表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/16

chapter-6

 6


 退屈で、変わりのない昼休み。

 学校生活という日常に埋没しながら、そこに安らぎを見い出せずにいる少年。

 夜はスリルと恐怖に浸り、身を持ち崩して死んでいくんだろう。

 弧山智仁は取り留めのない考えを持て余しながら、コンビニで買ったパンを千切った。

 口に入れる。もしゃもしゃと噛みながら、階段をゆっくりと昇っていく。

 どこもかしこも騒がしい。授業の間こそ落ち着いた雰囲気が流れてはいるが、今はこうだった。

 ――たぶん、馴染めたなら心地好いと思うんだろう。

 生徒たちを羨ましく思う反面、こっちのほうがある意味で自立はしている、とおかしな自負心を持つ。

 金だって稼いでいる。ただし不定期で、どさりと入っても、生活費に消えていくわけだが。

「税金で取られないだけ、うまい収入だな」

 階段の踊り場。そこでひとりごちて、智仁は頭上に視線をやる。

 その先には素っ気のないアルミ製の扉があって、窓からは青空と雲の切れ端が見えた。

 教室棟のほうでこそ、屋上は人気スポットだが、こちら特殊教科棟の屋上は距離ゆえに使われることが少ない。

 智仁はだれもいないことを祈ると、階段を駆け上がり、ドアノブを捻って、開けた。

 さあっ、と頬を撫でる風。思わず目を細める。サッシを跨ぐと、屋上へ足を踏み入れた。

 大きく伸びをする。

「やっぱ、人がいないところってのはいい」

 こういうところがまさしく社会不適合者なのだな、と感じ、智仁は苦笑する。

 けれども、ひとりでいたほうが気楽なのは確かであり、夜の苦しみから来る後遺症を引きずらないでも済んだ。

 ――毎日、毎日。命の取り合いなんぞしたくないのにな。

 屋上からは末梅高の敷地のみならず、外側にある住宅地が睥睨できる。

 立地に特別なところもなく、校風はほかよりのんびりとしてはいるが、だいたい平常な学校だ。

 だから選んだのだ、と呟いて……智仁はフェンスの近くにだれか佇んでいるのに気付いた。

 よく見ようとして、息を呑む。

 非現実感とは襲い来るものではなくて、知らぬ間に満たされるものだ。

 智仁はその言葉をいま実感していた。“彼女”は、それほどに幻想的だったのだ。

 陽光が映える黒髪に包まれた、たまご形の完成された造形。

 アーモンド形の整った双眸が、すらりと通った優雅な鼻の上に鎮座している。

 唇は少し頼りないほどに綺麗で、智仁は不思議と邪な感情を抱くことができなかった。

 今朝出会った筈の少女とは思えないほど、そこには隔たりがある。

 彼女の身体に当たる風までもが雰囲気を作っているようだ。

 何故だろうと、彼女――月倉を観察している内、やっと原因に気付いた。

 眼だ。何の変哲もない青空に向けた眼が、やけに透明でハッとさせられるほど美しい。

 あのとき、智仁は決して眼に注目することはなかった。

「わたし、夢を見てたの」

「え?」

 最初、智仁は声をかけられていることに気が付かなかった。いつの間にか、少女はこちらを向いている。

「風になる夢。地球を覆う大気になって、またずっと下に沈んでいく夢」

 表情を緩ませて彼女は語る。

「心地いいんだよ。みんなひとつだから。痛いことはないし」

「あー……その、いきなり覗いてゴメン。月倉、だったか?」

「? わたしの名前だね、うん」

「俺は弧山智仁。C組だ。ええと、宜しく……な」

「あなたって臆病なのね。今朝も言ったかな?」

 先制パンチを喰らった気分になった。冒頭の発言をうまく躱そうとしたら、今度は違う方向から不思議系ジャブである。

 彼女の美しさは本物だ、と智仁は思う。だけれど、確かにこれは厄介だぞ、とも感じた。

「そ、そういう一面はあるかもしれない、な」

「灰色と蒼と茶。あなたの色。わたしは好きだけど、苦しい色だね」

 眼前の少女――月倉はきれいな眉を動かし、どことなく寂しげな表情を作る。

「んー、君は確か、その、色が見えるんだったけか」

「みんな色は見えないって言うよ」

 ――そりゃ、見えないに決まってる。

 と言いたいのを喉で抑えて、智仁は苦笑を浮かべた。

 昼休みに飯を食いに来たら、おかしな少女と色について話をしているのだから。

「その、俺にも見えないけどね」

「そう……」

 彼女が悲しげな表情になったので、智仁は慌てて言葉を継ぐ。

「いや! でも、俺はスピリチュアル系のアレとか否定しないタチだよ! うん」

「すぴりちゅある?」

「夏にやってるUFO特番とか嫌いじゃないしな!」

 なにやら言葉をまくし立てる少年を、少女はじっと見つめて、くすりと微笑んだ。

 智仁はそこで口を止め、きまり悪げな笑みを漏らす。

「だから、その……君の信条を否定するつもりじゃないんだ」

「ありがとう」

「へ?」

「わたしのために、沢山言葉を使ってくれたでしょう?」

 それが当然とでも言うように、彼女は礼を言う。

 智仁からすれば、なにやら宇宙の住人と語らっているようだった。

 不思議星雲、不思議星の善良でかわいいツキクラ星人。

 なんだか毒気を抜かれて、智仁はため息を付いた。穏やかな感覚だった。

「色ってどんなものなんだい」

「いろんな人が聞いてくれたよ。だからあなたにも教えてあげる」

 向かいの校舎から、歓談する女子生徒たちの声が聞こえてくる。

 楽しい場所なのだろうな、と思った。それでもこちらにいるほうがいい、智仁は思った。

「色はね。みんなが持ってるの。ずっと昔から、見えたよ。たぶん、生まれた時から」

「オーラ、みたいなものかな。ちょっと前、それ専門の霊能者がいたけど」

「どうだろ。わたしはそのおーら? が見えないから。でもね、色は宇宙なんだよ」

「う、宇宙か。壮大な話になりそうだ」

「大きなキャンパスを舞台に、色が煌めいたり、うねったりするの。わたしはそれが好き」

「……それって、俺にもあるんだろ」

「うん。灰色と蒼と茶。灰色が一番多いかな。蒼はきっと待ってる。茶は、やさしい感じ」

「きっと待ってる、ねぇ。一体なにを待ってるんだろうな」

「わからない。でも、あなたの何かを待ってるよ」

 確かによく分からない、というのが智仁の正直な感想だったが、彼女の言葉には偽りがないように思えた。

 じっと顔を見つめてみる。彼女はなにを気にする風でもなく、見つめ返してきた。

「そういえば、なんでここにいるんだ? あまり面白い場所じゃないと思うけど」

「わたしは、特別だから」

 その瞬間、少女の顔に翳りが走った。

 なんとなく察することができて、智仁の瞳が揺れ動く。

 そうなのだ。彼女はまともではない。そして自分自身も枠から外された存在だった。

 少年は妙な共感を覚える。哀れみ、同情、あるいは共鳴。

「特別、か。それなら俺も特別かもな。君と同じか、似たようなもんだよ」

「でも、あなたは色が見えないわ。代わりに何が見えるの?」

「みんなが知らないことを知ってる。眼を背けた路地裏に潜むものや、悪夢がどうして生まれるかを知ってる。純粋な悪意を」

 ふと智仁は自分の右腕に柔らかい感触を覚える。

 そこにあったのは、抜けるような白色の手だった。小さくて、繊細な指が制服の袖を握りしめている。

 彼女の顔を見た。痛みを堪えるかのような表情だった。

「だいじょうぶ?」

「え」

「すごくこわい顔をしてたよ」

「あ、ああ。ちょっと考えすぎただけ」

 片手を広げて、顔を強く擦る。そこにあった感情を壊して、捨ててしまうように。

「……礼佳(あやか)って言うの。下の名前」

 少年は相槌を打った。

「わたし、変な子だって知ってるよ。周りと比べて、きっとおかしな子なんだろうな、って」

「それはけっこう当たってるかもな」

「ふふ。でもね。わたしは人が嫌だったり、痛い時は分かるんだ。だからこう考えてる」

 一息ついて、少女――月倉礼佳は口を開いた。

「これはきっと、神様からの贈り物なんだろうって」

 彼女の顔には何の疑いもなかった。それが自分に求められた使命とでも言うように。

 智仁は神様なんぞクソ食らえだ、と思い、つぎの瞬間、彼女の表情を見て、仄かな苦笑を浮かべる。

 普段は落ち着けない自分が、彼女の側だと気を張らなくてもよかった。

 神様を信じるつもりはなくても、彼女の性根が純真であることを信じないつもりはない。

 それが、月倉礼佳という少女の魅力なのだと気付いた時には、もう心地よくなっている。

「信じるよ、たぶん、それは神様からの贈り物かもな」

「あなたって臆病だけど、辛抱強い人なんだね」

「そう、かな。自分ではさほどそうは思わないけど」

「わたしの話なんかを、こんなに聞いてくれる人だよ? 我慢強いと思うな」

「臆病なのは認めるけどさ。それに、俺じゃなくても、君ほどの器量なら話し相手は捕まるだろ」

「ふふ。かわいそうな子を相手にしてるつもりの人や、容姿狙いの人はすぐに分かるよ」

「俺がそうじゃないとは言い切れないよ。君が体重一二〇キログラムの巨漢だったら、直ぐ逃げた」

「灰色と蒼と茶の人。あなたは今、真剣に聞いてくれてる。それが嬉しいんだ」

 恥ずかしげな微笑みは、奥ゆかしい魅力があった。智仁は自然と笑顔を差し出せることに気付いて、少し驚く。

 自分がリラックスしていることは、なんとなく理解していた。それでも素直になれるとは思わなかったのだ。

「……君は、なんというか、面白いよな」

「いろんな人に面白いって言われたけど、その言葉は嫌いじゃないかな」

「ならよかった。俺も臆病って言われることはあるけど、別に嫌いじゃない」

 自然と笑みが溢れる。お互いにくすくすと笑いを交わし合った。

 鐘の音が聞こえる。録音されたデジタル音で、昼休みの終了を告げていた。

「もう終わりみたいだね」

「そうみたいだな。早く帰ったほうがいいんじゃないか」

 礼佳は一度首肯し、名残惜しげに屋上を見て、最後に智仁の顔を眺めた。

 出入口のほうまで歩いていくと、彼女はさっと振り返る。

「また会おうね、智仁くん」

 なにか返事をする間もなく、少女は階段の先へ消えてしまう。

 智仁は手をあげそうになって、力なく下ろし、小さな苦笑を漏らした。

「また会おうね、か……」

 不思議な少女だった。

 智仁はまったく緊張しなかった自分を再発見して、なぜか彼女は妖精だとすら感じた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ