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ユーピアの薬師

 うまい話には裏がある。これは世の中の真理だと思う。

 たとえば、うまい儲け話。そんなものが本当にあるなら他人に教えず独占するだろう。

 教える時点で、そんなものはない。あるいは裏があるというという証左に他ならない。

 私が異世界で最初に会った人に、客観的に見て信じられない厚遇をもって迎えられたこともそうだ。

 私はよく考えるべきだったのだ。執拗なまでの偏執的とも言える程の徹底的な修行の意味を。

 教えられる歴史や文化、宗教に至るまで広範囲に教え込まれた理由を。

 それはけして哀れみや興味からくるものではない。ましてや、愛情などでは断じてありえない。

 そんな生温いものでは、百年に及ぶ手間暇は説明できない。

 私は理解するべきだったのだ。それは私の為ではないということを……。

 まあ、結局何が言いたいのかというと、愛する人と結ばれたからといって、そこで末永く幸せに暮らしました……めでたしめでたしなんて展開にはならなかったということだ。

 私の異世界物語は、最愛の人との別離からはじまったのだ。




 私は今、ヴェルデイア王国にあるユーピアという村に薬師として滞在している。いや、滞在期間がすでに半年を超えている時点で、最早住んでいるというべきだろう。王都ヴェルディアナを目指す為のただの通過地点に過ぎなかったこの村になぜ私が住むことになったのか、少しばかりその因果について語ろう。


 村とは大概余所者に対し排除的で閉鎖的なものだが、このユーピア村もその例にもれない。私のような旅人へのチェックも凄まじく厳重であった。なにせ、盗賊の類が街道であってもでる可能性があるし、それ以上に私達の世界にいる野生の獣などとは比較にならない『魔獣』という脅威が普通に存在する世界なのだ。この世界で、私のように一人旅をするということは、それらの脅威をどうにかできる力を持つことに他ならない。要するに危険物を招き入れかねないわけだから、無理もない話ではある。

 しかし、予め師匠と相談して薬売りとしての外形を整えていた私に隙はない。私の荷物はあっさりと厳重なチェックを通過した。私自身の危険性についても、魔獣が嫌う香をつけていたことを話し、賊には目潰しや麻痺毒等を用いたことを話して、戦闘力は低いと誤解させることに成功した。

 まあ、八割方嘘であるが、好んで戦いたいわけじゃないし、いらぬ厄介事もごめんであるから、この程度の偽装は許して欲しい。


 さて、そんな厳重なチェックを受けつつも、私は商人用の宿で一泊した。もし、私が多少無理をしてでも、強行軍で王都に向かっていれば何の問題もなかったのだが……。

 だが、現実は私に優しくなかった。翌日になり、宿から出ようとした私のところに息せき切って、私の厳重チェックを担当した門番の男が訪れたことにより 事態は急変する。この村唯一の薬師である老婆が病で倒れたのである。


 ユーピア村のような辺境にある村にとって、薬師は生命線だ。というか、むしろいる事自体が珍しい。なにせ、薬師は基本的に一子相伝であり、そうでなくとも一門の秘伝とされ希少だ。故にほとんどの薬師は王都をはじめ都市部に集中している。呼ぼうにも遠すぎるし、不便な辺境に好き好んで住もうという奇特な者もいない。それならばと薬を買おうにも、決まった時期にしか隊商は来ない上に、運賃を加算され高額になりがちである。行商人は不定期な上に、品揃えは不確かだし、たとえあったとしても品質が悪かったりするなど信用できない。そうなると、後は自前で用意するしかないわけである。

 だが、薬は生命に関わるものである。素人の生兵法程危険なものはない。その為、先々代の村長は高い金を払って、ある事情から食うにも困っていた薬師の親子を雇ったそうだ。親子は定住の場を得た恩を忘れずに村に尽くしたそうだから、大した先見の明であると言えよう。


 親が死んだ後も子がその役割を継ぎ、二代にわたって村を献身的に支えてきたそうだ。子の方である老婆は、元々体が弱かったそうだが、それを押して老齢に至るまで身を粉にして働いてきたと言うのだから恐れ入る。とはいえ、流石に無理が祟ったのだろう。子の方である老婆もとうとう病に倒れてしまったのだ。この凶報に老婆に頼りきりだった村人達は慌てているというわけだ。で、おりよくこの村に滞在していた私に一縷の望みをかけているというわけだ。


 「事情はわかりました。診察する事自体は構いませんが、回復するかは保障できませんし、責任もとれません。すでに手遅れである可能性もゼロではありませんからね」


 何もしていないのに、責任を取らせられたらたまらないし、こういうことは、あらかじめはっきり言っておくに限る。


 「ああ、それでいい。俺達には何がどうしたらいいのかわからねえんだ。少しでも婆さんが楽になるなら、それで構わねえから頼む!」


 私の冷酷ともいえる言葉に反発することもなく、頭を下げて懇願する門番の男。どうやら、彼は薬師の老婆に少なからぬ恩義があるようだ。まあ、ここまでされては無碍にも出来まい。


 「いいでしょう。患者のところに案内して下さい」


 「本当か!ありがてえ!早速で悪いが、ついて来てくれ。婆さんのとこに案内する」


 私は男の頼みを承諾することにした。というか、周りの村人達の視線が痛すぎて、実際には断れる状況にないといった方がいいだろう。それを知ってか知らずか、男は満面の笑みで頷くと、私を先導するように歩き出した。いや、絶対にはめられた。頼みごとをするにしては不自然なほどに声が大きかったし、宿の外には異常なほどに人がいたからだ。


 「悪いな、無理やりで」


 内心ではめられたことに歯噛みしていたら、先導する男に謝られてしまった。


 「はあ、やっぱりですか……」


 「ああ、やっぱわかっちまったか?」


 「ええ、色々不自然な点がありましたからね。今回限りにして下さいね」


 「ああ、分かってるよ。すまねえな、どうしても婆さんをみて欲しくてよ」


 ばつの悪い表情で頭を掻きながら男は詫びる。一応悪いことをしたと思ってはいるようだ。


 「それほどまでに必死になるとは、患者は貴方の恩人か何かですか?」


 「恩人というなら、この村に住む者の全ての恩人さ。俺だけでなく、相棒も村長だってそうさ」

 

 男は、いかに老婆が村の為に尽くしてきたかを語る。小さい村であるからこそかもしれないが、私はそこに現代日本では失われてしまって久しい隣人のつながりを感じた。


 「ふむ、なるほど凄い方なんですね……。一つ疑問があるんですがいいですか?」


 「なんだ?俺に答えられることならなんでも聞いてくれ」


 「後継者はおられないのですか?それ程の方なら後進の育成を怠るとは思えないのですが……」


 老婆の人となりから私の感じた疑問は、男にとって地雷だったらしい。たちまちに表情を硬くした。


 「……いたにはいた。村長の息子がな。だが、あの野郎は!」


 吐き捨てるように言い、憤懣やるかたないと言わんばかりに歩調が荒くなり、足音が不自然に大きくなる。


 「まさか逃げたんですか?」


 「いや、もっと性質がわりい。ある程度、婆さんのもとで学んだ後に、あの野郎は王都で最新の薬学を学んで来ると言って、村中から金を集めたのさ」


 「それ自体は真っ当だと思いますが?」


 「ああ、俺も、いや村の誰もがそう思ったさ。あいつなら、王都で学んだ薬師としての技を将来村の役にたててくれるだろうとな」


 「でも、違ったということですか?」


 「そうだ!あろうことか、あの糞野郎は王都につくなり、村の皆の金を持って行方をくらませやがったんだ!そうして、8年たった今も生きているのかさえわからねえ!」


 「そうですか……。悪いことを聞きました。許してください」


 「いや、あんたが悪いわけじゃないさ。まあ、悪いと思ってくれんなら、無理やり連れだしたのとお相子ってことで頼むわ」


 「ちゃっかりしてますね、いいでしょう。では、今回のことは不問にするということで」


 あれだけ怒りを露わにしていたのに、なんともちゃっかりしていることだ。余所者に対してやけに口が軽いと思ったら、これが狙いだったのだろう。私は呆れるよりもその逞しさに感心すら覚え、苦笑する。今回はのってやることにしよう。どの道、己の腕を一度試してみたかったのだから。


 「お、ついた。この家がそうだ」


 そう言って、男が足を止めたのは、村の端のぼろい一軒家であった。村の恩人たる老婆をこんなところにと思わず眉を寄せてしまう。しかし、それは的外れなだったらしく、男が慌てて老婆が病にかかったらしい一年程前に、老婆自身の希望で村の中心部から移ったことを聞かされた。


 「ふむ、周りに感染することを恐れて?何か症状はありましたか?」


 「うーん、詳しいことはわからねえが、よく咳をしていた気がするな……」


 「咳ですか……。これをつけてください」


 私は腰につけた袋状の魔道具から、自作したマスクを男に差出す。


 「なんんだこれ?」


 不思議そうな表情で手渡されたマスクを見つめる男。


 「マスクです。わざわざこの場所に移ったこと、咳をしていたことから、空気感染の可能性を捨て切れません。その予防です。うつってもいいというならつけなくても構いません。ちなみにこうつけます」


 「お、おう。こうか?」


 病がうつるという脅しが効いたのだろう。男はおっかなびっくり見様見真似でマスクをつけた。


 「結構です。では行きましょうか」


 「婆さん、クラウドだ。旅の薬師を連れてきた、入るぞ」


 マスク越しのくぐもった声を聞きながら、今更ながらに門番の男の名前を知る私であった。



 

 さて、診察の過程は長くなるので省くが、結論から言えば老婆は手遅れであった。病名は結核。日本では労咳とも呼ばれた長らく不治の病とされた難病である。医学の発達が遅れているこちらでも、当然の如く難病である。

 しかし、科学が発達していないこの世界には魔法という反則技があるのだ。高度な治癒魔法は、軽度あるいは初期症状にある傷病なら、どんなものでもたちどころに癒してしまうし、魔法薬をも併せて用いれば、時間はかかるがかなり重篤なレベルでも癒すことが出来てしまうのだ。外科手術必須の癌でも治せてしまうあたり、その万能ぶりは理解していただけるだろう。師匠からそれを聞かされたとき、はっきりいって、薬師いらないんじゃと私が思ったのも無理からぬことだろう。

 だが、何事にも限界と言うものが存在する。魔法に頼り切れば、素の体の抵抗を弱めてしまい、将来さらなる病を引き起こす可能性がでてくるし、いわゆる末期といわれる段階になってしまえば、魔法薬を用いたとしても治療することはできない。そして、それ以前に患者の体力が落ちきってしまえば、如何に魔法を用いても効果はない。魔法は患者自身の持つマナに干渉することで傷病を癒すのだが、その為のマナが相応に必要なのである。長期にわたり傷病を患っている者は、必然的に体力が落ちるし、マナも弱まっていく為に、加速度的に魔法の効果が薄くなっていくからだ。

 要するに、魔法にも厳然たる副作用と限界が存在するわけである。


 「残念ですが、手遅れです。手の施しようがない。……私に出来るのは貴女の最期を安らかにする努力だけしかありません」


 「なっ、お前!」


 薄々分かっていても、実際に目の前で断定されると話は別なのだろう。クラウドは激昂し、今にも飛びかかってきそうである。頭で理解はできても、感情は納得できないというわけだ。


 「おやめ!お前は黙っておいで!」


 私に詰め寄ろうとしたクラウドを、己の死を断定された当の本人である老婆がそれを押しとどめた。


 「婆さん、だが?!」


 「この方の診察に間違いはないよ。あたし自身理解していたことだし、お前だって薄々分かっていただろう?」


 「それは……」


 「あたしの為に怒ってくれるのは嬉しいけどね。ただ、事実を話しただけのこの方にそれをぶつけるのは、筋が違うだろ。あんたのそれは八つ当たり以外のなにものでもないよ」


 末期といっていい病状にありながらも、老婆の声は意外なほどにしっかりとしていた。眼光も鋭く、とても後一月の命もない者には見えない。だが、一方で私にははっきりと分かってしまう。彼女のそれが虚勢であることが。この世界において、マナは何よりも雄弁にその本質を語る。彼女のマナは風前の灯だ。今にも燃え尽きんとしている蝋燭なのだ。彼女はクラウドに心配をかけまいと気力を振り絞って、外面を取り繕っているのだ。


 「婆さん、俺はただ……」


 「お黙り!これ以上みっともないことを見せるんじゃないよ。邪魔だから、あんたは出ていきな。いたところで何の役にも立たないんだからね」


 「……分かった。八つ当たりして、すまなかった。お前はあらかじめことわっていたというのにな」


 クラウドは項垂れつつも、私に対して頭を下げる。その表情は酷いものだ。何というか力がない。しかし、こういってはなんだが、老婆の言葉は真実だ。これ以上、彼に出来ることは何もないのだから。むしろ、本当に老婆のことを考えるなら、一刻も早く退出してもらうべきであろう。クラウドがいる限り、老婆は外見を取り繕うのをやめないであろうから……。


 「いえ、御気になさらず。頭では理解しても、感情が納得できるかは別の話ですから」


 感情とは意のままにはならない厄介なものであるから、これくらいは許容範囲である。


 「すまねえ、恩に着る」


 私の言葉にもう一度深々と頭を下げるクラウド。その殊勝な様子に老婆への確かな想いを感じ、なんとも心が痛む。


 「申し訳ありませんが、退出願います。私なりに出来る限りのことをさせてもらうつもりです。二次感染の可能性もゼロではありませんし、薬師としての秘伝もありますから」


 「そうか、分かった。婆さんを頼むわ」


 そんな顔をするな。私が何か悪いことをした気分になるではないか。クラウドの傷ついたような表情に私が心中でぼやいていると、意外なところから声が上がった。


 「クラウド、あんた村長を呼んできておくれ。今後のことについて、話しておくことがあるんでね。あんたは来るんじゃないよ。村長にも一人で来るように伝えな」


 これ以上クラウドと話すことはないとばかりにだんまりを決め込んでいた老婆だった。さっきとはうってかわって、穏やかな感があった。


 「わ、分かった。すぐに呼んでくる」


 不吉なものを感じたのか、慌てた様子で出て行くクラウド。そうして、扉が閉まるのを見届け、老婆は糸が切れたように床に倒れ伏した。


 「ふふふ、情けないねえ。もう、起きているのも一苦労だよ」


 その声は多分に自嘲が含まれていた。


 「いえ、ご立派でした。よくあそこまで保たれましね」


 「その言いよう、あんた分かってたんだね。それで……、あたしの体はあとどれくらいもつ?」


 「もって7日……恐らくは2,3日中には」


 「そうかい……。ふふふ、情けないもんだね。いざその時が来るとなると、途端に臆病になっちまう。これでも長生きしすぎたくらいなのにさ」


 「死は誰にも訪れる絶対の終わりです。怖くて当然ですよ」


 死ぬのは怖い。それは生きとし生ける者にとって、共通する絶対のものだ。それを恐れることを私は臆病とは思わない。


 「そうか、それもそうだね。まあ、ここには赤の他人同然のあんたしかいないんだ。泣き言ぐらいかまわないかね……。ああ、そうだ。すまないが、手を見せてくれないかい?」


 「構いませんが……?」


 意図が身分からないがらも、老婆に見えるように手を伸ばすと、彼女はまじまじと見つめてきた。その視線の強さたるや、穴が開くかと思う程だ。その執拗とまで言える観察ぶりに、居心地悪いものを感じ始めた時だった。クラウドから伝言を受けたであろう村長が、息せき切って飛び込んできたのは。


 「母さん!」


 村長はその顔を蒼白にしている。どうやら、クラウドがいらぬ気遣いをしたようだ。恐らく、今にも危ないみたいなことを聞かされたのだろう。あまりの慌てようにいらぬ事を暴露しているの気づいていない。


 「この馬鹿息子!そんなに慌てなくても、早々ポックリ逝ったりしないよ。そんなんことより、いらないことばらしちまって……」


 呆れた様子で深々と溜息を吐く老婆。なるほど、今の言動を察するに老婆と村長には親子関係があるのだろう。齢40程度に見えるから、老婆の年齢及び村へ来た経緯を考えれば、なんらおかしいことではない。というか、むしろ無関係の方がおかしい。

 しかし、これで私の「村長の息子が行方をくらましてから、なぜ新に後進の育成を行わなかったか」という疑問は解消した。薬師の後継者の育成は村の存続の為の生命線であり、村長としては当然に最優先で進める事柄の一つだ。また、老婆にとしても自身の技術の継承という意味で、絶対にやらねばならないことでもある。故に、当然両者は村長の息子の代わりを育てねばならなかったわけだが、そうしなかった理由の答がこの二人の親子関係にあるのだろう。

 村長が老婆の息子であるなら、村長の息子は当然老婆の孫なのだ。結局のところ、息子あるいは孫が戻ってきてくれるという希望を捨てきれなかったのだ。要するに、情に流されて己の義務を怠ったのだ。


 「なるほど、そういうことですか……。道理で」


 「わしのの口が滑ったとはいえ、一応これは村の秘事でな。すまぬが、これ以上の詮索は遠慮願いたい」


 「ええ、構いませんよ。元々王都に行くまでの道すがらで寄っただけですから、この村のことなど早々に忘れてしまいますよ」


 口止めしてくる村長に対し、私は素直に頷いた。ここでごねたところで意味などないし、辺境村の血縁関係など知ったところで何の利益にもならないからだ。

 

 「それじゃあ、困るね。あんたにはこの村に留まって欲しいんだからね」


 だが、意外にも老婆がそれを否定し、とんでもないことを言い出したのだ。


 「心配しなくとも、ばらすつもりなど露ほどもありませんよ?」


  

 「あたしだって、あんたが喋るなんて考えちゃいないさ。そういうことじゃないんだよ。あたしはあんたに私の後を継いで、この村の薬師になって欲しいんだよ」


 予想だにしない申し出に、さしもの私は一瞬思考停止に陥る。それでもどうにか言葉を紡ぐ。


 「……どこの馬の骨とも分からない者に村を任せるおつもりですか?」

 

 「その通りだ。何を言い出すんだ?!」


 慌てた様子で私に追従する村長。どうも、私に留まって欲しくない理由がありそうだ。


 「お前は黙っておいで、馬鹿息子!あたしはこの方と話してるんだ。

 あんたの腕は確かだ。それはあたしが保証しよう。念のため、手を見せてもらったが、あんたの手は紛う事なき熟練の薬師の手だ。あたしに勝るとも劣らない……いや、あんたの方が上だろうね。

 あんたももう聞いているだろうけど、あたしには後継者がいない。正確にはいたけど、この馬鹿息子のせいで逃げられちまった。とはいえ、それから後進を育てようとしなかったあたしも同罪だがね……。

 だけど、この期に及んでは躊躇していられないんだ。この村のような辺境の小村にとって、薬師の存在は死活問題だからね。あんたのような腕のいい薬師を得る千載一遇のチャンスを逃すわけにはいかないんだよ」


 「母さん、あいつが戻ってくれる可能性だってないわけじゃ!」


 「それはいつだい?大体、この期に及んで戻ってこないような大馬鹿者を、あたしは後継者として認めるつもりはないね!それにあたしが死んだら、あの馬鹿孫が戻ってくるまでの間、誰が村の面倒をみるんだい?あんたも村長なら、我が子可愛さで判断を誤らせるんじゃないよ!あんたの仕事は、我が子の帰ってくる場所を用意してやることじゃない!村を護ることだ!」


 「そ、それは……」


 我が子の居場所をという必死の抗弁だったのだろうが、どう考えても老婆に分がある。村長のそれはわがままでしかないだろう。

 とはいえ、己の進路を勝手に決められてはたまらない。私は口を挟むことにした。


 「お待ち下さい。勝手に話をすすめないで頂きたい。私はこの村に残ることを了承した覚えはありませんよ」


 「悪いね、別にあんたの意思を無視しようてわけじゃないし、当然それなりの報酬も考えてるさ」


 老婆はすまなさそうに頭を下げると、意外な言葉を口にした。報酬?この辺境の小村に払えるようなものがあるのだろうか?私は受ける受けないは別として、報酬の内容に興味が湧いたのだった。


 「報酬ですか?内容を伺っても?」


 「ああ、もちろんさ。まず、やれるのはあたしが受け継ぎ、継ぎ足してきた成果である秘伝。そして、何よりも重要なこの国での薬師としての営業権さ」


 「なっ、母さん!それは?!」 


 「お前は黙っておいで!これは私の持つ権利と財産だ。あんたのもんじゃないし、村のものでもない。あたしがどうしようと、あたしの自由だ!」 


 村長は驚愕も露わに、老婆をとめようとするが、老婆は容赦なくそれを切り捨てる。その様子を見ながら、私は心が揺れるのを自覚していた。老婆の受け継いできた秘伝にも興味があるが、それ以上に魅力的なのは薬師としての営業権だ(本来、一身専属的な権利であり、世襲や継承は予定されていないものだが、それを厳密に適用すると辺境等では困ったことになる為、例外的に認められている)。これは国から認められた薬師という証明であり、国内で公に薬を売り出すことを認められた権利を得るということだ。得ようとしても、早々に得られるものではない。薬師としての技量・知識はもちろんのこと、それこそ国家に対して相応の功績を立てることが必要とされるのである。それに戸籍どころか何の身よりもない私にとって、公に認められた身分を得ることが出来るのは何よりも大きいことであったからだ。


 「正直、大変魅力的な報酬であるといわざるをえませんね。ですが、私にも目的があります。いつまでも、この村に留まるわけにはいかないのです」


 いかに魅力的な報酬だとはいえ、この村に永住させられるのは御免である。私には私の目的があるし、師匠より申し付かった役目もあるのだから。


 「なに、あんたにこの村に骨を埋めろなんて、虫のいいことは言わないさ。10年、いや5年でいい。その間、あたしのくたばった後のこの村を頼みたいんだよ」


 「ふむ、5年ですか?その後のことは?」


 「心配しなくても、あんたに責任を取れとは言わないし、営業権を返せとは言わないさ。なんなら、王都の知り合いの薬師への紹介状もつけてやってもいい。その後のことは、そこの馬鹿息子がどうにかすることさ。猶予期間はやるんだ。それ以上は、あたしの知ったことじゃないね」


 「なるほど、それならば一考に価する提案ですね」 


 老婆の言葉に顔を赤く染めたり、蒼白にしたりと百面相に忙しい村長を尻目に、私は老婆の提案を吟味していた。

 何の縁故もない私が、いきなり王都で薬師をやろうとしても、爪弾きにされる可能性は少なくない。なにせ、身元も証明できるものがなく怪しいし、師匠の名も容易に明かせるものではないのだから。それを考えれば、この村で一旦薬師として経験と実績を積むというのは、いきなり王都で活動するよりも、余程現実的に思えた。それにこの提案を受ければ、もれなくついてくる身分証明書に紹介状という名の王都での縁故、これは無視できない要素である。そして、何よりも私に効いたのは、老婆の真摯な目だ。ただひたすらに、己の死後の村を思う気持が、否応なく伝わってくるのだ。利とかそれ以前に、情の面で多大に訴えかけられていたのだ。しかも、老婆は老獪にも、私が利の面でも折り合いをつけられるだけの条件をだしてきたのだ。これで、断れるという人がいたら、見てみたいものである。


 「あんたには悪いが、返事は今ここでしてもらいたい。先延ばしにして、馬鹿息子が馬鹿なことを考え付かないとも限らないしね。何よりあたしの体はもう限界なんだろう?」


 即断即決を迫る老婆。そのマナの輝きは、死に瀕しているからこそからこそものなのだろうか。いや、生命の輝きそのものなのだろう。私には、どこまでも尊く美しく感じられ、気づけば意思は固まっていた。


 「お引き受けします。貴女の死後5年、この村の為に全力を尽くしましょう。そのかわり、報酬はよろしくお願いしますよ。紹介状もお願いします」


 「ああ、もちろんさ。きっちり用意してやるよ。後のことは任したよ」


 「任されましょう。ごゆっくりお休み下さい」


 「ああ、よかった……。肩の荷が下りたよ。これで安心してくたばれるってもんさ。

 ほら、馬鹿息子。あんたはいつまで百面相してるつもりだい!あんたも分かったね。あたしの後のことはこの方に任した。その後は、あんたがどうにかするんだ!いいね?」


 安心したようにゆっくりと目を瞑り脱力する老婆。まさに重い荷を降ろしたように見える。一方で、村長に言うべきことは言い、釘をさすのを忘れないあたり、老婆の女傑ぷりには恐れ入る。彼女の全盛期はさぞや美しかっただろう、その頃に会ってみたかったと私は思った。


 「わかった、わかったよ、母さん」 


 不承不承ながらも、頷いて承知する村長を尻目に、私は老婆の為の薬を調合すべく病室を後にしたのだった。





 まあ、そんなわけで老婆が眠るにように逝って後かれこれ半年ばかり、ユーピア村で薬師をやっている。最初は、余所者という感じが強く村人たちは余所余所しかったが、それにもめげず真面目に薬師としての仕事をこなす内に、徐々に信頼を得て、村を歩けば誰かしか声をかけてくれるようになっていた。今では、子供達が私が戯れに話した元の世界のお伽話などを聞きに来る程だから、村の一員として受け入れられつつあると多少自惚れてもいいだろう。なぜならそれは、子供達が私のところに来ることを親達がゆるしていることにほかならないのだから。


 だが、好事魔多し、うまい話には裏があるということを忘れるべきではなかったのだろう。ユーピア村での私の平穏を脅かす者が現れたのはそんな時であった。


 秋も深まり、そろそろ農作物の収穫という時期のよく晴れた日であった。私は、研究の間の休憩時間に、子供達にねだられて『桃太郎』をこの世界ふうにアレンジして話していた。ちょうど、話しおえたところで、ノックの音が耳に届く。


 「来客か?すまないが今日はここまでだ。また明日来なさい」


 「えー」「もっとー」とか不満をもらす子供達だが、私がそれに応じないのはこれまでに学習済みだ。渋々ながらも、家をでていく子供達。その開け放たれたドアからは3人の成人男性の姿が見える。2人は見知った顔で、村長とクラウドだ。とはいえ、その表情は対照的だ。片や満面の笑、片や苦虫を噛み潰したように憮然としている。おやと思うが、どうやらその答は二人の背後にいる見覚えのない優男が知っているのだろうとは、なんとなくうかがい知れた。


 「村長にクラウド、一緒にとは珍しいですね。何用ですか?恐らく後ろにいる方の話だと思いますが」


 「うむ、察しが良くて助かる。すまんが中にいれてくれんか。ちと長い話になるのでな」


 「わかりました。どうぞ、中へ」


 まあ、断る理由もなかったので、素直に中へと促す。満足そうに頷く村長を尻目に、クラウドの機嫌はどんどん悪くなっている。私の了承時に舌打ちが聞こえた程だ。


 「失礼しますよ」


 当然のごとくといった感じで我が物顔で入ってくる見知らぬ男。入るなり家の中を見回すなど、あまり気分は良くない。


 「どうぞ」


 客である3人に特別にしつらえたソファをすすめ、私は向きあうように木製の椅子に座った。優男は座り心地に驚いているようだが、他の二人は慣れたものである。腰掛けるなり、村長は身を乗り出すように話し始めた。


 「まずは紹介しよう。私の息子で、メイリスという。こちらはこれまで薬師をやってくれていたフェルティナード君だ」


 金髪で整った顔をした優男が、私に一礼をする。なんというか、いけ好かない男だ。私を蔑むような目が気に入らない。村長の過去形の言い方もなんともひっかかる。


 「村長の息子?というとあの村の金を持ち逃げした?」


 なので、言ってほしくないであろうことを真っ先に突いてやることにした。無礼な相手には、相応の対応をするのが私のやり方である。


 「そ、それは行き違いがあって…「そう、その通りだ。村の金を持ち逃げ出した糞野郎だ!王都で散々遊びくらした挙句、今更村に来て何様のつもりなんだろうな!」……」


 優越感に満ちた顔を一変させて、慌てて弁解すべく口を開いた優男改めメイリスだったが、それまでむっつりと黙り込んでいたクラウドの怒りの声に黙らざるをえない。なるほど、メイリスにも言い分はあるようだが、村人達の認識はクラウドのものが正しいのだろう。村長が顔をひきつらせていることからも明らかだ。


 「ふむ……。では、その逃げ出したメイリスさんが何用でしょうか?」


 「僕は逃げ出したんじゃない!」


 かつてからの村人であるクラウドならともかく、彼にとって外来の余所者でしかない私に言われるのは我慢ならなかったのだろう。メイリスは叫ぶように言った。


 「おや、おかしな話ですね。先代からも、クラウドをはじめとした村人達からも、逃げたとうかがっておりますが?」


 「違う!僕は逃げたんじゃない!僕は……」


 メイリスは必死の表情で私の言葉を否定し、そこからはぐだぐだと言い訳及び今まで何をしていたのかを語った。長ったらしい上に、無駄が多いので、八割方省いて要略すると、メイリスは王都に着くなり、その美しさと賑わいに魅せられてしまい、同乗させてもらった商人の忠告も聞かずに村の金で気の向くまま遊び歩いたそうだ。そして、金が尽きたところで、自分が何をしたのか気づいたそうだ。

 しかも、宿代はおろか薬師の一門に入るための持参金すら使ってしまっていたのだ。村に帰ろうにも、どの面下げて帰れるのか。進退窮まったメイリスには、唯一残された紹介状を持って薬師の一門の門を叩くことしかできなかった。持参金なしのメイリスなど、本来入門を認められるはずがなかったのだが、彼の祖母である老婆の名が効き、奇跡的に入門を許されたらしい。それから、彼は心を入れ替えて、一人前の薬師となるべく努力してきたらしい。持参金なしの入門ゆえ、周りの風当たりや待遇はよくなかったそうだが、それにもめげず真面目に取り組み、ついには一門の薬師として一人前と認められ、免状を与えられるに至ったらしい。 


 「その証がこれだ!」


 誇らしげに免状を机に広げてみせるメイリスとそれを誇らしげに見つめる村長。だが、クラウドの表情は険しいままだし、私には滑稽にしか見えない。


 「それがどうしたんですか?」


 「えっ?だから、僕が一人前の薬師である証拠をだな……」


 私の問に困惑して、繰り返すように免状をさすメイリス。ああ、駄目だ。何も分かっていない。


 「そんなものに何も意味は無いんですよ。結局のところ、貴方が最初に逃げたのには変わりはなく、村の金を使い込ん事実も消えるわけではない」


 なるほど、薬師として一人前になったのは賞賛しよう。だが、それでメイリスの罪が帳消しになるわけではないのだ。


 「僕は!心を入れ替えて、村のために!」


 「分からない人ですね。そんなことは村人達にとって何の意味もないですよ。彼らからすれば、貴方がすべきことは持ち逃げした金を返し、誠心誠意謝罪する事だったんですよ。先代のおかげで奇跡的に入門を許されたからといって、逃げ出した身の上で村の為に一人前になりましたといっても、それは貴方の自己満足でしかありませんよ」


 「そ、そんな?!」


 メイリスの悲鳴のような声を、クラウドの断罪の声が断ち切る。


 「その通りだ!テメエは今更戻ってきて、何様のつもりだ?!この村にテメエの居場所なんてねえんだよ!」


 「クラウド兄、違うんだ。僕は、僕は……!」


 「クラウドの反応こそが、今の貴方の村人からの評価なんですよ。お分かりですか?

 で、村長、私に何のお話ですか?」


 頭を抱えうわ言のように言葉を繰り返すメイリスに見切りをつけ、私は村長に本題を問う。まあ、この状態で切り出せる程、厚顔ではないだろうし、現状を理解できない馬鹿ではないだろうが。


 「いや、失礼した。息子の紹介に来ただけだ。すまんな、邪魔をして。身内の恥を晒したようですまん。息子もあの有様だし、御暇させてもらう」


 蒼白な表情ながらも、辿々しく震えた声で言葉を紡ぐ村長。やはり、嫌というほど現状を理解したようだ。まあ、村長は情に流されやすくそれに目が眩むことはあっても、それなりに有能だ。ここで、村の薬師としての座を明け渡せなどと言ったらどうなるか想像がついたのだろう。


 「そうですか。お帰りはあちらです」


 平然とそう返してやると、村長はうずくまったメイリスを立たせ、出て行ったが、クラウドは帰ろうとせず、痛烈にメイリスと村長を皮肉った。


 「あのクソガキはいつまでたっても、親頼りかよ!あれで一人前とか笑わせてくれるぜ!大体、テメエが持ち逃げした金を補填したのは誰だと思ってるんだ?!村長も、村長だ!いつまで甘やかしてれば気が済むんだよ!」


 結局、クラウドの文句と愚痴はとどまることを知らず、彼が非番だったこともあり、結局一日中聞かされる羽目になったのだった。まったくとんだ厄日だ。


 


袋状の魔道具(汝のものは妾のもの)

師匠との合作魔道具。空間魔法を応用した傑作。

時間の流れから隔絶された特殊な空間をつくり、その空間にありとあらゆる物を収納する。但し、生物を入れることはできない。師匠と私自身のみが取りだすことができる。これを利用して禁域外の物及び研究成果を送るように言われている。

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