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chapter-3

 3


「ボクは与熊ライサ、って言います。よろしくね♪」

 ホームルームが始まった直後に、担当教師が連れてきた少女が自己紹介を始めた。

 智仁はちょっとの間呆けて、直ぐに彼女の姿を観察し直す。

 咎められない程度の茶髪。可愛らしい着こなし。薄く化粧をした可憐な顔立ち。

 ゴテゴテに作っている感触は一切なく、全体的に自然で、センスがあるルックスだ。

 転校生だというのに、まったく緊張した様子がなく、シミひとつない頬に微笑みを浮かべている。

 スクールカーストに当てはめるなら、一番上にいるべき生徒といってもよい。

 それが――。

「ボク、だと?」

 アニメやギャルゲじゃねえんだから、と智仁が小声で呟いたのと同じ瞬間に、教室全体がちょっと驚いた雰囲気になった。

 こういうタイプの女子は初めてだ、と思考する。女性と歓談した経験は多くないし、会話したことも多くないが。

 それでも異質だ。智仁が将人のほうへ視線を向けると、かれは如何にも愉快そうな顔をしている。

 最近、ネットに見かけるオタク論とかでは、こういうボクっ娘も実際にいて、学校社会では許容される存在である、と書いてあった。

 現実にはそんなことはないと智仁は鼻で笑っていたが、彼女の流暢な語りが佳境に入ると、既に一人称の違和感が無くなっている。

 恐らく彼女は例外なんだろう、と智仁はこの問題にケリをつけることにして、一度目を瞑った。

「……それじゃ、空いてる席は」

「あ、センセイ。あそこ空いてるみたいですけど」

 自分には恐らく関わりがない人間だろうと、智仁は思う。

 なんだかんだ言ってクラスメイトたちに受け入れられ、将人辺りのグループとつるむのかもしれない。

 いずれにせよどうだっていいことだ、と瞑った眼をゆっくり開くと、誰かがこちらに歩いてきて、隣の空き席へ座った。

「弧山、面倒みてやれ」

「へ?」

 教師の一言に驚く暇もなく、今度は隣に腰を下ろした少女が声をかけてきた。

「よろしくね~。えっと、弧山クン……でイイのかな」

 仄かに香水の匂いがする。安っぽい奴ではなくて、ちょっと高い奴だ。

 智仁は女慣れしていない自分を恨みながら、精一杯の愛想を作り、声をかけてきたほうを向いた。

「よろしく。弧山でいいよ」

 うん♪と相手が頷く。そこには与熊ライサがいる。率直な感想として、智仁は近くで見ても相当に可愛いことに気付いた。

 むしろ胡散臭くなるほどだ。処世術の臭いがほとんどしない。

 ホームルームの間、ずっと近場でナイフを突き付けられたような感覚を覚えていた智仁は、鐘が鳴り終わると、安堵の息を吐いた。

 ぞろぞろとクラスメイトが集まってくる。智仁はすっと席を離れ、教室の背後へ赴いた。

 手のひらにじんわりと汗が滲んでいる。童貞臭いな、と考えたところで、自分が童貞である事実を思い出した。

 やっと安全圏に逃れられたと一息付いていると、いつの間にか彼女がこちらに身体を向けている。

 可愛らしく手を振ってくるその様子に、智仁は思わず顔を歪めた。

 近くにいた生徒たちがこちらへ視線を送ってくる。その圧力に耐えられなくなって手を振り返すと、いかにも用事がある風で廊下に出た。

「マジかよ、なんだってんだ」

 乱暴に頬を揉む。となりに不発弾が降ってきたような思いだった。

 気を遣ってくれているのも分かる。彼女なりにクラスへ溶け込もうとしているのも分かる。

 それでも目立つのはゴメンだし、平和な日常を綱渡りで生きているのだから、余計な労力は使いたくなかった。

「しかしイイ感じの子だったなぁ」

 容姿が優れているのは認めるところだった。コミュニケーション能力も高そうだ。

 けれど、近くに太陽のような存在があるのは落ち着かない。

 いつ頃からだろうか。真っ当な人間から逃げ隠れしたくなったのは。

 智仁は将人のことを考え、かれに劣等感を覚えていることを渋々ながら肯定せざるを得なかった。

 ――たまらなくなる。全て見透かされそうで。

 忌憚のない感覚を持て余しながら、かれは廊下に見えている男子トイレへ歩いていった。


 *  *


 どうしてこうなったのか、智仁にはよく分からなかった。

 かれの前には機嫌が良さそうに階段を昇る与熊ライサがいて、なぜか自分はその行動に付き添っている。

 彼女は一段階サイズが大きい学校指定のセーターを着て、余った先端で手首を隠していた。

 立ち位置のせいで、彼女の白餅みたいに柔らかそうな太股がちらちらと前で揺れる。

 そこから目を逸らそうとした時、彼女が振り返った。

「えっと、さ。ボク、何か悪いことしちゃったかな」

 困ったような笑みだった。智仁はなんと答えようかと考え、彼女と似たような苦笑で返した。

「どうしたの?」

「んー、なんというか。ボク、好かれてないよね、と思っちゃったり」

 そりゃ君のせいじゃないよ、と言おうとして智仁は口を噤んだ。どう続けてよいか分からない。

 様子を見た彼女――ライサは、無理に冗談めかして笑う。

「あはは。やっぱりか。理由はいろいろあるよね、やっぱし」

「いや、嫌いじゃない。これは本当だ」

 慌ててそう告げると、彼女は一瞬眉をあげて、愉快げに口角を伸ばした。

「なーんだ。じゃあボクの話がつまらなかったり?」

「ウィットに富んでる、とは思うよ」

「ウィット? ウィットかあ。うれしいかも」

 ふんふんとまるで小型犬のように鼻を鳴らし、興味深げに智仁を眺める。

 智仁は気まずげに視線を受け止めると、彼女と同じ位置まで階段を昇った。

「それで?」

 ライサは軽い調子で微笑むと、智仁の顔をおもむろに指さした。

「顔にハテナマーク付いてるよ」

「ハテナマーク?」

「ん、聞きたいことがいろいろとあったりするんじゃないの」

「なるほど。そりゃけっこうあるけど」

 智仁は思わず手を打ちそうになり、とめた。彼女のペースに入り込んでいる。

「最初に、どうして俺を選んだのかってことかな。もっと親切なやつは沢山いただろ」

「北沢くんとか阪東さん、とか。あとは将人くんも案内してくれるって言ってたね。校内」

「将人はいいやつだからね。頼めばよかったじゃないか」

「んー」

 ライサは悩むように眉尻を下げ、つぎにニカッと微笑んだ。

「どうしても知りたい?」

「高い壺とか買わされそうでさ」

「あはは。ボク、そんな性悪じゃないってば」

 ひとしきり笑ったあと、彼女は智仁をジッと見つめる。智仁は首を傾げた。

「やっぱり覚えてないよね。ボク、君に会ったことがあるんだけど」

「君に? ……悪いけど、思い出せない。忘れるとも考えづらいな」

「そうかもしれないね。だけど、あの時、君はボクのことをとても楽しませてくれたんだよ」

 遠くを見るように、彼女は視線をやった。そしてくすりと小さな笑みを漏らす。

「楽しませるゥ? そんなピエロな性格だったか」

「ま、覚えてないならイイよ。最初から大して期待はしてなかったしね」

 智仁は彼女の顔を観察した。だが記憶にはない。こんな人間なら、どこかで引っ掛る筈だ。

 しかし脳内を検索してみたところで、該当するものは一切ない。

「……よく分からないな。つまり、どういうことだ」

「君への御礼だよ。ボクを楽しませてくれたことへの。だから仲良くしたいんだ」

 彼女は魅力的だった。智仁は何となく惹かれている自分に気付き、戸惑う。

 心中ではもうひとりの自分が、何かウラがあるぞと騒ぎ立てている。

 それでも女性にここまでアプローチを仕掛けられたのは初めてだったし、喜ばしくもあった。

 ――なんせボクっ娘だ。希少種だ。

「仲良くする分には、まぁ、不都合な面もないと思う、けど」

「よーっし。じゃあちょうどいいし、お互いのことでも話さない♪」

 彼女はガッツポーズすると、階段を素早く駆け上がり、廊下へと出た。

 すぐに近場の扉を開くと、そこがだれにも使われていない空き教室だと見て、中へ入る。

 智仁が後ろへ続いた。夕陽がカーテン越しに当たって、柔らかい色となっている。

 人気はなく、ちょっと埃っぽくもあったが、静かな場所だった。

 ふとライサのほうに視線をやると、彼女は椅子をふたつ分、こちらへと持ってきている。

 彼女は椅子に腰を下ろす。智仁は軽く肩を竦めると、自分も尻を乗せた。

「突然だなぁ。台風みたいだよ、君」

「はは。よく言われる~」

 その様子に苦笑する。智仁は彼女と少し打ち解けてきているのを感じた。

 それから互いのことを少しずつ、少しずつ話していく。

 趣味、好きなスポーツ、人生観、最近あった嬉しいこと、過去の話。

 智仁は自分が喋り過ぎているのが分かったし、これが良くないことであるのも何となく理解していた。

 スイーパーである以上、余計なことを語れば、それが命取りにもなりかねないのだ。

 だが、かれは高校生だった。素晴らしい異性と率直な話をするのが、こんなに楽しいものだとは思いも寄らなかった。

 気付くと、もう相応の時間が経っている。智仁は自分のスマートフォンを取り出すと、ちょっと驚いた顔をした。

「ずいぶん、話したな。俺たち」

「そうだね。ボクもこんなになるなんて、初めてだ」

 智仁はその言葉になんとなく胸が暖かくなるのを覚えた。都合のイイ男だと思いながらも、嬉しかった。

「ボクたち、きっと相性がイイんだろうね」

「そうかもしれない。そうじゃないかもしれない」

「恰好つけるなよ~。智仁~」

 くすくすと彼女が気安く名前を呼ぶ。智仁は不快に感じなかった。

「……君って、やっぱりボクと似てるよ」

「それは、どうして?」

「ボクもお父さんが死んでる。君もそうだろう?」

 デリケートな話題だ、と言おうとして、口が動かなかった。触れてほしくない筈なのに、なぜか言えない。

 あるいは誰かに聞いてもらいたいのか、と考えて、智仁は何となく自分の情けなさに怒りを覚える。

「だからなに? あまり触れてほしくないんだけどな」

「ごめんね。でも死者の代弁をすることは、誰にも出来ない。許してもらえない。そうだろう?」

 ガツンと頭を殴られたような感覚。そうではない、と智仁は答えたかった。

 お前と俺の事情は違う、と。理解することはできないし、誰かに話すことはできないんだと言いたい。

「ボクも苦しかった。誰かに吐き出せば、傷口を晒すように思って、話せなかった」

「……唐突すぎる。ほとんど初対面だ」

「ボクを信用するべきなのは、分かるでしょ。理屈じゃなくてさ」

 真っ当な答えを持ち出せば、余計に胸の内がムカムカとしてくる。

 話すべきではないのに、智仁は無性に話したくなる。もうこんなことを抱えるのは沢山だ、と。

 小さく言い訳した。別に全てを話すわけではないのだから。

「そんなに知りたいなら、教えてやるよ。どうせ大したものでもないし」

「どうだろうね。ボクは興味があったりするけど」

 彼女は静かに微笑んだ。智仁は目線を逸らし、数秒待ってから語り始めた。

「……だれかを見捨てた経験があるか?」

「それはどういうニュアンス?」

「簡単なことじゃないぞ。大きなことだ。例えば、誰かを救えた筈なのに、逃げ出した」

 沈黙が訪れた。ライサはどう話してよいか答えあぐね、数秒した後に言った。

「それは……本当に君が助けられたのかな。そう思ってしまうこともあるよ」

「相手はそう考えたのさ。その男はな。だが俺は見捨てた。たぶん、助けることはできたんだ」

 智仁は眼を瞑った。教室の静けさが心地良くも、見捨てられたように思える。

 これは墓地の静けさだった。

「でも逃げたよ。臆病だったからね。当時も、今も。俺は怖いものが嫌いだ」

「何が怖かったの?」

「死、痛み、生理的嫌悪、そして怒り」

 そこで智仁は言葉を留めた。彼女の視線を感じて、続きを話した。

「そいつが好きじゃなかった。いや、最初は好きだったけど、あの時は……」

 口を閉じた。全身に寒気が纏わりついてきた気がした。背中に何かがいる気がする。

 こちらを見ている。そう感じてしまう。智仁は怖くなった。腹の底から力が抜け、鼻の先に感覚が集中する。

 そのとき、ふと暖かいものが自分の手に触れたのを、智仁はしっかりと知覚した。

「だいじょうぶ。ボクがいるよ」

 彼女は真剣な、それでいてどこか慰めるような表情をしていた。

 智仁は悪寒が消えて、彼女の繊細な手のひらに包まれていることを自覚する。

 ひとりじゃない、と率直に思うのと同時に、墓地の静けさは無くなり、代わりに全身が軽くなった。

「ごめんなさい。無理に話させちゃったね。助けになれるか、と思ったのに」

「いや、いいんだ。ありがとう」

 安心してくると、智仁は気恥ずかしさに襲われる。そのまま顔が赤くなりそうな頃に、彼女が言った。

「ん、案内を頼んだのに、話だけで時間が潰れちゃった」

 彼女の手がゆっくりと離れ、智仁はそれをひどく残念に思った。

「またお願いしてもイイかな? 今度はきちんと、ね」

「……君って物好きだな」

「ふふ。確かにそうかもね」

 智仁は椅子から立ち上がり、それを元にあった場所まで戻した。

 ライサも椅子を同じように戻すと、かれの耳元で囁く。

「これからよろしくね♪」

 智仁が振り返った頃には、彼女はもう廊下へ出るところだった。


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