『そうじゃない者』という言い訳で生きてきた男が、別れ際のカエデの一言で、逃げ続けたのは世界のせいではなく自分自身だったと気づいた夜。
「そうなった者がいるということは、その裏に数倍、数十倍のそうじゃない者がいるということだ」
大学受験に失敗したときも、第一志望の企業から不採用通知を受け取ったときも、同期の出世レースから一歩遅れたときも、俺はいつもこの言葉を心の中で唱えていた。
合格した者と不合格だった者。一位だった者とそれ以外の者。夢を実現した者と実現できなかった者。 世の中の輝かしい「そうなった者」は、スポットライトの当たらない無数の「そうじゃない者」の犠牲と、死屍累々たる挫折の上に成り立っている。
ならば、自分が「そうじゃない者」の側に回ったとしても、それは確率論として仕方のないことだ。
俺が悪いんじゃない。この世界の構造がそうなっているだけだ。
そうやって、努力の限界から目を背け、言い訳のグラデーションの中でぬるま湯に浸かるように生きてきた。
ある時、付き合い初めてから三年目のカエデから、飲みに付き合ってという電話があった。
カエデは小さな広告代理店でクリエーターをしている。
今回、顧客から初めてのカエデ指名の広告画の依頼があったが、何度も何度も直され、担当替えの噂も流れ、自分でもどうして良いか分からなくなっていた。
居酒屋で酒を勧めながら俺は言った。
「世の中、椅子は限られてるんだ。そうなれなかった側が落ち込む必要なんてないよ」。
カエデはグラスを置き、まっすぐ俺の目を見て言った。
「ただの言い訳だよ・・・それ」
「・・・言い訳?」
「『そうなった者』になるために、傷つく覚悟も、泥をすする努力もしてこなかった自分を正当化してるだけ。他の人の犠牲の上に誰かが立ってるんじゃないよ。みんな、自分の足で、自分のリスクで立ってるの。『そうじゃない者』に甘んじているのは、世界のせいじゃなくて、あなた自身がそれを選んだからでしょ」
カエデの言葉は、俺が何年もかけて築き上げてきた強固な防壁を、一瞬で粉砕した。
分かり切っていたことを見事に言語化してくれたカエデの言葉は、少なからず、それからの俺に変化をもたらした。
俺はカエデの為に変わりたい。切実にそう思うようになった。
だが、現実は厳として厳しい。
カエデに相応しい人間になると真剣に思い始めた矢先、ライバルが現れた。
カエデの会社の取引先の若手起業家で、まさに「そうなった者」を体現したような男だった。自信に満ち溢れ、リスクを恐れず、自分の夢を現実の形に変えていく男。
そして、別れは突然訪れた。
「ごめんなさい。私、彼と結婚することにしたの」
呼び出されたカフェの席で、カエデは容赦なくそう言った。
「え・・・・」
「あなたは私の言葉を聞いて、変わろうとしてくれた。でも、あなたは最後まで『そうなろうとする覚悟』じゃなくて、『私に嫌われないための努力』しかしてくれなかった。結局、誰かのせい、何かのせいにしている根本は変わっていないの」
「・・・・」
「私にとって、人生を共に歩む人は、成功するか失敗するかじゃないの。『そうなろう』と懸命に努力を続けられる人なの。あなたは結局、私にとって『そうじゃない人』だったのよ」
その半年後、結婚式の招待状が届いた。
カエデは言った通り、自分の人生を賭けて戦う「そうなった者」を選び、俺を「そうじゃない人」として綺麗に過去へ置き去りにした。
一年後、家のベランダから見える街明かりが眩しく映った。
「……やっぱり、そうじゃない側の人間なんだな、俺は」
ただ、その声に昔のような言い訳の響きはもうなかった。
俺は「そうじゃない者」だ。それは世界の構造のせいでも、誰かの犠牲になったからでもない。俺が、俺の人生から逃げ続けた結果、獲得した紛れもない「現在地」なのだ。
遠くで光る街並みを見つめながら、俺は深く息を吸い込む。
自分の現在地が見えた今、これからの俺を作っていくのは、他人や環境や運じゃなくて、俺自身であることを明確に自覚した。




