回転灯
錆びついた回転灯が、のろのろと回っている。塗装が剥げて、白はくすんだ灰色に近く、青は色褪せて水色よりも儚く、赤だけが妙に生々しく残っていた。
「お客さん、見ない顔ですね」
店主はカミソリを研ぎながら、鏡越しに客を見た。
「昔、この辺に住んでて、この店にも来たことがあるよ。40年ぐらい前かなぁ」
窓の外は、抜けるような青空だった。雲ひとつない、そら恐ろしいほど澄んだ青。あの日もこんな空だった、と店主は思う。
「子供の頃、いたずらで床屋の回転灯を倒したことがあってね…ここだったかなぁ」
客が笑いながら言う。その笑い声に合わせて、白い泡が頬の上でふわりと揺れた。店主の手が、一瞬止まる。
「あの日もこんな青く晴れ渡った気持ちのいい日だったんですよ」
店主はタオルを取り替えながら、遠くを見るような目をした。
「40年前ですか……。あの頃、オヤジが変な宗教にハマってましてね。風もないのに回転灯が倒れたのは神のお告げだとか言い出して…。今思えば、もう、……”くるって”たんでしょうね」
鏡に映る店主の顔は、蛍光灯の白い光の下で、いつもより青白く見えた。
「ある日、突然カミソリを持って暴れだしたんですよ。母を捕まえて。振り払おうとした母の腕から、真っ赤な血が噴き出して、白いエプロンに散った。あれは今でも忘れられません」
店主の手元で、カミソリの刃が窓からの光を弾いて、ぎらりと銀色に光る。
「オヤジは血だらけの手で回転灯を抱きしめながら『これが神の血だ』って喚いてました。青いガラスが、あちこちに散らばって」
客の顔から、少しずつ血の気が引いていく。頬の白さが、蛍光灯の下でますます青ざめて見えた。
「母はそれから、腕にずっと傷痕が残ってましてね。何年経っても、赤黒い線が薄れることはなかった」
外の回転灯が、白、青、赤の順に、規則正しく光を巡らせている。あの日から一度も止まったことのない、静脈と動脈と包帯の色。
店主はカミソリを客の頬に近づけながら、静かに呟いた。
「――お客さんの顔、どっかで見たことがある気がするんですよ。子供の頃の、あの日の……」
窓の外の青空は、変わらず眩しいほど晴れ渡っていた。




