chapter-7
7
時刻は昼時。辺りを陽光が照らし、雲ひとつない晴天。
さほど人気のない十字路の近くに、一軒のファミレスがある。
隅のテーブルに少年がふたり腰を下ろしていた。
「お前はなに喰う?」
「俺は、この、ストロベリー・ビッグ・モンストルム・パフェとかいうのを」
「いきなりパフェかよ。しかも写真からしてヤバいぞ、これ。お前の血糖値がうなぎ登りだよ」
「青春って後ろを振り返らないことだろ、智仁」
「ちょっとイイこと言った、みたいな顔しやがって。この地獄パフェの場合は、今そこにある危機だろ」
「知ってるか。モンストルムって危険って意味なんだってさ」
「尚更ヤバいじゃないかよ、この野郎。知ってるなら頼むな」
メニュー片手にあーだこーだと賑やかし合ったあと、智仁はぐったりとシート席に背を預ける。
「それで? たまには遊びに出ようって話だけど?」
「言葉通りだろ。なにか不審なところでもあるのか」
眼前の少年――楠木将人が肩を竦め、爽やかなルックスで笑みを作る。
「なんだかなぁ。お前の取り巻きに連絡すれば、幾らでも都合の良いやつが見つかるだろ」
「捻くれ過ぎてるな、ったく。苛々するぐらいだ」
将人が眉をあげて、ため息を付く。
「俺はお前とバカやりたいから、連絡入れたんだよ。他の人間は関係ない」
「だろうな。分かってるよ」
苦笑を浮かべ、智仁は考える。
結局のところ、自分の中には根深い負い目が残っているのだろう。
親しい友人だと表現してもいい。一緒にいても楽しい。
それでも、どこかで理由を探し、こいつの相手は俺ではないと思う。
かれはその答えを見つけた時、いつも卑屈にすぎると自分を叱ったが、同時に経験から積み重ねてきたものだとも理解できた。
「分かってるなら、そんな話はするな。不愉快だ」
「悪かった。もう二度としないよ」
「ならいい。ところで」
重い空気を断ち切るように、将人は少し意地の悪そうな笑みを浮かべた。
「……お前、彼女はいないよな?」
「それは“確認”か? それとも“嘲笑”か? いずれにせよ“挑発”だけど」
「オイオイ、俺は耳寄りな話をお前に持ってきたんだよ」
「女なんぞいなくても生きていけるさ」
「我ながら、相当苦しい言い訳だと思ってるだろ」
「……話の本題に移ってくれ」
待ってましたとばかりに、将人はスマートフォンをタッチして画面を見せる。
「これRAILの会話履歴なんだけどさ」
「俺も入れてるけど、ほとんど使ってないよ、それ」
「お前のぼっち歴はともかく。あの転校生を覚えてるだろ? ボクっ娘」
智仁は空き教室での会話を思い出す。妙に懐いてきた少女だ。
今にして思えば、なんとなく怪しげな風であったが、魅力的なのは確かだった。
「与熊ライサだろ。彼女がどうかしたのか?」
「よーく、会話履歴を見てみろ」
智仁は画面に視線をやる。RAILは俗に言うインスタントメッセージで、今時の若者なら誰でも利用していた。
左右にプロフィール画像が並び、そこから吹き出しの形で、言葉が発信される。
覗いてみると、将人はよい写り方をした自撮り写真で、相手のほうはハサミを持ったウサギのキャラクターだった。
妙にファンシーだな、と思いつつ履歴を辿っていく。
「お前、彼女とRAILのコンタクトしてたんだな」
「ライサはいい娘だよ。聞き上手だしな」
まあ、この男なら当たり前か、と考えている最中、とある吹き出しに眼が止まる。
前後は智仁自身に関する話題で、どちらも共通の知人として扱っていた。
こそばゆい気持ちもあるが、大事なのはこれだ。
「……お、俺が気になってる……だとう!」
「くっくっく」
将人は笑いを堪えようとして、口を押さえる。
「驚いたよ。彼女、お前に興味があるんだってさ」
「いやいや。どう考えても承知できないぜ、この話。お前図ったんじゃないの?」
「そんなことして何の得があるんだよ。マジでそう言ってる。現実を受け入れろ」
「いや、しかし。俺が好かれる要素なんざないだろ。意味が分からない」
「理由のない好意ってのもたまにあるんだよ、ミスター・童貞」
「つぎ言ってみろ。お前を吊るし首にしてやる」
「ハイハイ。いずれにしても、お前は彼女のターゲットなんだよ。幸せだろ? 嬉しいだろ?」
嬉しいか、嬉しくないかと言われれば、それは嬉しいに決っている。
しかし智仁は納得できない自分と、不安に苛まれる自分に気付いていた。
――将人が俺と親しいことを知って、会話の足掛かりにしているだけだろ。
もっともな結論のように見える。本心から興味があるわけではなく、本命は別にあるわけだ。
しかしそう思い込むには、例の空き教室での会話を考えると、少々難しい面もある。
となれば純粋にこちらへ興味を持っている、という可能性もあった。
「クソッ、厄日だな」
「マジかよ。あんな可愛い子と接点を持てて、言うことがそれか?」
「お前みたいな人種には分からないだろうが……いいか。仮に興味があったとして」
智仁が黙り、再度口を開く。
「そこから発展していくには努力が必要だし、運だってそうだ。駆け引きだよ、いいか。駆け引きだ」
「言っていることは分かるけど、理屈屋すぎないか」
「ああ、そうかもな。だけどそういう性分なんだ」
「疑心暗鬼ってやつじゃないの」
将人がうんざりした口調で告げると、智仁は肩を竦めた。
「ま、いいさ。今回でお前にも見えてくるものがあると思うぜ」
「なに? 今回ってどういうことだよ」
あれ、とばかりに親指で窓を指す。
ファミレスの内側からは、駐車場と道路が見渡せる状態になっている。
智仁は怪訝そうに一帯をながめて……すぐに理解した。
「おい」
「はい」
「なに頷いてんだお前。どう説明するんだよアレ」
「いやあ、紹介してくれってせっつかれちゃってさー」
「張 本 人 の俺に一言もないってのは、一体どういう始末なんだろうなぁ!」
「あはは。ドンマイドンマイ」
眼前の男にこぶしを叩き付けたい気持ちを必死で抑えて、智仁はファミレスの入り口に視線をやった。
ふたりの少女がいる。片方はふんわりとした感じの穏やかな少女で、もう片方は垢抜けた雰囲気の明るそうな少女だ。
「月倉と与熊ライサ……」
「月倉のほうはライサに誘ってもらった。お前みたいに物怖じしないのさ、俺は」
「ならひとりでやってろよ、クソッ」
智仁は慌てて髪を弄り、姿勢を整える。それを将人がニヤニヤと見やっていた。
やがてふたりがこちらの席を見つける。
ライサが人好きのする笑顔を浮かべ、手を振りながら近づいてきた。
もう片方の手は、どこか戸惑っている風な礼佳と握られている。
「やっほ。今日は企画してくれてアリガトね」
「ん、気にするなよ。こいつも喜んでたしな……やあ、月倉」
「ええと、はい。こんにちは」
その様子を作り笑いで観察していた智仁に、三人の視線が向けられる。
「あー、うん。どうも」
「わっはー。ナマの智仁」
ライサはするりと智仁のシートへ滑り込み、笑顔を大きくする。
智仁は笑みを保ったまま、さりげなく距離をとった。
「あの時以来だね。ボクと話すのは」
「ああ、そうだったかな。ところで――」
礼佳のほうに視線をやると、将人は窓側がいいか、内側がいいか、彼女に聞いて席を交換していた。
「なに?」
「いや、なんでもない。ところで企画って言ったけど」
「そうそう。企画だヨ、企画。ボクと将人が組んだの。せっかくの休日だし、いろいろ遊ぼうよって感じかな」
「いろいろ? ファミレスで飯を済ませるだけじゃ……」
「一応回るぞ。新装開店したゲーセンとか」
思わず顔が引き攣りそうになった。
ただ遊ぶだけだ、と分かっていても童貞には厳しい試練である。
「あ、ははは。成る程ね。だいじょうぶ、だいじょうぶ」
「顔がちょっと蒼くなってるよ? 智仁」
ライサが顔を心配げに覗きこんでくる。
理由のない好意。果たしてそんなものがあるのかは信じられなかったが、現実は現実だった。
智仁が彼女と話した時といえば、学校案内の途中くらいで、話が弾んだのを覚えている。
お互いの内面も、少しは吐露した。でもあれは、学校という場があったからだ。
プライベートで交流するのは、多少違った面がある。
「智仁くん。だいじょうぶなの?」
「まあ、気にしなくていいよ。すぐ治るから。ところで、こいつと知り合いなの?」
「え? うん。屋上で会ったの。良い人だよ」
「俺に黙ってたのかよ。このウジウジくんめ」
「……お前がその娘に懸想しているのは知ってるよ」
「表出ろ。その口を塞いでやる」
「暴力はんたーい」
ふたりがボールのぶつけ合いをしていると、小さな笑声が聞こえる。
視線を向けると、礼佳が笑みを溢していた。
「仲良いんだね」
「腐れ縁ってやつだよ。このウジウジくんの面倒をみてやってる」
「大した物言いだな、ったく」
「それよりもボクはご飯食べたいなぁ、ご飯。何か注文してもイイ?」
「ん、じゃあ俺はこのエビドリアで」
「腹にガッツリ入れとかないと持たないぞ、智仁」
「お前は例の危険物の心配でもしてろ」
「危険物?」
「パフェだよ。ジャンボパフェ」
「うわー……明らかにヤバいやつじゃない? これ」
「いや、でもうまそうだろ?……オイ、そんな眼で見るな!」
* *
辺りからゲーム音声がひっきりなしに聞こえる。店が流すBGMが重低音を響かせ、空気を振動させていた。
黒を中心にした内装は、そこかしこに並ぶ筐体とよく映える。
三階建ての新装店は休日ゆえに、大勢の若者で賑わっていた。
「混沌としてるね」
「こういうとこ、初めて?」
「ちらっと見たことは何度もあるよ」
礼佳が驚いたように言い、将人が微笑みを向ける。
「全員で回るわけにもいかないだろ。二と二で分かれないか?」
「ん、賛成かなぁ。ボクは智仁とイイかい」
智仁の若干引き攣った顔を見やり、将人は首肯する。
「俺は月倉とだな。あんまり刺激的なのもアレだし、一階を回るよ」
「ん~。ならボクは智仁と二階でも回ろうか、ねっ」
「うん、はい」
「オイオイ。大丈夫か? 顔がちと蒼いぞ」
「いや、あまりにもリア充ライクすぎて、俺の社会不適合魂が拒否反応を……」
「なら、尚のこと矯正しないとな」
にっこりとイイ笑顔を見せて、智仁の肩を叩く。
その隙にライサがかれの腕を掴み、ずるずると引きずっていった。
相変わらずの笑顔でこちらを見送る将人に中指を立てつつ、智仁は観念して二階へと歩く。
ライサは流行り曲のサビを口ずさんでいる。機嫌が良いようだった。
「まさか、こんな羽目になるとは」
「可愛い女の子とデートだよ? ふつうは喜ぶものだけどねぇ」
「俺は特別なんだ。人に飼われると死んじゃうタイプの動物なんだよ」
「安心して♪ ボクは放任主義だから」
「そういう問題じゃなくてな」
会話をしている内に、ふたりは二階への階段を昇る。
一階はクレーンゲームやプリクラ、リズムゲームが主だったようだが、二階は様相が違っていた。
対戦型の格闘ゲームや、レーシングゲーム、シューテイングなどが並んでいる。
「どれやる?」
「どれやりたいんだ?」
「ええと、じゃそこのストリートバイオレンス6がイイな」
意外と硬派なのが好きなんだな、と思いながら筐体へと近寄っていく。
智仁が普段プレイしない感じのゲームだった。嫌いというわけではないが、苦手だ。
「俺、よく操作方法が分かんないんだけど」
「だいじょうぶ。死ぬ内に覚えるから」
「死ぬ? え、なに。虐殺? 虐殺なの?」
状況が理解できない内、向こうの筐体へライサが腰を下ろす。
ともかくも硬貨を投入口に入れると、なにやら騒がしいオープニングが始まった。
「ちょっと恥ずかしいな、これ」
「過敏すぎだってばー」
モードで対戦を選ぶ。少しの間のあと、キャラクター選択画面へと移った。
キャラの数はそれなりに多い。世界観はあまり理解できなかったが、仕方なくレバーを動かす。
早々にライサはゴスロリ服を着た悪魔少女のようなキャラを選んだ。
「なんだそれ。あまり強そうに見えないけど」
「スピードとテクニックで押すキャラだよ。こういうの好きでしょ?」
「……ああ、成る程。俺が一番大っ嫌いなタイプだ」
苦々しく告げると、向こうの筐体から笑いが帰ってくる。
こうなれば、出来るだけヤバそうなキャラを選んで、パワーで押し切るしかない。
智仁は真っ赤な眼をしたムキムキマッチョを選択する。如何にもガンガン行けそうだ。
「たぶん、メチャクチャ強いぞ。こいつは」
「あっ、ふーん」
「なんだその訳知り声は」
「いやいや。なんでもないですヨ? がんばって~」
いちいち腹が立つ態度である。一度ガツンと負かしてやろうと、気合を入れた。
ステージがランダムにチョイスされる。どうやら、高層ビルの屋上だ。
互いの体力ゲージが真上に表示された。お互いのキャラが現れ、パフォーマンスをする。
ライサのゴスロリ少女は背に生えた皮膜の翼こそ眼を惹くが、それ以外に特筆するところはない。
変わって迷彩柄のカーゴパンツに、ドス黒い紅い眼と堂々たる体躯を誇る智仁のキャラ。
素人目に見ても、どちらが優位かは明らかだった。
「なにか、辞世の句はあるか?」
「ともひとや 嗚呼かわいそう ともひとや」
「よし、慈悲はかけない。怯えて眠れ」
バトルがスタートする。
智仁のキャラ――カーゴパンツがゆっくりとゴスロリ少女に近寄っていく。
レバーを何度も倒しつつ、筐体に配置されているボタンを押した。
上段への鋭いハイキック。
ゴスロリ少女に赤い衝撃エフェクトが発生し、ゲージが減る。
よろけた相手を気にもせず、智仁はさらに同じボタンを押した。
二発目のハイキックでゴスロリは遂に倒れる。ゲージはまだあるが、体勢を崩したようだ。
「大丈夫か? 別のキャラにしたほうがいいんじゃないか」
「……ご心配ドーモ」
ニヤニヤと笑みを浮かべる。ライサの悔しがっている顔が容易に想像できた。
倒れた相手に近付き、またハイキックを行うべく待機する。
相手が立った――智仁がボタンを押す。
「うおっ」
ゴスロリがしゃがみ込む。空間にハイキックが収まり、空振りとなる。
智仁は慌てて下がろうとするが、ゴスロリはしゃがみ姿勢のままから大きく皮膜の羽を振るった。
大きなエフェクトと共にカーゴパンツが背後へ吹っ飛ぶ。
ゲージが大きく減少していく。
「おい、なんだその攻撃は。卑怯だろ!」
「そうかなあ? ボクはそう思わないけど~」
ともかく相手から離れなくてはいけない。カーゴパンツが立ち上がったのを見計らって、慌てて数歩下がる。
ゴスロリに動きはない。それどころか、虚空に向けてパンチを繰り出し、挑発を続けている。
あの羽攻撃はリーチとダメージがあり、相応の脅威だった。迂闊に接近できない。
「クソッ……」
智仁は三つあるボタンを交互に押してみる。パンチ、キック、ジャンプのようだ。
――適当にガチャガチャやってれば勝てるんじゃないのか、これ。
一瞬不埒な考えが浮かんだが、慌てて振り払った。
「来ないなら、こっちから行くよ。智仁♪」
声が聞こえたのと同時に、素早い動きでゴスロリが距離を詰めてくる。
智仁は迎撃するべく、キックボタンに手を添えた。
射程圏だ。だが――。
「同じ間違いは犯さない」
上方向へジャンプ。ゴスロリの背後に着地すると、振り返って下段にキックを見舞った。
エフェクトが発生。命中し、ゲージが削られる。
ゴスロリは一切の躊躇いなく反転すると、背後の羽を広げる。
まずい。智仁は背後へと後退した。その瞬間、向かいの筐体から舌なめずりの音が聞こえた気がした。
「なに!?」
羽でこちらを吹き飛ばす攻撃ではない。黒い霧のようなものを発生させ、こちらへ飛ばしてきたのだ。
どう避けてよいかも分からず、カーゴパンツは漆黒に包まれ、エフェクトがバチバチと音を立てる。
苦悶の声が喉から漏れた。カーゴパンツが解放された時には、かれは膝から崩れ落ちていた。
ゲージを見る。体力は大幅に削れていて、あと一撃で終わりそうだ。
「お前チートかなんか使ってるんじゃないだろうな!」
「筐体にそんなことできるわけないじゃーん。腕前の差でしょ?」
ぴくぴくと口角が震える。
別に初心者だからと手加減をしてもらいたいわけではない。
しかし、しかしである。
初めてゲームに接した人間に対して、このような一種暴虐的な行いをされる謂れはなかった。
「く、屈辱的すぎる」
「ボクの勝ちだね。次ラウンドいくよー」
「ああ!?」
* *
智仁は疲弊しきり、どことなくやつれた顔付きをしている。
対してライサのほうは、如何にもやり終えたという感じの、満足感あふれる表情だった。
「……これで充分か?」
「出来るなら、もう一回ぐらいやりたいけどねー」
「もうやらないぞ。絶対やらん」
「あはは、そんなにトラウマだったわけ?」
彼女はコロコロと鈴を鳴らすように笑う。
それがあまりにも幸せそうで、智仁は何か言おうとした口を、仕方なく閉じた。
「まあ、楽しめたなら、よかった」
「うん♪ 楽しかったヨ。ボク、興味のある人には意地悪しちゃいたくなるんだ」
「……その興味が俺以外のだれかに移ってくれたりしない?」
「またまた~。ほんとは嬉しいくせにさ」
こちらの横腹をちょいちょいと突いてくるライサにうんざりしながら、智仁は近くにベンチを見つける。
「ちょっと休憩しないか? サンドバッグに休みをくれよ」
「あっはっは。いいとも~!」
ライサが先に腰を下ろす。智仁はそのとなりに座ろうとして、ひとつ間を開けた。
すぐ近くからゲーム音声が聞こえる。騒がしい衝撃は内装に反響し、ひとつの混沌を作りあげる。
「たまにはさ」
「うん?」
「こんなのも、悪くない」
ライサは優しく触れるようにくすりと笑う。
「友達と外に出たりはしないわけ?」
「たまに将人と遊ぶよ。アイツはいい奴だ。俺には勿体無いぐらいに」
「そうだね。かれは……いろんな意味で優れてるよね」
「月倉に好意をもってるんだよ。たぶん、変人が好きなんだろうな」
「類は友を呼ぶ、らしいよ?」
「将人が変人か。そうだな、そう言えなくもないけど、アイツはほとんどまともな人間だよ」
「本当にそうかな。ボクはあんまり同意しないケド」
彼女は肩を竦めると、足をぱたぱたと動かす。
「喉、かわいちゃったな」
「ハイハイ」
ベンチから立ち上がり、併設されている自動販売機の前まで行く。
どれがいいと智仁が声をかけると、彼女は『甘いもの』と返してきた。
ピーチジュースとコーラを買う。がらりと転がり出た二つを掴む。
「ほれ」
「わーい。ありがと」
プルタブを捻って、開ける。ぷしゅという開放音と共に香料が漂う。
ライサが口を付けるのを見計らって、智仁も喉に炭酸を流し込んだ。
「ん~、甘くてイイね♪」
「度が過ぎるのもアレだけどな。将人のパフェとか」
「あはは。最終的にはみんなで崩したよね。かわいい一面もあるみたい」
破顔したあと、ライサはじっと智仁を見つめた。
「……アヤカと親しいの?」
「いきなりなんだ。月倉とは、あの時、屋上で会っただけだよ」
「ほんとに? あの娘、あなたが親切にしてくれたって、RAILで話してたよ?」
「それは嬉しい、けどさ。でも――」
下心がない、とは言えなかった。月倉礼佳は本当に可憐で、内面も興味深い娘だった。
クセがあることは確かだったが、それでも魅力的だ。
「脈アリって、ことかな」
「オイオイ。なんだよそりゃ」
「少なくとも、アヤカは悪く思ってないみたいだよ」
ライサは微笑みを浮かべる。
「初対面なのに、って思うかもしれないけど。ああいう子って、一度決めたらそのままイケる子だから」
「なーにを言ってんだか……」
智仁は顔を背けて、苦い顔をする。
不快な感情を抱いているわけではなかった。純粋に嬉しいと感じる自分がいた。
ただし、それを真っ向から受けるわけにはいかない。
「色恋沙汰にはやっぱり慣れてないんでしょ?」
「恋愛経験ゼロで~す――虚しいから、あんま言わせんな」
「なら絶好のチャンスだと思うけどね~♪ 向こうで待ってるかもヨー」
囃し立てる彼女にため息を吐く。
取らぬ狸の皮算用。そんな言葉すら智仁の頭に浮かんできた。
だがもし。あんな少女と恋仲になることができたならば。
それは素晴らしいことだろう、とも感じる。
「仮に、彼女がそういう感情を抱いているとしよう」
「うんうん」
「それでも俺は、アタックなんかしないだろうな」
「ぶー、なんだよそれぇ。つまんなーい」
「お前の為に恋愛するわけじゃないよ。初心者狩り」
軽く毒を投げつつ、智仁は苦笑する。
実際、当たり前のことなのだ。それは背信行為であり、罪深い十字架を背負う羽目になる。
自分に良くしてくれる親友が、わざわざ彼女のことを好きだと告げている。
今まで、そんな言葉は聞いたことがなかった。真剣だ、ということだ。
いくら表面は通常通りでも、内面では彼女と関係を深めるべく、必死に考えを巡らせているだろう。
楠木将人は、弧山智仁を信頼している。この信頼を裏切ることはできない。
「――でもさ」
不意に、風のような言葉が忍び込む。
「それって悪いことじゃないよね」
「何が?」
「智仁は、幸せってわけじゃない。将人は違うでしょ。なんでも持ってる」
「……アイツにはアイツなりの苦労がある」
声音に微かな苛立ちを混ぜる。
「そうかもね。でも、君が遠慮する理由にはならない」
「将人は親友だ。俺を助けてくれてる。後ろ足で砂をかける理由なんぞ、ない」
「恋愛は自由だよ。もし将人が失敗したら? 彼女が君のことを好きだと言ったら?」
「ずいぶんとお節介を焼きたがるんだな。月倉がそんなに気になるのか」
皮肉混じりの言葉を、少女は微笑みで受け止める。
「君が知らない間に、けっこう仲が良くなってるんだよ。世界は変わるものなんだネ」
「確かに、俺は穴蔵から出てこないアウストラロピテクス二世かもしれないけど」
「いろいろと情報は仕入れなきゃ。それこそ学校生活は戦争だよ~」
手足をぱたぱたと動かすライサを横目に、智仁は苦笑を張り付ける。
「なんにせよ、人をけしかけるのが好きっぽいね」
「間違ってないさ。ボクは、面白いモノの味方だから♪」
「昼ドラとか好きだろ?」
「あれは陳腐すぎて。実際に見たほうがいいよ。やっぱり」
鼻で笑って、かぶりを振る。
智仁は馬鹿らしいと想像を一蹴しようとして、何かが引っかかっているのに気付いた。
身体ではなく心のどこかで。月倉礼佳の面影がうっすらと像を結ぶ。
彼女が首をかしげて、笑う。花が綻ぶようだ。
「……ああ、冗談だろ」
「どうしたの?」
「いや、気にしないでいい」
こんな話は避けるべきだったと、智仁は思う。
何とも思っていないだけで済んだ筈なのだ。もしそれを探り当てられなければ。
彼女に好意をもっているという事実を、見つけることがなければ。
ライサの話に、胸の奥が疼きだしたのを感じる。智仁は奥歯を噛み、自分を戒めた。
――俺は裏切らない。アイツは親友だ。最高の友人だ。
「よし。第二ラウンド行くか?」
「お、休憩終わりでいいの。なら頑張っちゃうよ、ボク」
「なんとかにも五分の魂って言うだろ。逆転サヨナラホームランを決めてやるさ」
「強気だねぇ~。そっちのほうが楽しいから、いいけど」
彼女が立ち上がり、くすくす笑って空き缶入れに缶を落とす。
「これ美味しかったよ、ありがと」
智仁も腰を上げ、どういたしましてと肩を竦めた。
* *
「つぎはさ♪ 逆の組み合わせで遊んでみない?」
合流した三人は、その一言に様々な反応を見せた。
智仁は怪訝そうに眉をひそめ、礼佳はどことなく乗り気の様子だ。
肝心の将人は一瞬考え込んだが、苦笑して賛意を示す。
なにを企んでいるんだ、と智仁は問い詰めたくもあったが、仕方がなく堪える。
今度は智仁と礼佳のコンビが、三階と一階を回ることになった。
――あの女。
智仁は苦笑し、正直な感想を口に出してやろうかと思ったが、となりに連れがいるのを思い出して控える。
月倉礼佳。将人と一緒に話をしたあの朝に初めて会ったが、印象は薄かった。
本当の意味で彼女を『見た』のは、昼休みの屋上だ。
「あー、宜しく。変なことになっちゃったな」
「変なこと?」
「もともと将人と一緒だったろ」
「でも、みんな友達でしょ? これでいいんじゃないかな」
特に不思議なことはないと彼女は首を傾げる。
作為を感じていない、と言ったほうがよいのかもしれない。
「そりゃそうかもだけど」
俺でよかったのか、と口を開きそうになって、閉じる。
だれもネガティブな話を聞きに、外へ出てきたわけではない。
自分が少し緊張していることに気付いて、智仁は苦々しく眉間に皺を寄せる。
緊張する必要などないのだ。彼女はただの知人で、それ以上ではないのだから。
だというのに、手から汗は滲み出て、なにを喋ればいいか分からないでいる。
――滑稽だな。あの時は自然に話せたのに。
「……ちょっと身体が硬くなってるみたい」
「色で分かるのかい?」
苦笑する智仁に、礼佳は穏やかな表情を投げる。
「少しね、動きが早くなったり、遅くなったりするの」
「それってきれいだろうな」
「殆どはね。でも、苦しい時や悲しい時はきちんと伝わってくるから」
彼女は言葉を濁す。
智仁は何と声をかけてよいか迷い、改めて周囲の環境を観察した。
一階は人の出入りが多く、雑然とした印象だ。
クレーンゲームやプリクラ、それに準じた代物が多く、奥には大型のゲーム筐体が置かれている。
「色が見えるって幸せなことだと思う?」
「神様からの贈り物だよ、きっと」
戸惑ったように彼女は微笑む。
「前もそう言ったね」
リズムゲームはもうやったというから、智仁はクレーンゲームのほうを案内した。
一台の前で、ふと礼佳が足を止める。
智仁が視線をやると、目付きの悪い毛玉の人形がたくさん中に置かれていた。
やけにもさもさしていて、ファンシーと言えなくもないが、趣味はよくない。
彼女は張り切った様子で財布を取り出すと、投入口に百円玉を二回入れる。
智仁も近くで様子を伺った。
クレーンがのったりとした動きで横へずれる。操作に慣れていないようだ。
少女の顔は真剣そのものだが、熱意に反してクレーンは縦に行き過ぎ、下へ落ちていく。
掴みあげたのは空白だった。
明らかにしょぼんとした表情を浮かべる礼佳に、智仁は苦笑する。
「あれ、欲しいんだ」
「うん」
「明らかにただの毛玉だよな」
「かわいいよ?」
その言葉に同意するかはともかくとして、智仁は言葉を続ける。
「一回、やってもいいか」
少女が頷いたのを確認すると、投入口に二枚の硬貨を入れ、両手を擦り合わせた。
取りやすい位置に毛玉があるかを見る。筐体の右手前にあるモノが簡単そうだった。
慎重にボタンを押し、クレーンを動かす。所定の位置に来たところで、止める。
――よし。ここは完璧。
つぎにクレーンは縦方向へ動く。正念場だった。遠近感でずれる可能性もある。
僅か手前のように見える位置で、止めた。
息を呑む。クレーンが下がり、毛玉を捉える。四本の爪でガッチリと掴み……。
「きゃはは♪」
ドシン。筐体が揺れる。クレーンが不安定さを露わにし、毛玉が徐々にずり落ちて。
「「あ」」
少女と少年の声が重なった。クレーンが持って帰ってきたのは、やはり空白だ。
「すー……」
息を整える。智仁が筐体横の通路を確認した。
金髪で皮肉っぽそうな唇をした若者と、茶髪のアクセサリーを身に付けた女子高生。
ぷるぷると震える手を、誰かが掴んだ。礼佳だ。
「も、もう一回やろ? ね」
「……そうだな」
怒りを抑えて、再トライする。投入口に二百円を入れ――。
ドタン。礼佳が止める間もなく、智仁は通路に顔を出した。悪鬼のような形相だ。
「いや、ちょ。ダメ……」
「いいじゃん。お前のこと、マジ愛してっから」
筐体に女子を押し付け、金髪は彼女にキスを迫っていた。
いつの間にか顔を出していた礼佳は、眼をぱちくりさせたあと、頬を僅かに紅潮させる。
智仁の気分からすれば、先に怒りが湧いてきて、つぎに嫌悪。最後に嫉妬というものだった。
――こいつら、羨ましい。
「人、見てるよォ」
「あん? なんだよ、こっち見んなや」
一瞬気圧されたが、特に体格は大きくもなく、不良という出で立ちではない。
化け物相手ならまだしも、人間はかなり躊躇が残るが、別に優れた相手でもなさそうだった。
智仁は背後に少女がいるのを考え、あえて強気に出る。
「そっちが筐体を揺らすせいで、景品が取れないんだけど」
「は? 景品?」
「これだよ。これ」
「いや、毛玉だろ。それ」
「あ、うん。確かに毛玉かもしれないけど、ちょっと可愛く見えないことも」
「ないない。それ全然ダサい」
否定できなかった。振り返ると、礼佳の顔が暗く落ち込んでいる。
慌てて語気を強める。
「お前の眼が節穴なんだよ! どう考えたって可愛いだろうが!」
「は? いきなり喧嘩腰になったし? え、なに」
「可愛いって言え!」
「やべえよやべえよ」
智仁は狼狽する相手に詰め寄る。
「撤回して、ここからいなくなったら千円やる」
「え、マジで? ちょ、あんた頭大丈夫?」
「さっさと決めろ!」
智仁は鬼気迫る様子で千円札を取り出すと、金髪の手に札を叩きつけた。
「超可愛いです」
「は?」
「復唱!」
「あ、あれは超可愛いっス」
「センスが良すぎて、思わず嫉妬してしまうくらいです」
「せ、センスが良いよね。うん、マジで嫉妬しちゃうくらい」
「変なこと言ってごめんなさい」
「いや、でもそれはさぁ」
「うるせえ!」
「あっはい。変なこと言って悪かったっス」
「回れ右して、むこう行ってろ!」
ぎこちない兵隊のように、金髪はくるりと振り返って向こうへ歩いていく。
それを追って、すっかりしらけた表情の茶髪も付いていった。
智仁はため息を付く。こんな目に遭うために、わざわざ来たわけではない。
礼佳にもいやな思いをさせてしまっただろう、と智仁は振り返り、礼佳に謝罪しようとした。
「あ、もう少しで取れそう。ええと……あ! 取れたよ!」
何を気にした様子もなく、クレーンを動かし、発端となった毛玉を排出口から取り上げている。
「は、はは」
屈託のない様子で微笑む彼女を見ると、智仁は気にするのも馬鹿らしい気がしてきた。
彼女は相変わらず目付きの悪い毛玉を喜んで触っている。
妙にリアリティのある双眼が、単なる毛玉に付いているのである。
傍からみると、やはりあの金髪の言うとおりだという気もしてきたが、心中に収めた。
言うだけ損をする言葉というものは、確かにあるのだから。
* *
少女は例の目付きの悪い毛玉――ポン丸をハンドバッグに収めると、機嫌が良さそうに鼻歌を奏でている。
智仁からすれば、なんとも微妙な結末に終わってしまったわけだが。
何にせよ、彼女は喜んでいる。それでよいではないか、と智仁は自分に言い聞かせた。
「それ、気に入った?」
「うん。とても可愛いし……」
つぎに来る言葉は、色か何かだろうと思った。ともかくスピリチュアル系の何かだろうと。
「智仁くんが頑張ってくれたから」
故にその言葉を耳にした時、どう言葉を返してよいか分からず、ただ彼女の顔を見つめるのみになった。
礼佳は笑っている。いつも通り、穏やかに。
「俺は」
大したことなんかしてないよ、と小声でつぶやいて、智仁は二階へ昇る階段のほうへ眼をやる。
そうでもしないと、ジリジリと心を焼くこそばゆさに負けてしまいそうだった。
「なんだ、その……嬉しいなら、よかった」
「臆病なんだね」
飛んできた言葉の矢。回避する間もなく、智仁の心臓に突き刺さった。
反応を示す前に、少女が言葉を継ぐ。
「わたしの周りには、勇敢な人も沢山いたし、賢い人もいた。本当の意味で強い人もね」
「俺は違うよ。そのいずれでもない」
「知ってる。あなたは臆病で、どこか卑屈で、幼くて」
ひどい言われようだと複雑な気持ちを抱く。苦笑すればいいのか、怒ればいいのか。
「でもやさしい人。不器用だけど」
彼女の笑い方は無邪気だった。そこに確かな好意を見てとって、智仁は一瞬動揺する。
「わたしはいろいろと欠点がある、おかしな不思議ちゃんだけど」
彼女は首肯する。
「あなたの色が一番きれいだと思う」
智仁は奥歯を噛み、しかめ面を浮かべようと努力した。
そうでもなければ、頬が緩んで、彼女に向かってみっともない笑顔を見せる羽目になる。
女性からの好意というものが、これほど心地良いものだとは。
ノックアウトされそうな自分を見るに、プライドを保とうするのは無駄な努力かもしれないと思い始める。
「なんて言ったらいいのか」
「一、素直に受け取る。二、彼女の顔に張り手を食らわす。三、俺のことを思い出す」
「二はナンセンスだ。一は……気恥ずかしい。三? 三って」
肩に手が置かれる。首を回す。爽やかなルックスの少年がいた。
だれだこいつは、と考える暇もなく、脳細胞がほんの一瞬で答えを投げてくる。
頭が冷えた。
「……二階はもう、終わったんだ」
「ああ、楽しかったぜ。なあ、ライサ」
「ん、例の格ゲーだけど、アツかったなぁ。マサトけっこう強いんだヨ♪」
その後ろにはライサがいる。ふたりとも笑顔だった。
「オーケイ。じゃ、俺たちは三階へ行くよ」
「その前に、少し話ができないか?」
「忙しい「いいよ?」……月倉」
女性陣は一階の休憩所で待つことになった。
男ふたりは大型筐体のほうへ向かう。将人が黙って対戦型のガンシューティングを選んだ。
硬貨を入れる。智仁は戸惑いながらも、同じく硬貨を入れた。
スタイリッシュなBGMが流れ、タイトルロゴが浮かび上がる。将人がガンコントローラーの引き金をひいた。
オープニングをスキップし、操作説明が映る。
「お前は、俺の親友だ。だから厄介事は持ち込みたくないんだ」
「よく分かるよ」
智仁もガンコントローラーを握る。足元にあるスイッチは、遮蔽物に隠れるためのものらしい。
「先に言っておくが、お前をどうこうしたいとか、そういうのじゃない」
「ああ、そうだよな。そうだろうとも」
操作説明が終わり、キャラクターの選択画面になる。
智仁はダークスーツを着て、銀色のアタッシュケースを持った青年を選ぶ。
将人は顔に大きな傷痕をつけた痩せた男を選択した。
互いのチョイスが終わると、選択画面が移行し、戦闘画面に移る。
モニター画面がふたつに分割される。右は智仁、左は将人のキャラが映った。
智仁が考えるに、これは物陰に隠れながら、一対一で撃ち合うゲームのようだ。
「俺は、彼女が好きだ。知ってるか?」
「好きなもんはしょうがないよな。頑張れ」
モニターに数字が表示される。戦闘まで、あと五秒ということらしい。
「分かってるなら、気を遣ってくれてもいいだろ」
将人が苦笑する。
「気を遣え? どう気を遣えって言うんだよ」
「俺のいいところを紹介するとか……な!」
戦闘が始まる。将人のキャラ――傷男はいきなり身を乗り出すと、持っていた大型リボルバーを発射する。
智仁は慌ててスイッチを踏んだ。コンクリート柱に弾丸がぶち当たり、柱の欠片が飛散する。
「顔がいいことだな。えーと、ほかに何かあったっけ?」
「面倒見が良くて、優しくて、頭もよく、バスケ部のエース」
ダークスーツも遮蔽物から飛び出し、片手のサブマシンガンを乱射する。
傷男が遮蔽物に身を隠し、辺りに弾痕が穿たれた。
「自分で言うか、それ?」
「事実だからな。彼女はちょっと変わってるけど、俺を気に入ってくれる筈だ」
「その自信はどこから来るんだよ」
傷男が一瞬の隙を突く。遮蔽物に身を隠す前に、リボルバーがその姿を捉えた。
閃光が迸る。ダークスーツが悲鳴をあげ、よろめいた。
「俺は努力してる。彼女はそれを見てる」
「努力か。報われるとは限らないよな、バスケ部さん?」
肌にひりつく感触があった。智仁はその正体を掴もうと、脳内を探る。
「言えてるね。だけど、お前は何なんだ」
「俺が不思議かよ。よーく知ってる筈だぞ」
笑いを返してやる。将人の顔に薄い微笑みが張り付いた。
「たぶんな。でも、お前は横からやってきた。お前は……」
口を開こうとして、将人は唇を噛んだ。
リボルバーの銃声と共に遮蔽物が抉り取られる。
ダークスーツは身を露わにして、サブマシンガンの引き金をひいた。
傷男のうめき声が聞こえ、よろよろと後ずさる。
「単純に失望したんだ。お前は相棒で、彼女はお姫様。そういう関係だと思ってた」
「なにが言いたいんだ。はっきり言えよ」
「お前と一緒にいる時、あの子は心から笑ってた。俺の前では、あんな顔はしない」
智仁はやっと探り当てた。それはこの友人に感じたことがないものだった。
肌に纏わり付くこれは、紛れもない緊張感だ――。
将人はハッキリと恥じらいを見せていた。そして仮面の奥には、嫉妬の炎が燃えている。
智仁は、胸を刺し貫かれたような気がした。
「こんなこと、言いたくなかったんだ。みっともないだろ」
「俺は……俺は、そんなつもりじゃ」
「どうでもいいんだよ」
リボルバーの一撃で、遂に遮蔽物が崩壊する。身を晒したダークスーツに、傷男は銃を向けた。
「そうだ。今はどうでもいい。大事なのは、お前は親友だってことだ」
ガンコントローラーの引き金から、将人は指を離した。
かれは苦笑している。そこには確かな含羞と苦悩、そして醜さが映っていた。
「頼む。お前にはライサがいるだろ。彼女とはもう、仲を深めないでくれ」
智仁は周囲が冷たくなったように感じた。昇っていた血液が、徐々に氷水へと変えられていくような感覚。
口を開くことが、容易ではなくなった。喉まで、なにか言葉が出かかっている。
そうだ。肯定だ。肯定すれば、今まで通りの生活が送れる。
それこそが、弧山智仁という男が望んできたものではなかったか。
肩を竦め、頷けばいい。全てが元に戻る。
だが、その瞬間。
脳裏に少女の顔がよぎった。胸が熱くなる。どうしようもない苛立ちが、怒りに変貌する。
――おい、弧山智仁。それは絶対に賢くないぞ。あとで後悔する。
制止しようとした。やめろ、と。それでも止まらなかった。
口を開く。今度は簡単だった。
「なんだって」
将人が表情を消す。
「同じことを二度――」
「俺は、こう言ったんだ。なんだって」
ガンコントローラーを画面に向ける。引き金をひいた。
サブマシンガンの連射が、傷男を襲う。かれはその場に崩れ落ちた。
将人は画面を見ていない。ただ智仁を見つめている。
ゲームが終わった。
「お前に指図される謂れはない。好きにさせてもらう」
「お互いに言い過ぎた。この話はもう終わりにしよう」
「いいや、まだ終わってない」
将人の腕を掴む。
「よく聞けよ。俺は……お前のコマじゃない。お前の指図通りにも動かないし、都合よく気を利かせてやったりもしない」
今まで押し隠していたものが、どんどん口を突いて出る。
「自由にさせてもらうからな。たとえお前が相手だろうが、関係ないさ」
「落ち着けよ、智仁」
「友人をやめるわけじゃないけど、これだけは言わせてもらう」
舌で歯をなぞる。眼を瞑り、一度考えたあとで言った。
「俺にだってプライドがある……!」
表情を消していた将人は、鼻をひくつかせると、視線をモニター画面へやった。
静寂がやってくる。十数秒して、将人の口から声が漏れた。
「なるほど、負けてしまったわけだ」
ガンコントローラーを筐体へと差し込み、一歩下がる。
「智仁。お前がそう思っているのは、分かったよ」
「熱くなった。言うべきことじゃなかった」
「いや、いいんだ。腹の内が理解できた」
智仁は深い罪悪感と憤りに襲われる。
一時の意味が分からない激情に身を任せた結果がこれだ。
これからも維持できたであろう友情に、確かなヒビを入れてしまった。
自らの軽率さを恨むのと同時に、それでも彼女の顔を忘れられない自分がいる。
「不躾だったな。俺が悪い」
将人は顔に苦笑を浮かべる。
智仁は一瞬戸惑ったが、つぎの瞬間にはおどけた様子で肩を竦める。
「ちょっと殴り合っただけだろ? いつも通りさ」
「ああ、そういうことだな。さて、お嬢さん方のところへ戻ろうか」
互いに笑みを張り付ける。居心地が良い場所ではなかった。
ふたりが休憩所へ向かうと、礼佳とライサが歓談している様子を眼にする。
「それはね。ボクから見ると、ずばり“恋”だね♪」
「……そういうものなのかな?」
「そういうものなのさ。自信をもったほうがいいよ。ボクが応援してあげる」
向こうがこちらを視野に入れると、ライサが元気よく手を振ってくる。
「おーい。男同士のアツい語り合いは終わった?」
「そりゃもう充分なくらいだぜ」
将人が微笑む。ライサはウィンクしてそれを受け止めた。
礼佳は交互に視線を向けたあと、智仁に向かって小さく首を傾げる。
合流し終えると、このあとはどうするか、という話し合いになった。
智仁は若干ぎこちなかったが、将人は自然に振舞っている。
不意に、かれが言った。
「喉がかわいたな。向こうの販売機で何か買ってくるよ。三人は?」
「あー、俺はいい」
「わたしも、だいじょうぶかな」
「ボクはどうせだし、一緒に付いてくよ。いいでしょ?」
「ん、構わない」
ライサが将人にちょっかいをかけながら、ふたりは自動販売機のある場所まで歩いていく。
その背中が離れた頃、礼佳が口を開いた。
「色が、荒れてたね」
「色だけに、いろいろあったのさ」
智仁はうまいことを言ってみたが、彼女の反応は疑問符だった。少し落ち込んだ。
「ともかく。まあ、ちょっとね」
「だいじょうぶ? 悲しい?」
彼女が手を握ってくる。柔らかく、しっとりして、シミひとつない白肌。
鼓動が少しだけ早くなるのを感じながら、智仁は言った。
「悲しい、か。確かに悲しいな。でも、必要なことだったのかも」
「迷ってるんだね。あなたの色がぐるぐる渦巻いてる」
「今まで順調だったものが、一瞬で崩れてしまった感じだ」
唇の間から息を吐く。眉尻が下がり、自嘲するような表情になった。
「自分で馬鹿なことをしたと思ってる。だけど、あれは」
智仁は言葉を呑み込む。
「わたし、なにも知らないけど。苦しいのは分かるよ」
こちらを労るような口調だった。ふと、頭にやさしい感触を覚える。
「よしよし」
頭を撫でられている。そう理解した時には、何も言えなくなった。
彼女が手を止めて、申し訳無さそうに告げる。
「ごめんね。男の人はこういうの好きじゃないよね。バカにしてるみたいで」
「ああ、いや。ありがとう」
智仁は苦笑する。気恥ずかしくも、悪くない感触だった。
「その、なんというか、嬉しかった」
「ほんとに?」
「間違いなく……ちょっと、アレではあったけど」
「わたし、本当のお母さんもお父さんも知らないから、うまく出来ないのかも」
そういう意味じゃ、と答える前に、彼女の言葉をどう受け止めてよいか迷う。
口を噤んでいると、彼女がどこか不安げな様子で微笑み、言葉を続けた。
「変わりものだからかな。お義父さんもお義母さんも、どう接していいか、分からないみたい」
「俺も、両親がいないんだ」
ぽつりとつぶやく。口に出したあとで、この言葉が慰めになればいいと思った。
「俺がまだ小さい頃に、母親は事故で死んだ。親父も、数年前にくたばった」
「どんな気持ちだったの?」
「見捨てられたような寂しさと、圧倒されるような不安。泣きたくなったよ」
「わたしは、孤独でいることが怖い。ずっとひとりでいることが」
智仁は、彼女の手が僅かに震えていることに気付いた。
「だから、今日は嬉しかった。否定されることも、遠巻きに見られることもなかったから」
彼女の眼に穏やかな灯火が見える。
「あなたともう一度会えたこともそう」
「お、俺は……ただ話しただけだ。特別なことじゃない」
真っ直ぐな好意を向けられて戸惑う智仁に、少女は小さく頷く。
「あなたにとっては、そんなに大きくことじゃないかもしれない。でもね」
礼佳が続けた。
「わたしにとっては、大きなことだったんだよ」
もう駄目だと心の内が叫ぶ。これ以上、一緒にいると離れられなくなる、と。
高鳴る鼓動を感じて、智仁はかぶりを振った。
「分からないよ。君がなにを考えているかが」
「実はわたしも分からないの。だけど、ライサちゃんが、これは――」
聞きたくないと一瞬思う。同時にそれを心から渇望する自分もそこに見出す。
スイーパーという因果な職務に就き、いずれ近い内に死に様を晒すであろう男。
それが正体なんだ、と智仁は言いたかった。全てを吐露したかった。
その前に、言葉がやってきた。
「恋、だって」
智仁は眼を瞑る。礼佳もそれ以上言葉を続けなかった。
沈黙が訪れて、辺りに居座った。
ふと、智仁が声をあげる。
「礼佳って呼んでもいいかな」
「うん」
「笑顔が見たいんだけど、いいかな」
「……うん」
互いの手を強く握った。ふたりの視線が合わさる。
智仁が一度頷いて、礼佳が快く笑った。
* *
自動販売機の前で、楠木将人はぼうっと光を見つめている。
よい気分ではなかった。むしろ何か名状しがたい感覚が、胸中を覆っていた。
それを包み隠してしまうために、あのふたりから離れたのだ。
「おーい、マサト」
眼前で手を振られる。小柄な影が背後からひょっこり出てきた。
「だいじょうぶ?」
「ああ、いや。ちょっと気分が悪くて」
いつも通りの笑みを浮かべる。人好きのする仮面を保った。
「んー、人酔いかな。それに加えて、ここはうるさいし」
「普段はこんなこと無いんだけどな。今日はたまたまさ」
「ふうん。何か嫌なことでもあった?」
鋭い質問をぶつけられ、将人は一瞬舌を噛んだ。
どう答えるかを素早く考えて、注意深い笑みを保ち続ける。
「特にはないよ。心配ありがとう」
「ふふ、そっかぁ」
彼女は一度将人から離れると、となりの販売機にスマートフォンをかざして商品を選んだ。
それを見送ると、将人も硬貨を入れてコカ・コーラのボタンを押す。
がこん、と音がした。受け取り口に手を伸ばす。
「ねえ、あのふたりのこと気にならない?」
間近で声が聞こえる。将人が顔を向けると、いつの間にかすぐ近くにライサがいた。
「……ふたり?」
「とぼけなくてもいいですって♪ トモヒトとアヤカのことだよ」
「ああ、あのふたりか。どうかしたの?」
苛立ちが心を乱す。舌を強く噛み、また感情を押し込めた。
「なんだか、仲がイイみたいで気にならない?」
「別に。以前会話したことがあるみたいだしな」
コーラの缶を掴みあげる。冷気が手から伝わり、将人は眼を細める。
「それにしても、なにか有りげな雰囲気でしょ」
彼女はにっこりと微笑む。
「RAILで話した時もね。トモヒトの話題ばかりで……」
プルタブを掴んで開ける。炭酸が密閉状態から解放され、独特の音を立てた。
口を付ける。甘さと刺激が心地よかった。
「ねぇ。ボクの話、ちゃんと聞いてる?」
「ああ、聞いてるよ」
将人は缶を握っていないほうの手で、頬を撫ぜる。
笑顔はまだ張り付いていた。
「ボクも少しは気があったんだけどね。あのふたりは、やっぱりお似合いだと思うよ」
「ふたりとも抜けたところがあるじゃないか。合わないよ」
「へぇ? マサトはそう考えてるんだ」
「智仁も礼佳も、誰か気の強い人間が必要なのさ」
「でも、アヤカはマサトが必要なのかな」
ライサが背後へと振り向く。将人の視線もそれにつられた。
むこうのベンチでは智仁と礼佳が腰を下ろし、お互いの手を握っている。
親しげに歓談する様子から、ふたりがただの知人と受け取れる要素はない。
将人はもう一度コーラを煽る。心が焦げ付いていく錯覚を覚えていた。
「……それは俺が決めることじゃないと思うね」
「じゃあ誰が決めるの? 彼女? ボク? トモヒト?」
「どうしてそんなことを聞くんだ」
笑顔を保つのが難しくなってくる。
怒りの沼がごぽごぽと音を立て、炸裂する機会を待っていた。
「だって、あの様子だとさ」
彼女は微笑みを浮かべた。
「アヤカはトモヒトを欲していて、トモヒトもアヤカを欲しているって結論になるんだけど」
「そうとは限らないだろ……!」
ライサが驚いた顔を見せる。将人はすぐに頬を触った。
笑みが、崩れていた。
「……すまない。感情的になった」
「いいよ、いいよ。人間、だれしも感情を抑えられない時ってあるみたいだし」
少女はピーチジュースの缶をいじりながら、微笑みを浮かべる。
「なんとなく理解できるところはあるよ。マサトも完璧じゃないしね」
「そうあろうとは、努力してる」
「んー? どこかズレてるねぇ。マサトって」
くすくすと笑みを零して、ライサは言葉を続ける。
「まあ、いいや。大事なのは、このままだとふたりはめでたくハッピーエンドってことじゃない?」
「嫌な言い方をするな。俺は、あのふたりから幸せを奪いたいわけじゃないぞ」
「でも、それに近いことは考えてるよね」
「不幸にしかならない結婚ってあるだろ。それと同じだ。もっといい相手を見つけてやるだけさ」
「あはは。やっぱり歪んでたね、マサトも」
失礼な言い方だ、と将人は思う。別に傷つけるわけではない。
ただ説得するだけだ。話し合いは失敗したが、それなら相手の意を汲んだ上でやればいい。
確かに恥ずかしくはある。親友にあんなことを言ったのだから。
それでも将人は、自分のほうが彼女を幸せにできると感じていた。
「あー、でも。急がないとね」
どうして、と視線で問えば、彼女は顎を向けた。
例のベンチを見ると、礼佳と智仁が見つめ合っている。
それは甘やかな雰囲気であり、将人にとっては苦笑するほかない光景だった。
かれは缶を口につける。全て流し込んで、缶入れに投げた。
将人とライサは歩き出す。缶は、握られて歪んでいた。