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旅館

翌日、明の朝は引っ越し作業から始まった。

「何ならこっちに住まないか?」

そう九鬼に言われたのは就職すると決めた後だ。

聞くところによるとここの従業員、といっても8人しかいないらしいが、全員旅館に住んでいるらしい。

「基本満室になることはないからな。それに生き物を世話する仕事だから住むのは近い所がいい」

まあ確かにそうだろう。しかし住み慣れた部屋と別れるのは後ろ髪を引かれる。

「俺ともう一人は管理舎の方に住んでるが、こっちは中々賑やかだぞ。あとオススメの材料は…」

うーんと九鬼は少し考え、うん、と頷いた。

「給料は少し引かせてもらうが、家賃と食事代が浮くぞ。従業員格安サービスだ」

ほう…。

「食事はうちに腕がいいやつがいる。3食旅館の飯が食えるぞ」

頭の中で今の部屋、全額の給料と3食飯代、引かれた給料を天秤にかける。

改めて考えてみると家賃と飯代くらいにしか給料を使ってないことに気づいた。給料の件解決。

次に、今の部屋から通うとなると片道1時間かかる上に食事も自分で作らなければならない。動物園という仕事なので朝は早いだろう。

引っ越すとすると、少し長く寝られる上に起きたら飯が勝手に出てくる…。

もはや迷う余地はなかった。

お世話になった大家さんにそのことを話すと、自分のことのように喜んでくれ、色々な手続きをしてくれた。いい人だ。

そして現在に至る。

午前中は九鬼さんが手伝ってくれ、順調に進んだ。まあ少ない荷物を段ボールに詰めただけなのだが。

そして九鬼さんが乗ってきた軽トラで荷物を運び、午後は明一人で部屋に運びこむ。九鬼さんは仕事だ。

部屋は一階の一番奥。荷物の整理が終わるのにさほど時間はかからなかった。

落ち着いたので部屋を見回す。

内装は想像通りの旅館の部屋だ。ちなみに和室。

一人用なのか少し小さいが、前の部屋よりずっと広いし、何より設備が大変よろしい。

部屋の真ん中には座卓、そして座布団が一枚。

壁際にテレビ。その下に金庫があるのは旅館ならではという感じだ。横には電話機が鎮座している。

入り口の隣には押し入れがある。中は布団と浴衣、座布団の予備が入っていた。浴衣は寝るときにでも着てみようか。

押し入れと向かい合う形でドア。開けると洋式トイレと小さい湯船、洗面所が一緒になっていた。

最後に、隅に冷蔵庫。そんでエアコン。ポットもある。

文句の一つもない。目から熱いものが溢れてきそうだ。

今日からここで寝れるんだ。むしろ今寝てやろうか。よし、そうしよう。

ふわーい!と畳の上に横になった。久しぶりの力仕事で疲れたのか、本当に眠くなり寝てしまった。


どこか遠いところで音が聞こえる。

うっすらと目を開けると、見たことのない景色が…あ、引っ越したのか。

窓の外はすっかり闇に包まれている。

さて、これからどうしたものかと考えているときだった。電話がさっきからずっと鳴っているのに気づいたのは。

「はいもしもし!」

あっぶね…。ギリセーフ?セーフだよね?

「おう、やっと出たか。さては寝てたな」

ばれとる。

「まあいい。ちょっと来てくれ。部屋を出て突き当たりを右だ」

ガチャンと切れた。

何だろう。取りあえず部屋を出る。

左はすぐ壁、行き止まりだ。まさかその右側に隠し扉でもあるのかとどうでもいい妄想をしつつ右を行く。

3部屋ほど通りすぎたら開けたところに出た。小さめの玄関ホール。突き当たってないのでまだ歩く。

ホールを横切り目の前の通路をたどると突き当たったので、右を向くと、すぐそこに『食堂』と書かれた部屋があった。

「失礼しまーす…」

ドアを開けて入ると何人か先客がいた。

「来たか。まあ座れよ」

唯一知っている九鬼さんが示した椅子に座る。

部屋は机が並べられており、奥には厨房があった。

「さて、今いるやつは集まったな。こいつがさっき言ってた新入りだ。平野」

「はい」

「すまんが自己紹介してくれ。簡単でいい」

「あ、分かりました」

自己紹介か。ここで一発笑いをとる必要があるな。いや火傷するだけだ止めとこ。

「平野 明です。歳は22。前はペットフード会社に勤めていました。これからよろしくお願いします」

ペコッと頭を下げる。

「まぁ気楽にすごしてくれ。俺は九鬼 竜二たつじ、31歳。ここの副園長だ。よろしく」

「えっ、九鬼さんが園長じゃないんですか!?」

この貫禄やどっしりとした態度からそう思っていた。

「はは、俺は違うよ。園長は今外に出ててな。そろそろ帰ってくると思うんだが」

九鬼さんは少々焦った様子で言った。もうとっくに帰っているはずの時間なのかもしれない。

「九鬼さん、あの人が帰ってこないと飯が作れませんよ」

明の隣の隣に座っている眼鏡の男性が言う。ちなみに明の隣は空席だ。

と、その時ドアが開いて新たに人が入ってきた。

「ただいまっす。すんません遅くなりました」

「おお、やす、おかえり」

おかえり、おかえり安君、と皆が口々に言う。

その安という男性はスーツを着崩し、手にクーラーボックスという中々にミスマッチな姿でこちらへ歩いてきた。

「小久保さん、これあの人が言ってたメインっす」

クーラーボックスの中には川魚が10匹ほど入っていた。

「やぁっと作れる。遅いわぼけ」

小久保と呼ばれた眼鏡の男性は、悪態をつきながらクーラーボックスを持って奥へと消えた。

安は空いている席、平野の隣にどかっと座る。

「あれ?誰っすかこいつ」

どうやら俺のことのようだ。

「ん?伝わってないのか?新入りの平野だ」

「おお!まじっすか」

何やら安の目が輝いている。この人たちはどれだけ新入りを待ちわびていたのだろう。

「よろしくな。俺は安 勇志ゆうじ。何かあったら気軽に言ってくれ!」

「つっても平野外したらお前が一番下っ端だけどな」

口をはさんだのは奥で調理しているはずの小久保。手にはお皿を持っている。

「早っ!?もうできたんですか?」

いや、と小久保は軽く首をふった。

「もう少しかかる。だから今運んでるのはオードブル。前菜だな。おい安、運ぶの手伝え」

コース料理…。それもフレンチの。

「全部運んでから食うのがここの食い方だ。作ったやつも一緒に食えるようにな。それはそうと安、上地かみじはどうした?」

平野の顔が疑問を訴えていたのか、九鬼がこちらを見て微笑む。

「ここの園長だ」

園長さん。上地さんと言う方なのか。どんな人なんだろう。

「ああ、あの人はですね」

安は皿を運ぶ手を止めた。

「俺が持って帰った魚、って釣り堀で釣った魚なんすよね。そんで、あの人が釣れた魚の数、勝負しようって言い出して」

「…何で釣り堀に何か行ったんだ?」

九鬼がため息をついて聞く。

「行き帰りの道にあったんすよ」

園長はすごく…自由な人らしい。

「俺釣りはかじってた時期があるんでちょっと得意なんです。だから俺が勝ったんですよ。そしたら俺よりも多く釣るまで帰らんって言い出しまして」

すごく…負けず嫌いでもあるらしい。

「めんどくさいので置いてきました。明日の朝までには帰るらしいっす」

九鬼は閉じていた目をゆっくりと開いた。

「そうか…ご苦労」

「おい安!メインができたからさっさと運べ!」

はーい、と間延びした返事をして安は奥へと歩いた。

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