第8話 甘えん坊少年と宿屋のエリカさん
僕とお姉ちゃんは、冒険者ギルドを出ると、宿屋《マリーの宿》に泊まった。
この宿は、お姉ちゃんが暫らくの間、お世話になったところなんだって。
ドルダダ村に来る前までは、ギルドで依頼を受けながら、ここで生活をしていたらしい。
そんな《マリーの宿》は、冒険者ギルドからは少し離れているけれど、二階建てのこじんまりとした静かな宿屋。
お姉ちゃんは、静かなところが気に入ったんだって。それと《マリーの宿》の女将さんがいい人なんだとか。
僕のお姉ちゃんが扉を開けて中に入ると、
「ちょっと! ソフィアちゃん。あなたっ、今まで何処で何してたのよ! 心配してたのよ!」
「アハハ。エリカさん、お久しぶりです」
だって。お姉ちゃんは女将さんと仲良しみたいで、名をエリカさんって言うみたい。
僕は何となく恥ずかしいから、お姉ちゃんの後ろからこっそりと見てたの。
そうしたら、僕に気づいたエリカさんが、
「ちょっと! どうしちゃったの? まっまさか……ソフィアちゃんの子供じゃないでしょうね?」
「アハハ。そんなわけないじゃないですか~」
だって。僕がお姉ちゃんの子供だとかって言うのは冗談なんだろうな。お姉ちゃんとお喋りをするエリカさんがすごく楽しそうだから。
それでお姉ちゃんが、後ろに隠れてる僕の頭を撫でながら、
「ほら、アルくん。エリカさんに、ご挨拶しないとね」
「アルです。こんにちわ」
なんかとっても恥ずかしい。エリカさんは僕の顔を見ながら、ニコニコしてるんだもん。だから、ちょこんって頭を下げてご挨拶したんだ。
そしたら急に真剣なお顔になって、
「ちょっと! ソフィアちゃん。その子を私に譲ってくれない?」
「アハハ。エリカさんったら、何言ってるんですか~」
吃驚した僕は、またお姉ちゃんの後ろに隠れたの。
そうしたら「こっちにおいで」って、手招きするんだよね。だからお姉ちゃんの背中に顔を付けて見えないようにしたんだけど。
「ほら、アルくん。エリカさんのところに行ってあげて。大丈夫だよ。やさしいお姉さんだからね」
って、僕を突き出すんだよ。お姉ちゃん、ひどいよ。僕のことは、もういらないの?
僕はすぐに行かずに、少しの間だけエリカさんのお顔をじーっと見てたの。
そうしたら、エリカさんがササっと近づいてきて、
「ほら、捕まえたっ!」
って、抱きしめられちゃった。僕の顔はエリカさんのお胸に埋められたから、少し苦しかったけど、とってもぷにぷにしてて気持ちがよかった。
だから僕はついエリカさんに頭を押し付けてぐりぐりしちゃったんだ。だって、お花のいい匂いがするし。温かいし。お姉ちゃんよりも大きいし。
僕が幸せそうにエリカさんと戯れてたら《あいちゃん》がまた震えだすんだよね。
何かを感じ取ったのか、エリカさんが僕の前に膝をついた。それで、僕の眼を真っ直ぐ見つめるから、恥ずかしくて顔が赤くなる。
でも、この感覚は好き。ばーって顔に血が集まってくるっていうか、なんかそういうの。だって、嬉しいからそうなるんだし。
「あら? アルくん。それって《神書》よね? ちょっと! ソフィアちゃん! ほんとにこの子、譲ってちょーだい!」
「アハハ。アルくんも嬉しそうだしなー。エリカさんもアルくんのお目目にやられちゃったみだいだしなー。どうしよっかなー?」
お姉ちゃんがそんなこと言うものだから、僕は吃驚して振り返った。
そうしたら、また意地悪なお顔をしてるんだ。だから慌ててお姉ちゃんのところに駆けて行く。
「お姉ちゃん、どうして意地悪なこと言うの?」
「あっアルくん……ごっごめんね。嘘だから、そんなお顔しないの。ほら、お姉ちゃんとアルくんはいつも一緒だよ。ねっ」
「ちょっと! ソフィアちゃんばっかりずるいじゃない! アルくん! エリカお姉さんのところに戻ってきてっ! ねっ」
僕の頭を撫でるお姉ちゃんとエリカさんを交互に見た。
二人とも楽しそうにしてるから、僕もなんだか嬉しくなって、自然と頬がほころんだ。
そんなエリカさんは、二十歳の美人さんなんだ。
母様みたいな綺麗な金色の髪を後ろで束ねて、赤い服とエプロン姿のエリカさんは、お姉ちゃんと同じ綺麗な碧い瞳で、とってもやさしそうな感じの人。
お仕事を颯爽と片付けるエリカさんが動く度に、金色の髪がキラキラと靡いて格好いいんだ。
エリカさんは、お父さんと二人でこの《マリーの宿》の仕事を頑張ってるんだって。宿の名前はエリカさんの母様から付けたみたい。
なんでもお母さんは、エリカさんを産んですぐ死んじゃったからって。
「ちょっと! ソフィアちゃん! 今回はどれくらいいるつもりなの?」
「あはは。エリカさん、何を企んでるんですか? って、お金が貯まるまではいますよ」
「よーし! じゃあ、アルくんをその間に私の虜にしちゃうぞ」
「…………」
「とりこ? とりこってなあに?」
「ふふふ。このエリカお姉さんを大好きにさせちゃうぞーってことだよ」
そう言ったエリカさんは、両手を上げて食べちゃうぞ~って言うポーズをするんだ。
でも、そんなことしなくても、僕はエリカさんのこと大好きだけどね。
だって、抱きしめられたときに思ったんだ。お姉ちゃんと一緒で温かくて、安心するんだもん。
そうして僕たちは《マリーの宿》とエリカさんに暫らくの間、お世話になることになったんだ。
* * *
新しい一日が始まる。冒険者としての新たな門出。
僕にとって大切な朝のはずなんだけど、目覚めた僕はいきなり「ひぃっ」って悲鳴を上げちゃったんだ。
瞼を開けると《あいちゃん》のお顔が目の前にあって、ドキっとしてしまう。だって、僕の顔のすぐ近くに浮いたままじっーと見てるんだよ。
寝る前に《あいちゃん》を抱きしめながら、おやすみしたはずなんだけど。
『アルちゃん……おはようのキスはやさしくね……んー……』
【通信欄】が開かれると、そこに次々と記されていく神文字。僕が読み終わるのを見計らうと、次に《あいちゃん》のお顔が近づいてくるの。
僕の目と鼻の先まで近づいてきた《あいちゃん》のお顔は、例によってほっぺを赤くしながら、ちっちゃな唇を尖らせてる。
僕は慌ててふとんを頭まで被った。仄かに紙の匂いがお鼻に残ってて、それがとても心地良かったりするんだけどね。
ちょっとだけ、ふとんの中で待ってから、僕は少しずつ顔を出すの。そしたら今度は《あいちゃん》のお顔がね。ほっぺを膨らませて拗ねたお顔になってるんだ。
そんな《あいちゃん》は、とっても可愛いけど、本の中に居るんだよね。最初は不気味だと思ってたけど。
でも、僕のことを大好きって言ってくれるから、やっぱり嬉しいんだ。
「《あいちゃん》、おはよう」
『アルちゃん……私にばっかりやさしくないんだもん。チュってしてくれてもいいじゃない』
僕が挨拶すると《あいちゃん》から愚痴がこぼれてきた。そんなことないと思うんだけどな。
いっつも抱っこして持ち歩いてるし、おやすみするときも一緒だし。
そんなことを考えながら、ベットの中で身体を起こした。それから大きな欠伸をすると、窓の外からお日様の光が入ってきて、とっても眩しい。
昨日の夜は、遅くまで起きてたから、まだちょっと眠いや。
新しく授かった神の御業を調べるためにね。夜更かししたんだ。もちろんお姉ちゃんと一緒に読んだんだよ。
でも、今日から冒険者として依頼を請けると思うと、ドキドキして目が覚めちゃったんだけどね。
そんなお姉ちゃんは、まだ隣で寝てる。
せっかくだから、昨日の復習をしようかと思い《あいちゃん》を開いた。
それでお姉ちゃんが言うには、全部をすぐに使いこなせないだろうから、使い勝手が良さそうなものから覚えていくんだって。
それでお姉ちゃんが選んでくれたのは、攻撃用と防御用の二つ。
“【烈風の刃アテイールVer】
祝詞 我は創生の神アテイールの寵愛を受け、その力を行使するもの。我が造り出す風は、あらゆるものを切り裂く刃。【烈風の刃】
用途・用法
祝詞を宣えば、あらゆるものを切り裂く風の刃を発します。単体・複数に使える便利な御業。
大きな刃でおっきな敵にざっくりいくのもよし。細かく分けて、複数の敵に使うのもよし。
発動後にアルちゃんが念じれば、自由自在に操れます。
ただ、見える範囲じゃないと、扱いづらいかも。
※注意事項
フレンドリーファイア(お友達に当てること)に注意。ちゃんとできないと、味方にも当たっちゃうからね。
いっそのこと、ソフィアお嬢さんに使うのはおっけーだよ。おほほほほー。”
なんか最後に怖いことが書いてあったから、お勉強が終わった後に《あいちゃん》を問い詰めたの。
そしたら『ふーんふーん』とか言って、唇を尖らせたまま、そっぽを向いちゃった。
どうしてお姉ちゃんと仲良くできないのかな。僕は二人とも大好きなのに。
“【防壁の風アテイールVer】
祝詞 我は創生の神アテイールの寵愛を受け、その力を行使するもの。我が造り出す風は、あらゆる敵意を粉塵へと還す。【防壁の風】
用途・用法
祝詞を宣えば、風の壁を作ることにより、あらゆる攻撃から身を守れます。
また、防壁は微小の風の刃で成り立っているため、物理的な攻撃に特に有効です。壁を通ろうとする物があれば、一瞬にして砂のように細かく破壊され、大地に還るでしょう。
そして、好きな場所に構築できるのも強み。大きさや形も自由自在。但し、1度の寿詞で一つの壁が出来ます。
利用する場合には、よくよく考えましょう。
※注意事項
アルちゃんはやさしいから、ソフィアお嬢さんを優先して守るとかはダメ。
あんな娘なら盾にしてでも、アルちゃんは怪我をしないようにね。おほほほほー。”
もう、《あいちゃん》が意地悪なことばっかり書くから、お姉ちゃんも呆れちゃったよ。
だけど《あいちゃん》が意地悪すると、お姉ちゃんが僕を抱きしめてキスしてくれるんだ。それはそれですごい嬉しいんだよ。
でも本当は、やっぱり仲良くしてほしいな。
防御の御業は他にもあるんだけど、お姉ちゃん曰く、同じ系統の御業にしておけば、目立たないでしょ? だって。
冒険者ギルドの水晶がいろんな色になっちゃったことを思い出して納得した。
それに、怪我と病気を治す御業もあったけど、もし使うことがあったら《あいちゃん》を開けばいいかって話になった。
僕もすぐにはいろんなことを覚えられないから、しょうがないよね。
僕は昨日のことを思い出しながら耽っていると、お姉ちゃんも目を覚ましたみたい。
お部屋は無駄遣いができないから、もちろん一つしか取ってない。お金があっても別々のお部屋なんて嫌だけどね。だって、お姉ちゃんがいないと寂しいもん。
「アルくん……おはよ。早起きだね……」
お姉ちゃんは眠たそうに目を擦りながら、僕の顔を見るんだ。
寝ぼけたお姉ちゃんも可愛い。窓から入るお日様の光を眩しそうに手でお顔を隠して、僕の顔を見つけると微笑んでくれる。
だから思わずお姉ちゃんに抱きついちゃう。そうすると、頭を撫でながらいい子いい子してくれるの。
お姉ちゃんの甘い香りがすると、温かくて幸せな気持ちになれるんだ。
「ほら。アルくん。甘えん坊さんはやめて、お仕事するよー」
そう言って飛び起きたお姉ちゃんは、颯爽と着替えると僕を連れて出掛けるんだ。
「アルくん。こっちおいで」
朝御飯を食べて、外に出ようとしたところで、エリカさんに呼び止められた。
僕はなんだろう? って思いながら、エリカさんのところへと向かう。
エリカさんは、僕が近づくと膝をついて僕の眼をじっと見つめてくれたあと、僕を抱き寄せて両方のほっぺにキスしてくれた。
「アルくんが怪我しないおまじないだよ」
って、耳元で囁くエリカさん。僕はすぐに真っ赤になっちゃった。
でも、ちっちゃい声で「行ってきます」って言ったら、嬉しそうな顔をしながら頭を撫でてくれた。
僕は左腕で輝きながら、暴れようとする《あいちゃん》を必死に抱きしめながら、お姉ちゃんに手を引かれ冒険者ギルドに向かったんだ。