第16話 シリンギ村 2
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いつの間にか降っていた雨は止んだ。
お空は雲で覆われていて、お日様は見えないけれど。
さっきまで降っていた雨で、少しぬかるんだ道を、村へ消えた人影を追って駆ける。
僕らを見て逃げるのなら、たぶん戦うつもりはないよね。
例え《あいちゃん》が言った、できるはずのない禁忌の御業を使われていたとしても。
元が人間なら、人を襲わないのなら。
僕は異形の姿に変えられてしまった村人たちのことを想う。
あの人たちだって、きっと望んでそんな姿にされたわけじゃないはず。
「待ってーーーーー! 逃げないでーーーーーーー!」
そう叫びながら、広場へと向かう。
行商の人たちが使っていた荷馬車のあったところだ。
頑張って走ったから、胸が少し苦しい。
僕は、見失った影を探しながら、溜息を一つ吐いた。
「見失っちゃったね。とりあえず、一軒ずつ探していこうか」
僕もお姉ちゃんも変身したまま。
だから、普通よりだいぶ早く走れるはずなのに、見失っちゃった。
やっぱり、普通の村人じゃないのかもしれない。
『アルちゃん。油断しちゃダメだよ。相手は理から外れた存在かもしれないからね』
僕は無言で頷いたけど、《あいちゃん》の言ってることに疑問を持ったんだ。
それは、理を外れた存在って、なんだろう? ということ。
冒険者ギルドの討伐依頼にある、外道化した獣たちとは、違うような気がしたんだ。
僕が知っていることは、人間を食べちゃった獣が外道に堕ちるってこと。
創生の女神様は、《ロディア》によって創られた存在? って言うけれど。
それだと、ドルダダ村で襲ってきた外道化した熊や、外道化ヤマネとは違うのかな?
そもそも、《ロディア》って何なの? 御業を使えるなら、《あいちゃん》みたいな神様なのかな?
僕はまだ知らないことがたくさんあって。
でも、小さな子供だからって教えてもらえない。
違う! ――僕が自分から聞かなかっただけだ。
どうせ聞いてもよく分からないからって、自分に言い訳してただけなんだ。
いろんなことを考えながら、村のお家を見て回った。
気がつけば、六軒目のお家。
僕らは、一階建てのあばら家の前に立った。
見たところ、おかしなところはないけれど。
ここまで調べたお家には、誰も居なかった。
確かに人が住んでいた痕跡はあったのだけど。当然だよね。お家なんだから。
でも、どれくらいの時間か分からないけど、暫らくの間、使ってた感じがしない。
テーブルの上には、うっすらと埃が積もってたり。
お家の外は、雑草が生えて歩きにくかったり。
ドルダダ村でもそうだったけど、お家の周りでは、野菜を作ったりするんだ。
僕は作ってなかったけど、そうやって少しでも食べ物を確保するんだよね。
それで自分のお家の周りぐらいは、雑草を刈ったりするはずなんだ。
シリンギ村のお家は、全体的に手入れがされていない。
村人たちは、みんな化物に変えられてしまったからかも知れないけれど。
「やっぱり、いないね。どんな人かって見えた?」
「ううん。でも、お姉ちゃんと一緒ぐらいの大きさだったから、たぶん人だと思う」
「何処に隠れてるのかな。村の外に逃げちゃったりしてるかもね。アテイール様。何か分かりませんか?」
『…………』
お姉ちゃんが《あいちゃん》に問いかけるけど、小さい唇を尖らせて、プイッとしてしまった。
なんかご機嫌ナナメみたい。ほんとに困った女神様だよ。
「《あいちゃん》。意地悪しないで、教えてよ」
『だって。アルちゃんもソフィも約束守らないし』
困った女神様は、そう書きながら、またプイッと顔を背けちゃった。
でも、そんな《あいちゃん》が、僕らが辿ってきた道の方を見ているのに気づいた。
「あっちでいいの?」
『アルちゃんなんて、もう知らないっ!』
当たりみたい。
口ではそんなこと言っても、助けてくれるんだ。
実際は《神書》に書いてるだけなんだけどね。
そんな《あいちゃん》は、頬を膨らませながら、怒ってるみたいだけど。
「《あいちゃん》、ありがと」
『アルちゃんは、ほんとにずるいんだからーっ!』
僕はお礼を言った。
すると《あいちゃん》は、黄金色の瞳を細め、小さなお口を、いーってするんだ。
どうしてそんな感じになっちゃうのかは、分からない。
僕はお礼を言っただけなのにね。
僕らは来た道を戻って、通り過ぎていた壊れかけのお家の前で止まる。
屋根と壁が半分ぐらい壊された木の小さなお家。
壊されたところからは、お部屋の中が見えていて、テーブルやら食器やらが散乱してて。
そんなお家の前で、異変に気づいちゃったんだよね。
「アレだよね」
「たったぶん……アレ……ウサギさん? なのかな?」
お姉ちゃんと二人で、壊された壁の向こう側を見たんだ。
お部屋の中にテーブルがあるんだけど、ウサギさんの桃色をしたお耳だけが、ぴょこーんって飛び出てるの。
そのテーブルの下は、ちょうど壁に隠れているから、どうなってるのかは分からないんだけど。
「あれって、隠れてるつもりなんだよね。思いっきり耳が出てるけど」
お姉ちゃんは、そう呟きながら、腰に収まっている剣に手を掛ける。
警戒しているのか、空色の綺麗な髪の影から見えるお顔は、とても真剣だった。
そんな雰囲気に僕も緊張してくるのだけど。
でも、正直に言うと、人みたいなのとは戦いたくないよ。
「あの……そこのウサギさん?」
あっ、お耳がちょっと動いた。ピクッって感じ。
きっと気づいてくれたよね?
「ねえ、ウサギさん? 出てきて」
『ちょっと、アルちゃん。気をつけてよ』
「大丈夫だよ。戦うつもりなら、隠れたりしないもん」
それは願望であって、何の根拠もないこと。
でも、僕はやっぱり戦いたくなくて。壊れた壁の隙間から入っていったんだ。
ガタンッ! って音がしたと思ったら、テーブルが盛大に引っくり返った。
とても大きな音で、吃驚した矢先――。
「アア……」
「……あの、大丈夫ですか?」
テーブルがあったところで蹲る桃色の髪をしたお姉ちゃん。
ぴょこーんってしてたお耳も垂れて、両手で頭を押さえているんだ。
すごい痛かったんだと思う。それで僕は近づこうとしたんだけど。
「ア……アア……」
何かを言ってくるわけでもない。
呻くように口を開き、立ち上がったウサギのお姉ちゃんを見上げる。
飾り気のない薄手の白いワンピースに、頭についたウサギのお耳と、エリカさんみたいな大きなお胸。
少し長めの綺麗な桃色をした髪の毛は、癖があるせいか、所々が撥ねてるんだ。
白い綺麗なお肌に、薄い唇をへの字に曲げて、歯を食いしばるように、瞼を閉じた先に涙を浮かべながら、痛がってる。
そんなウサギのお姉ちゃんが可愛らしくて。僕よりたくさん大きいんだけどね。
僕は不謹慎だって、ちょっと思ったりしたのだけど。
でも、そんな彼女が、閉じていた瞼をゆっくりと開けた時――!!! 少しビクッと強張ってしまったんだ。
僕が見たウサギのお姉ちゃんの真紅の瞳。それは外道化特有の瞳だったから。
「アァ……」
ウサギのお姉ちゃんは、プルプルと痙攣したようになって、無表情に僕を睨んできた。
「アルくん!」
『アルちゃん!』
僕の後ろで様子を窺っていたお姉ちゃんの叫び声が聞こえた。
きっと僕の名を叫んだ《あいちゃん》が光り輝き、ウサギのお姉ちゃんを照らす。
ウサギのお姉ちゃんは、僕に殴りかかってきたのだけど。
僕は避わすことができなくて、俯き加減に歯を食いしばった。
「…………」
油断したんじゃない。
でも、僕はウサギのお姉ちゃんを助けたいって思ったんだ。
不幸にも《ロディア》の禁忌によって、禍々しい存在へと変えられてしまった村人たち。
さっきやっつけた村人だった者たちの中に、この人の家族がいたかもしれないという事実。
戦いが終わり、そのことに思いが至ると、この人とは戦っちゃダメって思ったんだ。
僕がウサギのお姉ちゃんの仇になってしまうと思うと、とても悲しくなる。
だから、半人前の僕だけど、この人には、戦って欲しくないって思うし戦いたくないの。
でも、その想いは、今、裏切られそうなんだけど――。
「アア……」
いつまで待ってもぶたれない僕は、恐る恐る瞼を開ける。
そうしてウサギのお姉ちゃんを見たんだ。
睨まれるだけで、怖くなってしまう真紅の瞳はそこになはい。
その変わりに桃色の綺麗な瞳と、悲しそうなお顔をしながら涙を流すウサギのお姉ちゃん。
僕もなんだか悲しくなってきちゃって。そんなウサギのお姉ちゃんの瞳をじーっと見たの。
「ウサギのお姉ちゃん……ごめんね」
「アァ……」
何かを言いたいのか、震える唇がワナワナとしてるんだけど、出てくる言葉は呻き声に近いものばかり。
でも、きっとこのお姉ちゃんは、悪い人じゃないって勝手に思ったんだ。
もしこのウサギのお姉ちゃんが悪い人じゃないのなら――。
お姉ちゃんも、エリカさんも、ミラさんも。やさしいお姉ちゃんはみんな抱きしめてくれるんだ。
だから、ウサギのお姉ちゃんも、だっこしてくれるなら――。
僕は両手を広げておねだりしてみたんだ。
「ウサギのお姉ちゃん。だっこ……だっこして?」
「ちょっと! アルくん! なに言ってるの!」
『アっ、アルちゃんっ!』
僕の顔が、ウサギのお姉ちゃんのお胸に埋められた。
よかった。この人もやさしいんだって思った。それにお胸からお姉ちゃんと一緒の甘い匂い。
うれしいがいっぱいになる香りがする。
そう思ったら、涙が出てきちゃって。顔をぐりぐりとしちゃったんだ。
そうして僕は振り返った。
お願いするようにお姉ちゃんを見る。
「お姉ちゃん、ウサギのお姉ちゃんも、連れて行っちゃダメ?」
「アルくん? 本気?」
『そうよ。アルちゃん。連れて行ってどうするつもりなの?』
「だって、このままにしておけないよ。それに僕が……。僕が村の人たちをやっつけちゃったんだよ。その中にウサギのお姉ちゃんの、お父さんやお母さんがいたかもしれないんだよ」
「…………」
『…………』
「でも、それなら尚更……。そのウサギさんが嫌だと言ったら?」
僕はウサギのお姉ちゃんをじーっと見ながら、綺麗なお手手を握る。
僕は、母様との三つの約束を思いだす。
ひとつ、困っている人は助けること。
ひとつ、女の子にはやさしくすること。
指を折りながら僕に約束させた母様。
ウサギのお姉ちゃんは、困っているのかどうかも分からないけれど、誰も居ないシリンギ村に残していくことなんてできないよ。
それに、《あいちゃん》が言った理から外れた可哀相な存在なら、他の冒険者に討伐されてしまうかもしれない。
そんなこと、僕は絶対にいやだっ!
「ウサギのお姉ちゃんも一緒にいこ。こんなところで一人ぼっちはダメだよ。ねっ。僕と一緒にいこっ」
「……アア……」
僕の言っていることが分からないみたい。
それに話すこともしないウサギのお姉ちゃん。
もどかしくなった僕は、無理やり手を引っ張って、お家の外へ連れ出した。
なんだろう? なんか変な感じがする。抵抗されるわけでもない。
僕はウサギのお姉ちゃんの顔を見たんだ。
でも表情のない、何を考えているのかも分からない、そんなお顔しかなくて。
だから、とても心配になっちゃった。
「ウサギのお姉ちゃん。ヘーキ。僕たちは悪いことしないから、だから、ヘーキだから」
そう言って、僕はウサギのお姉ちゃんを連れて行く。
「ちょっと、待って! アルくん! ほんとに連れて行くの?」
『アルちゃん! ダメだよ! そんな女連れてくなんて、絶対にダメっ!』
我がままなことをしてるって、分かってるよ。
でも、一人ぼっちになったら、僕みたいに寂しくなっちゃう。
無表情で、何を考えているのか分からない、ウサギのお姉ちゃんが心配なんだもん。
僕は、お姉ちゃんと《あいちゃん》の言うことを聞かないことに、少し後ろめたさはあるんだけど。
溜息をつくお姉ちゃんと、ピカピカ光る《あいちゃん》が、僕の後を小走りについてくる。
《あいちゃん》は、フラフラ飛びながらなんだけどね。
そうして誰も居なくなったシリンギ村を出て、コスティスの町へ帰ることにしたんだ。