第20話 旅立ち前夜
お待たせしました。
夏の終わり。
茜色に染まった空に、宙を舞う無数の蜻蛉。
寂しい気持ちになるけれど、僕はそんな景色が好き。
コスティスの町で、《あいちゃん》こと、創生の女神《アテイール》様のことを隠さなくなってから、少しの時間が流れた。
だからといって、言いふらしているわけじゃないけどね。
創生の女神《アテイール》様と、その寵愛を受けた僕のことは、コスティスの町で知らない人はいない。
この辺りで、一番大きな町だけど、あっという間に、話は広まっちゃったんだ。
町の人たちの反応といえば、概ね好意的だと思う。
商店街を歩いていれば、いろんな人に声を掛けられる。
中には、僕の近くを飛ぶ《あいちゃん》に跪いて、お祈りを始めちゃう人もいるんだ。
町の往来で、そんなことされちゃうと、困っちゃうけどね。
でも、お外に出られるようになったのはよかった。
冒険者の仕事はお休みしてるけど。
だって、ウサギのお姉ちゃんを連れて行けなかったから。
そんなウサギのお姉ちゃんだけど、少しずつ言葉を覚えてきた。
それに何処へ行くにも、僕と一緒。僕から離れようとしないんだ。
僕とお姉ちゃんみたいで、それは嬉しいけれど。
だけど、トイレまで付いてくるのは、やめてほしいんだ。
「ウサギさんは、たぶんね、アルくんが何をされるとうれしいのか、見てるんじゃないかな」
お姉ちゃん曰く、僕が抱っこされたり、いいこいいこされたりすると、すごいうれしそうなのを見てるんじゃないかって。
だからって、四六時中されても大変だよ。
《マリーの宿》でされるならいいのだけど、どこでも誰がいても、突然にむぎゅってするんだよ。
だけど、ウサギのお姉ちゃんの表情は、未だに分かりにくい。
この間なんか、コスティス男爵に招かれて、お屋敷に行ったんだ。
生まれて初めて食べるご馳走に、すごく嬉しかったのだけど。
ウサギのお姉ちゃんは、僕の隣にピッタリくっつくんだ。
「ありゅ……ボク……ありゅのモノ……ありゅ、ウレシイ、ボク、うれしい」
コスティス男爵は、持っていたナイフを落として苦笑する。
「ハハハ……仲が良いな……」
僕は恥ずかしくなっちゃって、それからずっと俯いてたよ。
お姉ちゃんは、コスティス男爵と難しい話をしていた。
なんか、アドルファス家に気をつけろだって。
僕らを取り込めば、絶対に役に立つはずだからって、アドルファス家の四男の、アルメオが言ってたらしい。
それで、家督を継げないアルメオは、僕らを引き込むことを条件として、職を得ようとしたみたい。
コスティス男爵曰く、ああいった輩は、諦めが悪いからなだって。
だけど男爵は、純粋に白雪龍と、自分が取り逃がした外道熊討伐のお礼が言いたかったって。
この町の人々を守るだけで精一杯だし、権力闘争には興味がないって言ってた。
ただ、最近は外道化する動物が増えていることを、男爵も知っているから、もし仕えてくれるなら助かるって言われたけれど。
そう思ったりしたが、創生の女神《アテイール》様の加護を受けた者を、独占することなど許されるはずがない。
大きな笑い声をあげながら、そう言った男爵は、とても悪い人だとは思えなかった。
僕が回想に耽っていると、
「ありゅ……ありゅ……」
「違うよ。僕はアルだよ」
「ボク……ありゅ……いっしょ」
ウサギのお姉ちゃんのお胸に顔を埋めながら、必死に自分の名前を教える。
町の往来でされるやりとり。みんなが見てる。
嬉しいのと恥ずかしいのが、ごっちゃになってて、顔が熱い。
だけどウサギのお姉ちゃんのお胸は、甘い匂いがするから好き。ぷにぷにしてるし。お姉ちゃんより大きいし。
「ふーん……アルくんは、ウサギさんがいれば、私なんか、もういらないのかな?」
『ソフィ、それは違うと思うの。貴方がいらないのは当然だけど、このウサギもいらないと思うのよね』
「キキキキキ……!」
意地悪なお顔をするお姉ちゃんと、ピカピカ光る《あいちゃん》。
プティは、相変わらず僕の頭にちょこんって乗っかってる。
こんな会話が普通になった。
右手にお姉ちゃん、左手にはウサギのお姉ちゃん。
手を繋いで、コスティスの町を歩く。
僕はお姉ちゃんが増えて、とっても嬉しいんだ。
目指すは冒険者ギルド。
夕方の人が減った時間を狙って、ウサギのお姉ちゃんの冒険者登録をするんだ。
それに、この時間なら人がいても、どうせ酔っ払ってるでしょ、だって。
お姉ちゃんは、ウサギのお姉ちゃんに戦い方を教えるつもりみたい。
確かに一緒に旅をするなら、そうしないと依頼を請けられないしね。
そして、コスティスの町を離れるつもりらしい。
「そう……。アルくんがいなくなると寂しくなるね」
「ええ、それで、とりあえずこのウサギさんの登録だけしとこうと思って」
「わかりました。ここじゃ、あれだから、中へどうぞ」
ギルドの〔登録・仕事の依頼〕カウンター。
ミラさんの寂しそうなお顔を見ると、僕も寂しくなっちゃうよ。
通された場所は、僕が冒険者登録をした時と同じ場所。
ここで必要事項を記入して、水晶に手をかざして。
あの時は、ミラさんとダルンさんを驚かせて大変だったんだよね。
僕は想いでに浸る。
テーブルの上に置かれた登録用紙。
ウサギのお姉ちゃんの分は、僕が書いてあげるんだ。
「えっと……、お名前はどうしよう……」
いきなり躓いた。
まさかウサギのお姉ちゃんって、書くわけにはいかないよね。
名前を除いた、出身地と神書の有無を記入して、顔を上げる。
「そっか……お名前決めてあげないとね」
「うん、でも……」
またお名前タイムになってしまった。
いつも思うけど、お名前決めるのって、とっても難しいんだ。
ウサギのお姉ちゃんは、お耳が可愛いから――でも、どうせお姉ちゃんが意地悪するんだろうな。
僕はダメもとで言ってみたんだ。ちっちゃい声で。
「ミミ」
クイっとウサギのお姉ちゃんが僕を見た。
「ミミお姉ちゃん」
反応しない。
「ミミ」
あっ。またこっち見た。
どうやら、《ミミ》がいいみたい。
お姉ちゃんも、苦笑しながら頷いてる。
「アルくんのことだから、どうせウサギさんの耳から付けたんでしょ?」
「だって……お耳可愛いし」
「本人が気に入ってるみたいだから、いいんじゃないの?」
やっぱりお姉ちゃんは、何か言おうとしてたと思う。
兎も角、ウサギのお姉ちゃんは、今からミミお姉ちゃんだ。
でも呼び捨てじゃないと、振り向かないんだよね。
なんか、呼び捨てなんて恥ずかしい。偉そうだし。
「ありゅ……ミミ……ありゅ……ミミ、アリュのモノ……」
「アルくん。よかったねー。ウサギさんは、アルくんのモノなんだって」
「ちっ、違うよ! 僕のものなんかじゃないよ!」
「でも、ウサギさんが言ってるよ」
「お姉ちゃんがまた意地悪する」
『さみしいなー。なんか私だけ除け者みたいで、やだなー』
意地悪なお顔のお姉ちゃんと、僕の目の前でふくれっ面をする《あいちゃん》。
「ちょっと待っててね。カードを作ってくるから」
席を外したミラさんが、ギルドカードを作りに行った。
それにしても、検知水晶は無色透明だった。
ミミお姉ちゃんには、加護がないという判定だったわけだけど。
外道化して、身体能力が上がっている。
すごいジャンプ力だし。
でも、それは、あくまでも加護ではないらしい。というより、外道を登録すること事態が、特例みたいだけど。
それもあって、このコスティスで登録したかったんだけどね。
ただ、僕の時みたいな問題が起きなかっただけいいのかも知れない。
戻ってきたミラさんから、ミミお姉ちゃんのギルドカードを受け取る。
表面には僕らのパーティ名。裏にはしっかりと《ミミ》と書いてあった。
でも、クラス表示が、《ノーマルE》となっていて。
「ミラさん。ミミお姉ちゃんのクラスは僕たちと違うの?」
「アルくん。クラスはね、あくまでも個人なの。ミミさんは、実績もないし、加護も受けてないから。でも、カードはみんなと一緒のキラキラした白でしょ? だから、依頼は《マスターA》まで請けられるのよ」
ちょっとややこしい。
現状の仕組みだと、パーティで一番クラスが高い人にギルドカードは合わせられる。
僕とお姉ちゃんのカードの裏には《マスターB》と書いてあるのだけど。
「依頼をすれば、ランクは上がっていくから」
そう言われて、僕らと一緒じゃないのは少し寂しいけれど、納得するしかない。
ふと、外が暗くなってるのに気づく。
だいぶ遅くなってしまったみたい。
「アルくん。それにソフィアさん。お気をつけて。それと、移動先の町に着いたら、必ずギルドにその旨を報告してくださいね」
「ミラさん。お世話になりました。ほら、アルくんも、ちゃんとご挨拶しようね」
「ミラさん。ありがとうございました」
僕はちょこんって頭を下げる。
最後にぎゅーってされて、ミラさんのお胸でお約束のぐりぐりをしたんだ。
ぷにぷにしてるし、お花のいい香りがするし、お姉ちゃんより大きいしね!
そして、僕らのパーティ【黒碧の翼】に、新しい仲間が加わった。
桃色の髪と、ウサギさんの可愛いお耳をつけたミミお姉ちゃん。
暗くなったコスティスの町を、右手にお姉ちゃん、左手にミミお姉ちゃんと手を繋いで歩く。
少し肌寒くなってきたと思う。見上げれば満天のお星様。
両手に温もりを感じながら、エリカさんの元へと帰る。
* * *
夕食後のひととき。
エリカさんの《マリーの宿》ともお別れする日が迫ってきた。
お姉ちゃんがエリカさんに出て行くことをと告げる。
「エリカさん、私たち、明日には出発しますから」
「エッ!?」
「明日出発して、《ビシュケルク》を目指そうと思います」
「だ……だ、だ……」
エリカさんは、碧い瞳を大きく見開いて、口をパクパクさせた。
よっぽど驚いたらしい。
でも、お金が貯まったら、出発するって話だったからね。
「ア……アルくんは、置いてってくれるんでしょ?」
「あはは。エリカさんったら、冗談ばっかり」
「イヤよ。アルくんも行きたくないでしょ?」
いきなり話を振ってきたエリカさんの返事に困る。
僕は俯き加減に答えるんだけど。
「で、でも、お姉ちゃんが出発するって言うし……」
「なっ……、アルくんは、エリカお姉さんなんかどうでもいいのね」
「ちっ、違うよ。僕だって、エリカさんは大好きだよ! でっでも……」
その先が言えず、口ごもる。
僕は理の勉強をして、《アテイール》様を顕現させなければいけない。
そうしないと、世界が滅びてしまうから。
「わかったわ。でも、アルくん。私のことを忘れちゃいやよ。そうね……」
どうやら納得してくれたらしい。
でも人差し指を薄いピンク色の唇に当てながら、何か考えているご様子。
「じゃあ、今日はエリカお姉さんとお風呂しよっか」
「なっ! なんてこと言うんですか!」
『そうよ! ダメよ! 許されないわ!』
「えーっ! だって、僕、恥ずかしいよ!」
「何言ってるの? いつもウサギさんと入ってるじゃない」
「……そ、それは……」
「キキキキキ!」
ウサギのお姉ちゃん改めミミお姉ちゃんは、僕から片時も離れようとしない。
だから、お風呂も一緒に入ってるんだけど。
でも、僕は自分で洗ってるんだよ。
心の中で、益体の無いことを考えていると、
「あら、ソフィアちゃんも一緒に入りたいの?」
「どっ、どうして私の話になるんですか?」
お姉ちゃんが動揺してる。珍しい。
それに、綺麗な白いほっぺが心なしか赤くなってる。
そんなお姉ちゃんも可愛くて大好きだ。
「じゃあ、アルくん。おいで」
「でっでも……」
僕はエリカさんに、半ば強引にお風呂場へと連れて行かれた。
* * *
「ねぇ、どうしてみんなで入るの?」
服を脱がされ、すっぽんぽんになった僕。
お姉ちゃんとミミお姉ちゃん、それにエリカさん。
何故かお風呂場にみんな来ちゃった。
空色の綺麗な髪を、頭の上に纏めて、白い肩を晒したお姉ちゃんは、とても綺麗で見惚れてしまう。
「エリカさんっ! アルくんに変なこと教えちゃダメですよ!」
「ソフィアちゃん。変なことって何のことかしら?」
「なっ……!」
『アルちゃん! 嘆かわしいわ』
《あいちゃん》までお風呂場に来て、大丈夫なのかな?
湿ったりしたら、ダメなんじゃないかと思うのだけど。
お姉ちゃんだけはタオルを巻いてるけれど、ミミお姉ちゃんとエリカさんは、すっぽんぽんだ。
目のやり場に困った僕は、火照った顔を下に向ける。
でも、ミミお姉ちゃんのお尻にまーるい尻尾がついていて、可愛いと思ってしまうのは内緒の話。
初めて見た時は、頭に付いた可愛いお耳のことよりも、吃驚したけれど。
触りたくなるのを、いつも我慢してるんだ。
湯煙がエリカさんの肢体に影を作る。
腰が引き締まっていて、偉い人の彫刻みたいに綺麗なんだ。そんなの見たことないんだけどね。
「アルくん。湯船に浸かる前に、ちゃんと綺麗にしようね」
お姉ちゃんたちに囲まれると、頭はお姉ちゃん。背中をエリカさんが、丁寧に洗ってくれた。
こんなの恥ずかしいよ。
「アルくん、今度は前ね」
「でも、僕……じっ自分で洗えるし」
「ちょ……エリカさん!」
「ほら、遠慮しないの」
「ありゅ……ありゅ……」
僕は目を瞑って、されるがままになっていたのだけど。
エリカさんの柔らかい手がくすぐったくて。
「きゃっ、エリカさん、くしゅぐったい」
「こらっ! アルくんもそんなに喜ばないの!」
「ありゅ……ありゅ……」
お姉ちゃんとミミの声が聞こえる。
お風呂場の中の変わった感じの声に、胸が熱くなる。
だって、やさしいお姉ちゃんたちに囲まれて、嬉しいがいっぱいになるもん。
「私もアルくんに洗ってもらおうかしら」
「えっ?」
「ちょっと! エリカさん!」
『おい! いいかげんにしろ!』
「ありゅ……ありゅ……」
目を瞑ったままの僕。
ぷにぷにした感触が、僕の顔を包む。
石鹸の香りと、柔らかい肌がとっても気持ちいいんだ。お姉ちゃんより大きいし。
僕は、エリカさんの背中に手をまわして、お胸の中でぐりぐりしちゃった。
「あっ……、アルくん、だめよ」
「エリカさん! なんて声出してるんですか!」
「ありゅ……ボクも……」
「ちょっ! こら! ミミまで何やってるの!」
『おい! お前ら、いいかげんに……』
「キキキキキ!」
僕は今、とっても幸せなんだ。
僕を包む柔らかい肌が、心の中にうれしいをいっぱいにしてくれるから。
「アルくん。ちゃんとエリカお姉さんのところに帰ってきてね」
「うん……エリカお姉ちゃん、大好きだよ」
いっぱいうれしいをくれたエリカお姉ちゃん。
白雪龍との戦いや、シリンギ村での出来事が、頭の中を駆け巡る。
いろいろあったけど、どれも大切な想い出になった。
頑張らないと。
早くこの世界を救って、やさしいお姉ちゃんたちが、安心して暮らせる世界にしよう。
僕は心の中で誓った。
エリカお姉ちゃんのお胸に顔を埋めながら――。
第2章は、迷宮都市 ビシュケルク偏 ってな感じになると思います。




