閑話⑧ アルフェクダに忍び寄るもの 【後編】
残酷な描写があります。
御注意を
私がオルセシス様の命で、この身体を使い始めてから今日で60日が経過していた。
この頃には城で働く兵士の3割ほどが我が配下の低級悪魔に成り代わっている。
流石に此処まで魔の者が入り込むと天界に此方のことがバレて、討伐隊を送り込まれる可能性があるのだが、事前にオルセシス様が行った『認識阻害』の術によって、その心配は皆無だった。
そして儀式の生贄となる人材集めも順調に進み、現在は戦士・傭兵・奴隷など、闇ギルドを通じて180人ほどが城の地下牢にて丁重に過ごしてもらっている。
驚くべき事に王族であるにも拘らず、この肉体はよっぽど嫌われているのか、それとも恐れられているのか、城の者は誰一人として異を唱えてくる者はいなかった…………ごく1人を除いて。
「アルテミア、あの地下牢にいる冒険者たちは何だ! 王であり、兄である俺に黙って何をしようとしている」
この身体の兄という、デュラミアという男だった。
私はこの身体の記憶を読み取りながら、正体がばれないようにして慎重に言葉を紡いでゆく。
「兄上、相談せずに事を進めたことは謝罪いたします。ですが、私はこの国の発展を願い尚且つ、北の大陸にいる亜人どもを処分するための下準備をしているのです」
「うむぅ。しかしだな…………」
この遣り取りも此れで何回目になるのか。
私が尊敬する、魔将オルセシス様の御言葉がなければ真っ先に始末しているものを。
「さぁ、裏の汚れ仕事は弟である私の仕事です。兄上はアルフェクダの王として、堂々としていてください」
「分かった。其処まで言うなら仕方あるまい」
愚王であるデュラミアは其れだけを言い残すと、私の部屋を後にしてゆく。
その姿が見えなくなったところで不意に空間に歪みが生じて、私の主である魔将オルセシス様が姿を現す。
「ティアヌス、事は順調に進んでいますか?」
「これはオルセシス様、お忙しいところを私などの為に御出で頂き、誠に感謝しております」
私は主であるオルセシス様に心配を掛けないようにと、笑顔で受け応えする。
「私の前で無理をしなくても良いのですよ? またしてもあの男に何か言われたのですね」
「…………はい。余程、私の行っている事に納得がいかないのでしょう。顔を合わすたびに何度も同じ事を言われています」
「もう少しの辛抱です。あと少しで事は成就し、あの御方を忌まわしき天の封印から解放することが出来るのですから」
『あの御方』ですか。私はまだ、お会いした事がありませんが、オルセシス様の表情を見る限りでは素晴らしい御方なのでしょうね。
「先の魔将会議で聞くところによると、シュバイアが儀式の直前で天界の妨害に遭い、失敗したそうですからね。その事を踏まえて慎重に当たらねばなりません。貴方には期待していますよ?」
シュバイア様といえば、新しく魔将になられた御方でしたね。
「それで? どこまで進んでいますか?」
「現在、生贄として185人を確保しております。そのうちの27人は法術士です」
「ふむ、人数的に少し足りませんが問題なく進んでいるようですね。では召喚の魔方陣に取り掛かるとしましょうか。では、先ず初めに………」
私はオルセシス様の言われるとおりに、27人の法術士を牢から出して拷問道具である『鉄の処女』にセットすると、その下に入れ物を置いて扉を閉め、生きながらにしてその肉体から血液を搾り取ってゆく。
オルセシス様曰く、魔力の篭った人間の血は魔方陣を描く際の塗料としては、これ以上の物はないと思えるほどに最適なのだそうだ。
そして数時間後には、魔族の血と混ぜられた大量の血液が魔文字が描かれている特殊な容器に溢れんばかりに注ぎこまれた。
血を搾り取られ、穴だらけとなった法術士の身体は城を半円状に取り囲む、水の張った堀に投げ込まれると僅かに残っていた血液で段々と、その水を赤く染め上げてゆく。
そして搾り取られた血液は低級悪魔が取り憑いた兵士によって街へと運ばれ半円状の堀の延長となるように、街全体を取り囲む魔方陣が描かれていく。
その作業も昼近くに終了し、オルセシス様が仰られていた『御方』を復活させる為の下準備は略終了していた。
残る問題は国の王であるデュラミアの存在だけだ。
捕らえていた法術士を始末したこと。
その法術士の血を使って不可解な模様の魔方陣を街全体に描いたことは、既に私に反感を持つ大臣の口から兄であるデュラミアに伝えられているであろう。
そう考えていた束の間、十数人の兵士を従えて苦悶の表情をしたデュラミアが私の部屋を訪れた。
「我が弟アルテミアよ、貴様の非道な行いは見るに耐えない物がある。よって拘束を余儀せざるを得なくなった」
「遠まわしな言い方をせずとも、私が目障りになったと言えば良いではないですか。ですが此処で私の計画を邪魔されるわけには参りません」
私はデュラミアの引き連れていた兵士を闇の魔法で動けなくすると、口元に笑みを浮かべて邪魔な男にそっと歩み寄ってゆく。
「あ、アルテミア、今の術はなんだ!? 法術士ではない貴様が一体何をしたのだ!」
足が竦んで動けなくなったデュラミアから目を離し、窓際で様子を見ていたオルセシス様に『そろそろ良いのでは?』と片膝をついて問いかける。
「ええ、儀式は滞りなく終了いたしましたし、問題はないでしょう。ただ、今この城にいる人間達と街で暮らす人間達、地下牢に居る者達を合計すると、規定の200人に達しますので此処で殺すよりも生贄として使った方が効率的には良いでしょう」
「分かりました。仰せのままに…………」
私はこと此処に及んでも困惑する表情を浮かべているデュラミアを其の場に残し、その姿を借りたオルセシス様を伴って魔方陣の中心に位置する玉座の間へと移動すると、アルテミアという身体を脱ぎ捨てて召喚の言葉を紡いでゆく。
オルセシス様はその様子に御満悦の表情で玉座に座って笑みを浮かべている。
呪文を紡ぎながら外に目を向けると、魔方陣の外側に神気を持った3人の者が立っているのが見える。
しかもその内の1人からは、通常では考えられないほどの力を持っている事が判明した。
「どうやら天界側に此方の事がバレてしまったようですね。ならば、衣は既に必要ありませんね」
オルセシス様はそう言うと自身の身体を覆っているローブを脱ぎ捨てていた。
魔方陣に手を触れていた者達も此処で何が起こっているのかを理解したようで、瞬時にその身を魔方陣より遠ざけていた。
そしてその頃には呪文の詠唱は完全に終わりを告げ、魔方陣から『ドクンッドクンッ』と心臓の鼓動に似た音が聞えてきたかと思えば、魔界の泉が街の至るところから湧き出していた。
「ティアヌス、良くぞ成し遂げました!」
オルセシス様は手を叩きながら、満面の笑みを浮かべて私を抱きしめてくる。
魔方陣内に侵食する魔界の漆黒の泉は生贄を飲み込みながら規模を広げ、徐々に城全体を取り込んでゆく。
何も知らされていない城内の人間からは、助けを求める声が引っ切り無しに聞えてくる。
「ギャアアアアァァーーー助けてくれ~~~!!」
「何だこの手は!? やめろ! 離せ!」
なんと往生際の悪い…………如何あがいても貴方達は逃れる事は出来ないのですから、覚悟を決めなさい。
そして漆黒の泉に完全に飲み込まれた城は、私とオルセシス様を囲う結界を残して段々と崩れてゆく。