この庶子を、義妹をどうしてやろうかしら
「殺してくるわ」
「後にしてちょうだいな、わたくしのかわいいリュシエンヌ」
びくっと肩を揺らした小動物のような少女の前で、何とも物騒な言葉が交わされる。
椅子からちょっとばかり腰を上げていた少女の名はリュシエンヌ・グリフィス。グリフィス伯爵家唯一のご令嬢であった。その対面に座っていたのは彼女の母、サラ・グリフィスである。彼女は扇で口元を隠しながら、言葉を続けた。
「それで? その子が何でしたかしら?」
母子で揃いのヘーゼルの吊り目が少女を射抜いた。じわ、と桃色の瞳が涙に滲んでいく。彼女をここまで連れて来た執事は冷や汗をかきながら、それでも小さな背中を安心させるように撫でていた。
「その……旦那様のお子様でございます」
「ねぇお母さま、殺ってきてもいい?」
「傍にいてちょうだいな、リュシエンヌ。わたくし独りでこんなしけた話聞きたくないわ」
テーブルに手をついて立ち上がったリュシエンヌがむぅ、と頬を膨らませた。母親ゆずりの赤い髪が炎のように揺れる。先程から怯えっ放しの少女に、サラは優しく優しく声をかけた。
「貴女お名前は? 歳はお幾つかしら?」
はく、と血色の薄い唇が何度か開閉を繰り返す。サラは回答を待つ間、少女を上から下まで眺めていた。
栄養が足りていないのか、手足は細く頬にも丸みがない。己の夫であるマットと揃いの少し癖のある黒い髪は、肩より少し長いくらいの位置で雑に切られていた。くるりと丸い瞳は甘い果実のような桃色。己の娘とは正反対の、庇護欲をそそるような幼い顔立ち。
きちんと食事と休息を与えて丁寧に育ててやれば、それはもう愛らしいお嬢さんになることだろう。
「デ、デイジーと、いいます。歳は、えっと、十だった、と、思います」
少女改めデイジーはたどたどしくそう言うと俯いてしまう。家名を名乗らないのは、見た目通り平民だからなのだろう。それにしてはなかなかに礼儀正しい少女である。
ふむ、とサラは口元を隠したまま思案にふけった。父親の面影は、髪の色と目の垂れ具合くらいであろうか。リュシエンヌより三つ下ということは、彼女のイヤイヤ期にサラが憔悴しきっている間に仕込んだ子どもということである。どうしてくれよう。
「そう、かわいらしいお名前ね。貴女のお母様がつけてくださったのかしら?」
ぐず、と鼻の鳴る音が聞こえ、サラは首を傾げた。俯いたままの小さな肩が震えている。
「彼女の母君はつい先日お亡くなりになられたそうです」
執事がそっと耳打ちする。あらまぁ、とサラはカーペットに染みこんでいく涙を見下ろしていた。
「なるほど……それで旦那様が無理やり引き取ってこられたのね?」
執事が苦い顔でこくりと頷く。元々マットは彼女らを愛人として囲っていたわけではないのだろう。彼女の痩せて薄汚れた姿を見れば簡単に想像出来た。
つまりは彼の気まぐれか。あるいはサラに生き写しで己に全く似ていないリュシエンヌへの当てつけのつもりか。
「この子が旦那様の子であるのは、間違いないのね?」
「はい。教会にて魔力鑑定を行い、親子であると証明されております」
そう、と小さく呟いたサラがぱしんと扇を閉じる。デイジーは己の身を打たれたかのように、びくんと跳ねあがった。
「事情は分かりました。このお嬢さんは伯爵家でお預かりしましょう……貴女、彼女をお風呂に入れてあげてちょうだい。それが終わったら皆で食事にしましょう」
「じゃあ、私その間に殺ってくるわ」
「食事がまずくなるようなことはやめてちょうだいね、わたくしのかわいいリュシエンヌ」
むぅ、とリュシエンヌがまたしても頬を膨らませる。サラはその柔らかい頬を指先でつついて空気を逃がしてやった。
ややあってぴかぴかに磨かれたデイジーはリュシエンヌの昔のドレスを着せられ、食堂へと案内された。デイジーには大きすぎるほどの扉は使用人が開けてくれる。部屋へと入ったデイジーは執事に促されるまま、用意されていた席に着いた。
「あらあら、本当にかわいらしいお嬢さんだこと」
少し遅れて食堂に来たサラはデイジーの頭をさらりと撫でて自分の席に着いた。リュシエンヌもそれに続く。長机の短辺にサラが一人で座り、長辺側にそれぞれリュシエンヌとデイジーが座っている。サラの正面は空席だった。
それぞれの目の前に料理が運ばれてくる。温かくいい匂いの湯気が顔にまとわりついてくるのに、デイジーはごくりと唾を飲んだ。
「貴女には消化にいいものをお願いしたわ……では、いただきましょう」
サラとリュシエンヌは目を閉じて祈りを捧げる。デイジーはきょろりと周りを見渡して、同じように目を閉じた。
「お作法についてとやかく言うつもりはないわ。ご自由にお食べなさい」
ぱちりと目を開けたデイジーにサラは優しく微笑む。すん、と彼女は一つ鼻をすすった。母親のことを思い出してしまったのだ。それでも腹の虫にはあらがえず、スプーンを手に取る。
「い、いただきます」
ふぅふぅと掬ったパン粥に息を吹きかけ、口に含む。まろやかなミルクに野菜の甘み。これまで食べていた水でふやかしただけの硬いパンとは大違いだった。
「慌てないでいいのよ、ゆっくりお食べなさい」
こくりと頷いたデイジーは言われた通りにゆっくりとパン粥を噛み締めた。温かくておいしい。だと言うのに、じわりと視界がおぼれていく。
――こんなにおいしいもの、お母さまにも食べて欲しかった。
すんすんと鼻を鳴らしながら食べる様子に、サラとリュシエンヌの心は少しばかり痛んだ。小動物のような見目も相まってちょっときゅんとしてしまう。
サラはちらりとリュシエンヌに視線を送った。それを受け取り、リュシエンヌは小さく頷く。
「ねぇ、デイジー。貴女、お父さまにどこまできいているの?」
「あ……えっと、私がお父さまの子どもだということと、お姉さまがいると……」
「それはいつ、きいたのかしら?」
いつ? とデイジーが首を傾げる。リュシエンヌが先を促せば、彼女は困ったように眉を寄せた。
「えと、今日、ここに連れて来られる前に……お母さまからはお父さまはいないときいていましたので……」
「なるほど。なるべく時間をかけてじっくり焼くわね」
え、とデイジーが動きを止める。リュシエンヌはただただにっこりと笑っていた。彼女から漏れた魔力が小さな炎となってちりちりと空気を焦がしていく。
いない者とされていたということは、デイジーの母君にとってマットがよい父親ではなかったという証左である。尤もデイジーの現状を見れば、わかり切ったことではあったが。
サラが長い溜息を吐く。
「リュシエンヌ、そんな風に義妹を怖がらせるんじゃありません」
「やだ、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったのよ」
ぷるぷると震え出したデイジーに、リュシエンヌは慌てて魔力を落ち着かせた。ゆっくりと深呼吸して漏れ出る炎を押さえ込む。
「本当に違うのよ。私、貴女に対して言ったつもりはないの」
「ご、ごめんなさい……」
身体と同じように震える声。テーブルに両手をついて下げられる小さな頭。サラは痛まし気に目を細めた。
「謝る必要などないわ。不義の源泉はあの人だもの」
「そうよ、貴女は何もしていないんだから。責任を取らなきゃいけないのはお父さまだけだわ」
そのお父さまをこの屋敷に来てから見ていないな、と。デイジーはふと気づいた。デイジーを執事に預けて、そのままどこかへ行ってしまったのだ。この食事の場にも姿が見えない。
「わたくしたちは貴女のことは受け入れるわ。色々と戸惑うこともあると思うけれど、少しずつ慣れていってちょうだいな。わたくしたちも出来る限りのことはしますからね」
「そうよ、私ずっとかわいい義妹が欲しかったの! とっても嬉しいわ!」
こうして一抹の不安と疑問を抱えながらもデイジーはグリフィス家へと迎え入れられたのだった。
そんな一夜から数年。十分な栄養と休息に貴族の教育を受けたデイジーは、サラの予想を大きく超えて可憐なお嬢様へと変貌を遂げた。たっぷりと伸びた黒髪は優雅な曲線を描き、真っ白で染み一つない肌は甘い果実のような瞳を際立たせている。
更には貴族の中でも珍しい、癒しの魔力に目覚めていた。元が平民ということもあってか、誰にでも分け隔てなく接して癒しを振りまくその様子は正しく天使である。
「お義姉様!」
甘く零れそうな瞳がリュシエンヌを映すと、ぱぁっと輝いてとろりと細められる。周りの令息たちがほぅと溜息を吐いた。その愛らしさを直接浴びているリュシエンヌは頬を押さえながら困ったように微笑んだ。
「デイジー、走ってはだめよ」
「あっ……ごめんなさい、お義姉様」
未だ平民として育った感覚が抜けていないのか、はたまた家族の前では気を抜いてしまうのか。しゅん、と落ち込む様子は貴族の子女ではなく、まるで子猫のよう。
「またか、リュシエンヌ」
そんな二人に割り込んできたのは、不機嫌そうな声だ。リュシエンヌは一瞬だけ僅かに眉間にしわを寄せ、しかし笑顔でその声の方向を振り返る。
「あら、シング様。どうかなさいまして?」
こちらはこちらでグリーンの瞳の間に深いしわを寄せた令息が一人。リュシエンヌの婚約者であるシング・バーンズ。グリフィス伯爵家に婿入り予定の子爵令息である。
彼は金色の髪をさらりとかきあげながらリュシエンヌを睨んだ。
「君の義妹に対して、その態度はないんじゃないか?」
リュシエンヌはこてんと首を傾ける。その仕草を真似るようにデイジーも首を傾げていた。
「彼女は貴族になったばかりなんだから、少しくらい大目に見てやったらどうなんだ」
「……あぁ」
得心がいったとばかりにリュシエンヌがぱちんと手を合わせる。そうしてデイジーの方を振り返った。
「私の言い方、厳しかったかしら? ごめんなさいね、デイジー」
「いっ、いえ、そんなこと……!」
デイジーが慌ててぶんぶんと両手を振る。それも貴族らしからぬ仕草であったが、リュシエンヌはこの場では指摘せずにおいた。ふん、とシングが鼻を鳴らす。
「わざとらしいことを……デイジーの慈悲深さに感謝することだな」
シングはそれだけ言い捨てると踵を返して去っていった。何しに来たのかしら、とリュシエンヌはその背中を見送った。
シングのこういった行動は最近増えつつあった。デイジーとリュシエンヌが二人でいるところに現れては先のように苦言を呈して去っていくのである。その上、彼のデイジーを見る目がどうにも気になるのだ。
どうしたものかしら、とリュシエンヌは小さく溜息を吐く。そのドレスの袖が、小さく引かれた。
「あの……お義姉様に相談があるんです……」
上目遣いにリュシエンヌを見上げるデイジー。不安げに下げられた眉と微かに潤んだ瞳で縋るように見つめられて断れる人間などいないだろう。
こくりと鷹揚に頷いたリュシエンヌに、花のかんばせがほっとしたように表情を緩める。その可憐な様子にその場の者は皆、目を奪われていた。
そんなやり取りから数日――とあるパーティにてそれは起こった。
「リュシエンヌ・グリフィス! 今、この場で君との婚約を破棄する!」
使い古された台詞がまさか己の婚約者様の口から飛び出してくるとは思わなかったのだろう。リュシエンヌは分かりにくくも僅かに目を見開いていた。舞台役者のように振る舞うシングの腕の中は空である。テンプレート通りであるならば、次の婚約者候補だのリュシエンヌが虐げていた令嬢だのがいそうなものだが。
「……それは、貴方様のご両親もご了承のことでしょうか?」
故にリュシエンヌはバーンズ子爵家の意思を確認した。格下の、それも婿入り予定の男からの婚約破棄宣言など、グリフィス家への侮辱でしかない。
シング一人の暴走であれば、切り捨てるのは彼だけで済む。バーンズ子爵家には特に恨みもないのだ。
シングは悪辣な表情で、ハッと笑った。
「了承など必要ない、私がグリフィス家に婿入りするのは変わらないのだから――デイジー!」
唐突に名を呼ばれ、びくっとデイジーが肩を跳ねさせていた。不安げな顔でリュシエンヌの方を窺っている。リュシエンヌはこてりと首を傾げて彼女に歩み寄り、肩に手を置いた。ぷるぷると小動物のような震えが伝わってくる。
「私はリュシエンヌとの婚約を破棄し、新たにデイジーと婚約を結び直す! 私が悪女たちから君を救おう、デイジー」
悪女、とリュシエンヌが言葉を繰り返す。デイジーの震えが強まった気がしたので、そっと肩を擦ってやる。
「そうだ! 彼女が庶子であることを理由にお前たち母子はデイジーを虐げてきた。過度な叱責に貧民街への奉仕活動の強要……貴様がグリフィス家を継ぐなど、認められるものか!」
とうとう呼び方が貴様にまでなったことに少しばかり顔をしかめ、リュシエンヌは口を開いた。
「要するに、シング様はデイジーに懸想しておられると」
明け透けなその言葉に幾らか失笑が零れる。特に令嬢の方からはくすくすと笑う声まで上がっていた。リュシエンヌは一つ、溜息を吐いた。
「だから言ったでしょう、デイジー」
少し身をかがめてデイジーの顔を覗き込む。きゅっと引き結ばれた唇に、目にはうっすらと涙の膜が張っていた。すん、と鼻をすする音も聞こえてくる。
「そんなかわいい表情をしてはダメだと……貴女がそうやって少し潤んだ目で見つめるだけで、赤らんだ顔を見せるだけで、自分のことを好きだと勘違いするお馬鹿さんは山ほどいるのよ?」
「も、申し訳ごさいません、お義姉様……」
しゅん、と目を潤ませて落ち込む姿はまるで雨に濡れる子猫のよう。リュシエンヌはデイジーを隠すように抱き締めると、ぐるりと辺りを見回した。
「本当はね? 私も貴女には自由にしていて欲しいのよ。でもね? 世の馬鹿なお猿さんと来たら、貴女がちょっと笑いかけるだけで貴女が自分のことを好きだと思い込みたくなるのだもの」
その馬鹿なお猿さんが一様に姉妹から目を逸らした。その筆頭であるシングは口を開けて固まっている。
「貴族らしく表情を出さないように、仕草も静かにすれば少しはマシになるかと思ったのだけれど……自分を抑えられないお猿さんの多いこと」
リュシエンヌは悩まし気に頬に手を当てる。はっと我に返ったシングが叫んだ。
「デイジー! 君は私のことを愛してくれているだろう?」
デイジーは声も出ないのか、しかし残酷にも首を横に振ってそれを否定した。むしろシングを怖がっているのだろう。リュシエンヌのドレスにしわを作るほどにしがみついている。
「……そんな、だってデートに誘えばいつだって受けてくれたじゃないか!」
「未来のお義兄様を無下に出来なかっただけだそうですよ。少し前にシング様のこと、相談されましたの」
あの時のデイジーが相談したのは、シングがやけに自分と二人きりになろうとしてくる、というものだった。リュシエンヌも言ったように将来家族になる人の上に向こうは自分のような庶子と違って根っからの貴族だ。断れないのも無理はない。
もっと言えば、デイジーはまだまだ貴族としてのマナーにも疎いのだ。家族として親睦を深めたいと言えば、家同士の繋がりのために必要なことなのかと思ったのである。それでも婚約者のいる異性と二人きりになるのは良くないことだとも思っていたので、意を決してリュシエンヌに相談したのだ。
「いやでも、ずっと私のことを見ていただろう? あんなに熱っぽい視線で、それで好きじゃないだなんて……!」
「わ、私が見ていたのはお姉様の方ですっ!」
デイジーが声を絞り出す。あら、とリュシエンヌが口元を手で覆った。デイジーは大声を出してしまったことに少しうろたえたが、ええいままよと言葉を続けた。
「お、お姉様のお作法を参考にしたくて……ずっと見ていました。お姉様はすごくお綺麗で、麗しくて、それで……」
ぽぽぽ、とデイジーが頬を染める。それに釣られるように令息たちが顔を赤らめた。あぁもう、とリュシエンヌは再び彼女を腕の中に隠す。
「それに、奉仕活動は私が我が儘を言ってさせていただいていたんです。私は将来教会に勤めたいので……」
生まれ持った癒しの力を人々の役に立てたいのだ、と。貧民街は危ないからと難色を示した母子を説得したのは、他でもないデイジー自身である。
「そもそもの話、デイジーではグリフィス家を継ぐことは出来ませんわ」
えらいえらいとでも言いたげな慈愛の表情でデイジーを撫でつつ、リュシエンヌはシングを睨む。
「この子は私の義妹ではありますが、グリフィス家の血を継いでいませんもの」
「は?」
シングが短く言葉を発する。やだお忘れ? とリュシエンヌは緩く首を傾げていた。
久々に名前が出てくるが、二人の父親であるマットはグリフィス家当主代理である。マットはグリフィス家のご令嬢であるサラに婿入りした結果、爵位を預かっているだけなのだ。
故に次代はサラの子どもでなければならない。マットがどこで種を蒔こうが、その子どもはグリフィス家の血を継ぐことはないのだ。デイジーがグリフィスを名乗っているのは便宜上の話である。
完全な余談であるが、そのマットはデイジーを連れてきたその日からグリフィス家の離れにて療養していた。執事とサラが「旦那様はご存命です」「あらそう」と毎朝非常に短い会話を交わしているのをデイジーはプルプルしながら聞いている。たまに執事がちょっと言葉を溜めたりするので青ざめたりもしていた。その表情の変化をサラ親子と執事たちがちょっと楽しんでいるのは知らない話である。
「一応確認するわね? デイジー、貴女シング様と婚約したい?」
「いいえ!」
大声の上、即答である。令息からは気の毒そうな、令嬢方からは侮蔑の視線がチクチクとシングに突き刺さっていた。シングはもはや言葉を失っている。
「では、シング様……いえ、バーンズ子爵令息。婚約破棄の件、承りましたわ。後日、ご両親も交えてお話いたしましょう?」
あ、とシングが小さく音を発した。が、何も聞こえなかったかのようにリュシエンヌはデイジーを伴って踵を返す。デイジーはちょっと気づかわし気にちらちらとシングの方を振り返っていた。そういうところが勘違いされる所以なのだと知らないのは本人ばかりである。
後日、リュシエンヌとシングの婚約は速やかに破棄された。勿論、シングの有責でだ。バーンズ子爵家の当主は平謝りし、サラとリュシエンヌはそれを快く受け入れた。リュシエンヌが危惧した通り、シング一人の暴走だったからである。
悪いことをしたのがいい大人であるのならば、それは本人が責任を取るべきだ。これはグリフィス家に脈々と伝わる家訓のようなものである。
一人の愚か者のために大勢が犠牲になることはない。そして周りも腐らぬためにはその愚か者を切り離すことをためらってはならない。
故にリュシエンヌはシング個人に婚約破棄に関する慰謝料を請求した。立場を利用してデイジーに迫った分の精神的苦痛の慰謝料も上乗せしている。
バーンズ子爵家はグリフィス伯爵家の勧めに従い、シングを廃嫡とした。平民となった彼が再びデイジーに迷惑をかけないように、と。彼はバーンズ子爵家所有の領地の片隅にて、監視を受けながら慰謝料のために労働することとなった。
その後、デイジーに付きまとう視線や羽虫は格段に数を減らした。愛らしい小動物に目を奪われてふらふらと近づけば、苛烈な炎に焼かれてしまうのだとか。
デイジーは更に数年後にグリフィス家を出て教会に勤め始めた。彼女は数多の令息に惜しまれながらも生涯独身を貫いた。サラとマット、リュシエンヌとシングのこともあり、貴族の結婚って怖いな、と思ってしまったからである。あの母子の犯した罪と言えばこのくらいのことであった。
リュシエンヌの方は別の令息と婚約を結び直し、グリフィス家を継ぐこととなる。シングと違ってデイジーにも目移りしない、誠実な青年であった。デイジーの勤める教会に援助をしながら二人で仲良く領地を治めている。
サラは世代交代を機にマットとともにグリフィス家の領地の片隅に隠居した。結局彼らは離婚しなかったが、マットはあまり長生きはしなかったらしい。
リュシエンヌとデイジー、サラの三人は今でも時折お茶会を開いては仲睦まじく過ごしている。
なんとも麗しい家族であった。
Q.このかわいい庶子を、義妹をどうしてやろうかしら?
A.目一杯かわいがって慈しみましょう!




