chapter-4
4
キャスリン・ペインは決して非情ではないが、仕事に関してはかなり厳格なところがある人間だった。
智仁はそれが分かっていたから、帰宅途中に連絡を受けた時、すぐに準備を済ませ、深夜まで待った。
腰のホルスターにはキンバー社製の四五口径ピストルを差し、胸部には防弾ベストを巻く。
このベストには弾倉や手榴弾も入れておくことが出来るから、智仁は重宝していた。
最後に特殊な処理を受けたマチェットを、鞘から抜いて確かめる。ガタつきは無かったし、錆も出ていない。
いつも通りに頼もしい。刀身を鞘に入れた。上からコートを羽織ると、コートの裏にマチェットを隠す。
向こうが待っているのは、今はもう廃業しているBARだ。都市の再開発で見捨てられた地区のひとつにある。
警察もそうパトロールに来ることはなく、スイーパーにとっても、ダスクにとっても動きやすい場所だった。
* *
そのBARは雑居ビルの地下にあった。智仁はもう点灯しないネオンの看板を尻目に、地下への階段を下っていく。
扉の前に着いたところで、ノックをした。先ず三回、つぎに二回、最後に三回。
扉を開ける。黒い壁紙に、備え付けのテーブルが沢山あり、奥にはバー・カウンターがあった。
「二分遅刻ですね」
唐突に、影から声がする。そちらにライトをやると、ヴィクトリアンスタイルのメイド服を着た女性が佇んでいた。
「心臓に悪いな。ノックで俺だと分かっただろ?」
「人質であったら困ります。隠れていれば、助け出せるかもしれませんし、そうでなくても不意を突いて殺せますから」
淡々と述べる眼前の女性――キャスにうんざりとした表情を向けると、智仁は言った。
「相も変らぬって感じだ。こんな深夜に呼び出して、明日も学校があるんだよ」
「銃は持ってきましたね?」
「四五口径が一丁。マチェットもある。何か荒事?」
「……あなたのお父上と、深く関係があることですよ」
智仁の顔が一瞬歪んだ。暗い表情を気にすることもなく、キャスは言葉を続ける。
「お父上を殺したダスクを見つけました。この街にいます」
沈黙がやってくる。智仁は何を言ってよいか迷い、つぎに顔をあげた時には不安げな笑みを浮かべていた。
「成る程。殺さなきゃな」
「あなたに出来ますか。そのダスクと対峙するだけの覚悟は?」
「あるさ。俺は撃てる。やつを仕留められる」
「貧乏ゆすり。手が僅かに震えている。私の質問に答える時、目を一瞬逸らす」
「その三つがなんだってんだ。俺は怯えてなんかない」
智仁が苛立たしげに言う。少年の肩は震え、荒く息を吸っている。キャスはそれらを観察して、静かに言った。
「いずれにせよ、強敵ではあります。殺せば報奨金も出るでしょう」
キャスはスリングで背に架けていた長物――モスバーグ散弾銃を前へ持ってくると、片手で先台を握りしめ、引く。
散弾銃特有の音が聞こえた。弾薬が機関部へと給弾される音だ。
「構えなさい。もうすぐ来ますよ」
「は? 何が来るんだ。お化けか? 取り立て屋か?」
「あなたの獲物ではありませんが、それに繋がる手掛かりです」
智仁が状況を理解し、横へ跳ぶのと同時だった。
背後の出入り口が大きく弾き飛ばされ、ゴムボールのように中へ跳ねた。
巨体を畳むように、のそりのそりとBARへ入ってくる。智仁はその姿にライトをやった。
若干、眩しそうに眼を細める相手――眼は三個ある。
「なんだぁ、お前ら。待ち伏せか、この野郎」
ダスク特有の声調に智仁は舌打ちする。
そいつはゴリラに似ていた。巨体は3mほどあり、全体的に赤に近い毛が生え揃う。
但し口は大きく裂けていて、頭にはふたつの角が生えている。下半身からは気味の悪い触手のようなものが沢山湧いていた。
智仁とキャスを視認すると、ダスクは指を折り曲げて、耳穴らしき場所に突っ込む。
「人間にモーフ(変身)するのも、そろそろ飽きてきた頃だ。ちと遊んでくれや」
「あなたは“タイクーン”の手下ですね」
「ほう、あの御方を探してんのか。ご苦労なもんだねぇ。要は――」
耳穴から指を取り出し、裂けた口から息を吐き出す。
「俺から聞き出したいんだろ? あの御方の居場所を」
智仁はマチェットをゆっくりと抜き、ダスクの側面へと回る。
キャスはそれを確認すると、改めてダスクを見た。
「だとしたら、どうします?」
「ん、まあ、教えるわけねえよな」
その瞬間、ダスクが猛然と襲い掛かる。キャスは横へ転がると、その態勢のままで発砲した。
ダスクの一部分が散弾によって抉り取られる。智仁が走り、ダスクの背中へマチェットを振り下ろした。
「!?」
触手のひとつが、素早い動きを見せる。マチェットの刀身に絡みついたのだ。
ダスクが反転する。智仁はマチェットを捨てると、腰から四五口径を抜き撃ちした。
表面が爆ぜる。大きく裂けた口でいやらしく嗤い、ダスクは智仁へ腕を突き出した。
衝撃で気が遠くなるのと同時に、壁へ叩き付けられる。
「げほっ、ごほっ……ば、馬鹿力め……」
「そりゃ坊主。お前の何十倍も生きてるからよぉ。力の使い方も知ってるよ」
「それはよかった。では余計な手加減は無用ですね」
背後から声が聞こえる。ダスクが振り返ると、眼前の銃口が一瞬の光芒を発した。
顔面が散弾によって切り刻まれる。悲鳴をあげるのと同時に、キャスは落ちたマチェットを手に取る。
闇雲に腕を振り回す中を掻い潜り、横腹に刀身を叩き付けた。
刀身はうまく入らない。しかし肉を抉ったことは確かだった。視界の端から触手が浮かび、こちらへ突き進んでくる。
後ろへ跳ぶと、触手は黒いタイルの床に深々と突き刺さった。もうひとつの触手がキャスの背後から迫る。
「後ろだ!」
数回の銃声。触手が泡立つように弾けた。キャスが銃声のほうを向くと、智仁が四五口径を握っていた。
ふたりは示し合わせたように首肯し、そのまま突進する。
智仁が四五口径を撃ちまくり、ダスクの視界を攪乱。顔面は既に再生し始めていた。
その隙にキャスがモスバーグを握り、ダスクの側面へと滑り込んだ。
「本命はこっちだろうがァ!」
ダスクは智仁に触手を向かわせると、両手を握りしめ、その勢いのまま、キャスの身体へ振り回す。
掠っただけで身体が折れそうになる衝撃の最中、キャスはモスバーグを床に滑らせた。
智仁はストックを掴む。キャスが吹き飛ばされるが、それに視線をやることもない。
ひとつ目の触手が来襲した。直線的な動きを見切るように、しゃがみ込む。上を飛来し、床と衝突した。
ふたつ目の触手は横から。智仁はステップを踏む形で、相手の動きを捉える。散弾銃のトリガーを引いた。
触手が吹き飛ぶ。同時に左肩へ鋭い痛みが走る。触手が前へ伸びていった。
やられた、と思うのとうんざりするような不快感に襲われる。それでも怪物はもう前だった。
ようやく顔面を再生し終えたダスクは、その三つの眼を見開く。
モスバーグの銃口が口に突っ込まれていた。再生し終える前に突っ込まれていたのだ。
智仁は眼を爛々と輝かせた。
「さっさと眠れよ」
返答を待つ間もない。銃口から四方に弾丸がまき散らされ、咥内のみならず、頭部を破壊した。
* *
ダスクは最期の力を振り絞り、頭部の再生を試みたが、同時に生命力を使い過ぎてもいた。
再生が追いつかずに途中で停止する。ダスクは呻き声のようなものを漏らす。
智仁はダスクの視線を感じていた。傍らにはキャスがいる。
彼女のメイド服は耐ダスク仕様のものらしく、それほど大きい怪我はない。
「だいじょうぶですか? 智仁」
「俺は肩をやられただけだよ。大したことない。人の心配より、自分の心配をしたほうが――」
智仁は呆れ顔を浮かべる。キャスはけろりとした表情だ。
彼女はクールビューティといった風で、とてもタフには見えないのだが、それが罠だともいえる。
「そういや、このデカブツを待ち伏せた理由は例の……」
「タイクーン。賞金額は相当なものですよ。ダスクの大物です」
「そう、それだ」
ダスクの口から笑声が漏れる。ふたりのスイーパーは視線を倒れた巨体へ向けた。
「なる……ほど。どうしても……捕まえてえんだな……」
「あなたの死は逃れられませんが、それを引き伸ばして地獄の苦しみを与えることもできます」
キャスは無表情を保つと、横腹の傷に、モスバーグの先端を押し込む。
ダスクの顔が歪んだ。智仁は眼を逸らしそうになる。いつまで経ってもこれには慣れない。
「くっ……くくく。そう、焦るな。教えて……やるよ。あの御方は……楽しむのが好きでなぁ……」
「楽しみに付き合う義理はない。さっさと答えろ」
智仁は早く終わらせたかった。肩は痛むし、臭いは酷い。家へ帰りたい。
「蒼い……巨人だ」
ダスクは奇妙に張り詰めた声で、歌うように語った。
「蒼い巨人を……追え。そこにあの御方の余興と……お前たちの目的がある……」
智仁はキャスに顔を向けた。彼女は無表情のままだ。それでも何か考えているようにも見える。
だが少なくとも、自身の知識では蒼い巨人なぞ理解もできなかった。情報収集も情報分析も得意ではない。
「それだけか? お前ができることは」
「できることは……それだけだ。さあ、殺せよ、坊主。還るべき時だ……お前たちの影へ……」
智仁は四五口径をダスクの額へ照準した。ダスクが夢見るように嗤う。
なぜだが粘り着くような不快感を覚えた。トリガーを引く。何度も引く。穴が開く度にほっとする。
「智仁……智仁!」
「え?」
自分が撃ち過ぎていたことに気付いた。彼女の手が右腕を掴んでいる。
キャスは智仁を叱るように、それでいてどことなく心配げな表情を作っていた。
「……悪い。念には念を入れよ、と言うだろ」
「だとしてもやりすぎです」
彼女の顔が近付く。智仁が離れる前に、彼女は言った。
「気分が良くないようですね。やつの触手に毒が入っていたのやもしれません」
「そうじゃない、そうじゃないんだ」
智仁は溜息を付き、近くのテーブルへと腰を下ろす。
少々行儀が悪いとも思ったが、こんな時に何を考えているのだと苦笑した。
キャスは智仁をじっと見つめる。先を促しているかのようだ。智仁は少し考え、言った。
「俺はずっと、こんな風に暮らしていくんだろうと思ってた。つまり」
言葉を継ごうとして、口を開ける。眼を瞑り、噛みしめるようにして続けた。
「アニメから出てきたようなバケモノと命の取り合いをして、大したことのない金額をもらい、いつか殺される」
「それは幾らか皮相な認識ですよ、智仁」
「俺の中ではそうだったんだ。ずっと全てを隠したまま、抱え込んで生きていくんだぞ、って」
「今がそのチャンスではありませんか? あなたの過去と決着をつける時――」
「分かってる!」
智仁は怒鳴り、テーブルから腰を上げた。かれはキャスを見つめ返す。
隠すこともなかった。智仁の顔には色濃い恐怖が張り付いていた。
「だけどな! 俺は怖いんだよ! やつは親父を殺した! きっと俺も殺すぞ!」
「あなたは自分が思っているより、よほど強くなっています」
「気休めはやめてくれ……! 俺はタダの男子高校生なんだよ、キャス。あんたみたいに強くないんだ」
智仁はその場を動き回る。今や灰の山となったダスクを見つけると、卑屈な笑みを浮かべた。
「埋めた過去と向き合えるやつがいる。それに引きずり込まれるやつもいる。俺は後者だ」
かれは灰の山を指差す。
「そして後者の人間は遅かれ早かれ、こうなるんだよ。キャス。自分も過去になるんだ」
「では、戦えないということですか?」
キャスの顔は氷面のように変化がない。智仁は答えを言いあぐね、その無表情に気圧された。
「俺はふつうの生活を送りたかっただけなんだ。頼む、少し時間をくれ」
「……あとで連絡します。今は、帰りなさい」
「蒼い巨人はどうするんだ」
「私に多少の心当たりがあります。ほかに聞きたいことは?」
智仁は首を振ると、出入り口へ向けて歩いた。階段を昇ろうとする途中で、振り返る。
キャスは相変わらず灰の山を見ていた。智仁は申し訳なさそうに俯き、また歩いていった。
しばらくして、キャスは懐から一枚の写真を取り出す。
明るい風貌の美しい女性と、精悍な雰囲気をもった長身の男が写っていた。
女性のほうは悪戯っぽく笑みを浮かべ、男のほうはどこか戸惑った様子だ。
キャスは相好を崩して、くすりと笑みを漏らす。全てが懐かしく、幸せなように見えた。
「礼史、幸那。私はあなた達の息子を死地へ送ろうとしています」
写真は答えない。けれど、キャスは写真の中のふたりをじっと眺めていた。
「あの子には必要なんです、過去を乗り越えることが。だからお願い。あの子に力を与えてあげて」
キャスは写真を元の場所へ納めると、両目を瞑った。
「ごめんなさい、智仁」