第10話 初依頼とヤマネちゃん
目指すのは北の森。
ギルドを出た僕たちは、五月初めの暖かい日差しに照らされながら、一路外壁を目指した。
町の中は活気に溢れていて、通りの人々は忙しく働いている。
台車に荷物を載せて移動する人。お店の前で客引きをする人。
みんな大声を出しながら働いている姿を見ると、元気だなって思うより少し怖い。
ドルダダ村の人たちは、大人しかったから、そう思ってしまうんだ。たぶん。
僕の手を引くお姉ちゃんは、心なしか焦ってる感じがする。
歩を進める度に、綺麗な青い髪が靡いて格好いいけどね。
本当ならもう少し早く出たかったみたいだから、悪いことしちゃったのかな?
ミラさんの説明を聞いたせいか、スタートが少し遅れちゃったから。
そうして外壁の門に居る兵士さんにご挨拶して、町の外に出れば風景はガラッと変わる。
いくらこの辺りで一番栄えてるといっても、帝国の中では辺境の田舎と言われているみたい。
ドルダダ村からも遠くないコスティスは、北側に山が見えてとても綺麗なんだ。
今も頂上付近は、真っ白な雪で覆われていて、尖ったケーキみたい。
でも、おいしそうとはちょっと違うけどね。
それに北にある山には、とても恐ろしい化物がたくさんいるんだって。
お姉ちゃんも詳しいことは知らないみたい。偶に命知らずの冒険者が行くみたいだけど、みんな帰ってこないらしい。
町を出ると《あいちゃん》は、僕の腕から擦り抜けるようにして宙を漂う。
そして僕の目の前で【通信欄】を開いて喋りだすんだ。
知らない人が居るところでは我慢してくれてるみたいだけど、お姉ちゃんと三人になると動き回るんだよね。
だけど《あいちゃん》のお陰で視界が遮られるから、偶に転びそうになる。
その度にお姉ちゃんが手を引っ張ってくれるんだけどね。
目指す北の森が近づいてくると、何か怪しい雰囲気が漂いだした。
高木に覆われた森は、その一帯だけ暗く見えて如何にも出そうな感じ? がする。
森へと続く道の先に、動く黒い影が見えた。
なんだろう? と思って近づいていく。
黒い影は、道沿いの潅木にぶらさがるようにして、僕を見ると小さな声で泣き出した。
「キキキキキ……」
鼠かな? モグラかな? 二つを足して二で割ったような見た目の小さな動物。
淡い褐色の毛に真っ黒のつぶらな瞳。すごく可愛い。
そんな可愛い小動物を見ると、こっちこないかな? って期待しちゃう。
だって、撫で撫でしたいでしょ?
僕は振り返ると「お姉ちゃん、これすごく可愛いよ」って言ったんだ。
すると微妙なお顔になるお姉ちゃん。僕、何かおかしなこと言ったのかな? って心配になっちゃう。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「……あのね、アルくん。今日請けた依頼なんだけど、それの退治なの」
「えっ!?」
僕は吃驚して潅木から飛び退いた。
「ああ、でもその子は大丈夫みたい。外道化するとね、一回り大きくなって、眼も赤くなるから」
「……ほんと?」
「ほんとだよ。その子はヤマネちゃんって言うの。普段は虫とか木の実とか食べるんだけどね。外道化すると、人を襲うのよ」
僕の初めての依頼はヤマネちゃん? 退治らしい。
外道化したヤマネは、数匹から数十匹で人を襲って食べる。
木の枝から枝へ飛び移ったりしながら襲ってくるから、頭の上を気をつけることって言われた。
僕はそんなことよりも、
「なんだか可哀相……外道化したら、可愛くなくなっちゃうのかな……」
僕の呟きに「どうだろうね」って困ったお顔になるお姉ちゃん。
依頼の内容は“討伐”なんだから、可愛いと思っても殺さなくちゃいけないんだ。
そう思うと、わくわくした気持ちなんてどっかに行っちゃったよ。
『アルちゃん……』
「アルくん。可哀相でもやらなくちゃダメなんだよ。そうしないと、いつかアルくんの大好きな人たちが襲われてしまうかもしれないの」
「うん……」
お姉ちゃんの言った言葉が僕の胸に突き刺さる。
僕が大好きな人が襲われるということ。
脳裏には、ドルダダ村の人たちや《マリーの宿》のエリカさんのお顔が思い浮かぶ。
そして、ドルダダ村で戦った時に、僕のせいで外道の熊の反撃を貰い、大きな痣を作ってしまったお姉ちゃん。
『おい。なんでアルちゃんが悲しくなるような依頼にしたんだ』
「アテイール様。私だって……これならアルくんが怖がらないと思ったんです!」
『……そなたら冒険者の新人は、薬草採取から始めるのではないのか?』
「……それは……ノーマルクラスなら、それもそうなんですが……」
僕は暗い顔をしてたんだと思う。
お姉ちゃんと《あいちゃん》が僕のことで言い合いを始めてしまった。
僕には《あいちゃん》が何を言っているのかわからないけど、お姉ちゃんが責められてるんだとすぐに分かった。
僕のせいで二人には喧嘩して欲しくない。それに僕は頑張るって決めたんだ。
「二人ともやめて……僕のことで争わないで! 僕は頑張るから。だから喧嘩しないで……」
お姉ちゃんと宙を漂う《あいちゃん》は、顔を見合わせると僕を心配そうに見る。
二人のことを見ると、いつも心配ばかり掛けているんだって思う。
お姉ちゃんは、身体を張って僕を守ってくれようとするし、《あいちゃん》は僕が困っていると必ず助けてくれる。やり方は強引だけど。
僕は二人がニコニコしてくれていた方が好きだし、喧嘩もして欲しくない。
だから、我慢しなくちゃいけないんだ。
「キキキキキ……」
ぴょんって何かが飛んだと思ったら、僕の頭の上にヤマネちゃんが乗っかったんだ。
僕はヤマネちゃんを捕まえようとして手を動かすのだけど、器用に肩や腕を動き回って捕まえられない。
可愛らしいヤマネちゃんが、僕の身体を歩くたびに、くすぐったくて。
僕が右手を前に掲げると、腕伝いに手のひらへ移動するヤマネちゃん。
「お家に帰らないと母様が心配するよ」
僕は手のひらで丸まっているヤマネちゃんに顔を近づけて声をかけた。
淡い褐色のやわらかい毛に、濃い縦縞が背中に入ってる。
ひょろっとした尻尾に、小さいお耳と黒いつぶらな瞳。
僕とヤマネちゃんは、見つめあった。近くで見ると、益々かわいい。
そんなことを考えていると、ぴょんって、また頭の上に乗っかられちゃった。
僕の身体を移動する度にくすぐったいけど、そんな姿がとってもかわいくて、僕の顔も自然と綻んだ。
「アルくん。ヤマネちゃんに気に入られちゃったみたいだね。連れて行っちゃえば?」
「でも、連れて行っても危ないし……」
「大丈夫? じゃないかな。たぶん、アルくんの傍が一番安全だと思うよ」
「そうなの?」
『アルちゃん。アルちゃんには私が付いてるんだから、アルちゃんに指一本でも触れさせるわけないでしょ?』
「そ、そうかな?」
二人がなんかとってもニコニコしながら言ってくれた。
きっと僕が暗い顔をしなくなったのが良かったんだと思う。
そうして僕らは森を目指すことになったんだけど、お姉ちゃんと《あいちゃん》が、偶にチラチラと僕を見るんだよね。
二人のお顔は、とっても嬉しそうだからいいのだけど。でも何かが変。
どうしたのかな? なんて思ったりもするけど、その間もヤマネちゃんは、僕の頭やら肩やらを行ったり来たりして、嬉しそう。
でも僕にちゃんと面倒が見れるかな? なんて思いながら、兎も角、僕らは北の森に入っていったんだ。
* * *
森に入ると一気に空気が変わる。
お日様の光が当たらないということもあるのだろうけど、何か出そうな感じ? になった。
空気が重たいっていうか、ひんやりしてるっていうか。
「――【神鎧変身】」
森に入ってすぐお姉ちゃんは祝詞を宣うと、足元に幾何学模様が現れる。
そして、お姉ちゃんは、光に包まれると神装姿となって、僕の方へと振り向いた。
真っ赤な外套が靡くと、白銀の鎧を着たお姉ちゃんが姿を現す。
相変わらずお姉ちゃんの神鎧は格好いい。
頭に載せられた兜と、小さなお胸を隠す胸当て。肩や白い綺麗な手もしっかり守られている。
スカートみないな草摺と、細くて長い綺麗な足を守る脛当てや鉄靴。
神鎧を纏ったお姉ちゃんは、神々しくて、女神様みたいなんだ。
僕は、そんなお姉ちゃんを見ると、すぐに顔が真っ赤になって、下を向いてしまった。
正面からは恥ずかしくて見れない。だって、おへそ見えるし。
それで、何があるか分からないから、僕にも神装になってって言われた。
僕も祝詞を宣う。
「――【神装変身】」
僕が変身すると、お姉ちゃんが真剣なお顔で言った。
「アルくん。敵が現れたらね。私が惹きつけている間に、アルくんはまず、防御の御業を展開してね。それから落ち着いて一匹ずつでいいからやっつけるの。いい?」
「うん」
『アルちゃんなら楽勝だよ。だって私が付いてるんだもの』
僕は心を引き締めて一度だけ頷いた。
《あいちゃん》にも「ありがと」って、言ってから、暫らく森の中を標的を探しながら歩く。
道すがら「しっ」って、お姉ちゃんが薄い桃色の綺麗な唇に人差し指を当てる。
すると外道化した野犬なのか、狼なのか、真っ赤な眼をした大きな獣が三匹も歩いていた。
辺りを窺うように頭を左右に振り、真っ赤になった鋭い瞳を睨むようにして獲物を探しているようだった。
僕らは音を立てないようにして、木の陰から様子を窺う。
「お姉ちゃん。あれはやっつけなくていいの?」
「……うーん、外道化灰色狼だね。今日はやめとこうか。そんなに焦らなくていいからね」
『そうよアルちゃん。あんなおっきな化物相手にしちゃダメ。いざとなったら、そこのお嬢さんを盾にすればいいの』
「う……うん」
何か《あいちゃん》の言ってることに疑問を覚えながらも、素直に頷いた。
外道化灰色狼は、《マスターD》が相手にするような化物で、もの凄い速さで追いかけてくるんだって。
外道化すると、身体が二メントル(メートル)を超えて巨大化したり、灰色の毛は硬くなって、剣や槍の攻撃を跳ね返しちゃう。
その鋭い牙や爪は、普通の鎧なんてあっさりと噛み砕いてしまうぐらい強力だから、仕留め損なうとすごい危ないからって。
でも、いずれは戦うこともあるのかな? なんて考えながら、居なくなるのをじっと待った。
無事に外道化灰色狼をやり過ごした僕たちは、森の中を標的を求めて彷徨う。
森の中はとても静かで、落ち葉を踏みしめる音がやけに響く。
時折聞こえる鳥の泣き声に、一々ビクっとしてしまう。
その度に《あいちゃん》が励ましてくれるんだけど。
「アルくん。あそこ」
お姉ちゃんが声が囁くように言いながら、少し先にある高木を指差した。
釣られるように見た高木の枝に、二匹の外道化ヤマネがぶら下がって、こちらを見ていた。
「ちょうどいいね。初めての依頼だから、あの二匹をやっつけて、今日は帰ろうか」
「うん」
『おい。アルちゃんがやっつけやすいように、お嬢さんが捕らえて来い』
「もう《アテイール》様、無茶ばっかり言わないでください」
「《あいちゃん》、僕、頑張るから、お姉ちゃんをいじめないで」
『アルちゃんはやさしすぎるの。アルちゃんは大事な子なの。私は心配でしょうがないの』
「ありがと。《あいちゃん》。でも、ほんとに大丈夫だから……」
心配してくれている《あいちゃん》を必死に宥めてから、外道化ヤマネを見やる。
あの可愛いヤマネちゃんに比べれば、大きいのかもしれないけど、精々三十セッチ(センチ)ぐらいだ。たぶん。
淡い褐色の毛は、黒味がかかっててかわいくない。
でも、少し離れた場所から見ても、真紅に染まった恐ろしい瞳は確認できた。
そんなに大きくなくても、鋭い歯で人間の肉ぐらいすぐに噛み切れる力はあるから気をつけてって。
僕は手筈通りに、祝詞を宣う。
「我は創生の神アテイールの寵愛を受け、その力を行使するもの。我が意思は、あらゆる敵意を粉塵へと還す。【防壁の風】」
右手に掲げられた【理を正すタクト】から、緑色の幾何学模様が現れる。
僕と《あいちゃん》を囲うようにに風の防壁を作った。
風の防壁は、少し白味が掛かっていて、で外側を見ることはできるのだけど、時々キラっキラって光るんだ。
その度に、ビュンって風を切る音がする。ちゃんと発動してるみたいでよかった。
それを見たお姉ちゃんは、僕の前に立つと、剣を抜き正眼に構え、外道化ヤマネの注意を惹きつける。
静寂な空気が漂う中に、【防壁の風】の風を切る音と、外道化ヤマネの泣き声だけが木霊する。
「キキキキキ……」
その泣き声は、さっき見た愛くるしいヤマネちゃんと同じ。
でも、今向かい合っているのは、退治しないと僕の大切な人を襲うかもしれない、とても恐ろしい化物なんだ。
僕は心の中で自分にそう言い聞かせた。
そうしないと、可哀相に思ってしまうから。
外道化ヤマネは、別々の枝を何度か飛び移り、襲い掛かるタイミングを計っているように見えた。
僕は眼でその姿を追いながら、【烈風の刃】の祝詞を第二章節まで宣う。
お姉ちゃんに選んでもらった攻撃用の風の属性を持つ神の御業。
「我は創生の神アテイールの寵愛を受け、その力を行使するもの。我が意思は、あらゆるものを切り裂く風の刃……」
第二章節まで宣うと、【理を正すタクト】の先に、緑色の幾何学模様が現れた後、半透明の大きな鎌のような刃が現れる。
僕は頭の中で、それを二十個に別けた。動く敵にしっかり当てられる自信がなかったから。
そうして敵が近づいてきたら、纏めて放てば当たると思ったんだ。
「キキキキキー!」
――大きな泣き声を発した刹那。外道化ヤマネが、同時にお姉ちゃんへと飛び掛る。
「【烈風の刃】!!」
僕はお姉ちゃんの言うとおりに、片方の動きをしっかり見ながら、【烈風の刃】を放った。
僕は眼で追うようにして、別けた十個の刃を誘導する。
既に枝から飛び立った化物は、方向転換することもできずに、正面から【烈風の刃】の餌食となっていった。
一つずつ風の刃が当たるたびに四肢は切り落とされ、どす黒い血を撒き散らす。
その都度に、向かってくる速度は殺されていく。
全ての刃が空中で外道化ヤマネを捉えると、粉々に引き裂かれた残骸が地面に落ちた。
自分のやったこととはいえ、元の姿が分からないほどになった残骸を見ると、目を覆いたくなった。
でも今は戦闘中だって心に言い聞かせて、もう片方の相手をしているはずのお姉ちゃんを見やる。
視線の先では、既に決着が付いていて、地面に横たわる外道化ヤマネにトドメを刺していた。
それを見た僕は、【防壁の風】と【烈風の刃】の効力を解く。
「……アルくん。そんなにしたら、報酬でないよ」
お姉ちゃんは、自分でやっつけた獲物を【神袋】へ仕舞うと溜息を付く。
どうやら少しやりすぎちゃったみたい。
でも、失敗したら怖いし、お姉ちゃんが怪我するよりはいいもの。
だけどやっぱり褒めて欲しかったな。
そう思うとなんとなく心が沈んじゃう。
「でも、流石は《アテイール》様の御業だね。とっても強力。もうちょっと練習して、今度はうまくできるようになろうね」
そう言ったお姉ちゃんは、ニコってしてくれた。
見上げるようにしてお姉ちゃんを見たら、突然辺りが暗くなったんだ。
「「「ギィーーーーー!!」」」
得体の知れない咆哮が聞こえると、みんなで空を見上げる。
「白雪龍……なんでこんなところに居るの?」
お姉ちゃんは呆気に取られるようにそう呟いた。
僕らのことなど眼中にないかの如く、頭上を通り過ぎていく。
大空を飛翔する《白雪龍》は神々しくて、ただ見送ることしかできなかった。
でも、すぐに《白雪龍》の飛んで行った方角は、コスティスの町があることに気づいてしまったんだ。