第1話 ドルダダ村のアル
初投稿です。
よろしくお願いいたします。
一万年の時を遡る。
創生の女神 《アテイール》は、自身の分身とも言える神々を生み出した。
そうして生まれた神々は、まずこの世界を創りだす。
命を持つもの、持たぬもの。全ては神々によって創りだされた。
世界が秩序を持ち始める頃、神々は自身の力を 《神書》に封じた。
神々の偉大なる力は、神の御業として封じた神の名とともに記された。
そして神々は、最後に神と似た姿形をした人間に 《神書》を与える。
神々の寵愛は、生まれたばかりの人の子に限られ、成長した人の子は、表裏にかかわらず、世界の安寧と理の為にその身を捧げた。
大樹が生まれ、やがて朽ちて逝く。それは何度も繰り返される神の理。
そして、大樹は何度も理を守り朽ちていくほどの時が流れた頃、自らが生み出した神の一柱《ロディア》の裏切りに遭う。
神 《ロディア》は、創生の女神《アテイール》の定めた理に反し、禁忌に手を染めてしまった。
そして《アテイール》は《ロディア》に怒り、ついには神の心を奪ってしまう。
これにより、神の心を奪われた元神《ロディア》は、彷徨う者となり、この世界に混沌と恐怖をばら撒く存在となった。
元神《ロディア》が生み出す恐怖が、それとわからなくなるほどに時が流れた頃。
創生の神《アテイール》に寵愛を受けて生まれた少年がいた。
少年は、誰もいない部屋のベッドを上で、創生の神《アテイール》の紋様が表紙に入った本を開く。
“我が名は創生の神アテイール。我の力は、この世の全てを司る。世の安寧と理の為に、我が力を授けよう”
それは最初のページに書かれている創生の神《アテイール》からの祝福の言葉――。
* * *
ここはエルディア帝国の首都から遠く離れた場所。
晴れた日には北の方角に美しい山々が見え、透明度の高い湖の湖畔にある小さなドルダダ村。
特に名産があるわけではないが、自然の恵みである水は、エルディア名水十選に選ばれるほどにおいしいと大評判だ。
名水で造られたエールや料理はおいしいが、辺境の片田舎でしかないドルダダ村に訪れる人は少ない。
パンの原料となる麦や調味料など、生活必需品のほとんどを、西にある町コスティスに頼るしかないような閑村。
そんなドルダダ村に、時折やってくるコスティスからの行商隊は、なんといってもかけがえのない生命線なんだ。
僕の名前はアル。七歳になった。名前は創生の女神様から貰ったって死んじゃった母様は言った。
父様も僕が生まれてすぐに死んじゃったらしい。
僕は兄弟がいないから、ひとりぼっちで寂しい夜を過ごす。
だから今でも死んじゃった母様のことが忘れられない。
きらきらとした金色の髪も、とっても澄んだ碧い瞳も。
いつも寝るときには、おやすみのチュッ。起きたときも、おはようのチュッ。
僕がぐずればやさしく抱きしめてくれて、いいこいいこしてくれた。
そんな母様が原因もわからない病気で死んじゃったのは半年前。
その時には、わんわん泣いちゃったけど、今は、村の人たちに助けられながら、なんとかしてる。
でも父様の想い出は、全然ないんだよね……
「アル! なにぼさっとしてんだい! さっさと注文取っちゃいな!」
「ごめんなさい! ゼナおばさん!」
そう言って僕を窘めたゼナさん。恰幅のいい体に、エプロンを着けた赤毛のおばさんだ。
彼女は、宿屋と食堂が一緒になった《ドルダダのほとり》の女将で、母様が死んでから僕の面倒を見てくれてる人。
カウンターの奥にある厨房では、やれやれと言った感じにゼナおばさんの旦那さんもこちらを見てた。
旦那さんの名前は、バンさん。こちらも恰幅のいい体に、禿げ上がったおでこを隠すように白い帽子を被る。
白い服と前掛けを着けた服に、トレードマークの赤い口髭を生やしたおじさん。
バンおじさんは、料理担当で、おじさんの作る料理はとてもおいしい。
だから、お店は仕事を終えた村のみんなが集まって、十個ある丸テーブルはいつもいっぱいになる。
そんな夫婦には、アリスっていう一人娘がいるのだけど、その子はなにかと僕に意地悪をするんだよね。
彼女は僕よりお姉ちゃんで、二つ年上の九歳。両親と一緒の赤毛で、いつも寝癖をそのままにしたようなくせっ毛と、頬にあるそばかすがある赤い瞳の女の子。
僕はこの《ドルダダのほとり》で、少しのお小遣いとご飯のために働いてるんだ。
怒られた僕は、メモを片手にお客さんのところへ注文を取りに行く。
「お待たせしてごめんなさい。ご注文は何にしますか?」
「俺はエールと鳥のココット焼き」
「こっちもエールと……それと熊肉のジューシーフライな。ソフィアはどうすんだ?」
お客さんは、この村で見たことのない三人組で《ドルダダのほとり》の宿泊客だ。
最初に注文をくれたのは、ツルツル頭の色黒の男の人。とっても大きな身体なのに、ココット焼きだって。
ココット焼きは、鶏肉と野菜を茹でたものを、特性ソースとチーズで焼いたもの。
僕はこのおじさんには、豚の丸焼きのが似合ってるかな、なんて思っちゃった。
もう一人の男の人は、耳にかかるぐらいの長さの金髪で、細めのキザっぽい感じの人。
この人がくれた注文は、まぁ……普通かな。
僕は注文をメモに書いてたから、下を向いてたのだけど、なんとなくソフィアさんと呼ばれた人に視線をうつす。
僕の眼にはいったソフィアさんは、少し長めの空のような青い髪を右手でかきあげながら、メニューを見てた。
真っ直ぐに伸びた青い髪は、とても綺麗でいい匂いがしそう。それに湖の近くにいたら、景色に溶け込んじゃうんじゃないかって思った。
そんなソフィアさんは、僕が見たことに気づいたのか、顔を上げてると自然と眼が合う。
「君、小さいのに字が書けるの?」
「はっはい!……少しだけ……」
「そう。小さいのにすごいね」
次第に小さくなる僕の声に、やさしそうな甘い声だけど、どことなく元気な感じのする人。
ニコリと微笑むソフィアさんは、髪の色と同じ碧い瞳がとても綺麗だから、僕の頬はすぐに熱くなる。
だって、すごくかわいくて綺麗な女の人なんだよ。だから、恥ずかしくて、つい下を向いちゃった。
「おっ、こいつ、いっちょまえに照れてやがるぞ」
「はっはっはー。ガキは家に帰ってママのおっぱいでも飲んでろよ」
「ちょっと! やめなさいよ! この子がかわいそうでしょ?」
キザ男とツルツル男が、そんなことを言うものだから、あまりの恥ずかしさに耳まで熱くなってくる。
ああ、早く注文をもらって戻りたい。
でも、ソフィアさんが僕をかばってくれた。なんとなく、ちょっとうれしい。
「ごめんね。コイツらのことは気にしないでね。私はね……季節の野菜スープと卵と鹿肉のタルタルサンド。それに名水ドルダダでいいわ」
「かしこまりました。少々お待ちください」
ソフィアさんが注文をくれたところで、僕はペコってお辞儀をして、トトトって逃げるようにカウンターの中へ戻る。
すると、カウンターに戻った僕を、アリスが待ち構えていた。
「アルっ! なによ、あんな女の人にデレデレしちゃって」
「ちっ違うよ! デレデレなんてしてないよ!」
「今、あのテーブルの女の人見て、してたじゃないっ!」
「……ちがうもん」
僕を見るアリスの顔は、眉間に皺を寄せながら、頬をふくらませて、未だ火照りの治まらない僕をじっと睨む。
彼女は、すぐ怒るし癇癪をおこすんだよね。
「おーい! こっちも注文たのむ!」
僕を助ける声が聞こえると、カウンターからも逃げるように、バンおじさんに注文を渡して、新しい注文を取りに行った。
* * *
しばらくすると、満員だったお客さんも、宿泊客の三組だけになった。
僕は帰ったお客さんのテーブルを片付けていく。まず食器とテーブルクロスを下げる。テーブルを雑巾で綺麗に拭いてから、替えのテーブルクロスを掛ける。
同じ作業を、繰り返しやって、終わったら洗い物を手伝うんだ。
僕が後片付けをしてる最中も、宿泊客のお客さんたちは、楽しそうに会話をしてるけど、気にしない。
今日の宿泊客は、村に来ている行商に人たちだ。彼らは、僕の知らない町の食べ物や流行の話をすることがあって、そういう時はとても気になる。
この前に話してたのは、女の子の間で長い靴下が流行っているって言ってた。
でも行商のおじさんは、あんな足をほとんど隠してしまう靴下なんて邪道だって怒ってたけど。
僕にはそんなことよくわからない。そういえばソフィアさんも長い靴下はいてる。やっぱり流行ってるんだ。
ふと、キザ男がリリスさんに言いよってるのが聞こえた。彼女はとても嫌がっているけど、僕には関係のないことだ。
早く終わらせないと、アリスがまた怒りだすし……
「聞いたか? 外道の熊が、コスティスに出たらしいぞ。領主様と兵士で追い払ったらしいが、手負いのまま逃げたらしい」
「ああ、ここ最近、あっちこっちで、外道に堕ちた獣が増えてるらしいな。ここらあたりは大丈夫なのか?」
後片付けのテーブルがあと一つになったところで、こんな会話が聞こえてきた。
外道に落ちた獣……人の肉を喰らい味をしめた獣が、時とともに神の御業みたいな力を手に入れたものたちのこと。
神様が決めた理に反した獣や人間は、そうなっちゃうらしい。
僕だってこれぐらいのことは知ってる。
僕が授かった《神書》は、創生の神《アテイール》様の本。《神書》を授かった者は、神の御業というすごい能力を手にすることができる。
そのかわり、外道に堕ちた獣や人間から、人々を守らなくちゃいけないらしい。
でも、僕はまだそんなすごいことなにもできない。
神の御業を授かるときは、《神書》にそのことが書かれていくらしい。
僕の《神書》は、最初のページ以外、何も書かれてないんだもん。本当にそんなすごいことできるようになるのか、正直に言うと信じられない。
母様に聞いても、僕がどんなことができるようになるか、わからないって言われた。
僕が生まれた次の日の朝、光り輝く本が僕の上に現れて、しばらくすると消えたんだって。
それで僕が神の祝福を受けたことがわかったんだけど、そういった赤ん坊が生まれた家では、すごいお祝いをするんだって。
僕のときにお祝いをしてくれたかは、赤ん坊だったし知らないんだ。
それに母様から、僕が《神書》を持っていることは秘密にしなさいって言われてる。
僕の《神書》は珍しいから危ないって言ってた。
だから母様が死んじゃってから、僕が《神書》を持っていることを知ってる人はいないはず……
ただ《神書》を呼び出したいときは「いでよ神書」と言えば現れるし「消えよ神書」って言えば、消えてどっかいっちゃう。
「ドルダダの周辺は、七年前から出たことがないらしいぞ」
「そうなのか? では安心だな」
僕は行商のおじさんに気取られないように、後片付けの手を動かしながら、聞き耳をたてる。
僕が生まれた年ぐらいから、外道に落ちた獣はでなくなった。
ずっと前に、ゼナおばさんが教えてくれたんだけど、赤ん坊の僕を連れた母様がこの村に越してきてから、そういった獣がでなくなったって。
僕はなんとなくその話を聞いていたけど、コスティスは、ここからそれほど離れたとこにあるわけじゃないから不安になっちゃう。
「いいかげんにして! しつこいわよっ!」
「なんだよ。そんな怒ることねぇじゃねぇか」
ガタンッて大きい音がしたと思ったら、ソフィアさんが立ち上がり、キザ男に剣を突きつけた。
キザ男は両手を上げて、抵抗するつもりはないようだけど、その表情は怯えというよりは、人を小馬鹿にしたような顔。
少しの間、睨み合いがつづく。
「ちょっと! お客さん! ここで暴れるのは困るよ!」
見かねたゼナおばさんが、二人に声をかけた。
聞かないようにしてたけど、ずっとあのキザ男がソフィアさんにいろいろ言ってた。
いいだろ? とか、俺の部屋にこいよ。とか……
僕にはなんのことか、さっぱりわからないけど、きっとソフィアさんが嫌がることなのはわかる。
「…………」
ソフィアさんは、ゼナおばさんを少し見てから、剣を鞘にしまうと、そのまま階段を登って部屋に戻っていった。
* * *
次の日。
行商の人たちは、いつも大体二泊ぐらいして町に戻っていく。
たぶん明日には帰っちゃうと思う。
一ヶ月に一回ぐらいのペースで、品物を持ってきてくれるんだけど、来た日には大体売れてなくなっちゃう。
それで、品物がなくなったら、ドルダダの名水とエールを積んで帰っていく。
ソフィアさんたちは、行商の人たちの護衛なんだって。行商のおじさんが言ってた。
明日にはソフィアさんも帰っちゃうと思うと少しさみしい。
僕はお昼前に《ドルダダのほとり》へ行く。
お昼時になると、食堂にお客さんが来るからね。
お昼の忙しい時間が終わったら、ご飯食べさせてもらって、客室の掃除したりと忙しい。
僕は一生懸命にお仕事するんだけど、アリスがちょくちょく意地悪を言いにくるから、なかなか進まないんだ。
「アル! 二〇二号室がきれいになってないじゃない!」
まだ二〇一号室の片付けしてるのに、先にそっちをやれと言う。
それで二〇二号室の片づけを始めたら、今度は違う部屋が終わってないって言うんだ。
言い返すと、使用人の分際でとか癇癪おこすから、言い返せない。
毎日そんなやりとりが終わると、すぐに夕食の時間になっちゃう。
今日も、日が暮れてきて辺りが薄暗くなってきた。
そして僕の人生を大きく変える事件が起きたんだ。
「大変だー!」
村のおじさんが、大声をあげながら慌てて食堂に入ってきた。
その声に部屋で休んでいたソフィアさんたちも、食堂に集まってきた。
食堂は、夕食の仕込の最中で、すでにおいしそうな匂いが立ち込めている。
「どうしたんだい? そんなに慌てて。みっともないよ」
「わあ、いいにおい。今日の夕食が楽しみね」
ソフィアさんは食堂に入るとまずそんなことを言った。
そういえば、女の人はおいしい食べ物に弱いんだって、母様が言ってた。
だけどすぐに、そんな悠長なことを言ってられなくなる。
「村はずれに、外道の獣が現れた! もうすぐこっちにやってくるぞ!」
「…………」
その言葉に一同は息を呑んだ。
昨夜に行商のおじさんが言ってた外道の熊のことなのかな?
僕はまだ何もできないから、みんなを守れないよ。どうすればいいの?
ここ何年もそんな獣がでたことがない小さな村に、兵士はいない。
ましてや、神の御業を使える神道騎士様や、神道術師様もいるわけがない。
僕の胸は、次第に怖い気持ちでいっぱいになる。
「その外道の獣は、どっちからくるの?」
そう言ったソフィアさんは、真剣な表情で腰に掛けている剣の柄を握る。
食堂に居る人たちは、そんなソフィアさんを見た。
「おいおい、まさかお前、相手にするんじゃないだろうな?」
心配そうな顔をしたキザ男が、ソフィアさんに言った。
ツルツル頭の人もあまり係わりたくなさそう。
僕は会話をする大人たちを、あっち向いたりこっち向いたりしながら聞いていた。
「なに言ってるのよ。この村に私たちぐらいしか、戦えそうな人いないじゃない。貴方たちがやらなくても、私はやるよ」
そう言って《ドルダダのほとり》を出て行くソフィアさん。
颯爽と出て行った彼女の後ろ姿は、すごく格好よかった。
「ちょっとアル! あんたどこいくの?」
アリスのそんな声が聞こえたけど、僕はつられるようにソフィアさんの跡を追った。