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トキワタリの翼【打切】  作者: 八雲 辰毘古
第一部 永遠をかける翼
3/6

◇第一章:(1)運命の曲がり角

 それから、千年あまりが経っていた。

 トキワタリはまだ虚空をさまよっている。


   *  *  *


 青い青い空を、()ける船があった。

 薄くたなびく雲が、船の軌跡をえがくように引かれている。さながら海の底から波しぶきをながめているような、そんな光景だった。


 カレシンは日差しを左手でさえぎりながら、空をあおぐと、飛空船が向かっていったさき、湖に浮かぶ、白いエレッセアの市街地を見やった。

 エレッセアとは、ここアルカディアの地でもっとも大きい都市(まち)である。その周りは白亜の壁によって二重に囲まれており、どんな戦さにおいても負けぬであろう堅牢(けんろう)な構えをみせていた。

 だが、いまは平和のとき。

 城壁はさまざまな色を着飾り、アルカディア〈十二の氏族〉の紋をつらねたタペストリを提げている。いかにも、いや、まさしく大きな祭りを(もよお)さんとする現場だった。


 色あせた紺色の着物をまとい、聖柄(ひじりづか)の護身刀を()いているカレシンは、そのなかで独特の異国情緒をかもしながら、歩いていた。

 カレシンは三十をすぎたばかり。束ねられた黒髪には白いものが混じり、もう決して若くはない顔だちではあるものの、そこにはむしろ研ぎすまされた刃のようなきりりとした魅力が宿っている。とりわけどこか(うれ)いを帯びた(あお)いまなざしは、見合わせたものを惹きつけずにはいられない。

 その碧いひとみがながめるのは、遠い地平にそばだつ雲の山脈。彫像のようにむくむくと天を()し、陰翳(かげ)を帯びてエレッセアの背景をいろどっている。

 見まちがいようのない、夏の空だった。

 遠く、せつない想いを馳せる空だった。

 船が通りすぎた跡のような、か細い雲が、やがて風に流されるのを見届けて、カレシンはさびしく微笑んだ。それからすぐに無愛想な表情に切り替えると、石畳みの街道をおりていって、エレッセアの城門にたどりつく。


 見れば、なにやらもめごとの様子。


「だァ、かァ、らァ!」


 一音一音はっきりと強調して怒鳴っている声は、若い男のものだ。ひと目で北方から来たとわかる衣装に身をくるみ、門番としきりに言葉をまじえている。


「だからね、門番さんよォ。おれはつい先日盗っ人におそわれて着の身着のまま無一文なわけよ。そんなおれに向かって身分証を出せってのは、ムチャな話だと思わない? ねえ!」


 たいする門番の反応は冷たい。


「ならば残念だがこの門を通すわけにはいかないな。〈恩赦の大祭(オリンピア)〉につけ込んで(あや)しいやからもこの門をくぐりかねん。われわれはそれを未然に阻止しなければならない。……まあ、同情はするが、職務をおろそかにはできんよ」

「こォんのケチやろうめ!」


 そのなかにカレシンが入る。

 門番はすぐさまそのすがたをみとめると、おどしを掛ける口調で呼び止めた。


「なんだ、おまえはこの男の肩をもとうとでも言うのか」

「いいや、ただこの街に入りたいだけだ」


 と、カレシンはふところから取り出した貝殻飾りを見せる。


「フム、巡礼か。けっこう」


 門番はおじぎをすると、カレシンに道をゆずろうとした。ところが男はそれを見逃がすまいと、突然大きな声で、


「おーうおうおう! どうしたんだよひさしぶりじゃあないか! おれだよ、ナザールだよ!」


 と、親しげにカレシンに近づいた。

 カレシンはいぶかしげな表情でこれをながめていたが、黙って立ちどまる。これを好機とみたナザールは、さらに自信を持って接近し、カレシンの肩をぽんぽんと叩く。


「いやァ、あのとき盗賊におそわれて以来じゃないか、元気にしてたか? おまえは相変わらずその仏頂面で歩き回ってたのかよ!」


 あまりに無造作な言葉に、そろそろ返事をしようかと思ったとき、ナザールはこっそりとカレシンに耳打ちした。


「頼むよ、野宿だけはしたくねえんだ」


 彼はつかのま黙りこんだ。

 目だけナザールに走らせると、真摯(しんし)なまなざしを発見する。行き場のない男の、追いつめられたときにみせる必死な目つきだ。

 やがてカレシンは、なあ、と門番に声をかけた。なんだ、と応ずる声にたいして、彼はこう言った。


「思わぬところで知人と再会した。俺の手形で街に入れてやってもいいか?」

「む……ま、まあいい!」

「恐れ入る」


 ていねいにおじぎする。そしてなにも言わずに振り返ると、城門をくぐって行った。

 あとからナザールが駆けよる。


「いやー、本当にありがとう! 助かったよ! お礼に一杯おごるよ」


 先ほどとは打って変わったような笑顔だった。

 カレシンは流すように一瞥(いちべつ)すると、低く相手にひびく声で言った。


「道中、いつもあのような虚言(うそ)をつくのか」

「いやだなァ、盗賊におそわれたのは事実だよ。そこで手形を失くしたのもホント。だけど、財布だけは持ってるの。無一文っていうのは、まあ言葉のあや、てヤツで」

「貴様なかなか器用だな」

「そーそ、だからお礼にちょいとおごらせてください。おれ本当に危なかったところを助けてもらったんだし」


 カレシンは目を細めた。皮肉のつもりで言ったのだが、ナザールには通じなかったようだった。


「ところで、あんた名前は?」


 歩きながら、ふとわれに返ったナザールが振り向いて言った。もうカレシンのことは数度も会った知己として思っていたようだった。


「……カレシン」

「へえ、そうか。カレシン……カレシン?」


 ナザールはまた振り向いた。

 その目はおどろきに見開かれていた。


「あんた、いまカレシンって言った?」

「ああ」

「カレシルとかクァレンシンとかそういうのの聞きまちがいじゃなくて?」

「くどいな。俺はカレシンだ」

「ぇぇえええ?!」


 ナザールは飛びずさる。

 あまりに突然のことだったので、カレシンもサッと身がまえてしまった。その姿勢は武勇にすぐれたものであったなら、次の瞬間に()られると思ったにちがいない。それほどまでに無駄なく、緊張した身がまえだった。


「お、おお……おまえ、カレシンなの? あの、剣妖(けんよう)って言われてた……」

「剣妖? そんなあだ名は知らんな。人ちがいじゃないのか」

「いやいやいや! あんた、剣妖のカレシンと言ったら、長い黒髪と(あお)いひとみで、刀を抜いたら誰ひとりあとには残らないと言われたとんでもねえバケモンのことさァね」

「なら、なおさら俺のことじゃないな。俺はだれかれかまわず殺してたわけじゃない」

「え、ハァ?!」


 あいた口が、ふさがらない。

 まさにこの男は、むかしは剣をふるっていたのだと遠まわしに言ったのだ。

 カレシンという名前は、アルカディアではなかなか聞かない。それは東の海をこえたむこう、ダルシア帝国のものだった。

 くわえて、うなじのあたりで束ねられてはいるものの、黒くて長い髪を持ち、碧いひとみがまたたいている。

 ならば、当人以外の何ものであろうか。


「……おいおい、おれはとんでもねえ御仁とはち合わせしちまったみてえだな」


 つつ、と流れる冷や汗を、手の甲でぬぐいながらナザールはひとりごちる。

 気を抜かれたカレシンは、かまえを解いて、すたすたと歩き出すと、


「なにがなんだかわからんが、とにかくおごる、と言ったな。だったらその言葉どおり、どこか街場のひと角で一杯いただこうか」


 目もとだけでいじわるく笑ってみせた。


「あー、いえー、それがですね。おれぁ、エレッセアはそれほど(つう)じゃねえんですよ。だもんで、極上の一杯というほど(いき)なもんじゃありゃしませんが」

「構うものか。ヒトの好意は無下(むげ)にはしないものだろう」

「恐れ入りやす」

「じゃあすまんが道案内をたのんだ」

「えっ……え、あ、はい」


 言ってしまった以上、仕方あるまい。

 まるでそう腹をくくるようにナザールは威勢よく、さあカレシンの旦那(だんな)、と声をかける。そのまままえに出て、


「小生ナザール、エレッセアの街のご案内をいたしましょう!」


 と仰々しいあいさつをすると、もうひとつある石造りの門へさっさと抜け出してしまった。

 あとを追う。湖にかかった、長い石橋を渡りきると、アッと息を呑む光景が目のまえに広がっていたのだった。


 まずおどろくのは、見上げるほどの高い石造りの建造物。まるで物見の塔をやたらと考えずに建ててしまったかのように通りという通りにそびえており、街並みが石の林のようにも思えた。

 しかしそれらは無造作に立っているわけではなく、ある程度きちんとした区画に沿って並んでいたのだった。たとえば、ここはエレッセアの外壁区と呼ばれていて、おもに流れものや商人、職人がたむろする街だった。そのためか日中もガヤガヤと賑わいをみせていて、むさくるしいほどだった。()んだ夏の空から突きささる日差しが、石畳みの道路に反射してかげろうをゆらめかせているから余計そのように感じられる。

 ふたりはこのひと混みをかき分けながら、(ひさし)をつきだした屋台に吸い込まれていった。そこでブドウ酒をふたつと、川鳥の串焼きをたのむ。


「そういや、カレシンさん。あんたさっき、貝殻を見せてたよな……もしかして巡礼なのかい?」

「ああ、そうだ」

「その……初対面でぶしつけなのは承知のうえで聞きてえんだが、まあ、商売柄と申しましょうか、なんであんた、巡礼なんぞしているんだい。おぞましいうわさは多いけれども、しおらしく神さまにすがる気質じゃねえだろ、あんたは」

「うわさだけじゃ人間は測れないものさ。俺はいろいろあって、改心する気になった」

「へえ、そりゃあまた……」

「〈つぐない〉のためさ」


 いぶかしげなナザール。


 ここでブドウ酒と串焼きがやってきて、話しがいったん中断された。

 (さかずき)いっぱいになみなみと注がれた赤い液体は、芳醇(ほうじゅん)なかおりをためており、串焼きのほうは、東洋より伝来したつけダレが香ばしく、食欲をそそった。

 さまざまな香りが、すっかり胃袋をきゅっと締めつけるのを感じると、ふたりの気持ちは切り替わってしまった。うひょう、と歓喜の声をあげるナザールは、さっそく串焼きを手にとり、タレを滴らせながら食べはじめていた。


 だが、そのときのことだった。


「女が水に落ちた!」

「ひとだ! ひとを呼べ!」


 悲鳴があがり、つかのま時間が凍りついた。

 何ごとか、と問うよりもはやくカレシンは動きだしていた。ナザールが一瞬遅れて立ちあがったときには、もう湧き上がった人ごみのなかに突っ込んでいて、ようやく駆けつけたときには、石橋の手すりを踏みこえて、湖に飛び込んでいた。

 魚のようにしなやかに水に入ると、カレシンは迷いなく女のもとへ泳いでゆく。女は気を失っていたようだった。さいわいにして水は多く呑んでおらず、街の沿岸につれてゆくのは比較的楽にすんだ。

 石畳みのうえに寝かせ、蘇生術を(ほどこ)そうと女のかおを見たカレシンは、おどろきを表情をゆがめる。しかしかぶりを振ると、応急処置を施して、あとからやってきたナザールにこう言った。


「近くに休ませるところはないか」


 だが彼は知らない。これが彼の運命を変えてしまうほどの大事件の始まりにすぎないということに。

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