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chapter-11

 11


 住宅地の外れにひっそりと建てられた公園。

 ボール遊びができるくらいには大きく、遊具も各所に設置されている。

 その一角にあるベンチに、制服姿の男子高校生が腰を下ろす。

「みっともないな」

 夕暮れがあたりを満たす中、楠木将人はそう言って顔をなぞる。

 腫れも少し引いてきた。相応に殴られたが、無意識で加減を加えていたに違いない。

 複雑な気持ちが胸中に渦巻く。

「……全て、俺のわがままだってのに」

 分かっている。分かっているが、止められない。

 楠木将人はずっと前から壊れている。今、ここにいるのはただの抜け殻だ。

 かつての残影をひきずって、ひたすらに帳尻を合わせようとする道化でしかない。

 それでも友人を得た。真の友人だった。本当に相棒だと思っていた。

「木っ端微塵だな」

 将人は笑う。その術以外、頼れるものを知らず、この表情で多くを切り抜けてきたがゆえに。

 向かってきた親友を笑う。自分の馬鹿さ加減を嗤う。それでも譲れないものに微笑みをかける。

 狂っているのだ――。

 いつの日か、自分でそう気付いた時にも、小さな笑みが漏れた。

 彼女が好きだった。恋していた。愛していた。

 自分とは正反対の特異な価値観が愛おしくて、愛おしくて仕方がない。

 壊れた機械を唯一癒やしてくれる存在ですらあった。

「なんでお前は、あの子を好きになったんだ?」

 何度も問いかけたかった。もし、あの子に好かれ、好くことさえなければ、万事うまくいった筈だ。

 弧山智仁は親友のままで、自分の傍らには礼佳がいて、それで完璧だった。

 そう、完璧だったのだ。

 バスケ部のエースであり、成績は優秀で、リーダーシップに優れた生徒。

 それらと同じようにピースが収まる筈だった。

 だが、現実はそうならなかった。

 今は滑り落ちていくような感覚を覚えている。天国から地獄へ。あるいは地獄からその下へ。

 ふと、将人はこちらを見ている人物に気付く。

 可愛らしい容貌をした、どこかボーイッシュな雰囲気の少女。

 彼女は将人と視線が合わさると、利発そうに手を振って、小走りに近付いてくる。

 意外だった。こんな顔を見られたくはなかった。

 それでも笑みを作る。

「やっほー♪ こんなところでどうした」

「ちょっとね。暇を潰してた」

 彼女は将人を覗き込むと、少し眉をひそめる。

「顔どうしたの? 顔」

「……階段から落ちてさ。大変だった」

「階段から落ちる、かあ」

 ふんふんと頷くと、にやりと少女は微笑む。

「そんなわけないっしょ? ここ、座るよ~」

 将人がなにか返答する隙もなく、ベンチのとなりへと腰を落ち着ける。

 苦笑した。心中を突っ込まれるのは面倒だったが、うまく躱すつもりだった。

「だれかと喧嘩でもしたの? そういう怪我だよね、それ」

「帰り道に、ちょっと因縁があるやつとタイマンしてさ。ボコボコにされた」

「男、楠木将人が不良道を歩むのはけっこうだけど……」

 ライサは肩を竦める。

「ま、でもアレだよね。なんとなく分かるよ」

 将人はなにも答えなかった。彼女が気付くのも、ある意味当然だ。

「要は、ボクが教えたあげた例の場所に行って、かれと殴り合ってきたってところかな」

 ほかに理由はない筈だ、とばかりに微笑む。

 まったくの事実だった。否定したかったが、その材料がない。

 曖昧に笑い返す。

「その反応をみると、間違ってないみたいだね♪」

「こうなることは予想が付いたんじゃないか?」

「まさかァ。あの人格者で成績優秀、スポーツ万能の楠木将人くんだもん」

 くすくすとライサは笑う。

「そんなことするわけないって思ってたよ」

「なるほど。じゃあ、なんで場所を教えてくれたんだろうな」

「ボクが? 君が望んだからさ」

 彼女が表情を変える。ただの笑みがより一層の影を増す。

「君はアヤカにご執心だったろ? だれにも取られたくないと望んでいた筈だよ」

 自らに苛立ちを感じ取る。この会話が気に入らなかった。

 将人は口を開こうとして、ライサに機先を取られる。

「おーっと。ストップ♪」

 何か言おうとする。口が開かない。不審に思い、唇をさわる。

 まるで麻痺したように動けないのだ。

 首をかしげる。不思議と恐怖はなかったが、驚きだけはあった。

「驚いてる? そうだよね」

 ライサは微笑んで距離を詰める。肩同士が触れ合った。

「その様子だと、喪われたみたいだね。君の大切なものが」

「――」

「あはは♪ 答えなくても分かるよ。取られたんだよねぇ、親友にさ」

 嘲るような笑い声に、将人の両手へ力が入る。

 口は動かないが、手足は動くようだ。

 どんなカラクリかも分からなかったが、彼女の言葉は聞きたいとすら思わない。

「大事な大事な彼女をさ。いいの? 君の希望じゃなかったの?」

 腕をあげようとする。彼女の手が触れた。

 まるで石と化したように強い重圧感を覚え、それが次第に加算されていく。

「いいよ。話して」

「――なんでそれを知ってる」

「あはっ☆ 笑み、とれてるよ~」

 ライサの口角があがり、意地の悪い笑みが浮かび上がった。

「ボクはなんでも知ってるよ。君の仮面も、その内側にある狂気も、ね」

「お前はっ!」

「きゃ~、暴力はよくな~い♪」

 無邪気に笑いながら、ライサが身を竦める。

 同時に立ちあがろうとした自身の動きが停止し、そのまま彫像のように固まった。

 内面を怒りと憎悪が焦がす。この女が何者であれ、人の精神に土足で入り込んだ罰は受けさせなければならない。

 その様子を見ていたライサは、くすりと笑みを溢した。

「んふふ。やっぱり、君って“異常”だね。見込んだ通り☆」

「異常……だと?」

「恐怖を感じてないでしょ? 普通の人間なら、ここでボクの力に震え上がって、まともに話せないよ」

「お前なんか怖くないさ。お前はただの手品師だ」

「ひっどーい。RAILであんなに話したじゃーん」

 ぷんすかと怒り出す少女を、将人は憎しみのこもった瞳で睨み付ける。

「猫をかぶってたな? 俺と話す時も、あの日、ゲーセンに遊びにいった時も……!」

「あっはっは♪ ボクは普通の女子高生だってば。カッコカリって付くけど」

 彼女はいかにも愉しそうに視線を受け止めると、将人の頬へ手をやった。

 目は瞑らない。ただ眼前の化け物を睨み続ける。

 指が頬をなぞり、唇へ赴く。

「んー、いい顔してるね。歪みきった内面が、滲み出ているような表情」

「俺に触れるな。後悔するぞ」

「自分でも気付いてるんでしょ? まともじゃないって。どこかがいかれた機械なんだって」

 にこりと華のある笑みを浮かべる。

 まるで自身の頭に手を突っ込まれ、好き勝手に寸評されている気分だった。

 実際、そうなのかもしれない、とすら思う。

 否定できない言葉が彼女の柔らかな唇から放たれる様を、ただ見ているしかない。

 胸が痛み、ただ憤怒のみが募る。できるならば殺したかった。今すぐに。

「このままだと、君は全てを奪われたまま、虚無を抱えて生きていくだけの人生になる」

 指がふっと離れる。眼前の少女が優しく微笑んだ。

「本当にそれでいいの?」

「なにが言いたい……」

「この通り、ボクはただの人間じゃない。おかしな力をもってるし、それで色んなこともできる」

 両手を広げ、ゆっくりと衝突させる。

「大事なことはね♪ その恩恵に預かれる人間も、少なくないってこと♪」

 最初に出会った時は与熊ライサと名乗り、社交的に微笑んでみせ、クラスに受け容れられた彼女。

 特殊な口調すらも彼女の大きな魅力となり、容姿と相まって瞬く間に人気者となった。

 その彼女が、無邪気な微笑みで言うのだ。

 ――チャンスをあげる、と。

「俺は狂った人間だぞ。お前がどうして力を貸す?」

「んー、なんでだろ? 君がそれなりに気に入った、ということもあるし、これからの布石にもなりますし~」

 顎に手を添えて、考える。

「あ、そうだ♪ あと愉しそうだから☆」

 邪念の一欠片すら感じ取れない柔らかな表情。

 しかしその笑みの奥に、なにか底知れないものが蠢いている錯覚がある。

 冷や汗が流れる。

 彼女の正体すら分からない現状だ。あまりにも馬鹿げているということもできる。

 単純にこちらをからかっているのかもしれない。これは壮大なトリックである可能性もある。

 しかし、いくら現実逃避をしたところで、身体はうんともすんとも言わないのだ。

 彼女は依然として隣におり、こちらへ選択を迫っている。

 それに。

「ねえ、“完璧”にならなきゃいけないんでしょ?」

「ッ……」

「そうしないと、君という存在の価値も、意味も、消失してしまう」

 耳元に顔を寄せてくる。ライサの唇から囁きが漏れた。

「手に入れるべきものがある。あとは、君が力を求めればいい」

 顔が離れていく。

 将人は誘いになど乗らない、と言うつもりだった。

 自分自身で始末をつける。人の力など借りず、今まで通りの“完璧さ”を取り戻す、と。

「話を聞かせろ」

 だが、出た答えはまったく別のものだった。

 ライサが嬉しそうに微笑む。

「おけおけ♪ じゃあ“ダスク”の説明から始めようか――」


 * *


 カラスが鳴く。

 公園には小学生ぐらいの子供たちが集まってきて、ボール蹴りをしていた。

 将人はその光景を眺めている。

 となりでは、ニコニコと笑みを浮かべたライサが腰を下ろしていた。

「――ということなんだけど。理解できたかな?」

「お前たちは人類の影に潜んできた怪物で、自分たちの欲求を満たすためにいるわけだ」

「そう♪ そして人間が私たちに成ることもできるわけ」

「……俺に、化け物になれっていうのか」

「んー、ムカデみたいなのとかいるけど、君が望むなら人型のままでいさせてあげるよ?」

「そういうことじゃない。同じ人間に危害を加えろ、というのは抵抗もある」

「本当? ボクは君のこと、そういうタイプの人じゃないと思ってるけどなー」

 将人の表情を覗き込むようにして、肩を寄せてくる。

 ふわりと香水の匂いがした。

「いいじゃん♪ どうせ君は壊れてるんだから。無理に人間になろうとしなくてもいい」

 大事なのは、と続ける。

「“完璧さ”を取り戻すことでしょ? この日常に、あるいは君の人生に」

「そうだ。俺の目的はそれ以外ないんだ」

「なら、くだらない道徳観念とか、全部ぽいとしちゃってさ。やり直そうよ☆」

「今のままでいても、やり直すことはできるぞ」

「いやあ、無理だよ。だって君の親友とは交渉決裂しちゃってるし、それ以前に――」

 彼女の眼に、スッと冷たい光が宿った。

「アヤカは、君のこと、大して好きじゃないんだもん」

 残酷な事実だ、そう思いながら将人は片手を握りしめる。

「その様子だと、トモヒトに負けたみたいだしね。腕力が全てとは言わないけど、頼りないじゃん」

「……彼女は見てなかったさ」

「悔しくないの? いざって時、彼女を守れないってことだよ?」

「そんな目に遭わせないよう努力する」

「向こうは、努力しなくても守れるよ」

 将人はライサに視線を向ける。

 彼女は表情を変えていない。何の感慨もないようだった。

 事実を述べるようにして淡々と答えを返しただけ、という感じだ。

「俺は」

 何か言わなければ、と思うのに。自身の頭脳はそれを全て肯定してしまっている。

 今のままでは、ずっと喪われたままだと。寵愛も得られず、充実も得られず。

 ただ、完璧さが崩れていくのを眺めているだけだ、と。

 顔をあげた。茜色の空を見あげる。

 そこに答えはない。ヒントすらもない。分かっているのに、逃げずにはいられない。

 ――俺では駄目なんだ。

 そのとき、白球が空に浮かび上がって、また落ちてくるのが見えた。

 一度地面へバウンドし、また跳んで、その間隔を小さくしながらベンチへと向かってくる。

 近くまで来たボールは、既にその力を喪い、ただ転がるだけになっていた。

 子供たちがひそひそと向こうで相談し合っている。

 将人の足下にボールが来る。首を傾げ、両手で拾い上げた。

 泥と砂が付着している、普通のサッカーボールだ。

 今は野外でも携帯ゲーム機で遊ぶのが普通らしいが、ここの子供たちは違うようだった。

 将人はなんとか笑みを作り、子供たちに視線を向ける。

「やあ、君たちのボールだろ?」

 子供たちが頷いて、こちらへとやってくる。

 将人は人差し指の上でボールを回すと、口笛を吹いた。

 子供たちが緊張しなくなればいい。そんな考え方だったが、どうやら失敗したようだ。

 なんとなく薄気味悪げに、リーダーの男の子が近寄ってくる。

 将人は苦笑すると、ボールを渡した。

「どうぞ」

「……あ、ありがとう」

 どこか怯えたふうに後ずさる。それが少し気に入らなくて、将人は顔を近づけた。

 少年の眼に、何かが映っている。首をかしげてみて、よく覗いた。

 醜い男がいた。負の感情に支配された己を、気味の悪い笑みに隠した人間が。

 はっと顔をあげる。男の子がグループへと戻っていく。

「何か、見たの?」

 薄い微笑みを浮かべて、ライサが問う。

 答えたくなかった。身体が妙に熱い。ブレザーを脱いで、背もたれにかける。

 そのとき、ぽろりと落ちたものがある。それは、青い折り紙で作られた鶴だった。

 手慰みに始めたもので、特に重要なものでもない筈だ。

 それがいつの間にか、今日まで続けてしまっている。

「へえ、うまいじゃん」

 折り鶴をライサが見つける。手を伸ばして、拾おうとした。

 折り鶴はそこにあった。逃げもしない。まるで過去のように。

「……おっと」

 将人の靴底が振り降ろされ、折り鶴を踏み潰した。

 眉をあげて、ライサが手を引く。

 そのまま靴底が左右に捻られ、念入りに折り鶴を崩していく。

 将人が言った。

「力が、手に入るんだろ」

「お、その気になった?」

 将人が笑う。今度は作り物ではなかった。

「ずっと求めてきた。諦めきれるものじゃない。だから――」

 眼を細める。

「俺は“転化”しよう」


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