中編
影の前に立つ大男――ウランフ・オフレッサーは、肉眼では捉えられない殺意の奔流を敏感に感じ取り、身体の軸を動かし襲来する弾丸を回避した。
相手が降伏しないことは、オフレッサー自身よく理解していた。鉄火場に投入される少年兵は『これしかない』のだ。
どこか無機的な気配、恐らく身体を機械を埋め込まれているのだろう。
整備の手間暇を考えれば、貧乏なテロリスト組織の所属とも思えない。
己と同じく、殺し殺されることを前提とした組織の出身。
ならば、捕虜になるよりも死を選ぶように教育されているのは、明白だ。
何より、生け捕りできるほど、彼我の実力差があるようにも思えなかった。
己に向けられる殺意の奔流に、目を細める。
(主よ、我が蛮勇に祝福を――)
短く心の中で祈りを捧げ、オフレッサーの巨躯が正面の少年に向かって突っ込む。
無論、周囲の暗闇に溶け込んだ少年がオフレッサーの双眸に映る事はない。
機を感じ、周囲の流れを知る――『道』と呼称される一連の格闘術。
噂や伝説めいた散文のみが彩る、前時代の戦闘術の応用――膨大な戦闘データをシュミレーションし、あらゆる状況に最適化する戦闘技術。オフレッサーの巨躯には、その天賦が備わっていた。
空間の鼓動を、己の呼吸と同調させる――それは世界との調和。
単なる戦闘データを己の血肉へと昇華させる。巨躯の裡を巡る血流は、敵を仕留める事を生業とした、生粋の戦士の血統だ。
故に、闇や静寂程度は、オフレッサーに不利には働かない。
周囲の世界を掌握し、空間を俯瞰する。
舞を舞うが如く軽やかに、巨躯が距離を詰める。
両手で握られた黒塗りのゴム製グリップは、しっくりオフレッサーの掌に吸い付くように馴染んでいた。
局地兵器の研究開発を主目的とする地球連合陸軍第二技術研究部の主任研究員エイプリル・ジャニスが製造した特殊チタン製の双刃斧、コストを度外視したオフレッサーの為だけに創造された凶器。
この世にたった一本だけ造られた、己だけの武器。
その銘を『鎖断ち』と言った。
オフレッサーの動きに呼応し、少年も踏み込んでいた。
人間離れした速度――人ならぬ存在しか獲得しえない神域の踏み込みからのナイフの斬撃が、オフレッサーのわき腹へ吸い込まれていく。その殺意の具現であるナイフを視るオフレッサーは、その刃から何の意思も感じられない事に驚く。
そのナイフには『何の感情もなかった』。
憎悪も、怨恨も、恐怖も、闘争心も、何もない刃――それは虚無でしかなかった。ただ、ただ、人殺す事だけを純粋に押し固めた殺意の塊。
幾百もの戦場を渡り歩いてきたオフレッサーをして、初めて目にする生粋の凶手。
右のわき腹深くを抉るだろうギリギリのタイミングで巨躯を翻す。防刃機能もあるジャケットがスッパリ切り裂かれるが、半身をよじり、生身まで皮一枚で躱す。
それどころか擦れ違いざまに双刃斧を少年の身体に打ち込む。
が――手応えはない。
オフレッサーの双刃斧は、確絶の意思で以って、その軌道上に存在する全ての障害を斬断する。
水に刃物を通すが如く滑らかに、特別誂の刃は万物須らく、二つに割り飛ばす。その必殺の一撃を少年は見事に回避したのだ。
突撃の惰性で横滑りする巨躯を、双刃斧を振るった遠心力を以って背後へ振り向かせ、さらに勢いを利用した抜き撃ち――左手で抜いた軍用拳銃で少年を追撃する。
迅影と化した少年も、オフレッサーの側面に回りこみ、左腕のニードルガンを発射せんとしていた。
オフレッサーと少年の殺意が絡み合う。
オフレッサーは迷わず、引き金を引く。
銃口が立て続けに火を噴き、機械の如き正確さで15発全弾を打ち込みながら、双刃斧を己の眼前に翳す。金属音――正確無比の狙いで放たれたニードルが、眼前に翳された双刃斧の特殊チタンの刃に当たる音。
少年の気配が、僅かに遠のく。こちらの技量を警戒したか、あるいは今の銃声で応援が来るのを見極める為か
――双刃斧を払い、硝煙を吹き散らす。深く息を吸い込み、大きく息を吐き出す。オフレッサーは己の冷たい思考を再確認する。
(……只のガキじゃねぇと思ったが、戦闘用機械兵かよ。それも相当に特化したタイプか)
クックックと哄い声が喉から漏れる。
16で陸軍に入り、17の時に初めて人を殺した。相手は中年のゲリラ兵だった。南米の治安悪化地区の治安維持部隊などと肩書きはあったが、何の事はない。
地球連合政府からの脱却を希望する国を叩く為の軍隊だ。そこでオフレッサーの部隊はゲリラ兵に襲撃され、反撃し、殺したのだ。
己の過去を彷彿させる脅威。何も走馬灯は死に掛けた時だけではない。強者との闘争に於いても、思わず深層から浮かび上がってくるのだ。
あれから何人、殺しただろうか?
あれから何回、死に損なっただろうか?
あれから何度、軍を辞めようと思っただろうか?
だが、オフレッサーはまだ、此処にいる。此処だけが、己の全てを受け入れられる場所だと知ったからだ。
『拘束できぬ者』――宇宙時代に現れた伝説の戦士。それは、日常に繋ぎとめられない己を示す言葉でもある。
死の鎖すら、彼を縛る事はできない。
HUDを内蔵したバイザーに連結するイヤホンタイプの通信機から、同僚の声が聞こえてきた。
『曹長、襲撃者ですか?』
「まだ仕留めていないがな、包囲と応援を頼む」
『了解』
刹那の通信を終えると、オフレッサーはニヤリと犬歯を剥き出しに嗤う。
「さて、続きといこうか」