雪原の重装騎兵と、加速する勇気 〜うちの姉ちゃんは古代文明を実践したい〜
これは俺が古代ローマに似た異世界へと転生するよりずっと前、姉と過ごした思い出の一幕―――――
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二月の牡丹雪が、街を淡い白に染めていた。
春の足音をかき消すような強い寒波。庭先には、湿り気を帯びた重たい雪がたっぷりと積もっている。
そんな静かな午後、俺、川背匠は、泥と雪にまみれたボロボロの体でリビングに転がり込んだ。
「……負けた。完敗だ。あんなの、どうしようもないよ」
「ワンッ!」
足元では、愛犬のきなこ(ミニチュアダックスフンド)が、心配そうに俺の頬を舐める。
近所の公園には、ガキ大将たちが築き上げた『要塞級の巨大雪だるま』がそびえ立っていた。
高さは二メートルを超え、表面はバケツで何度も水をかけられてカチカチの氷の鎧を纏っている。俺が精一杯投げた雪玉なんて、当たった瞬間に虚しく砕け散るだけだった。
それどころか、上から降り注ぐ雪玉の弾幕に、俺は撤退を余儀なくされたのだ。
「あら匠。質量 m の差に絶望して、戦士の魂まで凍りつかせてしまったの?」
ソファで分厚い歴史書を読んでいた姉の真綾が、眼鏡の奥の瞳をキラリと光らせて顔を上げた。
俺には四歳上の姉ちゃんがいる。歴史オタクで、何かにつけて面倒なうんちくを語り出す厄介な性質を持っているが、その実、面倒見の良い頼れる中学三年生だ。
「姉ちゃん……あんなの無理だよ。雪玉を一個ぶつけたってビクともしない。重さが違いすぎるんだ。象に豆鉄砲を食らわせてるようなもんだよ」
「情けないわね。アレクサンドリアの英知が聞いたら泣き出しちゃうわよ。匠、古代ローマ軍が、自分たちより遥かに巨大な城壁をどうやって打ち砕いたか知らないの?」
真綾は本を置くと、床に座り込んでいた俺の隣にすとんと腰を下ろすと、俺が投げ出した理科のワークの裏に、スラスラと数式を書き始めた。
「彼らが使っていたのは『オナジャー(野驢式投石機)』。捻じった腱の弾力を使って、巨大な岩を射出する装置よ。
いい、匠? 巨大な敵を倒す鍵は、単純な力ではないわ。物理学の魔法――『速度の2乗』よ!」
「速度の……2乗?」
「そう。運動エネルギーの公式は K = \frac{1}{2} m v^2 。重さ m を二倍にする為に、雪玉を大きくするのは大変よね。
でも速度 v を二倍にすれば、破壊力は四倍。三倍にすれば九倍に跳ね上がるのよ」
真綾は眼鏡の位置をクイッと上げると、獲物を狙う鷹のような鋭い、それでいて楽しげな瞳で俺を見た。
「つまり、速度を極限まで高めることは、小さな雪玉を巨大な破城槌に変える魔術なのよ! 匠、あんたは歴史の敗北者として今日を終えるつもり?
それとも、物理学の加護を受けて、帝国の重装騎兵として再起するのかしら?」
姉ちゃんの確信に満ちた瞳と、熱を帯びた声。
小学五年生の俺には、姉ちゃんが言ってる事の半分も理解できなかったが、その知的な迫力に当てられ、俺の心の中で消えかけていた戦意が、小さな火を灯した。
「……速度を上げれば、勝てる?」
「ええ。私たちが現代のオナジャーを作り、物理の法則を証明してあげましょう。アレクサンドリアのヘロンも驚くような、究極の加速装置をね!」
◇
二人は庭へ出た。
真綾は物置から工具箱を持ってくると、俺の自転車をひっくり返し、車輪の回転力を利用した「高速雪玉射出装置(オナジャー・マークII)」を即席で組み上げ始めた。
「さあ匠、ペダルに足をかけて。……って、鼻が赤いわよ」
真綾は作業の手を止めると、自分の首に巻いていたチェック柄のマフラーをするりと解いた。
そして、俺の正面に立つと、そのまだ温かいマフラーを俺の首に巻き付けてきた。
「ちょ、姉ちゃん?」
「じっとしてなさい。熱力学の基本よ。エンジンの熱効率を維持するには、保温が不可欠なんだから」
真綾は俺の首元で丁寧にマフラーの結び目を整える。
至近距離にある姉ちゃんの顔は、寒さのせいか少し頬が赤らんでいて、長いまつ毛の一本一本まで見えるようだ。マフラーからは、姉ちゃんがいつも使っているシャンプーの甘い匂いがふわりと漂ってきて、俺はちょっぴりドギマギしてしまった。
「……よし。これはローマ軍団の『百人隊長』のマント代わりよ。特別に貸してあげるから、泥で汚すんじゃないわよ?」
「……う、うん。ありがとう」
いつもはジャージ姿で変なことばっかり言っている姉ちゃんだけど、今の俺の目には、彼女がまるでゲームかアニメで見た、気高く美しい戦乙女のように見えた。
俺は単純な感動と、首元の温かさに包まれながら、サドルに跨り、ペダルに足をかける。
「さあ、『漕ぎ手』になりなさい。あんたの右足にローマ軍団の執念を乗せて、ペダルを回すのよ! 速度こそが正義、加速こそが帝国の盾よ!」
俺は全力でペダルを回した。
真綾は横で「いいわよ! その調子よ!」と、普段は見せないような満面の笑みで手を叩いて応援してくれる。
その笑顔が嬉しくて、俺は右足の乳酸が溜まるのも忘れて、限界を超えてペダルを漕ぎ続けた。
ギィィィィン……!
車輪が凄まじい速度で回転し、空気を切り裂く高い音を立てる。
真綾が、タイミングを見計らって雪玉を装置のガイドレールにセットした。
「システム起動! カタパルタ・ニヴァリス、放てッ!」
――――バシュンッ!!
空気を切り裂く音と共に放たれた雪玉は、もはや「ふわふわの塊」ではなかった。速度という魔法によって、見かけ上の質量を数倍に膨らませた物理弾道が、一直線に公園の巨大雪だるまへと飛んでいく。
ドゴォォォォンッ!!
見事、雪だるまの頭部が粉砕された。
ガキ大将たちの驚愕の叫びが、遠くに聞こえる。
「やった……! 貫通した! 物理すげえ!姉ちゃんすげえ!」
「見た!? これが速度の芸術よ!質量を凌駕する瞬間の美しさね!」
俺と真綾は顔を見合わせ、思わずハイタッチした。真綾の手は意外と小さくて柔らかかったけれど、その掌からは確かな熱が伝わってきた。
◇
しかし、勝利の余韻は一瞬だった。
貫通した雪玉の破片は勢いを殺しきれず、生垣を越えて隣接する山田さんの家の庭へと飛び込んでしまったのだ。
―――パリンッ
硬い陶器が割れるような、嫌な音が響いた。
俺たちの顔から、一気に血の気が引く。
慌てて生垣の隙間から覗き込むと、そこには山田さんが大切にしていた高級な盆栽の鉢が、無残に倒れて砕けていた。
「あ……やばい。どうしよう、姉ちゃん」
「…………」
真綾も一瞬、青ざめた。でも、彼女は俺の震える手をぎゅっと握ると、力強い声で言った。
「逃げないわよ、匠……これが、私たちの起こした『物理の結果』だもの。責任を取らない科学は、ただの破壊工作よ」
真綾は俺の首に巻いたマフラーの形を整え、自分自身も服の泥をパッパと払った。
「行きましょう。一緒に謝るのよ」
◇
「ごめんなさい!!」
俺たちは山田さんの家の玄関先で、深く、深く頭を下げた。
俺の隣で、真綾も真っ直ぐに背筋を伸ばし、凛とした態度で謝罪の言葉を述べている。
「私が速度の計算を誤り、貫通力を制御しきれませんでした。本当に申し訳ありません。鉢の代金は、私の貯金からお支払いします。どうか、匠を責めないでください。実験を主導したのは私です」
真綾は自分のミスだと主張して、俺を庇うように前に出た。
山田さんは最初、険しい顔をしていたが、俺たちの必死な謝罪と、何より真綾の誠実で勇気ある態度を見て、ふっと表情を和らげた。
「……いいわよ。わざとじゃないんでしょ? それに、正直に言いに来てくれたのが嬉しいわ。
真綾ちゃんは、立派なお姉さんになったわね。匠くんも、お姉ちゃんを助けて偉かったわね」
山田さんは、鉢を一緒に直すのを手伝うことで許してくれた。
泥だらけになって鉢を植え替え、雪をどかす作業を終えた頃には、俺たちの手は真っ赤に冷え切っていたけれど、心の中の重荷はすっと軽くなっていた。
◇
夕闇の迫る帰り道。
俺たちは肩を並べて歩いていた。俺の脛には、無理にペダルを漕いだ時に外れたチェーンが当たった擦り傷が少しだけ痛んでいた。
「……姉ちゃん、ごめん。俺がもっと慎重にやってれば、あんなことには」
「何言ってるの。理論を組んだのは私、オナジャーを作ったのも私よ……でもね、匠。あんたの加速、すごかったわよ。おかげで、速度が質量を補填するという証明が完璧にできたわ」
真綾はそう言って、俺の頭を無造作に撫でた。
少しだけ乱暴だけど、すごく温かい手だった。
「謝るのは勇気がいるけど、逃げたらあの『速度』はただの『暴力』になっちゃうわ。
責任を取ってこそ、私たちのやったことは『破壊』から『科学』に変わるのよ」
「……うん。姉ちゃん、かっこよかったよ」
◇
家に着くと、リビングはいつもの温もりに包まれていた。
真綾は手際よく救急箱を持ってきて、俺の足の傷を消毒し、丁寧に湿布を貼ってくれた。
「痛っ……」
「我慢しなさい。これはローマ軍団の勲章よ」
それから、彼女は二つの大きなマグカップに、湯気を立てる黄金色の液体を注ぎ入れた。
ふわりと、甘酸っぱい柑橘の香りがリビングに広がる。
「はい、お疲れ様。特製のホット・ハチミツレモンよ。クエン酸が筋肉の乳酸を分解して、疲労回復を早めてくれるわ」
「飲む! ありがとう、姉ちゃん」
甘いハチミツとレモンの酸味が、冷え切った身体の芯まで染み渡っていくようだ。
真綾はソファに座り、再び歴史書を開いた。でも、その口元は少しだけ緩んでいる。
俺はワークの問題を解き始めた。
『問:運動エネルギーを大きくするためには、どの値を大きくすれば最も効果的か』
俺は迷わず『速度』と書き込み、その横に小さく『と、勇気』と付け足した。
「さて、匠。今回の『衝突エネルギー』の反省を活かして、次は『摩擦熱』と『熱力学』について学びましょうか。次はもっと安全に、でももっと驚くような実験を……」
「もう、勘弁してよ!」
俺が笑いながら突っ込むと、真綾も「ふふっ」と悪戯っぽく微笑んだ。
きなこが二人の間に割り込んで、幸せそうに尻尾を振る。
窓の外はまだ凍えるような二月の雪が降っているけれど、カップから立つレモンの香りと、隣にいる『綺麗でちょっと変わった自慢の姉ちゃん』のせいで、俺の心は春の陽だまりのように温かかった。
【お知らせ】
2月13日(金)から2月22(日)までの10日間、17時30分に毎日投稿します。
スケジュール
13金曜:武器物語28話
14土曜:うちの姉ちゃん〜バレンタイン編
15日曜:うちの姉ちゃん〜ローマのプリン編
16月曜:武器物語29話
17火曜:うちの姉ちゃん〜雪玉編
18水曜:武器物語30話
19木曜:うちの姉ちゃん〜『蜻蛉切』編
20金曜:武器物語31話
21土曜:うちの姉ちゃん〜猫の日前日譚
22日曜:武器物語・特別短編
ぜひ、お付き合いのほど、よろしくお願いいたします。
本作をお読みいただきありがとうございます。
お楽しみ頂けましたら★★★★★評価お願いいたします。
今後も同シリーズにて短編を投稿いたしますので、ご愛読いただけましたら幸いです。
【匠の「その後」の物語はこちら!】
本作で匠が学んだ「無駄すぎる知識」が、異世界で最強の武器になる――!?
匠が古代ローマ風異世界に剣闘士として転生し、姉ちゃんの知識で成り上がる本編、『転生式異世界武器物語』も好評連載中です!
本編では実在した武器の“武器解説”、絵師様による“挿絵”付きの豪華な長編となっています。
ぜひ合わせてチェックしてみてください!
『転生式異世界武器物語』
https://ncode.syosetu.com/n3948lb/
※こちらのイラストにはAIを使用して製作しております。




