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領都の近くに、季節魔獣の群れが現れた――。
狼に似た魔獣。牙は鋭く、目は赤く光っている。
夜な夜な家畜を襲い、人間にさえ飛びかかる獰猛さで知られていた。
「エレオノーラ、後ろにつけ!」
祖父――ディートフリートの声に、私は必死に足を動かす。
けれど心臓は喉から飛び出しそうで、膝は震えて止まらなかった。
(やだやだやだ! 近い、牙が見える! こんなの……ニュースの中だけの世界でしょ!?)
現代日本で過労死した前世の私にとって、「野生の獣と近接戦闘」なんて想像すらしたことがなかった。
短剣を握る手が汗で滑る。振り上げようとしても、恐怖で腕が止まる。
その横を、祖父の剣が閃いた。
獣が悲鳴を上げ、血しぶきとともに倒れ伏す。
(……ひっ……!)
鉄の匂いが鼻を刺し、胃の奥がひっくり返りそうになった。
でも、逃げることはできない。領主一族が逃げたら、領民は誰も守ってくれないから。
「エレオノーラ!」
「は、はいっ!」
恐怖を押し殺し、私は短剣を振り下ろした。
力は足りなかったけど、魔力を込めた刃が魔獣の肩口に食い込む。
その瞬間、腕に伝わった生々しい手応えに、背筋が総毛立った。
「……っう、うそ……!」
足がすくんで、呼吸が乱れる。
でも祖父の声が飛ぶ。
「よくやった! 怯むな、まだ群れは残っている!」
その言葉に、必死で立ち上がった。
ひとしきり戦いを終えた後。
祖父は剣を杖代わりに立ち、汗を拭いながら私を見た。
「エレオノーラ。剣は握れるか」
「……さっきので、精一杯……でした」
正直に答えると、祖父は小さくうなずいた。
「領主一族ならば、魔獣に立ち向かえるようになれ。魔法が尽きる時もある。……剣ぐらいは振れ」
叱責ではなく、真剣な言葉。
けれど、その目尻に刻まれた深い皺が、彼がもう若くないことを雄弁に物語っていた。
「もし次に魔獣が現れた時……私が倒れていたら、どうする」
(……爺様がいなくなったら、この領地ほんとに終わるじゃない!)
短剣を握る手が、また震えだす。
「肝に銘じろ、エレオノーラ。お前の代になった時、このアイリシアを守れる力をつけておけ」
「……はい」
頷いたけど、胸の奥は恐怖と焦りでいっぱいだった。
(生き延びるために、戦わなきゃいけない。……それでも、怖いものは怖いんだよ!)
そう心の中で叫びながら、私は震える手をぎゅっと握りしめた。




