第207話 天界に謎の侵入者
ヴァルキュリア隊や竜舎などを見学した翌朝、今日もまた天界施設の見学に行こうとした矢先にソレは起こった。
「それでは、今日は……『ヴィーーヴィーー』……何事!?」
朝食で使用した食器類を洗い終えたガブリエルが俺に声をかけてきた時、耳を劈く警戒音が大音量で鳴り響いた。
何が起こっているのか分からないまま、茫然としていると驚くべき放送がスピーカーから鳴り響く。
『緊急事態発生、緊急事態発生! 何者かが天界最下層へと侵入。第一種警戒体制に移行せよ! 繰り返す、何者かが天界最下層侵入………』
「天界に侵入者!? まさか天空の門が破られたとでも? はっ、こうしてはいられません」
ガブリエルは一瞬顔を強張らせたが、すぐに何事もなかったかのように何処からともなく携帯電話のよう
な物を取り出して何処かへと連絡しだした。
「至急、セフィリアとリグルドの両名を神王様の御部屋まで………それと対魔族用の装備を……」
誰と会話しているのかは分からないが、『緊急事態』を知らせる放送とガブリエルの鬼気迫った声で只ならぬ事態が巻き起こっているのは確かだった。
この時点で考えられるのは唯一の天界の入口である、あの強固な天空の門が破られた可能性があるという事。
そして天空の門に被害が出たという事はクロノスも、時の宮殿内で生活する者達も何かしらの被害があったという事だろう。
今も部屋の外ではバッサバッサという羽の音と、おそらくは鎧を身に纏った天界の騎士隊が侵入者の迎撃に向かおうとしている足音だろう…………カチャカチャと金属同士が擦れあう音と沢山の足音が聞こえてくる。
「神王様、申し訳ありません。天界であってはならない事態が発生してしまいました」
「いったい何があったんだ!? 天界に侵入者という事はクロノスの宮殿が襲われたのか?」
「いえ、情報局によるとクロノス様の宮殿が襲われたという報告も、天空の門が破られたという報告も入ってきてはいません。おそらくは何らかの方法で強固な結界を潜り抜けてきたものと考えられますが。………あの何重もの結界を破れるものなど居るはずが無いのですが」
「俺はどうすれば良いんだ? 何処か安全な場所に逃げればいいのか?」
「この天界内において最も結界が集中しているのは、この神王様の御部屋です。先ほど『第一種警戒体制』が発令されましたので、解決するのも時間の問題かとは思いますが………」
そうこうしていると部屋の扉が開き、ウリエル、ラファエルを始として『神々の儀』で顔を合わせた熾天使が次々と部屋へと雪崩れ込んできた。
その天使たちに混じって、俺の護衛騎士であるセフィリアとリグルドも神鎧に似た、純白な鎧を身に纏い現れた。
「「護衛騎士セフィリア、並びに護衛騎士リグルド、緊急事態と聞き参りました!」」
セフィリアとリグルドはそう言うと俺を挟んで前後に立ち、更に俺たちを取り囲むようにして熾天使たちが各々の剣や槍、斧などといった武器を手に、何処から襲ってくるかわからない敵に対し待ち構える。
「ウリエル! 今、外では何が起こっているのですか!?」
ガブリエルは先頭を切って部屋に飛び込んできたウリエルに歩み寄ると、現状を問いただした。
「敵の正体については全く分かっていない。分かっているのは、物理攻撃や魔法攻撃、封印魔術などといった此方の攻撃を全く受け付けないという事と、こちらに攻撃する素振りも見せずに何かを探しながら上へ上へと歩み寄ってくるぐらいか」
「攻撃が効かない?」
「それどころか魔封じの結界を最大限に展開しても尚、効果がない状況だ」
「なんてこと! 攻撃も結界も通用しないだなんて」
聞きなれない言葉が次々とウリエルの口から発せられるのを聞いて、居てもたってもいられずに思い切って疑問を投げつけることにした。
「この緊急時にこんな事を聞いている場合じゃないとは思うけど、『封印魔術』とか『魔封じの結界』とかいうのは一体何なんだ?」
「神王様、お恥ずかしいところをお見せして申し訳ありません」
「『封印魔術』というのは悪魔討伐隊が下界から連れ帰ってきた『悪魔憑き』から悪魔を引き剥がし、神水晶に魔を封じ込める魔術です」
審判の間でスラオシャが行っていた、水晶に魔を封じ込める術式が『封印魔術』とやらか。
「加えて『魔封じの結界』は天空の門の縮小版と思っていただければ結構かと存じます」
ウリエルは俺の問いに対してそう答えると、再び姿無き敵に対して武器を構えなおした。
そしてこの会話からどれほどの時間が経過したのだろう………。
熾天使や護衛騎士の緊張がピークに達したころ、それは当たり前かのように部屋へ現れた。
「この部屋で193部屋目ですが、どうやらアタリのようですねぇ~~~私の勘も鈍ったものです」
俺の部屋の扉を壊すでもなく強引に開くでもなく。文字通り、すり抜けた謎の半透明の人型は俺と目が合うなり、歓喜の声を張り上げた。
「貴様、何者だ!」
ガブリエル、ウリエル、ラファエルを筆頭とする10人の熾天使は、俺の壁になるようにして謎の半透明の人型と相対する。
「そんな身構えなくても、今は何もしませんよ。今はね」
半透明の何者かが手で頭を触った瞬間に、前衛の熾天使が構えている武器で徐に靄へと切りかかった。
しかし、剣は目の前の敵に何らかのダメージを与えることなく、部屋の床へと突き刺さる。
「此方からは何もしないって言ったじゃないですか。まぁ、何かをやろうとしても『出来ない』といった方が意味としては正しいのでしょうがね」
半透明の侵入者はこの部屋に足を踏み入れてから一瞬たりとも、俺から目を離すことはなかった。
まるで初めから俺しか眼中にないかのように…………。
俺がそう考えていると不意に半透明の人型は移動し始め、熾天使たちの身体をすり抜けて俺の目の前へと現れた。
「貴方がオルセシス様が仰られていた、此度の神王ですね。ふむ、良い魂をお持ちだ」
「オルセシス? 魔将軍オルセシスの事か?」
「はい。その通りでございます」
目の前の半透明の人物はとても此方と敵対しているとは思えないほどの丁寧さで、深々と頭を下げると俺の顔をまじまじと見つめてきた。
「貴方の御顔は確かに記憶させていただきました。予想だにしない手土産も出来たことですし、私はこれで失礼しますね」
半透明の人型は踵を返すと部屋の扉へと歩みだした。
俺と会話している間も踵を返して歩き出してからも皆は攻撃を繰り出しているのだが、そのどれもが決定打に至ってはいなかった。
剣で切り裂いても、槍で刺し貫かれても、槌で打たれても、魔法を食らっても何処吹く風で歩みを止めなかった半透明の人型は部屋を出る直前で此方を振り返り、言葉を口にした。
「そうそう、肝心なことを言い忘れておりました。我が主からの伝言で『此度は軽い挨拶だが、近いうちに必ずや命を貰い受ける』だそうです。楽しみですね、では、またお会いしましょう」
結局、最初から最後まで存在感が不明だった謎の侵入者は、まるで空間に溶け込むかのようにして姿を消した。
まるで此方の攻撃を寄せ付けずに単身で此処まで辿り着くことが出来る謎の者か。
今回は向こうに攻撃する意思がなかったから助かったが、もしも本気ならば確実に俺の負けだっただろう。
「恐ろしい相手だ…………」
その後、半透明の謎の侵入者が完全に姿を消したことで警戒体制は解かれ、長い一日は幕を下ろした。