第15話 シリンギ村 1
――雷鳴が轟く。
僕は、とても大きな轟音に吃驚して声をあげてしまった。
お姉ちゃんの握る僕の手の力にも自然と力が入る。
綺麗な空色の髪と澄んだ碧い瞳。お胸はこぶりだけど、とってもやさしい僕のお姉ちゃん。
コスティス男爵のせいで、お姉ちゃんと一緒の時間が減った。
町を出てから、ずっと一緒だったけど、僕にはお姉ちゃんが足りてない。
それに、あんなおっきな雷様が落ちたらと思うと、寒気が走ったようにブルってしちゃう。
だから、僕はお姉ちゃんの引き締まった臀部に抱きついた。
「ほら。アルくん。そんなにくっついたら、動きにくいよ」
『そうよ。アルちゃん。とっとと離れなさいな』
「だって……。雷が怖いんだもん」
「でも、何が出るかわからないのよ? それに、アルくんも《マスターB》の冒険者なんだからね? すごい力があるんだから、これぐらいで驚かないのっ!」
「……でも」
僕はお姉ちゃんを見上げ、綺麗な碧い瞳を、お願いってじーっと見る。
だって、もっとたくさん、いい子いい子して欲しいから。
「もうっ! わかったよ。そしたら、この依頼が終わったらねっ!」
『おいっ! やっ……約束が違うじゃないか!』
「だって、アルくんが……」
お姉ちゃんは僕の頭を撫でた後、《あいちゃん》と言い合いを始めちゃった。
バツが悪そうに俯くお姉ちゃんと、ピカピカ光りながら飛び回る《あいちゃん》。
そんな女神様は、雷よりも眩しかったりする。音はしないけどね。
「降り出しちゃうかな……」
一頻り話し合いが済んだのか、お姉ちゃんは空を見上げながら呟いた。
山の麓に程近いシリンギ村の天気は変わりやすいんだって。
僕は、頭の上でおやすみ中のプティを、濡れちゃいけないと思い、胸ポケットにしまう。
お顔だけ覗かせたプティを、お姉ちゃんと《あいちゃん》が、ジロジロ見るんだ。
『アルちゃん。それ、すごくいいと思う』
黄金色の瞳を細めて、そんなことを《神書》に書き連ねていく。
創生の神様は、相変わらず、僕の周りを飛び回り、神語で言葉を話す。というか記入していく。
そして、綺麗な銀色の髪をした少女のお顔で、怒ったり、笑ったり、はにかんでみたり。
ほんとに器用だと思う。
「そっそうかな……」
そんな《あいちゃん》に見つめられると、僕も照れてしまうけど。
それに、何かよく分からないけど、《あいちゃん》が嬉しそうだから、よかったと思うんだ。
ポツポツと水の雫が顔に当たるのを感じると、降り出した雨。
雷様も、ゴロゴロと今から行くぞっ! 落としちゃうぞっ! って、言ってるみたいで、とても怖い。
「ちょっと、あそこの軒先借りて、雨宿りしよ」
僕らはシリンギ村へ入ると、一番近くに見えた小さなお家へと、小走りに目指したんだ。
* * *
民家の軒先で、雨宿りを始める。
お姉ちゃんは、雨に濡れてしまった僕の髪を、手拭いで拭いてくれる。
やわらかい手拭いは、お花の刺繍が入ってて、お姉ちゃんのいい匂いがした。
僕はそんな香りに自然と頬が緩んでしまう。
「よしっ! おしまいっ!」
「お姉ちゃん。ありがとっ」
嬉しい気持ちがいっぱいになったんだけど、すぐに村の様子がおかしいことに気づく。
村に、人の気配が感じられないんだ。
降り出した雨のせいで、村人が居ないっていう感じじゃない。
暫らく人が居ないせいで、空気が冷たいというか。そんな感じ。
僕らの依頼は、シリンギ村と行方不明の商人たちの調査。
もう誰も居なかったら、どうするのかな? なんてことを考えてしまう。
「あのー。ごめんくださーい」
『アルちゃん。気をつけて。何か嫌な気配をを感じるの』
お姉ちゃんが、借りた軒先のお家に人が居ないかと、扉を叩く。
そして《あいちゃん》が、黄金色の瞳で僕を見つめた。
いつになく真剣なお顔の《あいちゃん》は、なんと言ってもこの世界を造った創生の女神様。
僕は無言で頷いて、辺りをキョロキョロと見わたした。
分厚い雲に覆われた空は、辺りを暗くしていて、とっても不気味なんだ。
少し離れたところには、何軒か民家も見える。
ドルダダ村と一緒で、小さい村なんだろうけれど、すぐ隣にお家が建ってるわけじゃない。
土地だけは、余ってるからね。
目を凝らしてみると、馬車の荷台のようなものがあるのに気づいた。
そして、お姉ちゃんの呼び出しに、お家から返事はない。
「お姉ちゃん。あそこに馬車の荷台みたいなのがあるよ」
「やっぱり誰も居ないのかな……って、なに? どうしたの?」
振り向いたお姉ちゃんに、荷台の方を指差して教えてあげる。
「ちょっと見に行こうか。何か嫌な予感がするの。あそこを見て、一旦、馬車に戻ろうね」
「うん」
さっきよりも少し小降りになった雨の中、見えている荷台を目指して駆ける。
道すがら見た民家は、不自然な壊れ方をしているものもあって、不安な気持ちでいっぱいになっていく。
「ふぅ。って、荷台で間違いないね。それも、行商の人が使っていたもので、間違いないよ」
「どうして分かるの?」
「ほら、これ」
そこにあったのは、原型を留めていない荷馬車の残骸。
でも、散乱した残骸の中から、行商の人が扱っていたであろう品物を拾う。それは塩の小瓶。
塩や胡椒などの調味料は、町でしか手に入らないから、散らばった残骸に混じるようにしているのは、おかしいんだって。
言われてみればって思いながら、僕もどんなものがあるのか見ていたんだ。
その時、雷様がまたピカーって光った。
地面を見ていた僕の影を覆うように、とても大きな影が映ったんだ。
その影は、絶対に危ないものだって、すぐに分かった。
僕は恐る恐る振り返る。
『ギャーーーーーーーーーーーッ!!!』
「イヤーーーーーーーーーーーッ!!!」
「うわーーーーーーーーーーーっ!!!」
そろって悲鳴をあげた僕らは、その場から一目散に逃げだした。
途中で二回も転んじゃったけど、自分たちの馬車へ一生懸命に駆けたんだ。
僕の眼に映った異形の者。
薄暗くても、気味の悪い真っ赤な瞳を持った、外道化したなんかだっていうのは分かった。
でも、普通じゃない。だって、光る雷に当てられた化物は、ぐちゃってしてるんだもん。
無理。あんなの気持ち悪くて相手にしたくない。絶対に無理!
「ちょっと、アテイール様! なんですかっ! アレはっ!」
『理を外れた者の姿。ロディアの禁忌によって変えられた者の姿よっ!』
「いったいなんなんですか! それっ!」
逃げながら、叫ぶように受け答えする二人。というかお姉ちゃんだけだけど。
馬車に着いた僕らは、あまににも吃驚したせいか、雨に濡れた服のことなんか忘れて、話し始めたんだ。
「アルくん。馬車の周りに、防御壁を張れる?」
「うん。風のでいい?」
「いいよ。それと念のために、神装ね。ちょっと油断しちゃったかなー。反省しないと」
討伐依頼じゃなかったからって、二人とも変身していなかったんだ。
お姉ちゃんはそれを悔やんでいるみたい。
「――【神装変身】! ――【防壁の風】!」
「――【神鎧変身】!」
矢継ぎ早に変身と、防御壁を構築してから、逃げてきた村の方を見やる。
ゆっくりと近づいてくる大きな影。
しかも、よく見ると、一匹じゃないんだ。大きいのから、小さいのまで。
少なく見ても、30匹以上いる。
偶に光る雷様が、その影を照らすとき、剥げ落ちた肉とかが見えて。
そして化物たちは、一様に真っ赤な恐ろしい瞳をギラギラさせていた。
「お姉ちゃんっ! やだっ! あんなのやだっ!」
「ちょっと! アルくん! 離しなさい!」
「だって、無理だよ。あんなのっ! 気持ち悪いもんっ!」
『アルちゃん! しっかりしてっ! あの子たちは、可哀相な子たちなのっ!』
「えっ?」
「えっ?」
お姉ちゃんと二人、抱き合いながら、すっとんきょうな声を出して、《あいちゃん》を見たんだ。
あまりにも怖くて、飛びついちゃったんだよね。
『あのね。あの子たちも、元は人と何かの獣。それをロディアの禁忌で創りだされてしまった可哀相な存在なの。だから、早く休ませてあげよ』
苦痛に顔を歪めて、神語を書き連ねていく《あいちゃん》。
『アルちゃん。よく聞いて。あの子たちも、元は村人だったはず。それを無理やり禁忌によって理から外れた存在に変えられてしまっただけなのよ。それも不完全な禁忌という御業を使ってね。あの子は馬鹿なのよ。完全なる存在なんて、創れるはずがないのに……』
僕とお姉ちゃんは、抱き合いながら《あいちゃん》を読んだ。
不完全な禁忌? 完全なる存在?
「アルくん。今は、アテイール様の言うとおりにしよ。怖がっててはダメ。私たちは、《マスターB》の冒険者なのよ」
お姉ちゃんだって、すごい怖がってたくせに。
今さらそんなキリッとしたお顔しても、騙されないもん。
「でも、元は村人だっていうなら、襲ってこないんじゃないの?」
『アルちゃん……残念だけど、たぶん襲ってくると思うわ。それに、可哀相なあの子たちには、これ以上の苦しみを味わって欲しくないの。だから、この御業を使って』
そして、宙を舞う《神書》は、やさしい光を放ちながら、パラパラとめくれはじめた。
“【蒸発の炎アテイールVer】
祝詞 我は創生の神アテイールの寵愛を受け、その力を行使するもの。我が造り出す炎は、あらゆるものを焼き尽くす。【蒸発の炎】
用途・用法
祝詞を宣えば、高温の炎を発します。単体・複数に使える便利な御業。
この炎に包まれた者は、一瞬で蒸発しちゃうでしょう。その為、相手も苦しみません。
発動後にアルちゃんが念じれば、自由自在に操れます。
ただ、この御業も、見える範囲じゃないと、扱いづらいかもね。
※注意事項
フレンドリーファイア(お友達に当てること)に注意。ちゃんとできないと、味方にも当たっちゃうからね。
もし、ソフィにでも当たったら、アッというまに消えてなくなるから、それはそれで……ゲフッ”
そうして開かれたページには、またも物騒な名前の御業が書かれていた。
お姉ちゃんも、結果が想像できるのか、呆れたお目目をしているし。
それにしても、蒸発ってなんなの? とっても嫌な予感しかしないし、この御業を使ったら、村人たちを殺してしまうことになるんだよね?
そんなの嫌だよ。もっとやさしい御業はないの? そんな可哀相な人たちなら戦いたくないし。
僕の頭の中で、そんな想いがぐるぐると巡るんだ。
「アルくん……。今は余計なこと考えちゃダメ。アテイール様の言うことを信じようね」
「う……うん」
改めて可哀相な化物たちを見る。
すると《あいちゃん》が言ったように、いろいろな動物と掛け合わされたようにも見えた。
そんな化物たちの中で、ふと、一際異彩を放つ者に気づいたんだ。
おでこに角を生やし、白い鱗と翼を持った、何処かで見たことのあるような気がしてならないもの。
「おっお姉ちゃんっ! あれって……」
「白雪龍に見えなくもないね」
三メントル(メートル)ぐらいの白雪龍に似た何かは、口を開けると丸い光の玉を作り出した。
「ちょっとっ! まずいよ! ブレス吐くの?」
僕が相手が人だってことが、どうしても頭から離れない。
そうしてできた隙に、先制攻撃を許してしまう。
ものすごい速さで近づいてくるブレスを、飛びのいて避わしたまでは良かったんだけど。
でも、ブレスは後ろにあった馬車に命中しちゃって、粉々に壊されちゃったんだ。
だって、あの白雪龍の攻撃なら、【防壁の風】じゃ防ぎきれないと思ったし。
「あ…あー……」
見るも無残な馬車の残骸を見ながら、声にならない呟きをもらすお姉ちゃん。
僕は、祝詞を宣い始めた。
やっぱり襲う気なんだって思ったから。
このままだと、大好きなお姉ちゃんも守れないと思ったから。
「我は創生の神アテイールの寵愛を受け、その力を行使するもの。我が創りだす炎は、あらゆるものを焼き尽くす……」
いつものように現れた幾何学模様。
燃えるような真っ赤なそれの先に、眩しくて直に見れない丸い玉が現れた。
御業によって作り出された玉は、燃えるような赤というよりも、まるでお日様みたいなんだ。
僕はこれから、このお日様を異形の人たちにぶつけなくちゃいけない。
僕は心の中で、ごめんねって謝った。
たぶん、この御業はとても強い力だと思ったから。
それで、僕はこの人たちを殺してしまうって思ったから。
「「「【蒸発の炎】!!!」」」
異形の人たちは、ブレスを合図に走りながらこちらへ向かってきた。
僕は炎の玉を、百個に別けてそれらへ向けて無差別に放つ。
もう、狙うとか無理だもん。じっくり狙ってたら、間に合わないと思ったし。
無造作に飛び交う業火は、雨で湿った水気をも一緒に吹き飛ばすと、辺り一面、煙でいっぱいになった。
異形の人たちの断末魔すら許さない炎。
煙の中からそれらが現れないところを見ると、たぶんやっつけたんだと思う。
そして次第に煙が晴れていった。
燃えかすすら残っていない。どこへ行っちゃったの?
残されたのは、焼け爛れた街道と、微かに残る物の焼ける匂いだけ。
危険はなくなったけど、僕は村人たちを殺してしまったんだ。
もう、人間だって呼べる姿はしていなかったけど。
そう思うと、怖い気持ちでいっぱいになっちゃって。
「アルくん……」
お姉ちゃんが僕の名を呟いた。
膝をついて僕の顔を見るお姉ちゃんは、どことなく辛そうな、悲しそうなお顔をするんだ。
でも、何を考えてるのか、何を思ったのか。なんとなく聞けなくて。
僕はそんなお姉ちゃんに抱きついて、泣いてしまう。
そんな僕を、何も言わずに白くて綺麗な腕で、やさしく抱きとめてくれるだけ。
『アルちゃん。そんなに泣かれたら、私も悲しくなっちゃうよ』
泣き続ける僕の前に、《あいちゃん》がフラフラと飛んでくる。
しゅんとしてしまった女神様は、黄金色の瞳を俯き加減に、気まずそうにしているんだ。
僕を助けれくれる《あいちゃん》と、僕に辛いことさせる女神様の御業。
僕はそんな《あいちゃん》を見ると、複雑な気持ちになる。
ふと、誰かに見られているような気がして、村の方を見たんだ。
そこに人影があったような気がした。
「お姉ちゃんっ! 人がいるっ!」
僕は叫びながら、村の方を指差した。
影は逃げるように、村の中へと消えていく。
「アルくん。このまま行くよ!」
お姉ちゃんの掛け声に合わせて、僕は涙を拭う。
いろいろと嫌なことを思ったりしながら、それでも人影を追わなきゃって思った。
いっぱい、たくさんやっつけちゃったけど、助けられる人がいるのなら。
僕は、そんな想いを胸に、再び村へと駆けていった。
祝詞の文言を変更中です。
気づいたところなど随時修正しています。
大きな変更はございませんので、そのまま読み進めていただければ幸いです。