第一章:(3)街頭にて
その晩はカレシンが不寝の番をして、ことなきことを得た。
翌朝、一階食堂にて、アナベルは申し訳なさそうな顔で、向かいの席のカレシンを見ていた。
「……なんだ、俺の顔になにかついているのか?」
「いえ、通りすがりのわたしのためにここまでしてくださるなんて」
「なりゆきだ。仕方あるまい」
淡白に応じると、ナザールはキャベツのスープを匙ですくっていた。北方との境いにある雲霧山脈のほうから取った、季節ずらしのキャベツだった。
対するアナベルとナザールは、焼きたてと思わしき香ばしいパンをかじっている。
外壁区とはいえ、ここエレッセアはアルカディアでも最大の都市だった。湖をすこしくだれば海に通ずるし、東西の旧街道の要所でもあるこの立地は、飛空船技術による輸送もあいまってさまざまな珍味食材を集めている。三人はパンにスープとアルカディアでは一般的な食事だったが、食堂のなかには米の飯や麦の粥を食べているものもいた。
「それで、あの黒装束の連中は〈イザークトの子ら〉だと思うかい?」
ナザールは生あくびをかみ殺しながら、カレシンに聞いた。
「わからんな。だが教団の信者というよりは、教団の配下にある帝国貴族の手によるものとみたほうがよさそうだ。隠密行動に長けているし、容易にしっぽをつかませる気はないらしい」
「やれやれやっかいなことになったな……ああ、いや、アナベルさんの悪口じゃないですよ?」
「すみません……」
カレシンはナザールを見やる。かるく非難しているようだった。
「いやァ、簡単に解決できないのはたしかでしょ? そもそもアナベルさんあんたどうしようとしてたんだい」
「エレッセアの執政官に会えば、なんとかなると思ってたのよ」
「ああ、困ったな。そうなると、中心区まで行かなきゃならねえってことじゃねえか」
エレッセアは二重の城壁に囲まれた都市だが、区画は厳密にいうと三つある。ひとつはいまカレシンたちがいる外壁区。もうひとつは城壁ひとつ越えた内壁区と呼ばれる区画で、豪商や下級官吏などが主に住まっている。
そして最後のひとつが中心区だ。ここはその名のとおりエレッセアの中心で、執政官が務める宮殿や、エレッセアが街をあげて祀っている知恵の神ユレイカの神殿もある。
「……なにか、問題でも?」とアナベル。
「おれっちの通行許可証がない」
「俺の手形じゃムリか」
「ムリだね。外壁区は門番がどんなに目を皿にしても流れものがはいるから、ああして見逃してもらえたんだ。アナベルさんの権威を借りたところで内壁区ははいれても、中心区ならおれは即退散さ」
「ならアナベルと俺が行けばいいんじゃないのか」
「まあ、あんたの腕なら護衛としては申し分ないけど、なんかひっかかるんだよなぁ」
ぽりぽりとほおを掻くナザール。
カレシンは眉をひそめる。
「第一、貴様は、いや俺もそうだが、とくに深い関わりがあるわけじゃないだろう。ならムリはしなくてもいい」
「いやァ、その、昨晩からおれはその〈イザークトの子ら〉って連中が気にかかるんですよ」
と言うと、ふとアナベルのほうを見やって、
「アナベルさん、もしかすると……その教団の幹部かだれかに、〈貌のない男〉はいませんでしたかね?」
「え? ……いえ、ごめんなさい。それはちょっとわからないわね」
「ううん。とりあえず、仕方ないからおれは別行動でその〈イザークトの子ら〉とやらを調べることにするわ。おれもこの件に興味がある」
「弥次馬根性か」
「そう受け取ってもらってもかまわねえよ」
否定しない様子を見て、カレシンは、表情をひきしめた。どうやら本気らしい、と悟ったのだ。
「星霊石の結晶とか、旧きちからとか、いろいろわけのわからねえことになってるしよ。わるいが、アナベルさんの憶測だけじゃ、連中が追っかけてくる理由が納得できねえんだ」
「そうか。なら、別行動だな」
「そうなるな。んじゃあ〈暮ノ刻〉までに内壁区の図書館で」
ふたりはうなずいた。
がちゃがちゃと皿を片付ける音が、せわしなくなってきていた。
* * *
(油断した。いつのまにあんな用心棒を雇っていたとは……)
メルロは舌打ちをして、露店の席からひと混みを観察していた。
人間を観察するのは好きだ。ヒトは思った以上に想ったことをおもてに出している。それを見て、聞いて、感じとるのは、コツさえつかめば案外たやすい。
たとえば、このひと混み。〈恩赦の大祭〉があと三日後に迫ってるからだろうか、どことなく街の空気自体が浮ついている感じがする。しかしそれを草をかき分けるようにひとりひとり見てゆくとどうだろう。純粋に楽しみにしている子どもや、祭りの仕度に疲れているおとなたち。あるいは、もの珍しさにあたりをキョロキョロとめぐらせている旅行者から、商売どきだと意気込んでいる露店の店主まで、じつに多彩な人間像だった。
大きくみればただの活気づいたひと混みだろう。しかし小さくみればどんな人間にも生活があり、表情がある。
メルロは、それを知ることが何よりも楽しいと思う性分だった。
(考えるのではない。観察し、読みとること。そうすることでちがう見方を獲得し、新しい糸口をつかむのだ)
彼はそうやって立身出世を経た人間だ。
その彼が思い悩むのは、昨晩しくじった隠密行動についてだった。
メルロは、クレスト帝国の摂政につかえる隠密〈懐刀〉の筆頭だった。
その摂政から〈水の乙女〉を捕まえろ、最悪殺してもかまわない、と命じられたからここにきた。当の〈水の乙女〉は、〈恩赦の大祭〉に向かうクレストの使節団にまぎれて、飛空船に乗っていた。あわてて追いかけ、彼女を捕まえたのはよかったが、不意をついて飛びおりたのは予想外だった。なにせ下も見ずに欄干からまっさかさまに落ちたのだ。湖だったからよかったものの、街のど真ん中だったら、確実に死んでいた。
さらに予想外だったのは、それを助けた謎の流れものの存在だった。男がふたり。一瞬どさくさにまぎれた物盗りかと思ったが、そうではないらしく、わざわざ医者まで呼んで手厚く保護してしまった。
だが、それがただの旅人ならまだどんなに良かったろう。
メルロはまたしてもため息を吐いた。
(あれは、きっと"剣妖"だ……何てことだ、どういう偶然があいつとおれと引き合わせたっていうんだ……)
〈水の乙女〉を救出した、その男の片割れが、とんでもなく切れる男だったのである。
まず、そいつは〈懐刀〉の尾行に気づいた。目が合ったのである。
いま思えば、あれはまちがいなく気づいていたとわかる。しかし、気のせいだろうと無視して尾行をつづけてしまったのがこちらの失敗だった。
そして、追うところまで追わせたあと、そいつは短刀を投げつけてきた。部下のひとりが顔を隠す頭巾をぬけがらにかろうじて逃げてきたが、あきらかにはっきりとした殺意と精度の高い技術を感じた。そして、同時に恥に全身がもえあがった。ネズミを取ろうとした猫が、ネズミに返り討ちに遭うような、いかにも間抜けた事態だった。
(だが、落ち着け……直接対決して、敵う相手ではないのはわかっている。剣妖の名はダテじゃない。ヤツはおれらが一丸となってかかっても平気な顔して斬り捨てるだろう……)
ならば、どうするか。
動きを待つしかあるまい。
そう思って、いま部下に見張らせている。おそらく向こうは見張りの存在に気づくかもしれない。しかしこちらも白昼堂々とおそいかかるわけにはいかないので、腹の探り合いになるのは必至だった。
(〈水の乙女〉が例の件を漏らす気なら、まず向かうは執政官の館にちがいない。すると、やはり中心区に行くだろう……)
考えあぐねた彼は、ふとひと混みを観察しなおす。駆け引きは、この都市を舞台にして行なわれるのだ。ならば、駆け引きをうまく切りぬける情報は、この街に転がっているはずだ。
見ているだけではいけない。
耳もそばだててみよう。
「クレストじゃ戦さ仕度だって……」
「ええ、ホント?」
「デマじゃないわ。うちのひとが武器の発注受けたんだって」
「やだねえ、ダルシアとまたやり合おうってのかい」
「こっちに来なけりゃいいんだけど」
「物流が止まるまえに少し多めに買っておかなきゃ。戦争中じゃ、手形があっても遠出できないし、もうやだわ」
これは主婦たちの会話だ。
きな臭いうわさは出回るのははやいな、とメルロは思った。隠れて、ひそかにものごとをやっているつもりでも、こうしてヒトやモノをたどっていくとまわりまわって足が付くものだ。とくに彼自身、そうした痕跡をたどったり、調べるのが本職であるから、なおさらそう思うのだった。
ふと、メルロの中である案が閃いた。
と、ちょうどそのとき、連絡役においた部下がやってきた。
「なんだ」
「ヤツらが動き出しました」
「よしわかった。
……ところで妙案があるんだが」
メルロはその部下に、全員にたいすることづてを頼んだ。部下はうなずくと、すばやくひと混みのなかに消えたのだった。
その背中をながめながら、メルロはニヤリと笑った。
「さあて、あとは結果を御覧じろ、だな」