあふれ、智仁はそれを心から嗅いだハズだった。

 自らがそうなってもおかしくはなかったのだ。

「屋上から見るとね。いろんな人の色が、ぽつぽつと蟻の群れみたいに浮かびあがるの」

 彼女が言う。

「とてもきれいでね。ああ、きっと生まれ変われるってうれしくなって」

 可愛らしい口笛が聞こえる。彼女の瑞々しい唇が閉じられると、それは地平線へと消えていく。

「ひゅうって落ちたの。自分から足を出して、頭から真っ逆さま」

「でも、君は生きてる」

「ふふ、そうだね」

 くすくすと笑う彼女。手汗をスラックスに擦りつけてから、智仁は言った。

「助かったんだね」

「……落ちる時はね、すごい早さ。隕石の気持ちと言えばいいのかな」

 風に揺られて、黒髪が乱れる。

「何の感慨もなくて。ああ、これが死ぬってことなんだな、って考えた瞬間。木の真上に落ちたの」

 本当にそれで良かったのか分からない、とでも言いたげに、眉を下げる。

「最初に感じたのは深い落胆。つぎに染み込んでくるような絶望」

「……ご両親はなんて?」

「怒られなかった。その代わりに、お義母さんとお義父さんがものすごい喧嘩をしたの」

 口を開こうとして、閉じた。

「大丈夫か?」

「ちょっとね。手を繋いでくれる」

 智仁は恐る恐る彼女の右手を握る。また手汗が滲み出てこないように祈った。

「勇気の魔法だね」

 彼女が微笑んで言う。智仁は妙にこそばゆくなって、苦笑する。

「それは君の勇気だよ」

 彼女はゆっくり首を振ると、一度真剣な表情になって、言葉を続けた。

「……聞いたんだ。あの娘のせいで、満足に眠れないって」

 手が固く握りしめられる。

「一緒にいたら、こっちが精神をやられる。心が読み取れる化け物。私たちを不幸にするため、生まれてきたって」

 胸がざわついた。智仁はその言葉に怒りを抱いた。

「喧嘩している内、私に気付いたんだね。ふたりの眼がこっちへ向いたの」

 礼佳は息を吐いた。

「はっきり分かった。ふたりは私を恐れて、憎んでた」

「どれほど苦しいのか、察しもつかない」

「ふふ。すぐにふたりは喧嘩を止めたけどね。それ以来、私は家に居場所がなくなった」

 その気持ちが智仁は分かるような気がした。

 学生でいない時は、ずっとスイーパーであるかれにとって、学校だけが避難所だった。

 退屈で平穏で、友人もほとんどいない。路傍の石ころみたいに無視されるような存在だ。

 それでも――ただの子供でいられる。

「学校でも友達はできなかったかな。色の話はできるだけしないようにと思ったんだけど、無理だった」

「普通じゃないことは、それだけでハンデだからな」

「そうだね。みんな用意された枠に、必死になって入ろうとしてる」

 ふと気づけば、周囲は橙色に染まっており、黒い影が尾を引いている。

 あらゆる場所には隅ができて、やがて闇が隆盛するだろう。

「高校生になったら、もう諦めたの。私は私でいようって。枠に入ることは、どうせできないんだから」

「開き直りだけど、大切なことだ。弾かれものになったら、下手にあがくだけ損さ」

「智仁くんもそうみたい?」

 彼女の瞳が悪戯っぽく輝く。智仁は笑いを返した。

「けっこう前からそうだったよ。苦にならない……なんてウソだけど、もうひとつの世界があるから」

「もうひとつの世界。私にとっては、それが色だったのかも」

「今でもそうかい?」

「今だと――」

 少女は智仁のほうをじっと見つめて、おもむろに口を開く。

「あなた」

「俺?」

「そう、あなた」

 優しく微笑む。智仁は視線を泳がせた。

「……どういうことかよく分からない」

「本当に分からないなら、ちょっとだけ怒っちゃうかも」

 がおーと両手を頭の上にもってきて、犬が吠える様を作る礼佳。

 それが可愛くて、智仁はふっと笑みを溢した。

「む。ほんとに怒るよ」

「ごめんごめん。君が可愛くてさ」

 彼女はそっぽを向いたが、顔が赤くなっているのが見える。

 智仁は改めて言うべき言葉を探した。彼女が言った。

「孤独でいることが怖い。今もそう。昔からずっとそう」

「俺は……」

「無理にとは言わないよ。でも、私はあなたが好き。私の世界にいてくれるあなたが」

 そっぽを向いたまま、彼女が言葉を届ける。

「それは本当のこと」

 智仁は唇を指でなぞった。乾いていた。

 舌を入れて、湿りをくれる。

 言うべき言葉を見つけたとき、脳裏に別の声が響いた。

 ――裏切り者。

 背筋が硬直する。声は脳裏に形をとった。それはふたりの姿だ。

 孤山智仁という少年と、その親友である楠木将人。

 現れた自分は羞恥と怒りで顔をいっぱいにしていて、将人は分かりきっていたとばかりに軽蔑を浮かべている。

 ふたりは言った。

 ――恥知らずのクズになりたいのか?

 智仁は思わず奥歯を噛んだ。分かっていた。彼女と共にあるということは、決別を意味する。

 今まで付き合ってきた親友の頬を打ち、足蹴にするようなやり方だ。

 やるべきではない、と理性が囁く。ここで身を引いて、関係を修復するべきだ、と。

 それでも鼓動は高鳴っている。本能は走りだそうとしていた。

 分かっていた。選ばなくてはならないことを。

「仮面を抱いて、生き続けられないよな」

「……私はね」

「俺もそうだ」

 壊れ物を包むようにして、彼女の身体を引き寄せた。

 華奢な肩に手を置き、顔を寄せる。透き通るような色をした眼が、だんだんと広がっていく。

 顔を傾ける。唇を合わせた。

 彼女の開かれた瞳が、ゆっくりと閉じられていく。

 甘美なる体験だった。もう離れたくないと思うほどに。

 時間が永遠に回るような気がする。この時だけが真実で、ほかは全て偽りのような気持ちが湧き上がる。

 眼前の少女が愛おしく、彼女を離したくないという気持ちが智仁の中で加速した。

 それでも、魔法は終わる。

 お互いに顔を離す。ぼんやりとした瞳。自分が今どうなっているのか、一瞬理解できない。

 彼女が言った。

「……智仁って、呼んでいい?」

「うん」

「恋人に、なってくれる?」

 心臓だけが激しく高鳴り、四肢は浮いたような感触に囚われている。

 自分が冷静でないことは意識していた。だが、智仁はそんなことは百も承知だった。

「もう一度やろうか?」

「くすくす」

 彼女が微笑む。まるで薔薇の大輪が咲いたようだ。

 改めて抱き付いてくる。口付けをせがみ、首に手を回す。

 啄むようなキスを何度も繰り返す。未知の体験に溺れるように。

 やがて感情が落ち着いた時、ふたりの手はしっかりと握られていて、互いの顔は幸福そうに緩んでいた。

「ずっと悩んでたの」

 肩を預けながら、彼女が口を開く。

「このまま、ずっとひとりでいるのかなって」

 死ぬかもしれない、だがそれでいい。

 智仁は半ばヤケになっていた自分を思い出す。

 大事なものなど何一つなく、いつか死んでいく運命にあるのだと笑って受け止める。

 それは強さだと思っていた。だけど違った。それは恐怖だったのだ。

 迫り来る死の予感から眼をそらすために、諦めという酒を飲んでいただけだ。

「でもね。あなたが来てくれた。私の王子様」

「白い馬はないし、鎧も着ていない。顔だってハンサムじゃないし、大して強くもないよ?」

「それでも、あなたは私の恋人だもん」

 無邪気な笑みを浮かべ、智仁の腕に肌をすり寄せる。

 彼女を可憐だと思う。こんな美しい少女は、滅多にいないとも。

 智仁は帰る場所を見つけた気がした。

 それは金で手に入る不動産でもなければ、友人のいない故郷でもなかった。

 この華奢で、脆く、繊細な少女のとなりだ。

 智仁が頭を撫でた。柔らかく、艶やかな髪の感触と、ふわりと香るシャンプーの匂い。

 礼佳が眼を細める。

 夕日は、既に訪れていた。今の眼で見る太陽は、きれいだった。


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