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「お嬢様、足元にお気をつけくださいね」
付き人のグレーテが、いつものように一歩下がってついてくる。
母を持たなかった私にとって、乳母であり守り役である彼女は家族同然だ。
私は母がいなかったから、洗礼式前から子ども棟で暮らしていた。
けれど今は、姉のイザベラ姉さま(十二歳)も一緒に同じ棟で生活している。
姉さまは正妻の娘で、すでに洗礼式を済ませているから、ここでの暮らしは「領主一族の務め」の一環でもある。
一方、赤子のユルゲンはまだ母親のカロリーナと側妻棟に。
こうして棟ごとに分かれて暮らすのは、この領の昔からの習わしだ。
今日は、そんな家の中から一歩外へ出て、領主の娘として城下を見て回ることになった。
……そして私は、息を呑んだ。
止まった噴水、光を失った街灯、崩れかけの家屋。
行き交う人々の顔は疲弊していて、誰一人声を上げようとしない。
「……これ、全部……魔力不足?」
気づけば口に出していた。
グレーテが小さく頷く。
「はい。領主様方が少なく……城の維持に手一杯で、町へ回す余裕がないのです」
(やっぱり……!)
領主一族が少ないのは知っていた。けれど、ここまで露骨に“領地の命”が枯れているなんて。
魔力は噴水や街灯だけじゃない。農作物にも、城を支える基盤にも必要なのだ。
「……お嬢様」
不安げに私を見るグレーテ。
でも私は目を逸らさなかった。
領民の沈黙は――諦めの証。
「……ここ、想像以上に詰んでる」
ぽつりと落とした言葉に、グレーテが目を瞬かせる。
でも、私の胸にはもう覚悟が生まれつつあった。
このままじゃ、この領も、家族も、全部滅ぶ。
(……過労死なんて二度と嫌。でも、死ぬのはもっと嫌!)
小さく拳を握りしめると、グレーテがそっとその手を包み込んでくれた。
その温もりが、かえって「やれ」と背中を押すみたいだった。




