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chapter-2

 2


 朝三時を指していた時計が、アラームを鳴らした。

 智仁はデスクの上に鎮座していたノートパソコンの画面を一度見つめると、アラームの元凶に視線をやった。

 へなへなと力が抜けてくる感じがする。昨日はあれからいろいろな処理があって、帰宅したのは深夜の二時だ。

 学生がやるには無理がありすぎる仕事だと常々思いながら、時計を叩くと、画面に視線を戻す。

 『過去から逃げたって、いつかは追いつかれるのよ。私は逃げない。立ち向かう!』

 俗に言うADV――ギャルゲというやつだ。画面の中では、トラウマを負った主人公に、ヒロインの少女が声をかけている場面だった。

 智仁はそれになんともいえない苦味を覚える。これから登校せにゃならんのに、こんなことを聞かされるとは。

 日常でイチャイチャする作品だと思ったら、後半から急展開。シリアスが某ラーメンチェーンのようにマシマシされた。

「冗談じゃない。こちとら軽く鬱が入ってんだよ……」

 うがあと奇声をあげてデスクに顔を埋める。昨日の今日でこれだ。現実逃避気味にギャルゲでもプレイした故の悲惨さだった。

 改めて時計を眺め、大きくため息を吐くと、ゲームを閉じるべく、カーソルを動かす。

 智仁は舌打ちする。間違ってクリックしてしまい、文章が先へ進んだ。

『あなたはどこにいるの。現在、未来……それとも』

 ×ボタンをクリックする。画面が暗転し、数秒後にはプログラムが停止され、デスクトップが映った。

 冗談じゃない。機械に説教されてたまるか。

 智仁はそのままパソコンの電源を落とすと、首を数度左右に曲げ、目頭を押さえた。

 椅子から立ち上がり、寝室のカーテンを開ける。朝の日光が抜けるような勢いでやってきた。

 施錠した窓を開け、小さなベランダへと出る。清冽な空気が顔に当たり、鼻から肺を通った。

「あー……」

 智仁は言葉にならない声を呻き、澄み切った早朝を感じる。ここはマンションの五階だった。

 ベランダから見えるのは、中央エリアにある高層建築の束と、その向こうにある工場群。

 周囲には同じようなマンションやアパート、一戸建てが立ち並び、階下の道ではサラリーマンが自転車を押していた。

 祥雲特別市。十数年前に提唱された「再発進」プロジェクトの中核として設置された計画都市だ。

 当時は名前通り、知的復興の決め手となる旗手として多くの期待を受けていた。

 祥雲市はその期待通り、多くの財産を日本へともたらし、今では押すに押されぬ大都市となっている。

「現代日本の鬼子、か」

 政府による多額の資金援助と開明的な都市条例。それらを後押しする強力な自治権。

 これらを鑑みたとき、智仁はその背後にあるものに興味を持った。そして、実際にダスクは都市の影に潜んでいる。

 右手で両目を擦り、軽く欠伸すると、大きく伸びをした。そろそろ顔を洗わなくては。

 そのとき、背後で扉が開く音がした。毛が逆立つような感覚。咄嗟に腰に手を伸ばした。

 そこに銃はない。かれは確かに怯えていた。数秒経って、振り返る。

「また、寝てないのですか? トモヒト」

 呆れたような声色で、こちらを眺める三0代頃の白人女性に、智仁は安堵の息を吐く。

「心臓に悪いよ、キャス」

 かれはベランダから室内に入ると、鍵をしめる。

「しかしメイド服で来たの? そりゃマズイんじゃないのか」

「これは私のユニフォームです。子供には分からない理由があるのです」

「どんな理由だよ……。ちょっと俺には分かんないよ」

 しげしげと眼前の女性を眺める。

 銀、というよりも灰色に近い髪。ディープブルーの瞳。服越しでも分かるスラリと伸びた手足。

 無表情を崩すことは滅多にないが、不思議と気品に似た魅力を感じさせる顔立ち。

 どれもが一級品である。智仁が物申したいところは、ただ一点。ヴィクトリアンスタイルのメイド服だけだ。

「俺の部屋に入ってくるところ、近所の人に見られなかった?」

「もちろんですとも」

「もちろんですとも、じゃなくて! これで寂しさの余り、コスプレ風俗に通い詰めてる、なんて噂が立ったらどうすんだ!」

「私はあなたの父上から、身の回りの世話を頼まれているのですから、配慮する必要もありません」

「学生の一人暮らしってものを尊重してくれよ……キャス」

 頭を抱えそうになって、仕方がなくため息を吐く。彼女はいつもそうだ。からかうようで、真面目。

 彼女と喧嘩しても、最終的に負けるのはこちらなのだから、と自分を納得させ、智仁は言った。

「昨日の仕事(ビズ)だけど、あれは当たりだった」

 メイド服の女性――キャスリン・ペインことキャスは、静かに頷いた。

「ヨシザキが死んだと聞いています。胸を貫かれた、と」

「いい人だったよ。腕は、そこまでじゃないが。確かに死んでしまった」

 智仁は一拍置いて、どことなく不快げな表情を作った。死をなんとも思っていない言い方だ。

「いや、残念だ。すごく。俺のせいかも、しれない。もしかしたら」

「もしかしたら、はありません。そういう仕事です。割り切りなさい」

 キャスはその言葉を切り捨てた。智仁は少し驚くような顔をして、なにか言おうとし、口を噤んだ。

「葛藤があるのは分かります。スイーパーは大事なものをすり減らしますからね」

 智仁を、その深い瞳で見据えた。彼女は真面目だ、いつでも。智仁はそんなことを思う。

「でも、目前にあるものに集中しなさい。過去に未来はありません。その断片は存在にするにしても」

「……つまりは?」

「高校生活、とかですね。少し待っていなさい。英国仕込みブレックファストを作ります」

 優雅に寝室を出ていった彼女に、智仁は言った。

「メシマズって聞いてるけどなぁ、英国は」

「聞こえましたよ。それは世界的な偏見です。もっともな愚かな言説のひとつでもあります」

「だといいね」

 智仁は小声でそう付け足し、キャスのことを考えた。

 父親も母親も亡き今、彼女こそが唯一の身内ともいえるのかもしれない。

 生計を立てるためにも、定期的なビズを行わねばならず、その情報を見つけてきてくれるのが彼女だ。

 なんだかんだ言おうが、キャスには世話になっている、と智仁は思った。

 感謝もしているし、なんらかの清算をしなくてはならない日も来るだろう。それでも今は自分のことで精一杯だった。

「あんたのせいだ」

 ぽつりとつぶやく。父親から望まぬ仕事を押し付けられ、当の本人は先に死んでしまった。

 残されたのは哀れな息子と、メイド服を着るおかしな女性。


 *  *


 朝の冷たい空気の中を、近場にある高校まで歩いていった。

 智仁は微かに青い顔をして、喉を摩っている。

「おかしいな。別に味はそこまで悪くなかったのに」

 通学路になっている坂道を進むと、少し先に高校の塀が見えてきた。

 校門はすぐ脇にあって、眠たげな男子生徒や友人と歓談する女子生徒の姿が見える。

 智仁はだれとも話さなかった。話せなかった、というほうが正しいか。

 おかしな焦燥感に駆られ、他人と合わせるより、日々を過ごすことだけで力を使い果たす。

 学校にいれば落ち着かなくなり、ビズに出れば恐怖を感じた。

「どうしようもないな」

 校門を通り過ぎようとすると、門柱の傍らにある表札が目に入る。

 私立末梅(マツウメ)高校。ずっと通ってはいるものの、特別な愛着を覚えたこともなかった。

 中央の大きな広葉樹を避け、昇降口のほうへと回ると、智仁は知っている顔を見つける。

 ちょうどいい具合に柔和なルックス。人をやさしい気持ちにさせる笑み。

 近付こうかと迷って、向こうのかれが誰かと話していることに気付いた。どうやら女子生徒だ。

 認識する前に、向こうのかれが智仁の姿に気付いた。

「よう、智仁。ちょっといいか」

 声をかけられては仕方がない。智仁は悟られぬように舌を出すと、すぐに引っ込め、かれに近付いた。

「何か用か? 将人」

 茶目っ気のある笑みを浮かべた少年――楠木将人は片目をつぶった。

「占いとかって信じるタチ?」

「なに? 占い? お前、なに言って……」

 そのとき、智仁はこちらに向かい合っている人物をやっと認識できた。

 そして胸の奥のほうで何かが絞られるように疼くのを感じて、なぜか嬉しくなる。

 自分たちと同じ年頃の少女だった。

 さらさらの黒い髪をボブカットにしていて、アーモンド形の眼には吸い込まれそうな翠が宿る。

 穏和そうに見えるが、どことなく捉えどころのない表情が、妙な可憐さを感じさせていた。

 身長は女子にしては高いほうで、ストッキングに包まれたカモシカのような肢は、見事としか言い様がない。

「……なに?」

「お、おっと。その、スマン、ゴメン」

 自分が釘付けになっていたのを知り、智仁は咄嗟にあとずさった。不思議な感覚だが、今はもうやってこない。

 となりでは将人がその様子を見て、意地が悪そうにニヤニヤと笑みを浮かべていた。

「ま、いいさ。ともかくこの子……B組の月倉、って言うんだけど」

 背後から声をかけられた為、将人が言葉を止める。女子生徒たちに挨拶を返すと、続けた。

「人の色が、見えるらしいんだよ」

 将人はその言葉だけ、やけに真面目に扱った。茶化すような様子はなく、智仁はどう反応してよいか、困る。

「色……ブルーとかレッドとか、そういう」

「いや、詳しく知ってるわけじゃないけどさ。面白いだろ」

「どうしてそれを俺に振ってきたんだ? また面倒事かと思って、一瞬避けようと思った」

 邪気のない爽やかな笑いを将人は残し、口を動かした。

「ま、一応お前とは組みやすい仲だからな。愉快なことは共有しようって話だ」

 智仁は呆れた顔をしようか、あるいは苦笑を返してやるか、少し迷った。

 確かに楠木将人という男は俗に言う人気者で、嫌味がなく、バスケ部のエースだ。

 ありがちな一種の傲慢さもなく、どんな人間にでも自然体を保ちながら、それとない配慮が出来る。

 智仁が不思議なのは、そんな男があえて自分を親友――眼前の人気者は本気で言う――に選んだか、だろう。

 なにか裏があるのでは、と勘繰ってしまう自らが嫌になるほど、楠木将人は人間が出来ていた。不安になるほどに。

「それで、月倉さん? で良いのか。その、コトの発端は」

「オレンジ色にほんのり黒」

 少女――月倉礼佳(ツキクラ・アヤカ)は何の前振りもなく、そう言った。

「それが始まりなの。あなたは……」

「ちょ、ちょっと待ってくれ。話に付いていけないよ」

「オイオイ。このくらいのことでへばってどうすんだ。月倉の話、けっこう当たるんだぜ」

「そういうことじゃなくてな!」

 智仁は朝っぱらこれか、と叩き付けたくなるのを我慢した。喉の痛みがぶり返してくる。

「つまり」

「俺が彼女に声をかけて、彼女は答えて、お前が来たから、今に至るってわけだね」

「ああ、どうもありがとさん。俺を巻き込む必要があったかな? マサトくん?」

「最近、つれないんだよ。月倉。こいつ、俺のことが嫌いになったのかな」

「ううん。かれは灰色と蒼と茶だから、ただ臆病なだけだと思う。もっと観察すれば、過去の色も見えるよ?」

「おお! そりゃよかった。さっそくやってもらおうか」

「やるわけないだろうが! このドアホ」

 将人はけらけらと笑い、礼佳は至って真面目な表情だった。智仁は溜息をつき、そこで視線を感じた。

 周囲からだいぶ注目を買っている。良いものよりも、悪いものの方が多かった。

 結局のところ、自分が学校社会の中では不適合者であることを知っていたから、智仁は逆に冷静になる。

「……そろそろ中に入ろう。ホームルームに間に合わなくなる」

「ん、そうか。そうだよな」

 将人はすぐに智仁の意を察し、一瞬寂しげな笑みを浮かべたあと、いつもの微笑に戻した。

「月倉は――」

「私はだいじょうぶ。気を遣ってくれてありがとう。ええと、将人?」

「いきなり呼び捨てか。でも嬉しいよ。じゃあな」

 彼女は一足早く昇降口の中へと消えていく。少しして、智仁と将人は一緒に中へ入った。

 なんとなく、智仁は将人から特別な匂いを感じていた。

「あの子、好きなのか」

「んー……いや、そうだな。お前には分かるよな」

 かれには珍しく苦笑する。校内靴に履き替え、一緒に廊下を進んだ。

「月倉はさ、お前と同じなんだ」

「そりゃ、爪弾きものってことか」

 将人の顔に色濃い自責の念が浮かんだ。それでもかれは頷き、気にしていないように振る舞った。

「そんなことは関係ないけどな。ともかく、ああいう言動だからさ。浮いてるよ」

「俺に余計な気は遣わなくていい……まあ、不思議ちゃん、みたいな感じだったもんな」

 ふたりは廊下から上階への階段を昇る。上からやってきた教師の横を通り、踊り場で立ち止まった。

「こんなこと言ったら、怒られるかもしれないけど。ああいうものが、たぶん好きなんだと思う」

「ストッキング? いい趣味してるよな」

 この野郎、と軽く殴られる。智仁は小さく笑った。

「なんというか、下手に尖っててさ。受容されないけど、傷付いても、そのままでいられる」

 踊り場の上方にある窓から、将人の顔に陽光が当たった。影が顔半分を覆う。

「彼女の在り方もだな。やさしい風、みたいな子なんだ。掴み所がない。でも、心地がいい」

「誌的だな、将人。むずかしい小説でも読んだか?」

「茶化すな茶化すな」

 将人はかぶりを振り、くすくすと笑みを漏らす。また一緒に階段を上がった。そこに影はなかった。

「まあ、なんだかんだ言ってもさ。お前だけだよ。こんなこと言えるの」

 智仁は唇を浅く噛み、肩を竦めた。かれが感傷的な物言いをしているのは分かっていた。

 それでも言わざるを得ないことだったんだろう、と思った。

 友人同士で語り合うには、少しだけ気恥ずかしい言葉ではある。けれど否定はできない。

「浮気は厳禁よ♪ マサトちゃん」

「ああ、くそっ。悪かったよ。だからそう虐めんな」

 わざとらしく呆れた顔を作り、将人は階段から教室がある廊下まで出る。

 男子生徒数人が、後ろから数段飛ばしでふたりの横を駆け抜けていった。

 智仁はどうしても聞きたいことがあった。この空気なら、冗談でも済まされそうな感じだ。

 馬鹿で、くだらないが、それでも灰色の学校生活で一番悪くないと思える少年についての話。

 ――どうして?

 それを口に出そうとして、智仁は躊躇った。教室の出入り口に、将人と同じバスケ部の人間がいる。

 もっと言うべき言葉がある、と智仁は感じた。

「悪いな、人気者」

「……仕方ないよな」

 ふたりは別れた。智仁は教室の中に、将人は廊下に群がるバスケ部の生徒たちのもとへ。

 知っている顔こそいるが、親しい友人はいない、と智仁は素直に思う。

 それでよかった。安心できた。



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